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エッセイ・コラム・雑文

 

 ここでは、運営者が各種媒体に書いた随筆(エッセイ)・雑文を載せています。ちょっと文学的なエッセイ、昔の思い出話、高校生向けコラム、提言など、内容はさまざまです。

 

 

  (論説)旧稿曝書 崩壊の時代

(論説)旧稿曝書 崩 壊 の 時 代 

 

(前白)本の虫干しのことを曝書という。図書館の長期整理日の予告に「曝書のため」と書いてあって、久しぶりに出会った言葉に新鮮な驚きがあった。先日の休みに、メディアの中心をCDとUSBストレージに変換するため、私は曝書ならぬ曝フロッピーディスク(?)を実行した。ファイルを覗いて、要らぬものを削除していった中に、この未発表の旧稿があった。論説を気取った文章で、話題も古いが、逆に、十年の歳月を経て、この時代の自分を繋ぎ止めているようにも感じられて、ここに臆面もなく公にすることにした。「旧稿曝書」と題した所以である。(二〇〇三・四)

              *

 現代の潮流を一言でくくれば、<崩壊の時代>といえる。これは、なにも東西冷戦構造の終焉、自民党五十五年体制の崩壊ばかりを指しているのではない。世の中のあらゆる方面で、既成のもの、制度、規制等が緩和の方向で進んでいることを指す。
 自由主義が大原則の御時世、規制がある方がおかしい、緩和や解除は決して悪いことではなく、むしろ推進していくべきだという意見が一方にはある。だが、「その通り」と、全面的に肯定できない気持ちも、私にはわだかまっている。
 政府は、市場開放の一環として、食管法、大規模店舗法の大幅な緩和を打ち出した。酒、医薬品もスーパーで買えるようにし、米の流通制度も自由化する。タクシーの地域一律運賃制度も見直しがはかられるという。なかには大歓迎のものもある。化粧品等は、なぜメーカー品だけ定価販売なのか以前から疑問に思っていた。書籍の時のように<文化論>が絡まない分、早急な浸透が望まれる。
 「これまで政府が許認可を与えてきたきたものは、日本経済が未成熟だったからで、一流国に位置する現在、市場開放の外圧も考慮すると、自由化の方向は当然なのだ」−と、まあ、全体の流れはこういうことなのだろう。
 しかし、こうした方向性が日本の将来にとってベストなのかというと、あながち断言できるものでもあるまい。全ての世界が平和で健全な社会をつくるという理想が、貿易の障壁撤廃を含めた自由化によって達成されると考えるのは、素人が考えても余りに短絡的である。
 日本の農業がアメリカの食料戦略に負けてしまって、有事に言いなりにならざるを得なくなるのではないか、安価競争が結果的に質の低下を招き、食品などの安全性に問題がでるのではないか、酒がジュースのように気軽に売られては、未成年者に悪影響はないのかなど、これまでたびたび指摘されているように、心配の種は尽きない。
  同様に、教育の世界でも<自由化>が進んできている。内申書問題にしてもそうだ。公開を命じる裁判所の判決が出て、情報公開が叫ばれるようになったころから、教師は態度の悪い生徒に対しても、悪い評価を書くことは許されなくなった。しかし、上の学校では、情報が欲しい。そこで書類には書いていない情報を聴くため、さまざまなルートから収集するようになる。その結果、書類の意味が著しく低下したにも拘わらず、教師は、当たり障りのない作文を書き続けなけれはならない。書類の形骸化である(形式的な意味しか持たない書類を何枚も書かねばならないことなど、お役所では当然のことで今更の指摘なのかもしれないが……)。
  今年、地元新聞社発行の月刊誌が、高校に入学した出身中学別人数一覧の掲載を再開した。一見、単なる統計的な情報のように見えるが、これは同時掲載されている「公立高校入試合格ライン表」よりも問題が多い。
 保護者の目は進学校に集中する。
「うちの中学では、あの進学校に○○人しか入らないけれど、隣の中学では○○人も入っている。進学を考えると隣の中学校に通っていたほうがいいわ。」
こうした短絡的な判断に傾き、所によって越境入転学の動きもあったという。保護者は、受験指導強化を暗に強要、中学校側も勉強の出来る生徒のみを集中的に進学校に入れさせる歪んだ進学指導に突っ走っていく。このため、他の生徒は疎外感を持つ−これは実際に聞いた話である。
 稿者の心に去来するのは、「秘すれば華」という言葉。すなわち、隠すこともまた社会に必要な要素ではないかという思いである。知らなくてもよいことは、無理に、白日の下にさらす必要などないではないか。先程の例など、教育関係者が知っていればよいことで、さまざまな要因を封じこめたまま(例えば、地域環境の違いなど)、結果のみを公表するために、全責任を学校が背負い、学校間競争を煽るだけの結果になってしまっている。これには、一方で教育の理想論を述べておきながら、他方、<報道の自由>や<知る権利>を楯にとって、以前、県議会で問題になったにもかかわらず、ほとぼりが醒めると、また平然と公表してしまう地元マスコミの姿勢も糾弾されてしかるべきだろう。
  谷崎潤一郎は、名著『陰影礼讃』の中で、光線を例にとり、日本の美について述べている。太陽の下で美しいのが西洋の美であり、障子の薄ぼんやりした光と影に美を見いだすのが日本であると。裸体の美を競うのが西洋で、着物を着た姿で美を捉えるのが日本だとも。
  われわれ日本人は、西洋の生活習慣を取り入れた。美意識も西洋化しつつある。それ自体は時代の流れだ。しかし、日本の美意識を完全に捨て去ってもいない。外圧と国内での改革の世論をバックに、闇雲に自由化・公開化に突き進んでも、日本人の資質と合わない部分があって、うまくいかない部分もでてくるような気がしてならない。おそらく現状の行き着く先は、自由社会ならぬ階層社会ということになる。嗚呼。                                                        (一九九三・九)

           (「イミタチオ」第40号 平成15年7月)

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