ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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二〇〇二年、NHKの大河ドラマ「利家とまつ」で、地元石川は盛り上がった。本当にあの年は、観光客も急増し活気があった。この種の経済効果は馬鹿に出来ない。高知県は、今年、さぞ、盛り上がっているだろう。 一年間、大河ドラマを観たのは、最近では、あれだけ。やっぱり「地元」というキーワードは強力である。 と、ここまで振っておいて、今日の話題は経済効果論ではない。仲間由紀恵は美人だという話である(笑)。 今年の出し物は「功名が辻」(司馬遼太郎原作)。山内一豊とその妻の物語。もちろん、主役は妻千代の方。「利家とまつ」は、まつ役の松島菜々子の愛らしさで、ストーリーがぐだぐだでも、何とか保った。あの台本、「私にお任せ下さりませ。」とかいう決め台詞など、民放的な視聴率アップの受け狙いは上手かったが、時代のうねりは、その場その場の場渡りでしかなく、うまくつながっていなかった。流れが見えない。今回は、しっかりした原作があるから、あんなことにはならないはずである。 夫婦を主人公にし、二人で協力して出世していくという意味で、モチーフ、番組の狙いは「利家とまつ」と同じである。題名も「一豊と千代」にすればいいくらい。 それにしても、男の人は、いつまでたっても、若い女性が大好きである。あの大河ドラマが流行って、松島菜々子の名は、全国的に知れ渡るようになった。武家の娘の、おでこを出した長いストレートの振り分け髪(あの髪型は何というのだろう。ボキャブラリー不足で申し訳ない)が、実に似合っていて素敵だった。トレンディドラマの時より間違いなく美人さんに見える。ああして、カツラをつけて、おでこを出して、それでもくっきりした美人さんは、本当の美人さんである。 あの年、別の番組で、ご高齢のお爺さんが、「女優さんで誰がお好きですか?」と聞かれ、即、目を細めながら、「松島菜々子がいいのう。」と答えていた。観ているこっちは、てっきり原節子とか田中絹代などと答えるものとばかり思っていたので、今時流行の若い女の子なのにびっくりした。男って、歳をとっても……。いやいや、お元気の秘訣である。 この前もちょっと書いたが、ああした、しっかり夫を支え、でも、可愛いという女性像は、お年寄り層も含め、全男性の憧れの的である。そうした幅広い年齢層を惹きつける魅力を、女主人公が芝居の上で発散し始めたら、そのドラマは、絶対、成功する。 仲間さん、役どころとしては、まったくその通りの役。なにせ、日本における内助の功の象徴的人物である。あとは、彼女らしいさっぱりした色気を発散させて、これまで、彼女のドラマを観ていなかった、中年以降の男性を引き込めばいい。 ええ、こっちは、引きこまれたくてうずうずしてますから。 今年は全回観るゾ!と宣言しておきます。
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正月、実家に長居したので、テレビに飽きて、居候、雌猫のタマを被写体にした。でも、「ふん、御勝手に。」といった感じで、そっぽを向くばかり。女王様のご機嫌を伺う下僕の爺やの心境。向こうの方が絶対に偉そうである。 私がこの家で子ども時代を送っていた頃、猫を飼ったことがある。勝手に紛れ込んできた三毛猫を、絶対飼うんだとぐずって飼うことにしたのではなかったかと思う。本人は一所懸命、可愛がっていたつもりだが、猫の毛でじんま疹が出たのを心配した親が、こっそり遠地に捨てた。親は知らぬ存ぜぬを決め込んでいたが、ちょっと前に、夜中、猫をなんとかせねばという家族会議の声を漏れ聞いていたので、犯人は分かっていた。子供心に大人のお節介を恨んだものである。あの猫、三毛猫だったので、確かミケと呼んでいたような覚えがあるが、正確なところは忘れてしまった。 長じて、タマがやってきた。「うちのタマ知りませんか」というキャラクターが流行っていて、そのファンシーグッズをちょっと持っていたので、あっさり、それに命名した。命名者は、だから私である。弟は、この初代タマと共に子供時代を過ごした。