我が校は、新入生の合格から入学までの間の課題として、数冊の新書から適当に1冊あてがって、感想を書いてもらっている。夏の読書感想文の宿題以外に、その中からもよいものを選んで、県の大会に出している。そこで、その作文読みが図書課教員の夏の仕事になっている。 上記の新書も、その中の一冊。古本屋でバイトをしている二十代の若者の体当たりルポである。「駅でゴミになっている漫画を拾って売る百円雑誌屋」「コミックマーケット」「マンガ喫茶」「同人コミックと業界マンガ」など、現代の漫画をめぐる状況を報告してくれて、詳しくない私にはわかりやすかった。 この新書を読もうと思ったのは、生徒の感想文によって、トキワ荘グループの中で、最後まで売れなかった一人の漫画家の話が載っていることを知ったからである。
森安なおやー後にアニメーターとなる鈴木伸一の部屋に転がり込んでトキワ荘の住人となった人。きら星のごとき大家が輩出した中で、何故、大成しなかったかは、このルポ中の証言から推し量ることができる。芸術肌の人で、締め切りを守らず、ついに書かなかったこともあったという。作風も文学的で、時流に合わなかったらしい。大工などの仕事を転々としながら、大作を書いていたようだが、遂に未完のまま没した(1999)。 よく、成功した面々が写っている記念写真で、「右より○○、○○。一人置いて、○○。」なんていうキャプションがあるが、彼は、いわば、この「一人置いて」に属する人である。 でも、最後まで、発表のあてのない大作漫画を書き続けた行為にこそ、トキワ荘の一員だったという矜持があるのだろう。 私は、その逆に、完全に筆を折った人を知っている。寺田ヒロオ。トキワ荘の中で、明朗快活、面倒見がよく、兄貴分として慕われた。しかし、昭和三十年代末には仕事がなくなり、漫画界から離れた。のちにブームになってからの同窓会的な回顧座談会などにも出席をかたくなに拒んだそうだ。おそらく、自分の過去と断絶したかったのだろう。その彼も、もう亡くなっている(1992)。 私は、もう一人、今一歩、売れなかった長谷邦夫という漫画家も知っている。マンガ学的には、「トキワ荘通勤組」に分類される人。赤塚不二夫、藤子不二雄ら仲間の有名キャラクター総出演の漫画を、三十年以上前に読んだことがあり、こんな他人のフンドシ書いているようでは大したことない人だと思ったことを覚えている。 今回、「あの人は今」気分で、検索したところ、HPがあり、手塚治虫賞の選考委員をしたり、大学で講義したりして、ちょっとした長老格、漫画文化評論家になっているようである。あの手法も「パロディ」精神ということらしい。 キャラクターがヒットしなければ、漫画家は苦しい。そうした意味で、この人は、ヒットしなかった人なりに、ちゃんと現代まで生き延びていて、それはそれで、大変なことである。
売れた人の影に、売れなかった人たちのそれぞれの人生。トキワ荘の物語は、「青春群像とその後」の典型的なかたちである。 あの頃、みんな同じ目的に向かって頑張った。センスや実力があるか、不断の努力を続けているか。みんな、充分、琢磨していた。 でも、時運ということがある。自分ではどうしようもない外の力。それに乗れたか乗れなかったか。 他に、もう一つ、売れれば官軍かということもある。目指すものが、その時の時流に合わないかもしれない。例えば、編集者などから、受けるためにと、とやかく言われる。しかし、迎合はしたくない。藝術に携わる人共通の苦悩。 そうしたことが複雑に絡み合って、それぞれの人生、明暗を分ける。
もう、売れ組の、手塚、藤本、石ノ森も鬼籍に入られた。赤塚もガン闘病中でもう描くことはないだろう。一つの時代が終わりつつあるからこそ、我々は、おのおのの人生を客観的に眺めて、無常を感ずる。でも、あの当時は、後に自分たちがそういう風に観られることなど夢にも思わず、あのアパートで若さにまかせてワイワイやっていただろう……。 玄関が一緒の木造共同アパートだったトキワ荘。調べるにつけ、私が住んでいたボロ共同アパートと造りや建った年代、雰囲気が同じであることに懐かしさを覚えた。我がアパートも、同じ頃、取り壊されて、今はこの世に無い。 私は、だから、頭の中で、あの頃の自分のボロ下宿とダブって仕方なかった。自分もあの時、部屋が空いたよという、しっかり者の友人の紹介で隣室に引っ越してきたのだった。トキワ荘の森安なおやみたいな感じで。長く住むうち、トイレも一緒なくらいである、同じ階の住人たちとすっかり仲良くなり、みんなで一つ部屋に集まって、ワイワイ、夕食会なんぞを開いたものである。もちろん、同じ目的を持って住んでいた訳ではないけれど、それでも……。
トキワ荘のような、青春群像は、今でも、東京のどこかのボロアパートで、生まれては消えているのだろうか。 それとも、個別アパートばかりで、もう消えた青春のかたちなのだろうか。(つづく)
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