ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」 http://hiyorigeta.exblog.jp/
25日(金)、私担当の答案(現代文)が出た。この土曜・日曜で、せっせと採点し、今日、テスト期間中だが、特別に返却してもらい、「成績伝票(仮記入)」を仕上げて、入院前の仕事を終えた。明日から入院。4日に手術の予定である。 インターネット環境がないと思うので、当分、この「ものぐさ(日記)」は中断する。入院中、何か知的なことができればと思っているが、それどころではないのかもしれない。それより、終日テレビで、芸能界通になって戻ってくる可能性のほうが極めて高い?
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この成句、言葉は難しいが意味は判りやすい。その昔、ピアスをしていた女生徒に、この言葉を言ったが、当然と言うべきか、「?」マークの顔をしていた。意味自体が分からなかったようだが、わかっても、耳に穴を開けることが、親とどうつながるのかわからなかったろう。 高齢の私の父親は、あちこち体が傷んできてはいるが、元気に飛び回っている。それに比べて、この息子は、行動に制限が出て、親よりヨボヨボ歩いている。数ヶ月前、父親と話していて、「一生涯、病気を抱えて生きていかねばならないのかなあ」と、ボソボソ弱音を吐いたら、一級身体障害者(全盲)の彼から、「俺は若いときからずっとそうだゾ」と突っ込まれてしまった。うーん。「愚痴る相手を間違えた」。二人で大笑いになった。 話しながら、息子としては「身体髪膚、之父母に受く、毀傷せざるは孝の始めなり」というこの成句が心の中で鳴っている。毀してしまって「申し訳ない」ーそんな気持ちである。 一般的に言われることだが、天寿を全うした方の葬式は、悲しみの中にも落ち着きがあるが、親よりも先に亡くなった人のお葬式は、何とも悲しく辛いものだ。「先立つフコウ」は、勿論、「不孝」だと、知識では知ってはいたが、どうやら今まで「不幸」の方のニュアンスで考えていたような気がする。フコウは文字通り「不孝」なのだと、最近、実感している。 「手術〜切る〜毀傷する」という連想もあってか、この成句を強く意識する今日この頃。
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大学時代、いい論文を書こうと、悪戦苦闘したが、出来たものを見ると、単に情報が羅列してあるだけ。うまく論理が高まってくれない。悩んだ末、「私の文章修行」なる本を何冊も読んで、極意を探ろうとした。ところが、精神論ばかりで、具体的にどう練習をすればいいか皆目分からない。 そこで、今度は「レポート・論文の書き方」という実用書を何冊も買ってきて読んだ。その中に書いてあって、なるほどと思って具体的に行動したのは、人の論文の、論文らしい言い回しを大学ノートに書き写すということ。これは、「見過ごすことができない」を「看過できない」式に言い換えたら論文調になるというような、本当に表現レベルのものから、国文学の専門用語を使えるようにと堅い言葉の抜き出しまで、ともかく気になった言葉を書きためた。すべては模倣からである。 当時書いた論文を読むと、無理矢理、漢語を使おうと奮闘しているのが微笑ましい。今ならもっとわかりやすい表現をする。若気の至り。 行論のほうで、一番困ったのは、前半部で説明しているとき、後半で説明する予定のことを言わないと論が進まないことに気づき、仕方なく、その場所であらかた説明すると、今度は、後半に至って、同じことを二度言う結果に陥ってしまうこと。これには悩んだ。今は何となく誤魔化す技術を覚えたので、何とかなるのだが、当時はこれが大問題だった。 文体を真似たということで言えば、谷沢永一と丸谷才一のふたりがいる。谷沢永一は、当時、関西大学教授で、論文集「標識ある迷路」(関大出版部)などは、タイトルが洒落ていて好きだったが、それより、書評家として名を馳せていた。「紙つぶて」シリーズなどが代表作。本当に彼の書評は沢山読んだ。決められた短い字数の中に、ぴたっと決まって、本当に短文の達人だと思った。特にうまいのは体言止め。これぞ短文文体の極意である。また、つまらないと思った本は、ばっさり切り捨てる潔さも痛快だった。今でも短い批評を書く場合、谷沢さんのようにいかないかなと思いながら書く。 丸谷さんは、エッセイを愛読した。丸谷さんには独自の用字法がある。「文章読本」(中央公論社)には、丸谷流仮名遣いの凡例が書いてあって、その原則は実に納得できるものであった。「○○でせう。」式の、しゃべり言葉調を大幅に採用しているのだけれど、それを文語で書いて優雅にしたような独特の言い回しは、知的でもあり且つくだけているようでもあり、言い難い魅力を放っていた。 自分の文体を語るほど偉いわけではないので、少々おこがましいが、ネタ晴らし的に言えば、私の文章の、常体・敬体を適度に混ぜたり、しゃべり言葉を交ぜたと思ったら、ちょっと堅い言い方を交えたりするやり方は、彼の文体の影響である。 さて、ここで「なるほど、そうなんだ。」と思った人は、私の文章の立派な愛読者です(^_^)
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テスト問題として、部分しか読んでいなかった江藤淳「妻と私」を、単行本(文藝春秋社)で取り寄せて読んだ。断片的な入試問題としての文章しか読んでいないことへの反省をこめての注文である。原稿用紙で百枚ほど。約一時間で読了する。 妻の行動に、病気が原因の問題が徐々に表立ってくる。その妻と病室ですごしながらの生と死についての思索、そして、死。その後、自分自身も重篤の事態に陥る。しかし、徐々に回復し、日常と実務の時間に、再度、生きる意義を見いだそうとするところまでが書かれてある。 後半、作者自身に命の翳りが現れることまで書かれてあるとは知らなかった。とすると、中盤に述べられる「死の時間」という言葉は、単に、死をめぐる思索の上で「気づき」だけにとどまらず、後半、自分自身が危篤状態に至ることへの伏線にもなっている訳である。ノンフィクションではあるけれど、この点で、よく練られた小説的な結構も感じないではなかった。愚妻も、この作品を私に続いて読んだが、間違えて「この小説は〜」と感想を述べはじめたところをみると、あながち私の個人的印象でもないようだ。 「この短い作品で、どこが金沢大学の問題に出たかわかる?」と質問すると、「自分が今いる「生と死の時間」を、看護婦さんに「ラブラブ」と言われて驚き、「死の時間」として実感する場面でしょう。」とぴったり当てた。確かに入試問題にするにはここしかない。 江藤本人が驚いている、この「ラブラブ」発言。でも、この話を読んでの感想は、羨ましいまでの「ラブラブ」だということ。文学的には「気づき」の箇所が重要だが、読んで感動するのは、<夫婦愛>そのものである。 1999年、江藤の自殺の時、タレントのおすぎとピー子が、「日本の男は妻に頼り切りで、先立たれると脆い人が多いのよ。情けない。」と一刀両断したという。日本男性は、「妻=母性」で、お母ちゃんを亡くした子供のようなものだということなのだろう。「成熟と喪失ー母性の崩壊ー」の作者は、見事、おかまさんにばっさりやられているようである。 西郷隆盛を描いた「南洲残影」(文芸春秋社)での、死への近親性の表出。そして、「妻と私」の心情と体調のレベルで、次に脳を病み、知的活動が制限されたとしたら、
