今日は、文化祭代休明けの実力試験。テスト監督していると、疲れが残っている生徒は生欠伸をしている。こんな時は、体力次第で、テストの点が大きく開くだろうなと思う。 そういえば、と、すぐに自分の高校時代を思い出す。 商売柄、よく自分の高校時代と比較するので、一般の人に較べ、反芻する機会が多くなり、あれは1年生の時、あれは、2年生の時と、細に入り微に入りイメージが出来上がっているのである。 私は、毎年、夏バテした。どうも、体力のある子供ではなかったようだ。二学期に入り、終日授業に耐えられず、9月下旬になって、疲れがピークに達し、高熱を発して寝込んだ。遅い夏バテ。1、2年ともそうだった。ぼけっとして、こりゃ全然頭に入らんなと思いながら、景色のように黒板を眺めていたことを覚えている。数学がわからなくなるはずである。体調が回復したと実感したのは、十月も入ってから。
祖母が倒れたのも、暑い夏の日だった。小学校から帰ってみると、祖母の様子がおかしい。しゃべろうとしているが、モゴモゴしているだけ。失禁のあとのような水跡もある。慌てて、父の勤務先に電話した。自分から父に電話をしたのは、この時がはじめてだった。飛んで帰った父は、すぐに医者を呼び、祖母は、脳卒中と診断された。自分で医者を呼ぼうとまでは気が回らなかった、そんな年齢の時である。 数日が山でしょうと言われ、下手に動かすことは危険だと、家で寝かされていた。連日、暑い夜だった。病気特有の高鼾が部屋に響いていたことを覚えている。一週間後、落ち着いたころを見計らって、日赤に入院した。
今も、年寄りは夏に亡くなることが多い。完全温度管理の病院の中でも、それは変わらない。 人間、夏を乗り切るというのが、いかに大変なことか、あのとき、子供心に思い知った。成長盛りの頃でも、私は駄目だったし、今も苦手である。熱を出さなくなったのは、毎年の繰り返しで慣れてきたことと、冷房の普及の賜物。夏、高熱出すなんて、ちょっと、はしゃぎ疲れたガキん子みたいで恥ずかしい、絶対避けたい。そんな意地で、なんとかなっているというのが実情かもしれない。 夏を乗り切るのが歳とともに辛くなって、そして、ある夏、乗り切れなくなって死んでいく。医療の発達していない古典の時代、そうやって、今より短いサイクルで、代が変わっていったのだろう。 四十歳代も後半、体を傷めて、人生の階段を一段下った感じがあるので、猛暑の熱風の中、あと何時間たったら日が落ちて、気温が下がるのだろうと、じりじりしながら時間を過ごすあの感覚に対する恐怖感は、以前に増して強くなっている。
今日は、台風が来て、小学校はお休みになった。これも、今は、レーダーで観測、ネットで状況が逐一わかる。外出を控えたりして、心の準備ができる。フェーン現象で36度にもなるとニュースで知って、そのつもりの服装で職場に行く。 でも、古典の時代、急に風が出てきたなと思ったら、暴風雨。その時、偶然に外にいて避難することができなかったら、それで終わりである。さぞや、自然や気象に畏怖をもったことだろうと思う。 昔、四季の移ろいは、人間生活の「彩り」などという生やさしいものではなく、生き死にと同義だった。 言葉遊びではないが、「四季」は「死期」に通じているように思う。
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