広島・長崎を、いつまでも事実の記録や情緒面から訴えてみても駄目だ。早く、核兵器廃絶の「思想」を確立して、世界に訴えていかねばならないという評論を、若い頃読んで、その通りだと、高く評価していた時期が長かった。けれど、全然、世界に浸透せずに、事ここに到っていることを思うと、まず、事実を正確に、人々の心に残るように、しっかりと受け継ぎ、語り継いでいくという、基本中の基本に戻らないと、大変なことになるのではいかという危惧の念が、年々、大きくなっている。まずは、それを、もう一度日本人から。
昔、授業に余裕があった頃、1学年に一編、原爆教材か戦争教材を意識的に入れていてた。でも、今は、それどころではない。徐々に教科書会社も力を入れなくなってきたし、授業が統一教材・統一テストの方向で進んでいて、自主教材が扱いづらくなってきたこともある。且つ、隣県に完全に負けている旧帝大系大学進学者増加至上主義が県上層部の意向となれば、のんびり、そんなことやっていると、教員能力主義の世の中、自分の首を絞めることにもなりかねない。そこで、あまりやらなくなった。 自分から、語り継ぎを放棄していて、偉そうになんだと怒られそうで、ちょっと言い訳がましいが、そんな流れだからこそ、余計、心配している。本当に何にも知らない連中が急増しているのだから……。
今年のNHKの調査によると、広島に原爆が落ちた日を知っている人は、二十歳以上の日本人の38%しかいなくなったという。今や、知っている方が少数派なのである。
私たちの世代は、親が苦労してきたのを何度も何度も聞かされて知っている世代である。それに、自分の子供時代、今から考えると、ものがあまりなくて貧乏だった。我が家だけでなく、日本全体がそうだった。それで、少しは類推できるのである。いわば「推理でわかる世代」。でも、そこ辺りが限度。もう一つ下の世代からは、新たにイメージしてもらうところから始めなければならない。
先日、広島の慰霊祭を取り上げた韓国の報道を、日本のテレビで紹介していた。その時の韓国人記者のコメントはこうだった。 「加害者の日本が、ここでは、まるで被害者のように振る舞っています。」 なんと冷徹な発想。これでは、広島・長崎の宣言が世界の思想になる訳がない。正直、暗い気持ちになった。 でも、おそらく、今の日本の子供たちは、原爆で人が大勢死んだから慰霊祭をやっているだけで、原爆はいけないのだということは、世界の人が当たり前と思っていると思っている。その認識不足が怖い。 米国の世論の約八割(前述の調査では約六割)が、広島原爆投下容認派なのだよ、そんな中で、子孫累代影響を及ぼす、井上ひさし流に言うと、兵器としてあるまじき、「分不相応」な爆弾を使ったことに、反省を迫ることは必要なことだし、今後、絶対に使わないと、二度使った国をはじめとして全世界が統一して意思表示しなければならないでしょう。どんなに強固に自国の行為の正当性が主張されていて、そっちの方が世界世論として多数派でも、それを突き崩して、禁止思想を全人類に植え付けねば、結局、どこかの国が、また、どこかで使うことになるよ。そうした意味で、ここ六十年間、原爆がどこにも落とされなかったのは、単に僥倖でしかないのだよ。 この最低限の廃絶の思想、それに、人間を人間でなくす無差別大量殺戮の実感的なイメージ。まずは、そこから。しっかり引き継がねば……。
ここのところの近隣諸国の日本バッシングを見るにつけ、今もアジア諸国は日本が大嫌いなことがよく分かる。今頃になってはっきり判ることだが、日本の戦後の歩みは、見事なまでに失敗だった。 戦後、明確に戦争を謝罪し、軍国主義と決別したことを世界にアピールしつづけること。迷惑をかけた国々の心証を少しずつ和らげ、長年かけてでも許しをもらうこと。ドイツはこれをしっかりやってきたではないか。その上で、核兵器禁止の思想を、リーダーシップをもって推進していく。その時初めて、世界は日本の言うことに耳を貸すだろう。 これまでは、サーバントとして、ご主人様のいうことさえ聞いていれば、すべてうまくいくと思いこんでいたのだ。そして、今も、その路線は変わらない。 こんなシンプルな未来見取り図さえ描けず、実行も出来なかった日本人は、ちょっと呆れるくらいの甚六である。
|