心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。 平成十一年七月二十一日 江藤淳
という、近来珍しい漢語調のこの遺書を残して自裁するのは無理がないような気がしてならない。「妻と私」の論理にあてはめると、「日常と実務の時間」に、自己のアイテンテティを見いだそうと、自分を奮い立たせて何とか努力中の人間が、再度の病魔のため、それさえも奪われてしった訳で、彼には、よって立つものがなくなってしまったのだ。「乞う、諸君よ」と呼びかけ形式になっているのは、仕事の謂いを含む「日常と実務の時間」の向こうに見える読者の存在を意識しているのであり、彼は、唯一、読者に向かっては自己の行為を申し訳なく思っているのだ。(例えば「漱石とその時代」の未完のことは気にかけていただろう。) ただ、我々は、こうして彼が自殺したことを知っている。だから、既定化された地点から、「妻と私」中に現れる自殺意識の要素だけを抽出し「無理なし」と思ってしまうという御都合主義的解釈で見ていることを承知の上での感慨ではあるが。(つづく。但し、当分先。)
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金沢大学の過去五年間の国語入試問題の出典を年順に羅列してみる。
1999年 竹田青嗣「自分を生きるための思想入門」(生きる意味を、昔は、宗教上、死後の世界をイメージさせることで、現世の生きる意味を保証したが、今は、社会への貢献に生きる意味があるという形に変化していったという内容) 2000年 江藤淳「妻と私」(以前に触れた、妻の死を看取る話) 2001年 秦恒平「虚像と実像」(秦流虚実皮膜論で典型的文学論。) 2002年 岩井克人「未来世代への責任」(経済学者からみた環境論。朝日新聞2001年8月3日夕刊) 2003年 小浜逸郎「人間はなぜ働かなければならないか」(労働するのは、人間が社会的存在だからという結論の労働論。) 2004年 斉藤道雄「もう一つの手話」(「手話詩」の可能性についての話。)
こう見てくると、出題が、思想的人生的な文章から、社会的実際的な文章へと変化していることに気づく。金沢大学を受ける生徒に、いかにも受験校の教師らしく、この分析を語ったが、この傾向、続くかもしれず、突然、揺り戻すかもしれない。ということで、これでは、なんの予言にもならないのであった。 ただ、どうなのだろう。どんな文章でも、ある程度しっかりした文章であれば、国語力を問う設問は出すことが出来るから、出題として問題はないのだが、今の世の中、猫も杓子も、福祉、ボランティア、環境、ニートといった、現実論ばかりになっているのがどうも気にくわない。それは、いわば対処療法的文章である。妻を巡る死の想念、生きる意味を考える、そうした「思惟」といえる文章を、難関大学を受けようとする生徒には読ませたいと思うのだが……。観念論を軽視し、対社会や実利的ものばかりを重要視すると、いつか「理想」や「長期的展望」が見えなくなり、その時その時の現状判断ばかりがうまい大人ばかりになっていく。これは、私がいつも主張することである。 高校生の読書感想文が、感動ものドキュメンタリーばかりで、小説がほとんどなくなったのと、選択の主体が大人と子供で違ってはいるが、どこか似てはいないか。つまり、どちらも「時代の要請」に敏感すぎやしないかと思うのだ。 さて、前期の個別試験が明日にせまっている。特に最後まで質問に来ていた生徒達に、その努力の報いを味わわせてあげたい。 君たちは、充分、抽象的な文章を読む実力がついています。太鼓判。ぽん。
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一昨日、生徒を褒めたのだが、今日の授業はがっかり。今度は貶します。 前の単元、芥川龍之介「舞踏会」の授業で、生徒に楽しんでほしいかったところは、ネタ本であるピエール・ロティ作「江戸の舞踏会」との比較。細かいところから全体の印象まで何でもOK、「間違い捜しクイズ」の気分で指摘してくれるように指示する。以前は、結構面白がってくれて、クラス全員当てても、まだ意見が出るくらいの時もあったのだが、最近は、早々と「分かりません」が連発される。下手に引っ張っても、クラスの雰囲気が悪くなるだけ。さっさと芥川がどういう操作をしたのか纏めに入る。生徒は、真面目にそれを聞いて黒板を写している。でも、つまらなそうである。
今日は俳句の授業。「鰯雲人に告ぐべきことならず」加藤楸邨 有名な句である。 何故、初句が「雲」でないといけないのかという質問から、作者は悩んで仰向けに寝ころんでいるから、そこで目に入ったのが雲なのだという結論に持っていくのがこの句の指導のポイント。そうでなきゃ、「突っ立って、顎を上げて空を観て、そんな格好で、考えごとなんてするかい?」といって、そういうポーズをとると、以前は笑いがもれた。今日も、やってみたけど、誰も笑わない。真面目に下を向いている。 気を取り直して、次。 「この作者、どんなことを告げようか告げまいか悩んでいるのだろう?」と投げかける。これまでは、すぐに「愛の告白」という意見がでてきた。人間、特に若い子だったらそれが自然の意識というものだ。ところが、これも「分かりません」が続く。君なら言おうか言わないか悩むことってないのかいと聞いたら、きっぱり「ありません」と断言された。次も、その次も、その次の次も。(悩みがない?! なんとおめでたい。) 結局、愛の告白路線の解釈をしゃべり、それで鑑賞しても間違いではないけれど、実はこの句は軍国主義の時代、言論統制が厳しくなったことに対しての知識人の悩みなのであって、社会的・思想的な句だったんだよ、と纏める。これがこの句の解説の着地点。でも、意見が何も出てこないのだから、結局、先生が全部しゃべっているだけ。 日本経済新聞「二〇二〇年の警鐘」という記事の中で、中国人留学生姜慧さんのスピーチコンテストの内容が紹介されていた。日本人のゼミ発表者に質問すると、参考書を読むだけ。食いさがると下を向いて黙り込む。他の学生も意見を出すわけでもない。意見が言えないことは他人とコミュニケーションができないことだし、自分を高められるはずもない。なんだか「おとなしいだけの羊と同じ」と感じたという。目に見えるようなゼミ風景である。おそらく、質問しないのは、次の自分の発表の時、突っ込まれたくないから人にも突っ込まないという「平和思想」(?)からだろう。 日本青少年研究所研究員胡霞(フーシア)氏はもっと強烈である。
日本の社会は自由な社会だが、日本の若者は個性溢れる自由人ではない。彼らが自由にできるのはミニスカートを校則で決められた長さより短くすること、髪の毛を染めること、学校外では「援助交際」をすること、授業を聞かないことである。「皆と同じ」の規範に縛られている。(中略) 中国の若者は日本のような自由な社会に生活していない。さまざまな規律、規範を守らなければならない。いいこと、悪いこと、していいこと、していけないことははっきり決められている。何でも自分の自由にできないが、仲間集団の同調を求めない。むしろ人と同じことをするのは「個性のない」表れで、周りに軽蔑される。 日本の高校生と交流していた中国の高校生は「自分たちは日本の高校生より優れている」と、秘かに思って帰国した。交流の時、日本の高校生の話題は細眉だの、顔黒、超ミニスカ、厚底の靴ばかりで、暗に豊かな日本で鼻が高いことを自慢した。だが、勉強や将来の夢などの話になると、日本の高校生は無口になってしまった。中国の高校生は思った。やがて中国は日本に勝つ。日本の高校生は親たちの努力に乗っているばかりで、自分の生きる夢も希望もない。(中略) 日本の若者は何でも自分の自由にできるが、自立とはほど遠い。「考え」「思考」もない、夢と希望もない日本の若者が発展途上の国の若者を軽蔑する資格がないように思える。私の思うには、日本の若者は、もう少し反省したほうがよい。でないと、世界から取り残されるだろう。 (「自由があるが、夢がないー中国人の目から見た日本の若者」)