海水浴に行って、思わず大漁だったアサリのバケツを、物欲しそうに覗き込んでいる写真が、我が家では、タマの肖像として家族限定で有名である。 そのタマ、コールタール缶に体を突っ込み、ペロペロ舐めて汚れをとろうとして毒がまわり、ほどなく亡くなった。入院した犬猫病院に見舞いに行った時、サヨナラと声をかけると 尾っぽをか弱く振っていたという。それが家族の知っている最後の姿。悲しい別れである。 弟は、ほんとはいけないかもしれないが、亡骸を河原に埋めにいったそううだ。 今、実家にいるタマは二代目である。同じくシャム猫雑種で、見た目がそっくりだったので、そのままタマと呼ばれることになった。 でも、性格が全然違う。初代は好奇心旺盛で、人間を恐れなかったが、二代目は、人見知りをし、引っ込み思案の内弁慶タイプ。同じ体格、同じ毛並みで名前も同じにしたのに、一匹一匹、人間のように違う。犬猫は、種類や体格、性別で、だいたいの傾向があるものだと思っていたので、そんな変な分類学(?)を超えた大きな違いに、当初、びっくりしたものだった。 何年か前、長期的にいなくなり、大怪我をして戻ってきた。母親によると、それ以来、性格がガラリと変わったという。おそらく猫社会でひどい目にあったのだろう。 もう十二歳、立派なオバチャン、もしかしたらお婆ちゃんである。動作も多少緩慢になった。ノラに較べて家猫は長生きする。ノラは四、五年の寿命の場合が多いと聞く。あとどのくらい長生きするものやら。 実家に立ち寄ると、大抵、ストーブの前の炬燵布団の上に鎮座ましましている。猫は、家で一番快適な場所を見つける天才である。確かに、下はフカフカ、体は輻射熱で暖かい。 大昔の夏、タマがどこにいるかを探して、そこで過ごしたら涼しいと思いつき、彼女のお尻を追っかけたことがある。長々同じ場所にはいないようで、時々、すっくと立って移動したが、行く場所行く場所、確かに涼しいところばかりだった。 でも、ああして、時々、所場(しょば)をかえるのはなぜなんだろう?
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早いものであれから一年たつ。叔母も五年前に亡くなっていて、その葬儀や法事の喪主を勤めていた彼が、今は鬼籍に入り、今度は奥さんが喪主となって法事をとり仕切る。同じメンバーが毎年のように何度も集まる。一つ家に不幸が続くと、こういうことになる。 料亭での会食は、最初の一品だけ精進料理で、さっと、器とお箸が替えられて、以後は、「精進落とし」ですといって、生臭物が出た。お坊さんの話では、関西では、最初から刺身などが平気で出て、面食らったという。私は、お箸を替えることで、切り替えたとする形式的なやり方が精神的な感じで、ちょっと面白かった。変に精進にこだわる必要はない。これでいい。 席上、亡くなった従兄弟の話はあまり出なかった。静かに進行。料理の合間に、郊外が発展しましたねというような話がぽつぽつ出る程度。 その家の娘さんは、数日後に、高校入試が控えているそうだ。東京の同い年の子もそうで、だから、今回は欠席。二人とも、確か、お祖母ちゃんが亡くなった時は、小学生だったはずである。月日の経つのは早い。 大人は、みんな歳をとっていくだけだけど、子供は成長する。子供というものは、はっきりベクトルが逆の存在なのだと実感される瞬間である。 法事の時、しかし、そんな存在が混じっていることがどんなに必要なことか。こっちは、ちょっと教員ぶって、「ちゃんと受験勉強していますか?」とお母さんに聞く。 現世に生きる我々。子の成長を見守るだけで、死の悲しみは大きく減ずるものである。
