(随筆)専門家は専一家にあらず
「あの日、あの頃」という題で経験談を書くようにとの原稿依頼であったが、回顧するほどの歳でもなし、だいたい、こういうものは、往々にして自慢話になるものだ。 わたしの大学時代の専門について素描することで、その責をふさごうと思う。 * 先日、わたしの手許に送られてきた国語科教員用の小冊子のなかで、東京学芸大学の山田有策教授(日本近代文学専攻)は、自分の大学時代の研究状況を次のように振り返っていた。
文学研究に少しずつ慣れていくにつれて、さまざまな不満も抱くようになっていた。その中でも最大の不満は、<作品>そのものが研究の中心に置かれていないような感を抱かされたことにあった。例えば、演習などの発表を聞いていても、<作品>の周辺や<作家>の思想なるものの追求や調査が中心をなしていて、<作品>そのものをどう読むのかが抜け落ちているように感じられて仕方なかった。「<作品論>という方法」(「国語通信」331号 平5.2.10)
彼は、従来の学問では、「<作品>を読むということが方法的に対象化されていない」ことに気づいたのであった。 この課題は、後に三好行雄の唱導する作品論方法化の試みによって一応の克服を見、以後の近代文学研究の本流となっていく。
時は移り、わたしの大学時代になると、既にこの方法は余りに主流に過ぎ、著名な作品では、最早、新たな展開は不可能なのではないかとさえ思われた。 そんな折、上梓されたのが、前田愛「都市空間のなかの文学」(筑摩書房)であった。彼の方法は、簡略に言えば、当時、流行した構造主義を基底に、<作家>に収斂させるのではなく、<都市>というテキストとの相関の中に定位させる作業と言え、<作品><作家>を佇立した存在としか把握できなかった既成の方法では見えてこなかった部分が多く照射されていた。われわれ学生は、山田氏がかつて<作品論>を新鮮なものと感じたのと同様に、この都市論を応用した方法を、大変、魅惑的なものに感じたのであった。
近代文学研究には様々な方法論がある。心理学的研究、病跡学、比較文学などなど。いずれにしても、専門たる国文学の知識だけではどうにもならない。作品を斬る<武器>とでも言うべき、隣接諸学問の助けがあって初めて成立する。この場合、当然、都市論、構造主義の基礎理解が要求される訳だが、残念ながら、わたしはといえば、日本文学の勉強で手一杯、歯が立たなかったというのが正直のところだ。結局、その方法を、実際の近代文学の研究論文から盗むという安直なやり方で対処するしかなく、わたしの視点は、その低レベル版とでも言うべき、文学と社会分析の混合の如きものにならざるを得なかった。 現在も小説の授業をしていて、自分の視点にこの傾向がほの見えて、苦笑することも多い。三つ子の魂何とやらである。
繰り返しになるが、専門というのは決してその分野の勉強を専一にすれば事足れるということではない。最低限もう一つの専門があってはじめて真の専門家になることができる。 故に、みなさん学生にとって、見据えるべきものは、複線的な視点による長期的学問展望ということになろう。
(「進路の栞」1993・7)
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