日本経済新聞の方は、生徒が持ってきた小論文の課題文。設問は、この文を読み、「21世紀の日本の若者に必要な能力は何か」を書け、というもの。胡霞氏の文章は「私の考える「生きる力」」という特集への寄稿である。
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このところ、ジムをサボっていた。休みの日に行けばよいと思っていたら、従兄弟の葬儀。疲れてしまって、その後も行かない日が続いた。久しぶりに機械をしたら、しっかり、以前、持ち上げられた回数が上げられない。なんとも現金なものである。妻から、「当分、体を動かせないのだから体力つけとかなくちゃダメよ。そうじゃないと予後が大変。」と脅かされた。せっせと通おう。 入院の様子を、同病で手術した経験がある友人にメールで聞いたり、十年前の愚妻の入院中の様子を思い出したり。一種の「イメージトレーニング」? 今は、するかしないか困りに困った時より平穏な気持ちだが、手術直前になると、初めてのことだから、急に不安が増大するかもしれない。話では、体を全く動かせない時期がそれなりにあり、じっとしなければならない辛さでストレスが溜まるという。 先日、高校以来の友人N君から、私は、くよくよ、大きくショックを受けるタイプだと定義されてしまった。さすが古いつきあいである。 そう、私には「男らしい」というキイワードはない。そんな教育は受けてこなかった。なんでもかんでも「男女平等」の世代なのである。(ちょっと結論に飛躍が…… (^_^;))
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日曜だが、平日よりもかなり早く起きて、運転免許センターにいく。免許の更新である。誕生月の3月は、入院中なので、今、行かねばならぬ。休日の午前中が一番混んでいるから避けるようにと案内の葉書には書いてあったが、やはり、平日は無理である。 案の定、大勢の人が、窓口が開くのを待っていた。視力検査、写真撮影と順調に進み、講習会開始まで、二十分以上の時間があったので、免許更新以外の事務を受け付ける窓口の横のソファに座って待つことにした。ポケットに文庫本を持っていったが、人間観察の方が面白そうである。そういえば、生活範囲が狭くなって、大勢の大人を見る機会が減っていた。買い物などで見かけないことはないのだが、お互い動いている。単に通過する人でしかない。 目の前に、長袖の上に半袖の色違いのセーターの重ね着、サイド模様のパンツ、それにロン毛茶髪の「姉ちゃん」ならぬ「おばさん」が立っていた。若い格好とおばさん顔とのギャップに、世の中、色々な人がいるなあ、私の行動範囲では見ない人種だと、興味深かった。人間、平服でも、その人の職業が見え隠れするものである。どんな職種の人だろう? あとで思うと、ちょっとジロジロ見すぎで、こっちのほうが怪しい「おじさん」だったりもする。 係の人が、若い女性を、この窓口に誘導し「ここですよ」と言っているのが聞こえてきた。その女、窓口の看板を確認し、列についた。それで終わり。案内の人に一言の挨拶もなしである。せめて、「有り難う」くらいあってもいいような気がする。 次に、若い男が、窓口の順番が回ってきた途端、「優良ドライバーって3年じゃないがかいや。」と突っ慳貪に言い放った。「お願いします」も「すいませんが」も無し。最初から喧嘩腰一歩手前のように聞こえる。係がなだめ口調で説明すると、「判りました」もの一言もなく、プイと去っていった。 どうも、このソファ、いい場所でないなと、私は座席をたった。 窓口業務は大変である。私なら腹を立てるかもしれない。でも、役人がちょっとでもそんな素振りをみせたら問題である。日頃は、自分のことを棚に上げて、役人の駄目さ加減をこき下ろしているが、今日だけは深く同情した。 それにしても、何人もの外来客を横で見ていて、若い世代の態度や言葉づかいに配慮の無さが目立つ。時に横柄なようにさえ見える。でも、おそらく悪気はないのだ。単に配慮することをしていないだけなのだ。つまりは、そうした教育を受けていないから身に付いていないということなのだろう。あの若い男も、あれが普通のしゃべり方なのだ。 テレビを見ていても、若い者が、年上の人に平気で突っ込みをいれたりしている。相手の方は、テレビだからあからさまに不快な顔はされていないけど、決していい気はしていないだろうなと思うことがよくある。今の若者は、テレビなどで受けている漫才師の突っ込み口調を、そのまま、面白がって使っていて、それがいつの間にか不特定多数の人間関係にも持ち込んでいるとの思えるのだ。それが「共通語=了解された人間関係」の場合は問題ないが、相手かまわずやってしまう……。 一時期、アニメ「クレヨンしんちゃん」が流行った時、子供の多くが、妙に低い声で大人にこましゃくれた突っ込みを入れていて、素直じゃない発想に、嫌なものを感じたものだが、あのアニメを観ていた世代が、もう大人になったのかしら? いずれ、「突っ込み」世代が世の中の多数を占めることになる。その時は、そうした人間関係が日本人のコミュニケーションの「常態」となるのだろう。 今、職場は学年末のテスト前である。生徒が遅れた提出物を持ってくる。ちゃんと「遅れて申し訳ありませんでした」と言って……。学力が低下しているとか言っても、うちの生徒さんはいい子ばかりだと、今日は、あの子たちがなんだか立派に思えたことだった。
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亡くなった従兄弟は地元金沢在住。父の一番上の姉の子なので、従兄弟といっても歳は二十歳離れていて、私が子供だった時、もう大人だった。十歳しか違わない父とよく大きな声で会話していたことを子供心に覚えている。彼の母(私の叔母)は四年前に亡くなっている。その子なのだから、死は三十年後が順繰りというものである。四つしか遅れず逝ってしまって、きっと、あの世で、お母さんに、なんであなたはこんなに早く来たんだと怒られているに違いない。 死というものは、生者に申し訳なさを感じさせるもののようだ。奥さんは、死の当日の投薬の行動を悔やんでいたし、私は私で、ここ数十年、忙しさにかまけて、地元にも拘わらず、ほとんど会っていなかったこと、入院と知っていたけど、自分の体を言い訳にしてお見舞いに行き損ね、会わず仕舞いになってしまったことを悔やんでいる。 父世代の親戚縁者は皆高齢となり、体がお悪かったり入院中などの話が行き交っているが、年上とはいえ、いよいよ、その子供の世代に「死」は降りてきているようである。 今、どんな悲しみが私の心を満たしているのか、その心を探ってみると、どうやら、自分が子供の時、大人だった人たちがどんどんいなくなることへの淋しさがその中心のようなのだ。守られて暖かい部屋にいたのに、どんどん自分が部屋の外にいて風に吹かれねばならないようになってきた、そんな感じである。 中陰が終わって、すべてが一段落した次の日、私はS病院で自分の腰の手術を決めてきた。少しはよくなってきていること、二箇所損傷のどちらが重症か医者によって見解がちがっていてはっきりしないこと、手術自体きっぱり直ることが保証されているものでもないこと、などで、ここ半年、どうするか迷いに迷っていたのだが、遂にすることにした。今、職場では、1ヶ月留守にする仕事の遣り繰りや前倒しの仕事をこなしている。家では持っていくものの準備。準備そのものは、ホテルの長逗留とあまり変わらない。 色々な人に助言を求めたが、確かに悩みますねと言ってくれるばかりであった。それはそうだ。他人の体である。無責任に背中を押すことなどできない。 あとで、もしかしたら従兄弟が私の背中を押したのかなと思った。けれど、無理に繋げても、自分自身、納得する気持ちが湧かないので、そうでもないような……。この、もやもやっとした気持ちに整理をつけようと思って、ここ数日考えていたのだけれど、どうも、気持ちに理屈なんてそうすっきりつけれる訳でもなさそうだ。 「喪の胸に染みて冷たき春の雨」淳子ー昨日読んだ句集から。
