時々、この日記に出てくるK君は、大学時代の友人で、カトリック教徒。筆名は、筆銀亭主人(ペンギンていしゅじん)。いわれは、お腹の出具合だったような(違ってたらゴメン)。ここのところMagiや聖書画などの話題が続いたので、読んだ感想を送ってきてくれた。 彼によると、「ガスパール」という名で、色々連想があるように、カトリックでは、名前にともなう連想があるという。
「例えば、マリアといえば聖母だけでなく、マグダラのマリアとか。テレジアといえば、小さき花のテレジアとか大きなテレジアとかね。だから、モーリアックのテレーズ・ディスケイルゥとなると、そんな聖人テレジアと結び付けるんです。有名なところでは、ペテロと鶏は切っても切れない縁があるし。ペテロといえばイエスを3回も拒んだ人「そんな人は知らない」といってね。で、イエスがつかまった夜、そんな人は知らないって3回いったら鶏が鳴いたのね。詳しくはマタイ受難曲を聞けばよい。」
三回裏切った話も、鶏が鳴いたというのも、教養として知っている。でも、そのせいで、連結されたイメージとして西洋人に定着しているなんてことは知らなかった。まるで、花札の、松に鶴、紅葉に鹿みたいだ。(ちょっと違うか?) また、例の、マリア・ヨゼフの服の色の件については、次のように教えてくれた。
「青は聖母マリアを象徴する色です。ですから、特に東方教会では、マリアの祭儀には青の祭服を用います。カトリックでも、かのマザーテレサに集った「神の愛宣教者会」も青の布をかならず身につけていたような気がします。黄色は黄金を示し、聖人全般を象徴する色。そう、あの芥川龍之介が「奉教人の死」で記した「黄金の聖人伝(legenda Aurea)」って幻の著がありますね。イエスの父ヨゼフを始め、聖人たちは、カトリックの教えにとって黄金なのですよ。でもって、三博士の一人も黄金を捧げものとして持ってきましたよね。」
なるほど、やはり、深い象徴性があったのである。 「よくお気づきになりましたとカトリックはかくも感心しました」「炯眼に感心」と、お褒めの言葉を頂いたが、文面よく読むと、口を極めて褒められているのは、愚妻のほうである。 あれれ。
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