その買いたてのビデオキャプチャで、最初に録ったのが、TV初放送(日本テレビ系8/26)のスタジオジブリ「猫の恩返し」(2002年)。 「自分の時間」を見つけられない主人公の女子高生は、猫を助けたことで、図らずも猫の国に行くことになり、猫の王子と結婚させられそうになるのを、バロンらの活躍で元の世界に戻ることが出来たという話。 大枠では、「耳をすませば」(1995年)と同系列の作品。猫のバロンなど同一キャラクターが出てくることもあるが、現代の女の子が主人公の「成長物語」「自分捜し」という点で、モチーフが一緒である。現代がフレーム(額縁)になっていて、別世界に行く点では、「千と千尋の神隠し」(2001年)的な要素もある。いろいろ、ジブリの常套をうまく使いながら、楽しいファンタジーに仕立ててある。
ジブリのアニメは「風の谷のナウシカ」(1984年)「もののけ姫」(1997年)など、ちょっと児童には難しいものもあるが、これは、猫の話なので、幼児も問題なく楽しめる。その辺りから、主人公の高校生世代くらいまでが、おそらく想定観客層。だから、「おもいでぽろぽろ」(1991年)などよりは少し下の層を狙っている。ちなみに、「おもいでぽろぽろ」の主人公は27歳のOL。「耳をすませば」は中三の受験生である。 ネット上では、B級だという厳しい評価も散見されたが、その人は、想定観客から外れている人だからだろう。幼児から女子高生向けの作品を観て、「ナウシカ」あたりの名作と較べること自体、あまり意味がない。
この「ナウシカ」と較べてしまうというのは、以前は、スタジオジブリの宿命みたいなものだった。テーマも重厚で、大人も楽しめるアニメというところが、発表当時、新鮮だった。次作「天空の城ラピュタ」(1986年)は、しっかり封切りで観たが、正直、「ナウシカ」より子供向けだと、ちょっとがっかりした思い出がある。次の「となりのトトロ」(1988年)にいたっては、あまりに短くさっさと終わる「お子様向け」で、最初、拍子抜けさえした。 そもそも、「となりのトトロ」を、映画館で見た人は極めて少ない。私もLDで。封切り時の観客動員数も、ジブリの中で低いほうのはずである(観客動員数約80万人。「千と千尋の神隠し」は2350万人)。後になって評価が高まったタイプの作品。これも、「風の谷のナウシカ」の呪縛である。おそらく、再評価されていったこと自体、観客のほうが、呪縛から解放されていったということなのであろう。お子様向けだが、何故か印象に残り、何度も観てしまうという気持ちで、大人は評価を上げていったはずだ。
私が、最初に宮崎駿作品を知ったのは、「ルパン三世 カリオストロの城」(1979年)。大学生時代、封切り館で観た。これはちょっと自慢。今でこそ、宮崎駿だからと、それだけで観に行く人も多いが、特に漫画ファンでもない金欠病の学生が、面白いかどうかも判らないアニメにロードショー料金払うのは、ちょっとした賭けだった。現に私の周囲には誰もいない。多くの人は、テレビ放映で遡って観たクチだろう。ちょっと、モンキーパンチのタッチと違っていて、冒頭、違和感があったが、筋立てがうまく、ひき込まれた。ラストの時計台のシーンなど特に迫力があり、いつものルパンとだいぶ違っていたが、これはこれで名作だと思ったことをよく覚えている。 もちろん、この作風が宮崎の世界なのだと知ったのは、随分、後年のこと。何度もテレビで放映され、女の子の顔なども含め、あちこち、これはジブリの世界であると確認できた。おそらく、私だけでなく、多くの人が、そうして楽しんだのではないか。逆に若い人は、最初から宮崎作品として観るから、全然、違和感は感じないだろう。
「猫の恩返し」を観て思ったのは、主人公の女子高生が、いかにも今時の女の子であるということ。「耳をすませば」でもなく「おもいでぽろぽろ」でもない。今時の女子高生によくいる、素直だけど、少しボンヤリしているタイプの子。 女性ものを作る場合、どんなキャラクターにするかということは一番の重要事。幼児から小学校くらいまでの客は、目がクルクル回るカリカチャアされた猫王や、格好いいバロンなどの猫キャラクターで引っ張っていける。しかし、客層を高校生まで引き上げるには、女性の共感を得ることが第一条件である。そうした意味で、日々、彼女らに接している高校教師の私が、「あ、この子は今時の子。」と違和感なく感じたということは、それだけで大成功ということだ。中間部の猫の国の話が子供っぽいので、圧倒的に女子高生に共感を与えるという話ではないが、シンパシーは感じたはずである。 「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」は、子供が主人公のファンタジー、「猫の恩返し」もファンタジーだが、主人公は女子高生、ちょっと年齢を上げて、過去作と重ならないように作ってある。ちょっと、対象が分裂していて「二兎を追う者」になっているような気がしないでもないが、まあ、うまいものである。
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