講演後、生徒の一人が、先生は、自分の興味関心を追求しろというが、それで社会的寄与になるのかという質問をしていた。センセは、「それを私は確信しています。」と語っていたが、その根拠は何も示さなかった。実に鋭い論理の空白の追求をしたわけで、その生徒の知的能力の高さのほうに唸った。今、上野センセの興味関心は「介護」に移っている。それは、独身である自身の老後がはっきり見えてきたからである。でも、それじゃ、その学問選択の恣意性はどう説明するんですかと、私自身がチラリと思ったことを、この生徒さんは、悪意なく上品に質問したのである。 上野は一九四八年生まれ。フェミニズムが、あの当時、団塊の世代女性のトレンド、今は、介護がトレンドというような移り変わりを感じる。フェミニズムは、上野先生に捨てられつつあるのではないだろうかと脳裏をかすめたが、考えすぎかもしれない。 だだ、世の中、辛辣な人もいる。
戦闘的な「中ピ連」を抹殺したことにより、フェミニズムは市民権を獲得し、大学のなかに橋頭堡を築いた。しかし、数少ない女性が、マスコミで有名人化するのに反比例して、フェミニズムはその勢いを失った。女性関係の書籍を大量に売りまくり、女性運動を足場に出世した女性たちは、身の処し方が上手かったのだろう。大学フェミニズムの女性たちは、結果として男性支配に迎合するかたちで、自分の保身をはかったのではないだろうか。 「匠研究室 本を読む」匠雅音(たくみまさね)
結局、私がちらりと感じたことは、どうも、そういうことである。
さて、これには後日談がある。 彼女は、用語を正確に喋っていた。リストラは、「リストラクチャリング」。「モラトリアム」にいたっては、意味を解説した上で使った。そのあたり、さすが学者である。 後日、三年生の評論用語の小テストがあったので、「ベンチャー」など、何種類か彼女が使った言葉の意味を訊いた。その時、これらはみんな上野さんが使った言葉だよといったら、「誰それ?」と、ある女生徒が素っ頓狂な声を上げた。 誰って、先週聞いたばかり。今年、我が校に来た最も有名な人ではないか。 この生徒、講演会があるから講堂に集合しただけ。壇上で誰か喋っているといった感覚だったのだろう。せっかく、女性論の闘士がやってきて一席ぶっていったのに、女の子たちは、どれぼど琴線に触れ得たものやら。 彼女、講演後、一部の生徒さんとワークショップをおこなった。それで大いに触発された生徒がいる反面、こんな有様の生徒もいる。 これが、正真正銘「女性の現在」である。
以上が書いてあった文章。どうでしょう。下品でしょうか? 講演の次の日、男性教員連中は、やっぱり、あんまり好かんかったという感想で終わっていたようですが、同じ国語の女性教員と軽く話をした時、上野さん、もうフェミニズムなんかに興味ないんじゃないでしょうかと言っていて、あ、感じましたか? 私も感じましたという会話を交わした。どうやら同じ印象のようである。
(翌日の地元新聞に載った記事より)
|