6月21日に紹介したプレゼントの話、いい話だったけれど、掲示板なので、後にコメントが続出する。妻に内緒で本物のライカを買ってこっそり交換すればいい。どうせ興味がないだろうから分かるまい。彼女の心を大事にした上で、自分の趣味も満足できる、これぞ一石二鳥のやり方だ。なんて意味のことが書いてある。 うーん。確かに現実的な対応だけど、そんなこと、この旦那がしたら、こっちの感動は一遽に冷める。極めて散文的な、いらぬ助言である。
ところで、この話、O・ヘンリーの「賢者の贈り物」(The Gift of the Magi)に似ていると書いた。例の、クリスマスに、夫は櫛を、妻は時計用の銀の鎖をプレゼントするために、それぞれ、髪を鬘(かつら)屋に売り、時計を質に入れる夫婦愛の物語である。プレゼントの品物自体の意味は消失しているが、それ以上に相手の心をもらったというところに、共通点がある。ただ、投稿のほうは、一方通行で、その点で、小説より「奇」ではないけれど……。 実は、原題を横文字で書いていて、何故、賢者がthe magiなのか、ちょっと不思議に思った。the wise, wise man, wise person あたりなら分かるのだが。 そこで、英和辞典を引いてみると、the magiとは「東方の三博士」とある。例のキリスト生誕の時、祝福に来た三人の賢者のことである。 では、なぜ、この短編が、「東方の三博士のギフト」(拙直訳)という題になっているのか。それは、物語の終わりに、次のような作者のコメントがあるからである。
東方の賢者は、ご存知のように、賢い人たちでした。― すばらしく賢い人たちだったんです ― 飼葉桶の中にいる御子に贈り物を運んできたのです。東方の賢者がクリスマスプレゼントを贈る、という習慣を考え出したのですね。彼らは賢明な人たちでしたから、もちろん贈り物も賢明なものでした。たぶん贈り物がだぶったりしたときには、別の品と交換をすることができる特典もあったでしょうね。(中略)二人は愚かなことに、家の最もすばらしい宝物を互いのために台無しにしてしまったのです。しかしながら、今日の賢者たちへの最後の言葉として、こう言わせていただきましょう。贈り物をするすべての人の中で、この二人が最も賢明だったのです。贈り物をやりとりするすべての人の中で、この二人のような人たちこそ、最も賢い人たちなのです。世界中のどこであっても、このような人たちが最高の賢者なのです。彼らこそ、本当の、東方の賢者なのです。(結城浩訳)
高校生の時、「O・ヘンリー短編集(上)(下)」を新潮文庫版で読んだ記憶があるが、これが、聖書の「東方の三博士」を踏まえていることなんて、意識しなかった。でも、なんだか、ちょっと蛇足のような文章だ。 今、「例の」と、如何にも聖書に親しんでいるかのような書き方をしたが、我々日本人に、聖書の物語は、正直、馴染みがない。私だって、小さい頃、近所の教会の日曜礼拝に行って、子供向けの福音書を一部分読まされた程度。偉い人が星に誘(いざな)われて、生誕の祝福にやって来たという程度しか知らなかった。 という訳で、まず、聖書のその部分を引用する。「マタイによる福音書」(第二章)。
「占星術の学者が訪れる」 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか? わたしたちは、東方でその方の星を見たので、拝みにきたのです。」それを聞いて、ヘロデ王は、不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の司祭長たちや立法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。」預言者がこう書いています。 「ユダヤの地ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決して一番小さいものではない。お前から指導者が現れ、私たちの民イスラエルの牧者となるからである。」 そこで、ヘロデ王は占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」 と言って、ベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先だって進み、ついに幼子のいる場所の上で止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアとともにおられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 新共同訳「聖書」(日本聖書教会)より
これで、全文。他の福音書には記載がない。 私たちの頃は、「東方の三博士」という訳で記憶しているが、どうも、これは古い言い方のようだ。英語の聖書では、単純にwise manと訳されており、この新共同訳では「占星術の学者」という言い方になっている。(つづく)
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