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仕事の合間、K市民病院内科の診察を受けに行く。中央待合室にあった図書コーナーから一冊の句集を抜いて、科別の待合室に行き、そこでぱらぱらと読んだ。句集にしたのは、呼ばれて書を措くことが惜しくないからである。 「忘れ路」石沢淳子著(ながらみ書房 1993.2)。栃木県那須郡小川町の人。 四十歳を過ぎて体を悪くされ、俳句を作り始めて二年目での出版という。俳句の世界の特有の言い回しや、これまでの秀句の「季語」のイメージをうまく絡めて作句してある。誠に正攻法の句々である。もともと知的レベルの高い方なのだろうと推察された。意外に病気自体をテーマにした作は少ない。 気に入った一句。「蓬摘む媼童女の顔をして」一瞬を捉えた観察力が鋭い。ステキな句である。 平成四年の「あとがき」がある。四十八歳とあるので、今年は六十一歳になられるはず。ご健在だろうか。見ず知らずの方だが、この本を選ばなかったら、この方のイメージ世界には触れ得なかった訳で、こうした形のふれあいは本ならではだ。それも、私が今出会ったのは、老年を迎えつつある石沢さんではない、十三年前の石沢さんなのである。 意外にさっさと呼ばれて、さっさと診察も終わってしまった。まだ、半分も読んでいない。本には「金沢市図書館リサイクル図書」とシールが貼ってある。配架が時々変わるのだろう。次回の診察は二ヶ月後。続きが読めるか分からないが、そのまま書棚に戻して病院を後にした。それも縁である。
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今年に入って、この日記、皆勤賞だと、数日前、威張ったばかりだが、昨日までの疲労と気持ちが纏まらず、少しアップはお休み。まあ、11月12月はまばらで、当初から毎日更新だなんて大目標たてていなかったのだから……。
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地元在住の従兄弟が亡くなった。10日木曜日。それから今日の夕方、中陰を終え家に戻るまで、出たり入ったり慌ただしかった。だから、実は、ここ2日間の日記は前に書いていたもの。感慨は色々ある。が、疲れている。
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職場のパソコンの管理の仕事をしている。といっても、全然、詳しくないので、正直、もう一人の方にまかせっきりだ。ただ、情報だけはどんどん入る。毎日毎日、どこどこの部屋のプリンターの調子おかしいとか、インターネットに接続できないとか。一日平穏だったためしがない。 先日は、ある課が、この一年間入力した全情報が取り出せなくなって、こちらへSOS。数日経って、よく分かっている人二人がかりでようやく復旧。もしダメだったらホント泣くに泣けなかったろう。 明らかにオペーレションのミスだとか、原因がわかっている場合は、直る直らないにかかわらず、まだいい方。何でこうなったのかさっぱりわからない場合は本当に困る。サーバーなどで複雑に絡み合っているので、ソフト? ハード? ラン関係?、どの部門の故障なのかを特定することさえ、えらく難しい。「冷蔵庫のコンプレッサーお釈迦だね。買い換え。」なんてことは誰にでも分かるんだけれど、そうはいかない。「いじっていたら治ったけど、どうしてなおったかはよくわからんままだ。」と言いながら彼が修理から戻ってくることもしばしば。この仕事は、こうした維持管理・保守が中心なので、そういった意味で、新しい、クリエイティブなことをやっている感が今ひとつ不足している。「労多くして功少なし」の仕事である。 お隣のパソコン部屋(正式には「情報処理室」)のパソコン群は、昨夏、新台総入れ替え(なんだかパチンコ屋みたいな言い方だな?)したところなのだが、先日、一台、ハード面で壊れて起動しないトラブルが発生、これは業者を呼んで部品交換。ホントにコンピュータは脆い。管理する側としては細心の注意を払って使ってほしいのだが、指導者(使用責任者)によって、そのあたりの温度差が結構あるようで、まず指導者から管理意識を徹底しなければ……というのが、こちら側の実感。個人営業の集まりみたいなところがあるこの商売、それぞれ自分の感覚でやっているので、問題の根元は実は教員ということがよくある。 パソコン、よく分かっていない人が、分かったふりして弄くるのが一番迷惑。問題をまき散らす。私は、一応、アプリケーションソフトくらいは使える。詳しい訳でもないが、訳わからん訳でもない。自分は「人並み」と思っているのだが、「分かったふり」の人は大半自分のことをそう思っているだろうから、自分はどうなのだろうと不安になる。他の方はなりませんか。特に「人並み」さん。 おまけ話題ということで、小生のパソコン環境のご報告。職場はマイノート(HP社NX9030)で。家用のメイン機は、据え置き型(エプソンダイレクト社エディキューブ)。食卓にノート(同じくHP社NX9030)、夜具の横に旧型瀕死状態のノート(NECのラビ)、書斎(本置き部屋?)には、何と今も一応動くDOSノート(NEC)の5台で運用している。こう書くと大邸宅かパソコンオタクのようだが、イヤイヤ、物が捨てられないだけである。 これ、家の何処にいても、すぐにぱたぱた出来るというのが大きな利点。例えば、この日記「ものぐさ」は、まず、そのうちどれかのパソコンを使って書いて、一度、一太郎ファイルとしてUSBメモリーに仮保存、その上で、HPにアップしている。今使っているこのホームページ作成ソフトの良いところは、どこからでも、自分のHPにアクセスすることができるということ。つまり、情報は自分のパソコンに内臓されているのではなく、HP作成ソフト会社のサーバーの中にあるというシステムなのである。どれを買うか選んだとき、簡単に構築できるという利点もあったが、この、「どこからでもアクセスできる」ということが、継続には絶対必要なことと思い、このソフトにした。今のところ、新年から毎日アップ。皆勤賞である。