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ご存じのように、センター入試は、個々の得点を本人に通知しない。その秘密の点を持って各大学を受けることによって、学校間格差がなくなるという理想主義によって運営されている。そこで、業者はセンターの何倍も早いコンピューターを導入して、自己採点を集計し、見事なまでの情報を提供してくれる。月曜日の午前中に自己採点を送って、もう今日の午後から、各業者の入試判定システムが稼働し始めた。結果が入っているから、どの大学の可能性がどのくらいか、縦から横から条件入れて検索できる。三年担任は、今夜、一人一人の結果を分析し、どう助言・指導するか策を練る。受験校教員の腕の見せ所である。コンピューターとにらめっこ。おそらく今日は夜なべである。明日から個人面談にはいる。 担任は四十人を相手にしなければならない。一夜で全員の進路の助言を考えるわけだから、一人、十五分が関の山。それに対して、本人は、延々と条件を入れ替えて、進路を模索している。同じ情報とシステムを使っているのだから、かけた時間の分、生徒のほうが、圧倒的に詳しくなるのは当たり前である。 昔は、教員の経験と勘が圧倒的にものをいったが、今やそれらの重要性は大幅に減じた。機械挟んで要ご相談の世界である。それどころか、逆に、経験が邪魔をする事態にもなりかなねない。 今年にかぎっただけで、国語Tがなくなり、国語の問題は一つになった。英語リスニングが導入されたが、その五十点分の、各大学の扱いはどうしているか。日程が大幅に変更され、初日文系、2日目理系科目となったなど、大きく変化している。数年前の知識でしゃべるととんだ恥をかく。 どうも、単なる教科担当は、いらぬ知識を受験生に授けるより、淡々と問題解いているほうが無難なようだ。 ところで、先日のセンター入試「漢文」問題。本文が簡単で、ほとんどの受験生は意味がとれたようである。ネズミは猫を恐れるが、人間は恐れないという話。高校一年レベルの実力があれば、まず、わかる。ところが、選択肢が紛らわしい。それで受験生を篩(ふるい)にかけている。読みとり問題ばかりで、直接、訓読(訓点)を問う問題もない。これまでの地道な句法の勉強がなくても、どことなく出来てしまう。これでは、漢文軽視に拍車をかけるのではと心配である。 現代文分野も同様の傾向があって、選択肢五つのうち、三つは全然迷う人がいないくらいミエミエに間違っている。あとは二択の勝負。それが、こっちもどっちだとわからないくらいの微妙な違い。重箱の隅である。そんなところで勝負するより、もうちょっと、残り三つの間違い選択肢に骨があってもいいような気がする。先だっての日記で、問題集の選択肢の重箱の隅具合を嘆いたばかりなのに、本番でもそうなった。この傾向はどんどん助長されるに違いない。 学問の基礎的能力が備わっているかを聞くのではなくて、選択肢の微妙な違いを嗅ぎ分ける能力の試験である。ますます教員はノウハウを強調せねばなるまい。こんなのが国語という学問なのか、つまらねえ、と思われるだけのような気がする。
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いつも読んでいる新聞が、その日、「校区」という言葉を使っていた。 以前、この日記で、「校下」という言葉を使って、括弧づけで、(校区のこと、でも地元新聞でも使う)と註を入れた覚えがある。ちょっと気になっていた地方語なので、今回、お手軽にネットで調べてみた。 この言葉が、全国区でないというこを知ったのは、そんなに昔のことではない。かれこれ、五、六数年前のこと。小学校の通学範囲のことを、では、なんというのかと、その時、教えてくれた方に尋ねたところ、校区だと教えられた。だから、そう書いた。 しかし、NHK放送文化研究所のWEBサイトの説明では、「校区」は主に西日本の言葉だという。東日本は「学区」。放送としての正式名称は、「通学区域」という。ただ、通称的に「学区」を使うこともあるとあった。 同一のものなのに地域で呼び名が異なる、このような現象のことを「言葉のゆれ」というと解説されている。東西で対抗していて、そこで、意味を漢字で解説したかのような第三案が正式名称になったといった感じかもしれない。東西、痛み分けである。 では、仲間はずれ、地方語扱いの「校下」。この解説で、北陸の他に北海道の一部で使われているということを知る。この、飛び火している理由は、すぐに予測できた。明治時代、多くの北陸人が、北海道の拓殖に渡ったからである。北海道には、こうした、移住した人たちの言葉が、この他にも多く残っているのではないだろうか。 では、それだけかと、「校下」と入れてネット検索すると、それ以外にも使うところが結構あることが分かった。検索機能は、こうした言葉の収集作業に、驚くほど有効である。 