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 ここでは、運営者が各種媒体に書いた随筆(エッセイ)・雑文を載せています。ちょっと文学的なエッセイ、昔の思い出話、高校生向けコラム、提言など、内容はさまざまです。

 

 

  (随筆)真のエコロジー教材を

(随筆)真のエコロジー教材を

 

  環境保護が現代社会の最大の課題になっていることに、疑問を持つ者はいないだろう。「生産=消費」のパラダイムによる拡大主義が、日本人の精神構造を支配していた時代は終わりを告げ、今や、自然との調和を考えるライフパターンに移行しつつある。
 しかし、それにもかかわらず、日本社会全体としては、未だに旧態然とした発想で動いていることに気づく。
 例えば、物は、極力、捨てないでおこうと、先日、毀れた電気製品を量販店に修理に持っていくと、その製品のもともとの価格に近い高額の修理費を告げられ、「新しいものを買った方が得ですよ」と言われてしまった。そもそも、後で知ったのだが、自店で売った製品でない場合、基本修理料からして高いそうで、解せないシステムである。
 同じ種類の機器でも、接続端子など、メーカー間で互換性がなく、新しく買い換えると、コード類をすべて新たに買い直さねばならないなどの不経済が当然のこととして行われている。これなど自社の製品を買い続けてもらうため、顧客を引きつける術として、故意に規格を変えているからとしか考えられない。エコロジーとベクトルは正反対の発想だ。
 エコロジーに関する社会体質の変革は容易なことではないかもしれないが、結局は、われわれ個人の意識の総体として、徐々に浸透させていくしか手はないようだ。
 これには、些か手前味噌かもしれないが、教育現場からのアプローチが不可欠である。家庭科、社会科、理科が直接的に関連している教科と考えられるが、国語科でも対応していかねばならない分野であろう。
 実際、国語教科書でも、最近は環境問題に関する教材を導入しているところが多くなった。
 数年前に使用した教科書「明解 国語T」(三省堂)では、魚類学者と釣り好きの小説家との対談を載せて、魚が海から消えていっている現状を訴え、近年の魚釣りブームに対応した興味づけををおこなっていた。
 そのなかで、釣り針で口のなかを切られた魚は、やはり、人間と同じくひどく痛いのだという話があって、今でも印象に残っている。ただ、国語の授業として、その対談からいったい何をどう教えるのかは、よくわからなくて、人間と海との係わりを雑談風に話してさっさと切り上げてしまったように記憶している。
 教材として入っていること自体、大変有意義なことであるが、これでは、一時の流行で終わってしまう可能性も大きい。
 最近、ナチュラリストのC・W・ニコル氏と、プロスキーヤー三浦雄一郎氏との対談「ヒト 自然 スキー」を読んだ(『C・W・ニコルの黒姫日記』講談社文庫所収)。その中で、スキーブームは、一見、自然との触れ合いが増したかに見えるが、スキー場という箱庭の中で遊んでいるだけで、都会の延長でしかなく、自然とは一切関わっていないという指摘があった。
 実にするどい指摘で、スキーをしてアウトドアしていた気になっていた私は、少々、ショックだった。結局、現在のアウトドアブームやナチュラルライフへの憧憬も、これと似たようなものではないのかと考えさせられた。
 C・W・ニコル氏が説くのは、単に自然は保護すればいいということではなく、森の生態系にバランスを欠いた場合、積極的に人間が関わり調節する。そして、調和を乱さない範囲で、自然の恵みは、充分、享受するということである。自然に対する動的な生活観であり、それが彼の行動の指針となっている。
 われわれ教員も、単に自然破壊反対の風潮に乗って、それを扱う教材を実施して、事足れりとしていてはいけない。通り一遍では、単純な自然破壊反対論者やアウトドア愛好者を増やすだけの結果に終わるだけである。
 近年の自然志向=アウトドアライフが、本当に地のついたものとなっていないという認識から出発し、個人個人のライフスタイルの中に、どう<自然>との折り合いをつけていくのか−そうした根幹に関わる問題として指導していかなくてはならないだろう。
 とすると、この問題における「国語」の役目は極めて重いと言える。現状は他の教科に比べてお寒いかぎりというのが実感だ。まず、国語教師側の認識の確立と、より有効なエコロジー教材の開拓が急務である。

             (「国語教室」四八号(大修館)掲載)
                                           (1993・2)

    [1] 
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