ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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先日手術のお見舞いに行った元同僚も彼を教えた一人。彼は、ベッドで横になりながら、四方君たち、どんな気持ちで寝ていたのだろうと思ったと述懐していた。 私も立っていられない時、同じ気持ちだった。横臥して、ぼんやりベッドサイドを眺めながら、彼らのことが何度も何度も脳裏に去来した。 今でも、朝、目を覚ました時、普通ならそれから体を動かして起きあがるのだが、彼らにはこれ以上の行動はないのだな、この状態が彼らの全てなのだなと思う。そして、しばらく、じっとしてみる。そうしていると、少しだけだろうけど彼らの気持ちがわかる。 目に入るものだけが自分の世界。布団カバーの繊維の織り目、鉛筆立ての缶の汚れ。そうした目の前の微細な景物だけが、えらく拡大されて眼前にある。それだけが親しい。一種マクロ的な映像世界。 音も同様である。ラジオや音楽が、意識の手前にあって親しく大きく感じられ、遠くに、マンションの他の階の物音や通りの車の音が聞こえる。 動かない自分という存在を「点」として、身の回りのほんの些細な情報を同心円的に蒐集する。それを唯一の手がかりにして「考える。」そして「思う。」。 おそらく、そうして紡がれた詩たちである。
四方君には、祝賀会に出られなかったかわりに、しっかりした読後感想を送ると、だいぶ前にこちらから約束したのだが、未だに果たされていない。 それが、今、一番の気がかりである。
(追伸…四方君へ) もう三十代後半の貴方に、「君」もないものだと、「氏」「さん」色々考えてみたのだけれど、どうもしっくりこない。失礼を顧みず「君」にしたよ。了解して下さい。
↓四方君のHPアドレス
http://www2.spacelan.ne.jp/~hoyomaru/index.html
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(マイノートパソコンと今は無き時計 2005.6 リコー キャプリオGX8)
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