大阪、京都、それに、中京の一部(大垣、一宮など)。 もともと、この言葉、「御城下」から来ていると思われる。お殿様のご差配の下、住まわせて頂いているという感覚である。それでは、小学校がその土地を支配しているようで可笑しいではないかと反論がきそうだが、まさしく、昔は、小学校が、その土地に君臨し、運動会など、学校行事中心に地域がまわっていたからである。建物もその地域で一番大きい。そのお膝元という感覚なのである。 そういえば、校下を使うところは、為政者や神社仏閣など、エライ方が鎮座ましましている場所が多い。御所、大阪城、大垣城、……。北陸でも、金沢市、高岡市、富山市で沢山ヒットしたが、すべて城下町である。農村部に少ないのは、校下より集落単位だからだろう。 いずれにしろ、地方語だけど、「通学区域」なんて言葉より、よほど由緒のある言葉であることは間違いなさそうだ。
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二〇〇六年度センター入試が終わった。去年まで、国語は二日目だったので、月曜日の朝の新聞で知って、生徒が自己採点している間に目を通していた。 ある年、夜に生徒から電話がかかってきたので、まだ問題を見ていないというと、それでも受験校の教師かとボロクソに罵倒し始め、ガチャンと切られたことがある。腹が立ったので、折り返し電話をかけたら、その生徒さんではないらしい。センターの点が取れずに、腹いせに同級生の名をかたってイタズラ電話をかけてきたのである。この商売、多くの人間相手なので、この種の事件は時々あると諦めるしかない。 最近は、インターネットの予備校サイトで、その日のうちに、問題、解答、解説が出るようになって、すべては明朝というわけにはいかなくなった。せわしない世の中になったものである。 しかし、国語の問題だけで、PDFファイル三十数枚もあって、全体視認性がよくない。マウスをカチカチやるだけでイライラし、全然、思考は動いてくれないのである。 去年、2ch掲示板がらみの騒ぎがあったので、今年、国語の試験時間終わるころを見計らって、家でコーヒー片手に「受験板」を覗いてみた。休憩の受験生が、ケイタイから各問の出典を書き込んでいる。我々一般人は、日本全国津々浦々、知ろうと思えば、テストが終わった途端、何が出たかわかる世の中になったのである。 もちろん、終了後だから問題はない。でも、そこから犯罪まではほんの一歩である。技術的にはどうとでもなる。あと残されたのはモラルだけである。
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ワープロは、普通、横書きで書いていく。WEBサイトも、スクロールなどの関係で横書き。 国語のテストは、横で書いて、最後に縦にする。パソコン画面が縦書き用にできていないから、このやり方でやるしかない。 国文学系の研究論文でも、外国論文を麗々しく引用するタイプのものは、横書きのものが出てきた(縦で書かれたもともとの文章よりも、箔が付く横文字引用のほうを重視しているようで、私は大嫌いである)。 ということで、縦書きにこだわっているのは、今や文芸文や国語教育の現場くらいになった。 しかし、縦書きと横書きでは、やはり何かが違う。 横書きの画面で何度も推敲し、これでOKと思ったものでも、縦書きで打ち出すと、何故か手直しをしたくなる。 端的にいうと、横書きが情報中心で、いかに合理的能率的に相手に伝えるかということを念頭に置いた書き方が似合うのに対して、縦書きは表現が重視される。改まった言い方が似合う。 それは、こちらが勝手にそう意味づけしているからにすぎないと言えなくもないが、何かそれ以上の普遍的なものとしてあるような気がしてならない。 具体的にいうと、縦書きにすると、「体言止め」が気になる。横書きの時は、そのほうがスパッとした言い方でいいように思うのだけれど、縦で読むと、省略した言い方、ぞんざいな言い方のように感じるのである。 当然、文章はちょっとばかり長くなるが、文章の品格は確実上がる。書き手は、よりよい言い方を考え始める。その効用はバカにできない。 パソコンソフトでは、縦書きを意識した「一太郎文藝」というのがあるようだけど、高価で限定販売でしかない。その上、画面やスクロールなどハード面では、今の機械は全然配慮されていないので、現状では、ネックがありすぎる。最初から縦書きが気持ちよく書けて、歴史的仮名遣いに対応しているパソコンは私たちの夢である。 近年の「国民総国語力減退」も、こうした縦書きの衰退と関係があるような気がしてならない。