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以前にドラッグストアの話を書いた。先日、そこからオール商品一割引の葉書が来た。どうやら、いつの間にか、上得意様扱いになっているらしい。電器屋好きの私が、量販店のポイントカードをせっせと貯めているのは、まあ、そんなものだが、さすがに、ドラッグストアの案内がきたのには、苦笑い。この葉書、体を壊して、薬・健康食品漬けになっている「証明書」みたいなもんである。ま、気にせず、また今日、大量に養命酒なんかを買ってきた。(日頃は、特売のニッパイ品ばかりを買って、こんな時に大量購入。賢いのやら商売にはまっているのやら……) 日参している食品スーパーでも、今、ポイント倍増「ぺったんシール」を期間限定で発行している。過去にも、シールをレジでもらったことがあるが、まばらにしか行かなかったので、シールを台紙に貼ることさえなく終わっていた。今回は、シールが溜まって、どうやらしっかりポイントをもらえそうである。 ポイントカードは、たわいのないお楽しみで、無くしてもそんなものだが、カード詐欺のほうは心配だ。スキミング被害というのもある。インターネットをしている人には、パソコンで偽画面が出、クレジット番号など個人情報を入力してしまい、口座のお金がごっそりなんてことが多発しているらしい。「使わないカードは解約しよう、貯めてもっているだけの各種の券はどんどん使ってしまおう。手持ちの現金以外のものをシンプルにするのが管理上安全です。」そうテレビで言っていた。なるほど。今、うちもそういうモードである。 今年になって、近所のスーパーはビール券が使えるので、買い物は全部それで払うようになった。部屋のあっちこっち探すと結構ある。毎日毎日、ビール券で買い物する男になっているけど、偽造が問題になっている昨今、怪しまれないだろうか、ちょっと心配。
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我がマンションの斜め横の駐車場が、昨年夏、急に閉鎖されて、コンビニの建物がたった。店主募集の張り紙が出て、意外にすぐにとれた。早々経営者が決まったのだなと思ったが、それから、がら空き建物のまま数ヶ月放置されていて、いつ開店なのだろうと愚妻と訝っていたら、1週間ほど前から、急に業者が出入りし始め、今日、開店になった。朝七時オープン。如何にもコンビニらしい時間帯である。 我が家の近所は、文化的には恵まれていて、歩いてすぐのところに、図書館とスポーツジムがある。銀行と郵便局、ガソリンスタンドも見えるところに。ちょっと弱いのが一般的な商店関係。一番近いお店は和菓子屋さん、次が、洋菓子屋さん、次が、また、和菓子屋さん。私に肥れといっているような店並びである。そんな中に出来た、いわば我が町のホット「よろず屋さん」。 コンビニができて心配しているのは、二十四時間営業のため、深夜までウルサイのではないかということ、今は冬だからいいけど、夏はどうなのだろう。車の出入り、たむろするヤンキーなどが少し心配。唯一、便利そうなのは、切手販売とロッピーという端末。送金、チケット購入に重宝かも。 でも、いずれにしても、そもそもコンビニ自体に少々アレルギーがあるので、行くこともそんなにないような気がする。私たちの世代、そもそもコンビニなんてものがなかった。買い物は近所の小売店、そのうち、スーパーがとってかわった。そんな世代は、コンビニで定価で物を買うというのは、買い物として失敗しているような気がしてならないのだ。昼間にスーパーが開いているときに安く買う。予備を買っておかないからコンビニなんぞにおせわにならなくてはならんのだ……という意識である。今の子供達には考えられないアレルギーかもしれない。 ところで、こちらでは、ローソンはすぐ潰れるので有名。なんでも仕切値(というのが正式名称ではなかろうな。まあ、要するに、名義料、ブランド代みたいなもの)が高いとかで、よほど繁盛しないと毎月の上納金で赤字になってしまうのだという。 大通りのこちら側は前後ずっとコンビニがないので、車の流れ的には、間違いなく良い立地である。昔、通りの反対側にコンビニが出来たが、すぐに潰れた例がある。あれは、信号待ちで混んでいるところに店があって入りにくかったのが原因。 さて、今度のは繁盛しますやら?
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評論の問題を解く授業を引き続きしている。今日は中村雄二郎「術語集」から。十数年前ベストセラーとなった「岩波新書」が原本だ。あの頃、早速買ってパラパラ読んだ記憶がある。何気なく作者紹介をみたら、「大正十四年生まれ」とある。ということは、今年八十歳。最近、華々しい消息を聞かなくなったと思っていた。ご高齢なので、壮年ほどの活躍ができなくなるのは当たり前である。その前の回にした小川国夫はとみると、「昭和二年生まれ」。七十八歳。「内向の世代」の作家も、もう高齢である。ただ、使われている写真は四十代後半といった精悍な顔立ちで、かなり、ギャップが激しい。 自分が一番知的なものに興味関心があった時に活躍された人は、その時の見た目の印象が抜けず、それでイメージが定着してしまっている。自分がもはや中年の域にいるのに、なんとも身勝手な印象なのだが、ニュートンといえば林檎で終わってしまっているのと似ているようなところがあるのかもしれない。私の大学の恩師も、全員引退されご高齢。当時、中堅だった教授が、この四半世紀に何人も道半ばで逝去されている。ご健在の方が、今、大学の中心教授だ。月日のたつのは早いものである。 今回の文章、一種の教育史概観。近代以前、子供は「とりかえがきく存在」であったが、近代のルソー以降、子供は「かけがえのない存在」になったというのが論の流れ。短い文章に実にうまく教育史を纏めている。授業の中心は、勿論、文章の読解で、面白くもないので、こまごまと小ネタを混ぜて、話を膨らませている。 教育には認知説と連合説があることを、その昔、教育界で起こった「春の小川」論争を引いて説明したり、貴方が先生だったとして、粘土細工で友達の顔を作れといったのに、仮面ライダーアギドの顔を実にうまく作った生徒を、基本的には褒めますか、注意しますかと投げかけたり。これ、どんなにうまくてもスタートが間違っていれば意味がないと評価するか、スタートは間違ったが、努力もし結果も素晴らしいと褒めるのでは、子供が何を大事だと理解するか、行って帰るほど違うという例。大正期に自由主義教育観が入ってきたにも拘わらず、軍国主義によって滅んでいく様子を、黒柳徹子著「窓際のトットちゃん」を例にだして説明したりもした。 最後に、夏目漱石のエピソード。娘の早逝に対して、「またお子さんをお作りなさい」といって慰めた弔問客に、この子は一人しかいないと彼は怒ったという、大人漱石としては少々大人げないような気がするが、つまり、弔問客は、子供は多く生んでおけば、何人かは亡くなるが何人かは成長するといった近代以前の発想で慰めたのであり、怒った漱石のほうは、英国留学でヨーロッパ式の近代的子供観を体得していたのであって、このエピソードは、実に明治という過渡期の精神性を示しているという追加の話題をして解説を終わらせたりする。これはなかなか学術的な解説(?)でちょっと知的である。 国語の教員としては、こうした一時間の授業の構成にはずいぶん気を遣う。一年間ずっとうまく話題と内容の絡んだいい授業はできないが、時に構成的に進行して、ぴたっと着地すると、教員は自己満足的に嬉しいものである。
