ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』な らぬ「ものぐさ」です。
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一昨日18日は、旧暦の8月15日、仲秋の名月だった。別名、芋名月。写真展帰りの道すがら、ほろ酔い気分で眺めたのだが、雲に隠れて下の方しか見えず、翌日、十六夜の月を、ジムに行く途中に眺めた。たった一日だけど、ちゃんと右上が欠けて見える。円相の完璧さを逆に思い知る。 子供の頃、満月と言われた月をじっと見ても、何だか、ちょっと欠けているような気がして、それが不思議だった。自分の目が歪んでいるのではないかと人知れず恐れていたが、今思うと、実際、欠けていたのであろう。完全に望月となるのはほんの一瞬。その一瞬を含む日を満月の日と言っていたに過ぎない。完璧な月を見ることなど、ほとんど稀である。
その翌日は立待月のはずだが、残念ながら曇って見えない。ご存じのように、この風流な呼び名は、居待月、寝待月と続く。古文の授業の定番知識である。 月の出が遅くなるからこういう言い方になったのだよと、いつも解説はする。だけど、実際のところ、毎日、どれだけ遅くなっていくのか、そこはそれ、文系の悲しさ、よくは知らなかった。 今日、テレビで知ってちょっと吃驚。今日は夜6時55分、明日は7時半近く、明後日は8時を回るという。つまり、毎日30分は遅くなっていくのである。十五夜からたった4日で2時間。確かに、これでは横になって待ちたくなる気分になる。
今年は、十五夜の日と実際の満月が一致した年だが、来年は1日後、再来年は2日ずれる。十五夜の平均月齢は14.8くらいで、時に一致せず、後ろにずれるのだそうである。 そもそも、十五夜がいつなのかでさえ、新暦人には判りづらい。ここ前後五年を見ると、9月11日(2003年)のこともあれば、10月6日(2006年)の時もあって、一ヶ月近く違っている。(つづく)
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(マイノートパソコンと今は無き時計 2005.6 リコー キャプリオGX8)

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