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地元の友人から電話があり、一週間前に父親が亡くなったという。二か月程前、別の友人から、一週間前に……と、まったく同じ内容の電話を受け取ったばかりだったので、ちょっと驚いた。 連絡がこなくて、葬儀には行けなかった。向こうとすれば、式にこなかったので、こちらが知らないということは判っている。当座の慌ただしさが過ぎ去って、ようやく友人たちに知らせたくなるのだろう。人間、同じような気持ちの動きをする。 前回、保険の処理や諸々で、葬儀自体よりも、その後の事務処理のほうが大変だと聞かされていたので、電話口で受け売りをする。どうも、そうらしいねと彼も知っている様子だった。 お父さん、九十歳だったそうで、覚悟はしていたが、やはり亡くなると悲しいものがあると彼。就寝中に亡くなったそうで、苦しまなかった様子だったのが幸いだという。コーヒーの達人で、昔、家にお邪魔した時、ブルーマウンテンを入れて下さったことがある。その美味しさは、私のコーヒー飲み人生の中で、五本の指に入るほどで、今でも忘れがたいと、思い出を述べたところ、弔問の方、皆さん、コーヒーのことを話されたという。 「でも、そう言って下さるのが何よりの供養です。」 彼のこの言葉に、温かいものを感じる。確かに、よい思い出を語ってもらえるのが、残された家族にとって一番嬉しい。 年末、同級生から、親御さん死亡のため年賀欠礼という連絡が沢山入った。特に父親が多い。今、我々世代は、そんな年齢にさしかかっている。 前回と同様、失礼ながら、今から御香典送っても迷惑でないかと確認の上、郵送することにした。 身内に不幸があっても、親族は主な関係先に連絡するだけで、あとは関係者の連絡網のアクティビティに頼るだけである。他には新聞に死亡広告を出すかどうか程度。本人関係者には、遺漏がないように連絡するだろうが、残された家族の友人知人には、まるで式に来てくれと強要するようなことになるのではと、差し控える気持ちになるのはよく判る。 その結果、こちらとしては、ああ、知っていれば、お弔いしたのにと残念な気持ちになる。そのあたりにちょっとしたズレが生じてしまうのだが、どうすることも出来ない。 電話連絡やファクス、新聞広告など、昔ながらである。これだけネットが広まった。親族の気持ちにも配慮した何かいい方法があるのではないかと思うのだが……。 さあ、息子世代が長生きしなければならない。お体問題なく健康かと聞く。健康診断で要注意マークはないという。それはよかった。無理せず、お互い淡々とやっていきましょうと言い合って電話を切った。
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東京堂はユニークな辞書を出していることで有名。出版案内には、他に『東京弁辞典』『あいまい語辞典』なんていう魅力的な書名が並んでいる。 この本は、昨年夏の新刊。今年度の予算で図書室に入り、平置きしてあったのを見つけ、手にとった。 頭から順に読んでも仕方ないので、読みたい言葉の解説だけ、手すきを利用してつまみ読みした。この手の知識は、授業の小ネタに使えたりする。 項目としては、「いとけない」「うべなう」など。 滅んだ言葉ではないというところがミソで、同じ出版社からは、別途、それ用に、『消えた日本語辞典』なるものが出ている。 年寄りやしっかりした表現を心がけている人は使うけれど、一般的には徐々に使われなくなりつつある言葉を集めるあたりの選択がなかなか絶妙である。 完全に死語になった言葉は、出てきて、意味が分からないときに調べるが、覚えようという気は起こらない。でも、この種の言葉は、意味も分かっているのだけれど、そういえば、使わなくなった、使ってやらなければという気にさせるものばかり。つまり、自由に操れる自家薬籠中の語彙を増やすのに便利そうである。 もちろん、知らない言葉も結構あった。「ねめる」なんて知っていましたか?「睨める」と書いて、「にらむ」ことだそうだ。「一太郎」でも、ちゃんと変換できて、びっくり。 ただ、問題は、アイウエオ順に並んでいるので、こういう状況の時、何か、いい言葉があったはずだがと歯がゆい思いをしても、なんの手助けにもならないということ。 やっぱり、この辞典は「読む」本である。