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大学時代の友人が、連載を担当している上毛地方のタウン誌「渡良瀬通信」を今月号(2月号)も送ってきてくれた。腰を痛めてから、毎号送ってくれるようになって、もう1年近い。 ファッション雑誌のような、ぶ厚い金沢の某タウン誌に比べて、こぢんまりとしていて、こちらの地元誌では「おはしす」に近い。彼の担当はこの地方の色々な社会現象を取材して斬るもので、見開き写真付き。辛口・好意的、硬・軟取り混ぜていろいろな話題を取り上げている。今回は、地元民間飛行場の閉鎖後の話。足利銀行破綻後の話の時など、こちらも石川銀行破綻で大騒ぎしたので、地方は何処も一緒の問題を抱えているなと思ったことだった。 時々、彼はインタビュー記事も担当する。今回はオーボエ奏者の宮本文昭へのインタビューも彼の仕事。相手の人柄がよく描かれていて、うまい構成で書かれていた。さすが、国文学部出身。 同号には、他に軽いエッセイや映画批評なども載せられていて、地元情報自体必要のない私にはそちらが読みもの。押したり引いたり、最後にうまく落ちていて、ニヤリとさせられることが多い。さすがにうまいものである。 雑誌の性格上、さらっと読んでつっかからないことが大事、しゃべり言葉や突っ込み言葉もガンガン入れて、日常感を出し楽しませる。 この種の文章、実は、白鳥の水かきではないけれど、意外にうんうん唸って書いているような気がする。「@すっと読めて、A「そうだそうだ」と思わせ、Bニヤリと落ちる」この三拍子ができるのは、いわば<藝>の世界である。本当にうらやましい。 で、我が身。 @。すっと読める文を書くときには、何度も時間をおいて読み直す。特に、読点の付け方と、形容の順番が読みやすさの心臓部だと私は経験上感じているのだが、他の方はどうだろう。私の手直しはほとんどはこの二つをしていることが多い。あっちへやったりこっちへやったりして、黙読して決めるのである。 A。「そうだ、そうだ」になるための秘策は、文章の心臓部なので一概にはいえない。色々な手口があるということで、今回はパス。 B。ニヤリと落ちるは、意外に最後にうーんと考えて出てくるものである。私は事前に用意するというより、それまでの文章のどれを使ったら落ちるかなと最後にもう一度読み直して、なんとか捻り出すタイプである。意識的に話題を振っておくという達意の人もいるだろうが、私は得意ではない。 この日誌の項も、アップしてからウエブ上でじっくり見ると、もってまわった言い方しているなと気づくこともあるのだけれど、寝かせて推敲する余裕もなく、そのままアップ。ホントに文章書くのは難しい。
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大学時代をすごした目黒のボロアパートには、友人から貸与されていた映りの悪い小画面のテレビがあるだけ。崖の下の家で、本体についているロッドアンテナだけだったので、仕方がなかったのです。生活の中心はラジオでした。家にいるときは、ほとんどラジオはつけっぱなしで、特に、AMはTBSラジオ、FMはFM東京を聞いていました。夜、ちょっと勉強していると、12時がすぎ、例の、城達也の名調子で流れてくる「ジェットストリーム」がはじまります。あまりに有名なスクリプトで、一部は今でも暗誦できる。「夜の静寂(しじま)の何と饒舌なことでしょう」というところが、特にお気に入り。なんて素敵な「詩」でしょう。あれはいったい誰の作品なのでしょうか? 高校時代、地元の放送局に民放FMがなく、金沢ではやっていなかったので、東京に住むようになって、「ジェットストリーム」を聞いているということが、「ああ、今、東京暮らししているんだ」という実感になっていました。ぼろいアパートの一室、深夜、ボリュームを落として、「ミスターロンリー」のストリングスを聞きながら、寝る用意をし始めている若い頃の自分が、まるで映画を見るように、はっきり思い出します。自分の姿を少し高い俯瞰した位置からカメラが追っている、そんな感じの映像です。自分を客観的に映像化できるというのは、自分の本当の意味での記憶とは違う訳ですから、頭の中で再構成され仮構された映像ということがいえるかもしれませんが……。私以外にも、「ミスターロンリー」を聞くと、自然にこの番組を思い出す人はかなり多いのでないでしょうか。城さんが亡くなって、一時、なくなっていましたが、何年か前、俳優の伊武雅刀のDJで復活しました。ちょっとごつい声で、その辺は違和感があります。ですが、あのナレーションはそのまま。久しぶりにラジオをあわせていて、このナレーションが聞こえてきて、無性に懐かしかったことを覚えています。 今でも、習い性か、あのナレーションが聞こえてくると、「あ、もう寝なきゃ」と思ってしまうのが我ながらおかしい。「パブロフの条件反射」そのもの。
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毎秋、野々市町はニューヨークの一流ジャズマンを呼んできてコンサートを開く、翌日は金沢市民芸術村でライブ。これが恒例。昨年度のジョン・ファデス(tp)は野々市の方に聞きに行った。毎年、年末に地元放送局が芸術村の方のライブを流してくれる。ジャズファンとしては楽しみなオンエアである。地元放送局制作のジャズプログラムなんてそんなにありませんからね。 今回は、ピアノの巨人ジュニア・マンスが来日。私も彼のCD1枚持っている。パソコンのHDに録画した。先々週(1月16日)の夜、いつも聞いているNHKーFM「セッション505」(司会小川もこ)のライブ放送がやはり彼らであった。ツアーのラストを飾る演奏とのことで、同じメンバー、金沢と曲も似たり寄ったり。ほとんど同じ演奏のはず。でも、なにかが違う。出来はどちらも素晴らしい。では、なにが? 結局、演奏自体ではなく、どうも、映像ありなしの違いが観客(リスナー)の印象を変えているとしか思えない。 映像は、パフォーマンス的な要素も含めて楽しむ。この音は気張って一生懸命吹いたんだな顔が歪んだとか、ピアノの指の動きがさずがだなとか……。そんな映像上の印象が第一番目にくる。その次にサウンド。それに対し、ラジオは音だけの世界で、純粋にCDを聞く感覚で聞いている。ソロの善し悪し、アンサンブルの揃い具合など。音楽としては、ラジオの方が聞く耳のほうが格段に厳しいということになる。それで、迫力を感じたり楽しかったりするということは、演奏が抜群にいいからということ。映像では、そのコンサートに行ったお客さん気分で楽しめるけれど、ラジオやライブCDでで聞くと、どことなく散漫な印象が……という場合は、パフォーマンス優先ということになる。そんな演奏は、MDにおとしても、結局は聞かない。 今回のジュニアマンスの音は、ファンキーななかにジャズジャイアントの一人としての格調が感じられて、音の世界の方に「さずが」感があった。「セッション505」も、毎週のように聞いているが、ああ、今週のは録音したけど、何度も聞かないなという演奏の方がはるかに多い。今回はそうした意味で大当たりであった。
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高校時代、出身中学校近くの本屋さんでかなり吟味をして国語辞典を買った。「新明解国語辞典 第二版」。幾つかの単語について、引き比べて、この辞典がかなりユニークな解説をしていることに、その時すぐに気がついた。すぐ気に入ったのだが、その時は、せっかく買うのだったら、ユニークよりオーソドックスなほうがいいかもと思って逡巡した覚えがある。どうしようかあっちこっちを立ち読みでめくっていた自分をはっきりと覚えている。だから、買ってからも、意味なく、色々あちこち引いて楽しんだ。若い頃は性的な言葉を引くもんである。「恋愛」の項は当時からかなり有名であった。 我々の業界では夙に有名なこの辞書の話は、赤瀬川原平「新解さんの秘密」で世間的にも有名になった。この本は、版別に違った場合も書いてあり、結構知っている話題もあったけど、旧版1冊しか持っていない長年のこの辞書の読者(?)も楽しめた。この辞書は言葉の用例にも癖があり、赤瀬川さんは、辞書の影に「女性にちょっと偏見がある中年男性の息づかい」みたいなものを抽出して面白がっていたはずである。 先週、三省堂の営業さんが来校。新版(第六版)が出たので宜しくとのことだった。3年ほど前、第五版を手に入れていたので、3つの新解さんを比べられるようになった。セールスの人によると、三版までが過激で、四版でぐっと穏やかになったのだという。どうりで五版はあまり面白くなかった。六版も同様。運用の項目がついたのが今回の目玉だという。 赤瀬川さんのお陰か、そんなにシェアもなかった一辞書が、今や、国語辞書総売り上げの四分の一を占めるトップ辞書になってしまった。過激で名を売って、温厚路線へ。その上、運用面の話がついてより使いやすくなる。商売上、如何にも正常進化である。 そのあたりをついたら、あの「中年男性のにおい」は、主幹の山田忠雄の個性の産物だといいわけしていた。彼が亡くなって、個人色が薄らいだということらしい。 で、結論。読んで楽しい新解さんは三版まで。商売柄、辞書は自然に手に入るので、どんどん旧版は捨てていたのだが、学生時代に自腹で買ったこの辞書、捨てなくてよかった。
