(コラム)昭和天皇崩御−私の一日
昭和六十四年一月八日。 −それはドラマだった。天皇の崩御、新しい天皇の即位、元号の発表と、刻々と、テレビはこの歴史的事件を伝えていた。 しかし、金沢の街は静かだった。喪に服していると言えば聞こえはいいが、単に、テレビ漬けになっていただけなのかもしれない。 その夜、今日のことを一生覚えているだろうかと配偶者と話し合った。 「私は、日中、街で弔旗を見つけて気がついたから、大丈夫だわ。」 なるほど。人間、自分で体験したことは忘れにくいものだ。家に引き籠もってテレビを観ていた私など、かなり怪しい。 ところで、同じ「昭和生まれ」といっても、初めの方と最後の方では半世紀以上の差がある。昭和のいつ頃育ったかで<価値観>は大きく違う。 昭和三十年代生まれの者にとって、電化製品は宝物だった。当時、家にはアイロンと扇風機くらいしかなかったが、ようやく生活にゆとりが出て、一年にひとつ買い揃えられるようになった。テレビもそのひとつだ。 ある冬、家族会議で、今年は電話と冷蔵庫どちらを買おうかと話題になった。いつまでも近所に電話を借りにいくのも不便だし、失礼だということで、電話を買うことにしたのだが、その夏、暑くなってくると、たまらず、冷蔵庫も買ってしまった。一年にふたつ。その年の我が家の大事件だった。 冷蔵庫の来た日のことは、幼心にもはっきり覚えている。わたしは、庭から運ばれた真新しい冷蔵庫を、終日、開けたり閉めたりしていた。冷蔵庫さえあれば、中から、どんどんアイスクリームが出てくるとでも思っていたのだろう。 それもこれも、物を買うことが幸福であった時代の話だ。物余りの現代。人間は、かわりの幸福を見つけているのだろうか。 ともあれ、四月から平成元年度が始まる。何事もスタートが大事だ。日本人の心構えの総和が、最終的にこの疑問の答えになっていくのだろう。 諸君の頑張りに期待したい。
(石川県立鶴来高等学校「舟岡新聞」コラム欄「仏坂(ふらんすざか)」掲載) (1989・3)
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