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毎週楽しみにしている日曜の音楽番組「題名のない音楽会」(テレビ朝日系)。クラシック以外のジャンルを小馬鹿にする言動がチラチラ出ていた故黛敏郎(作曲)より、今の羽田健太郎(p)の司会のほうが、バラエティ豊かで好きである。 先日、短いながら、ムソルグスキー「展覧会の絵」をピアノでやっていた。ピアノ版は久しぶりと思って聴いていると、途中でオーケストラが入り競演の形に移行する。ピアノ協奏曲風。こんなのは初めて聴いた。誰の編曲だろう。 我々の青春期、プログレッシブ・ロックが全盛で、エマーソン、レイク&パーマー(ELP)のライブ盤で、この曲は学生時代から親しいのである。 原曲はピアノ。ラベル編曲が定番だが、それ以外に多くの編曲がある。私は、LPで、ブラスアンサンブル編曲版、それにストコフスキー編曲・指揮のを持っている。ストコフスキーのは、それなりに真っ当なのだけれど、重たくて暗めのロシア色を付加したもの。時々、彼らしい大げさなところがあって、それが、結構、楽しい。 ピアノ版の方を初めて聴いたのは、高校時代の音楽鑑賞クラブでのことだった。当時は、部活動以外に、正規の授業として「クラブ」というのがあった。まあ、単なるレコード鑑賞会である。 その時、聴いたのはライブ録音。聴衆がえらく咳をしているなあというのが一番の印象だった。「こんなにうるさくてもレコードになるのだ」と思ってちょっと不思議だった。でも、今もはっきり覚えているところをみると、演奏のほうも心に残ったのだろう。 大人になって、それなりにクラシックも聴くようになって、あのレコードが、巨匠スヴャトスラフ・リヒテル「ソフィア・リサイタル」の中の一曲であることを知る。クラシック名盤指南書に、聴衆の咳が多いのが玉にキズというフレーズを見つけて、これだと判った。演奏解釈上のことを色々書いてあっても気づかないが、これでは間違えようがない。映画「三丁目の夕日」の設定と同じ一九五八年、ブルガリアの首都ソフィアで行われた実況録音。西側で彼の名声を決定づけた名盤であった。 「題名のない音楽会」を見終わって、あの演奏、もう一度聴いてみたいなと調べたが、今は絶版のようだ。つい最近まで廉価盤で売られていたらしい。高いお金出して中古探すのは面倒くさい。ちょっと今回は縁がなかったことにして、再発を待つことにする。音楽との出会いはそんなもの。諦めはさっさと……。変に粘ったりはしない。 気にかけていると、いつかどこかで、また出会う。 あの時聴いた印象を、つらつら思い出すに、ジャズでいうドライブ感のある豪快な演奏だったように記憶している。ゴホン、ゴホン。 五十年前の演奏を、三十年前に聴いて、二十年前に誰の演奏か判り、今、それを語っている。壮大なスケールと言っていいのか、昔話ばかりの年寄りの戯言と言っていいのか……。
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金沢の注連(しめ)飾りはまあるくした縄に、手足がついたように四方に藁束が刺さり、頭にあたる部分に橙をさす形。東京に出るまで全国同じ形をしているものと思いこんでいた。 学生の時、東京で正月を迎え、自分のアパートに大家さんが飾ってくれた正月飾りをみて、全然、形が違うことに驚いた。藁の房が下に末広がる縦型。地方地方によって色々な形があるのだとその時気づいた。 去年の暮れに、実家の買い物に付き合って、注連縄と橙とで、一三〇〇円もすることを知って驚いた。松の内だけ飾り、どんど焼き(左義長)で燃やしてしまう消えものなのに……。 昔、左義長のある十五日は成人の日だったので祭日で、子供たちが、神社に飾り物や書き初めを持っていって燃やしていた。