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日本語クイズの結果を生徒に話して、「ところで、土曜日、これとほとんど同じテレビ番組やってたよね」と振ったが、全然反応なし。「観た人は」と手を挙げさせたら、ほとんどいなかった。あるクラスは0名。一体、土曜日のゴールデンタイム、彼らは何をしているのだろう。あまりにいなさすぎる。国語クイズ番組なんて興味なしと他のチャンネルを観ていたということも考えられるけど、おそらく、テレビ自体をそんなに一生懸命観ているわけではないと思う。彼らの小さい頃から、テレビは低俗に堕しており、ある程度の知的レベルのある子は、テレビ自体、あまり観ない生活が身についているところがある。 結局、自分の部屋にいるのではないかという結論に我が夫婦はなったのだが、では自分の部屋で何をしているのだろうかはよく分からない。ゲーム?いやいや知的にレベルの高い我が勤務校の生徒はそんなにはまっている子はいない。 でも、自室にこもっているくらいなら、あの番組、親御さんと当たったとか言いながら家族団らんで観ていた方が絶対楽しいしコミュニケーションになる。テレビを観ていないことは、良い傾向とは一概に言えないのが今の時代のようである。 例の日本語クイズの本は、市立図書館に返却しなければならないため、生徒に勧める学校図書館のいい本はないかと探したところ、今年度の新刊で「三度のメシより漢字が好き」(笠間友季恵・笠間鏡代)(東京経済刊)というのがあった。そこで借り受け、パラパラ読んだ。TV番組「TVチャンピオン」で、親子漢字王に二度なった母娘の話で、番組の出題や、家での漢字勉強の様子を綴ったもの。デカ字の一般向け。 これを読むと、この親子は冷蔵庫の中身にまで全部漢字で書いた紙を貼ったという。確かに菠薐草などは読めるけど、書けないだろうな、特にここに取り上げられていた漢検1級の四字熟語問題などは、正直、お手上げのものが多い。何の練習もしなければ、高校国語教員でも1級は絶対に落ちそうだ。小学生で、こんな漢字の読み書きができるとは驚きである。例えば、「臥龍鳳雛」。どんな意味だ?? 「画竜点睛」くらいなら知っているけど。 驚いたことに、彼女は電子辞書を大活用している。ただ、引きっぱなしではなくて、その漢字の実体のものを絵に描いて大きな単語カードにしたりして覚えている。つまり、実物と漢字を繋げる努力がすごいのだ。絵もパソコンのお絵かきソフト。これで作業は楽しいものになる。実際の漢字と電子辞書のJIS規格との問題も彼女はちゃんと認識していて、このまま順調にいけば、学者さんになっても不思議でないくらいだ。 わかるには、電子辞書自体がダメなのではなく、引きっぱなしにしない工夫が必要ということ。それができれば「○○と○○は使いよう」ということだろう。それに、その人の適正というものある。引いた途端から忘れていくタイプの人は、何十回引いてもそのことを気づきもしない。そんな人は考えた方がいいかも。 漢字が専門でもないし、今後熱心にやっていこうという気もあまりないのだが、電子辞書とインターネット検索については、広がっていく楽しさがあって、「調べている」という苦痛もあまりないので、この態度だけはなくさないようにと思っている。「まあ、どうでもいいわ。」と思い始めたら、人生終わり、いっきょに虚無の淵に落ち込んでしまう。何だが老骨鞭打つ的結論。
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電子辞書を本当に引いている。引かない日はない。今日も数回引いていて、多いときには二十回近く引くときもある。肌身離さず状態一歩手前である。多くの人は、漢字忘れの時に引くのだろう。しかし、商売柄、こちらは、厳密な意味・ニュアンスの違いなどを知りたいときに引くことが多い。どことなくわかっているのだが、正確にはどう説明すればいいのかを知りたいと思うときに使う。生徒に「この言葉はね」と、かみ砕いていうのだが、調べなしだと、どうも微妙にニュアンスが違うなと思うときがある。そんな時、出番である。電子辞書の最大の利点は<ジャンプ>である。ある言葉を国語辞典でくって、すぐに漢和辞典に移行でき、複合的に理解できる。二回引く手間を考えると、便利な機械であると実感する。 不便な点は、カスタマイズできないこと。辞書に書き込む感じができない。ラインを引いてクシャクシャにし、その中で覚えていくといったアナログの努力が辞書に反映されない。いつまでも綺麗なまま。これは、初めて覚える人にとっては大きな問題だ。 生徒には、受験生になったら、能率が求められている部分もあるので、長所・短所を知った上で買いたければ買えばいいが、高校1年の初期には不向きであると言っている。どうやら、これは、英語の先生方も同様の意見のようで、我が勤務校では、英・国とも、入学者の辞書推薦で、電子辞書は推薦されていない。 ところで、今、使用している電子辞書は二台目である。一台目は今は、配偶者の所にある。両方とも、高校生の学習用と銘打たれているもので、値段は二万円程度。山ほど辞書が入っている高価な多機能モデルではない。商売柄、ほとんど使わない生活関連事典があるより、シンプルなほうがいいのである。特に、古語辞典が階層の下の方にあるものは、呼び出すだけで時間がかかる。単独ボタンになっていて、一発で古語辞典に行きつくモデルであることが第一条件だった。一台目の国語辞典は通常よく売られているポピュラーな国語辞書、二台目は岩波の「広辞苑」である。こっちの方が項目が沢山あっていいと思って買い直したのだが、電子版「広辞苑」を毎日せっせと引くようになって、不満は増大していった。確かに項目的には比べものにならないほど増えている。しかし、項目を稼いだ分、一つ一つの説明が短く、言葉足らずのことが多い。前の辞書の方が、項目としてあがっているものについては丁寧だった部分もあり、何でも「広辞苑」がベストというわけでもないことを実感した。もちろん、新解さんを楽しむ的な楽しみ方など全然できないので、実利的で、正直、つまらない。 近年は、職場の机上では、ノートパソコンが常時開いているので、インターネットの「検索」が事典的な意味調べの大事なツールになっている。何でも、まずキーワード入れてみるところからスタートするようなところが最近はあって、この前は、授業で説明をしなければならなくなった「脳死と植物人間状態の違い」について調べたが、医療の学会のサイトに判りやすくでていて、その便利さを痛感した。専門の業界であるからして、本当に正しいのかなという不安もない。今はこのノートパソコンと電子辞書の2つの電気製品で国語科教員商売しているようなところがあって、電子ツールさまさまである。 という訳で、私は電子辞書については、アレルギーはない。うまく付き合えばよいという考え方である。電子辞書によって、なんといっても、私自身、苦もなく調べる態度が身についたとも言えるので、変な原理主義にこだわるよりよっぽどよいと考えている。 理想の電子辞書。それは自由に辞書を選べるカスタマイズができること。他に、調べた単語はその回数がでたり、どの意味で調べたのかその説明を赤で反転できたりすると、ラインを引くのと同じになって、アナログ感が増す。自分用の便利な辞書という愛着もでてくるだろう。 この手の辞書、もうとっくにできていてもいいような気がするのだが、そうすると、バリエーションモデルで商売している今の売り方ができなくなるので、商売上、できない顔をしているだけだという噂が、実はかなり前からどこからともなく聞こえてくるのだが……。どうなんですか、カシオさん。
