(掃苔紀行T)私と漱石−雑司ヶ谷墓地参りのことなど−
近年、地方から東京へ夜行バスが多く乗り入れている。眠りの浅い者にとって、よく眠れないという欠点さえ目をつぶれば、その日一日を有効に使うことができ、それに、何と言っても安く、便利で。小生も時々利用している。 今回は、時間に余裕があったので、早朝、池袋サンシャインシティ前で降ろされた後、他の乗客が向かう方向とは反対の雑司が谷方面に歩き出した。目的は雑司が谷墓地にある夏目漱石の墓参りである。 雑司ヶ谷墓地には、多くの文人が眠っており、墓巡りを志す人はまず一番に行くべき、いわば「メジャーな」(?)墓地である。
苑内に入ると、午前六時前ということもあり、時折、ジョギングや犬を散歩させる人たちが通るだけで、閑静な雰囲気だったが、七時をすぎると、池袋駅に向かうサラリーマンが足早に通り過ぎるようになる。さすが、都会の墓地だけあって、どうやら苑内も大事な通勤路になっているようで、お盆やお彼岸以外は閑散としている地方の墓地では見られない光景である。彼らにとっては、単に毎日通過するだけの道でしかないのだろう。しかし、小生には、死者と生者が界を異にしつつも<共生>しているように見えて、表現がおかしいかもしれないが、「墓地が生きている」という感覚を持った。
さて、目当ての漱石の墓は、案内板にも書かれてあり、墓の形も文学アルバムなどでお馴染みなので、すぐに見つけることができた。 実物を目の前に見ると、本人は立派な墓を嫌ったようだが、さすがは漱石さんという感じである。 腰を下ろし、手を合わせながら、やおら見上げると、ジャムの瓶が二つお供えしてあった。そう言えば、漱石はジャムが好物で、輸入ものを取り寄せ、家族にはやらず、一人嘗めていたという逸話を聞いたことがある。私の前の参拝者は、この文豪に相当お詳しい方だったとみえる。
しかし、その方が思ってもみないことでところで大変なことが起こっていることに気がついた。カラスが蓋の開いた瓶からジャムをつっつき、汚れた足で墓の上を歩きまわったらしい。墓石はねばつき放題になっている。 はて、近くに洗い場とてない。仕方なく、近くの墓の供台の花受けの水を使い、手持ちの手巾とティッシュで墓を清めた。こんな時、背丈を超える立派な墓というのは、手間がかかり、なかなか厄介な代物である。
考えてみると、小生一族の墓は遠地で、管理も親戚任せ、十年に一度くらいしか墓参りに行ったことがない。行っても、墓石に水をかけるのが関の山、腰を入れて墓の掃除するのは、漱石さんが初めてである。 三十分程でようやく汚れもとれた。ジャムも今度は口を締めて供えなおし、再度、手を合わせる。 「漱石先生、何だか先生のお背中をお流しているような気がしました。ところで何ですが、折角、きれいにして差し上げたのですから、あの世の霊力とやらで、私の文才の方もひとつ何とかして下さいませんか」 この時、こんな気持ちが沸々と湧いてくるのに気がついて一人で微苦笑してしまった。
予定より長く漱石の墓前にいることとなったが、その後、成島柳北、永井荷風、泉鏡花ら小生好みの作家の墓を参り、何か良いことをした気になって、雑司が谷墓地を後にしたことであった。
高校国語教師という職業柄、漱石の生涯に触れぬ年はない。ほぼ一時限をかけて説明する。三年の教科書には「現代日本の開化」が採られていることも多い。二年で習う「こころ」なら人間関係が描かれているから、生徒なりに理解してくれるだろうが、はたして現代の若者がどれだけ<外発的><内発的>の問題を理解してくれているのか、いつも心細い思いをしている。 その難しい話に入る枕として、この時に撮った漱石の墓の写真を見せつつ、このジャム墓事件の顛末を面白おかしく語ってきかせるのが、ここ数年の習いになっている。
ところで、最近、話慣れて至芸の域に達した(?)この小話をしながら思うことがある。 実は漱石先生、小生の職業を先刻御存知で、ネタに使いなさいと、この小事件を下さったのではなかろうか。 どうやら、文才のお願いの方は、それで、体よく断わられたようだ。 (文学誌「イミタチオ」第23号 平成6年5月) (発表原題「墓参りのことなど」)
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