ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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土曜日、雨の中、職場の恒例行事であるゴミ拾い遠足に参加して、駅から勤務校に至るルートを歩いた。(といっても、私は、無理せず途中で脱落。) ゴミの多くは吸い殻である。昔、信号待ちの舗道に大量に捨ててあって見苦しかったものだが、近年、ぐっと少なくなった。「マナーがよくなったということかねぇ?」と同行の方に問うたら、違う違う、喫煙者人口自体が少なくなったからだよとクールな分析が返ってきた。そういえば、そこにいた大人六人誰も吸わない。 旧市街地を縦断する形になるので、大野庄用水、鞍月用水沿いの道を歩く。江戸末期から昭和初期くらいの古ぼけた家々。みんな用水に小橋をかけて家の玄関にしている。用水が生活の一部として機能していた時代の名残りである。軒々の合間から高層マンションの灰色の塊が見え隠れする。古い町並みの二元論的空間映像。 大野庄用水からようやく離れると、すぐ次の用水が現れる。二つの用水が玉川町付近で急接近していることを知らないと、武家の町特有の小路と相まって、ラビリンス感覚を味わうこととなる。 昔、母校の大学の先生がゼミ旅行の引率で来られ、町を案内したことがある。友人の指導教官で、私は初対面の方だったが、「金沢は一言で言うと用水の町だね。」と喝破して、さすが文学部教授と感服したことを覚えている。たしか、その時もこの辺りを歩いていたような気がする。
帰宅後、金沢の治水の要、辰巳用水も含め、江戸ゆかりの用水の行き先を、地図を広げて確かめた。どこを通ってどこに流れ着くのか、全体像は意外に知らないものである。 地図を「用水」という観点で眺めるのは初めて。ああ、あそこがあそこにつながるのかと、ちょっとした発見をした反面、暗渠が多くなっているのだろう、青の線が所々寸断されていて、どうつながっているのかはっきりしないところも多くあった。
用水とは、水を「用いる」ということ。農地では、勿論、昔と変わらず重要な灌漑の水路。でも、今、わざわざ、都市部に川の上流から人工的に水を流す理由を、現代人はなくしてしまっているのではないかと思い当たった。生活排水は下水パイプの役目で、用水には流さない。いわば、上水でも下水でもない中途半端な水の通行路になってしまっているのではないだろうか。 金沢人には見慣れた用水の風景。古都金沢の大事な観光スポット、長町の武家屋敷あたりを滔々と流れゆく清い水。ポスターにでもなりそうな景色である。 どうやら、今や用水は、景観としての都市イメージの維持・促進にその大きな役割があるのかもしれないという結論に辿り着いたが、なんだが、あまりに悲しい論で、誰か軽やかに反論してほしいなあと思いながら。私は地図を閉じた。
(追記)鬼嫁、この文章を観て曰く、「雪捨て場。」 よかった。確かに北陸にとって大事な役目である。
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