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去年の四月に異動された方に、今年、年賀状を出したが、その方からの賀状はこの正月、来ていなかった。あまり気にもとめていなかったのだが、一昨日、はがきを頂き、喪中のための欠礼であったという。四月以降、おつきあいがなく、ご不幸を知らなかったということ、それに、これまでは同じ職場ということで、賀状を出したことがなく、今年から新規に出したので、年末の喪中欠礼葉書が小生のところに事前にくるはずもなく、そうしたことで、こちらは賀状を出してしまったのである。昨日、失礼のお詫びかたがた近況報告の手紙を書いた。 ところで、日本全体の賀状の枚数は、年毎に減少しているのだという。一時、何通もメールで来たこともあったが、たしか、電話局から、元旦メールは回線が混雑するので宜しくないという話があって、下火に。今年はうちでは1通もなかった(元旦過ぎてきた普通メールに、正月だから「おめでとう」とかいてあるものは幾つかあったけれど……)。確かに、一時メールに移行しかかった人も、最近は、オーソドックスに、また葉書でいただいている。 それでも、賀状が減少しているのは、おそらく、若者層が手紙離れを起こしているからだろう。授業で、手紙のことを話しても、手紙・葉書の書き方の常識を生徒はほとんど知らない。そもそも、人に手紙を出したことがあまりないようだ。 我が家は、夫婦ともども教員だが、昔に比べ、現役の生徒さんからの賀状がほとんどなくなったねというのが共通の感慨。今習っている先生にわざわざ賀状を書こうという感覚がなくなったようである。手紙が子供達の生活から遠のいていること、それに、教師が生徒に教えるのは当たり前であるという、生徒側の「ビジネスライク感」(?)の二つが激減の理由だろう。 この子達も大人になる。今後も、世の中の賀状減少傾向は歯止めがかからないだろう。そうしたら、今度は、賀状文化を大事にしよう運動が起こり、それでもダメで小学校のカリキュラムに入れて強制的に教育させようという話になり……という図式も、何だか目に見えるようである。この種の話はいつも、こうして、強制で終わる。「教育」は吹き溜まり」のようなところである?
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前に触れた高校1年生向けお楽しみ日本語テストは、まあ、予想通り(?)惨憺たる結果であった。誤答をパラパラ見ていて、つまりはこういうことなのだなということが少しわかる。発音における対応する言葉(漢字)が一つしかないのだ。「ユウシュウの美を飾る」は、「優秀」という漢字が最もポピュラーだからそれを書く。「袖すり合うもタショウの縁」も、勿論、「多少」。配偶者は、化学で「気体・液体・コタイ」を「個体」と書く生徒が急増していると言っていた。「何で人偏がつくのや。固体は、<人>やないよ。」といつもいうのだそうだが、この言い方は、実に国語的に正しい説明である。この、対応が一個だけ、漢字の区別、使い分けがないのが、第一のパターン。 また、案の定、「辛党」は全滅。全員、「辛い物好き」という予想された答え。これは、第二、字そのままの意味で受け取って、深く考えないパターンである。「反対語は甘党、甘い物好きのことだよ」とヒントを言った段階で、「辛い物好き」では簡単すぎると思わないのだろうか。この種の、字そのまま理解して使う代表的な例は、「水菓子」。ドラックストアの夏のチラシで、水羊羹、ゼリー類を「水菓子」と括ってあって、呆れた。一回ではない、ここ数年ずっとそれできている。改善なし。よほど、この会社に投書しようかと思ったくらいである。水菓子とは、勿論、果物のこと。水っぽいお菓子ではさらさらない。 あるテレビのアナウンサーが、プールにはいった人に、「入水の気分は?」と聞いていて驚いたと、先日読んだ新聞に書いてあった。「水に入った」を、漢語的にかっこつけていっただけだろうけれど、「ジュスイ」には、身を投げるという意味がある。これも字のまま、そこに含まれるニュアンスを全く配慮していない例。 第三。似た発音を頭の中で、勝手に分かりやすい言い方に換えて理解する場合。代表例。「お前はダメだと印籠を渡す」???。インロウ、インドウ。発音自体違っているけど、そのあたりは音だけで聞いて、いい加減にイメージを作ってしまうのだろう。水戸黄門の見過ぎかも? 同様例、「とりつく暇もない」。 第四。似た成句が混用される場合。代表的誤用、「相槌を入れる」。これは「相槌を打つ」と「合いの手を入れる」の混用。 生徒のテスト結果を見ながら、この四つのパターンはすぐ気がついた。こんな分析は、おそらく国語学の方で、もっと詳細になされているだろう。こうした知識の欠落現象、「言語が意味の伝達手段のみ認識されてきた結果だ」「日本語を愛する心の欠如だ」とか、色々な言い方が可能だろうと思う。 しかし、では、どうすればいいか。先日、小学校の漢字力がひどく低下したとの調査結果(国内規模)が公表されていた(NHKのTVニュースで知った)。翌日のラジオ(FM石川)で、このことの解説があった。その解説者は、熱心にルビの効用を説いていた。あれで漢字の読みは覚えるものだと。まずは足下から。抜本的ではないかもしれないが、「前から私も思っていた、賛成だ」と思いながら聞いた。 と、ここまでは、実は1月29日昼に書いておいたもの。ところが、その夜、民放のTVのスペシャル番組で、日本語のこの手のクイズ番組をやっていて、辞書で有名な北原保雄が解説で出ていた。ここに載せた問題もそっくりやっていて驚いたB確かに、「日本語クイズ」には定番があるのだ。番組は冒頭、OECD調査(世界規模)で、日本の学生は世界一位から滑り落ち、特に国語力が低下したという例の話題を枕にしていた。その頃(12月)にこの番組は企画されたのだろう。それにしても、「日本語ドリル485」(角川文庫)とあまりに同じ。前にも書いたけど、その時読んだり思っていたことが、まるでデジャブーかのように放送などにかかるということが本当によくある。こっちのアンテナも視野は狭いけれど、一応は社会情勢で動き、放送は、勿論、広く浅く社会を見据えて動いているから、結局、如何にも偶然にシンクロしているかのように見えるだけなのだが、人の感覚としては驚くのである。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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