(論説)小説教材の選択について
高校入学後、はじめて習う小説教材としてどんな作品をあたえたらよいか、多くの先生方が苦慮なされているのではないだろうか。中学校までの、登場人物の心情を中心とした読解から、作者の意図にまで視野を広げる客観的な読解へと進む第一歩として、構成、主題など、読解の基礎を学ぶ訳であり、その選択の良否は、その後の小説の授業を成功に導く大きな鍵となるだろう。 教科書では、最初に芥川龍之介の『羅生門』を置くものが多い。確かに論理は明解である。しかし、時代設定が理解しにくかったり、表現が難しかったりして、意外につまずく生徒が多かったのも事実。私自身、学校によっては、入門用として余り適切でないのではないかと判断している。ある程度、作品をこなした後に持ってくることで、より効果が上るのではないだろうか。 私はこれまで初発の教材として安岡章太郎の『幸福』を好んで取り上げてきた。主人公の年齢が生徒とほぼ同じで感情移入しやすく、構成もはっきりしていて、入門用として最適と思ってる。 そこで、私は、この『幸福』をじっくりとやり、その後に、読解方法の復習といった意味あいで、短時間で、葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』と黒島傳治『二銭銅貨』を合わせて教えていた。この二編も、また、絶好の教材で、分量も本文を印刷してもプリント一枚で済み、しかも、主題が明確で、授業で深入りせずとも後々まで生徒の印象に残る教材となっているようだ。 ところが、『幸福』が、県下のほとんどの中学校で採用している光村図書の「国語V」に載り、既に学んできている生徒が多くなった。もちろん、中学と高校では深度も違うしも別の角度からの照射も可能ではあるが、やはり、生徒にしてみれば、新鮮味に欠ける教材になってしまったようだ。 今回、『幸福』をオミットし、『セメント樽の中の手紙』を中心教材とすることにして、本格的に教材研究をしなおしてみた。数社より出ている指導書や参考図書にも目を通したが、非常に学術的な解説で、具体的にどこをどう教えるかわからず、困惑した。 そんな折、昭和六十三年度用の見本としていただいた大修館「新国語I」指導ノートと実践例集を読んで、ようやく見えてきたところがあった。実際の生徒の反応に即した内容で、実に有益であった。無論、この中の実践例にあるようなグループ学習を利用しての展開など、現在のところ、真似ができる状況ではないが……。この資料を得て、この教材で授業をする自信が持てたといえる。 話は少しく脱線したかもしれないが、要は、初めての教材の場合、まず、生徒の喰いつきのよいものを選ぶことが重要であろうと思う。時代物よりは、生徒が容易に想像し得る近代・現代のものを、また、表現でつまずかないように、平易な文章のものがよいと思う。「新出漢字」や、「わからない言葉」の説明は最少限に止めて、話の展開に留意して、生徒の興味を引きつけるべきではないだろうか。そして、何よりも大事なのは、最終的に導かれた主題が、妙にこねまわした複雑なものではなく、誰にでもすぐに納得できるようなものを選ぶべきではないかということだ。 私の場合、『セメント樽の中の手紙』の主題を、「労働者階級の悲惨な状況の告発と、労働者同志の連帯」とした。これだけでは不充分で、浅い理解であることは充分承知しているが、まず、生徒は違和感なく理解してくれるし、うまく授業が進んだクラスでは、生徒の方からズバリ答えがかえってくることもある。要は、読解の型をこの教材で理解してくれるのを主眼に置いているので、これで充分としているのである。 いまだ、この教材を掌中におさめているとは言えず、型通りの授業しかできていないかもしれないが、今後、何年も扱う中で、こちらの理解が深まればと思っている。
(「国語教室」第34号 「談話室」1988.5 大修館書店)
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