ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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代表的金沢言葉である「〜まっし。」の接続が変化しているというのも、国語教師としては面白かった。 「まっし」は、優しく命令する形。助動詞なのだという。変化しない。ということは、活用を未然形から言うと、「マル、マル、マル。マルマルまっし。」となって、くねーと猫のようにまあるくなっている図を思い浮かべたのだが、これが正しい活用かはまったく保証しない。 この「まっし」、昔は 五段活用は終止形接続、それ以外は連用形接続だったそうで、「頑張るまっし」が普通だったようだが、今は、言葉の単純化路線で、すべて連用形接続となりつつあり、「頑張りまっし」になっているという。 あるクラスで挙手させたところ、ほとんど「頑張りまっし」派であった。たしかにどちらも使うが「る」のほうが古い言い方だと感じる。 連用形接続になった結果、標準語「なさい」がそのまま「まっし」に置き換わっただけの形となった訳だが、それでも、「まっし」という文末言葉だけは、標準語の侵攻に耐え、頑とその勢力を張っているのがなんとも力強い。 もう一つ、「寺町まっすぐ」という言葉にもびっくりした。寺町大通りは、前田家墓所に行くために、城下町にしては珍しく直線道路である。それに引っかけ、多少の揶揄も入れて、「まっすぐな性格」の人のことを言うらしい。 寺町の人は知らず、周辺地区の人が使っている言葉だという。道理で、寺町生まれの私も、80年近くここに住んでいる父も知らない言葉だ。 実際にその道路を知っているということが大前提の、町の名を冠したえらく地域限定な方言。こんな超マイナーなものもかつてはあったらしい。 関西から広く分布しているもの、富山と共通のもの、市内だけ、こんな極小地域限定まで、細分化するときりがない言葉の分布のグラデーション。
それに、時代変化が重なる。標準方言などが存在しないだけに、変化にもブレーキがない。 冒頭で結構流動的といったのは、そういう意味である。一筋縄ではいかない捉えどころのなさを実感した本であった。
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