中に、アルミ箔にくるんでお餅や芋を入れて焼いて、ほくほくと食べた。子供心に、楽しい行事だった。人が多く集まっていて、ご近所の歓談の場になる。灰が高く上がると字が上手になると言われて、いかにふわっと上がるか研究しながらお習字を投げ入れたことも覚えている。この言い伝えは、確か全国共通のはずである。焼けた橙の黄色が、灰のなかでじゅくじゅくと音を立てていた。 ちょっとずつ、ビニールゴミなどが混ざるようになり、なんだか単なるゴミ焼却みたいになってきたところまでは知っているが、以後、忙しくて行ったことがない。今年は、偶然、日曜日。少しは火の周りに人の輪が出来ているだろうか。 我がマンションでお飾りを飾っていたお宅は、六軒に一軒程度だった。本当に少なくなった。関係者以外通らぬ階上の通路に面した玄関に、お金かけても無駄であるという感覚になっているのだろう。その気持ちは分からなくもない。でも、お正月なのに、ちょっと淋しい。 だから、何軒か、表札プレートの下にリース形式の小さなお飾りを掲げているところがあって、あれがいいと思った。左義長に行かず、お祝いものをゴミ箱に捨てるくらいなら、毎年使い回しできて、かさばらないミニお飾りがいい。新年のお飾りは毎年買わないと縁起が悪いという言い伝えは、右肩上がりの時代の迷信ということにしておけばいい。 我が家も、もう何年も買っていない。結婚式の友白髪(清酒)の箱を飾っていた鶴亀の水引をアレンジして注連飾りに流用している。去年は横に、今年は縦に。ガーデニングの葉っぱを適当に抜いてきて、縛って末広がりに広げる。五分ほどでアレンジ注連飾りの出来上がりである。そのあたり、愚妻には才があって、さっと作る。これには、いつも感心している。この種の才能が自分にないことは、結婚して相手と較べてはっきり判る。彼女、炊事・掃除はからっきしだが、編み物とそれに類するアレンジものは大得意。先日も、カメラを包む特製茶巾袋を二時間ほどで、ちゃっちゃと(さっさと)作ってくれた。 人間、どこかいいところがあるものである。
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言葉のアンテナを張っていて、最近、心にとまった言葉、二題。 部活の稽古始めの後は、お雑煮、ぜんざいをいただくのが恒例。お餅をお鍋から掬いながら二年生が友達に喋っていた話。 「去年、私、でかい声で、「そこのおマルとって!」とか言っていたのよね。これ、おマルっていうのだと思っていた。」 そんなもので掬っては不潔である。 おたまとおまる。でも、なんだか、よくわかる勘違い。
除雪することを、このあたりでは「雪すかし」という。これ、標準語ではないということを最近知った。雪あけ、雪かき、雪のけと同義語を検索すると、雪かきが大量ヒットする。どうも、これが標準的な言葉のようだ。生まれも育ちも同じ場所の人は、このあたりのことが判らない。 「雪すかし」でヒットするブログを幾つか開いてみたが、ほとんど、石川・富山のサイトだった。今日は雪すかしで大変だったという話ばかり。みんな何の疑問もなく全国に通ずる言葉だと思って使ってるところが私と同じで微笑ましい。
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日本テレビの人気演芸番組「笑点」のファンである。 腰を傷めて以来、ラジオ人間に戻ったと同時に、観るテレビ番組も変わった。当初、寝ているしかなかったので、一日中テレビをつけていた。昼の芸能ワイドショーもつまらない。夜も、面白くもない若手お笑い芸人出演番組ばかり。観るべき番組がない。 あの時、一番楽しかったのが、懐かしの長寿番組「笑点」だった。そこで、毎週、楽しみに観るようになった。放送四十周年、二千回記念とかで、DVDや大型本(日本テレビ放送網刊)も発刊され、ちょっとしたお祝いムード。先日、本のほうを書店で見つけ、ぱらぱらとめくってきた(はっきり言えば立ち読み)。懐かしい昔の写真の数々。出演者の若いこと若いこと。 大喜利の当意即妙の答えを聞いていると、つまりは、それなりに教養ある「言葉遊び」をしているのだということを発見する。古典落語の素養が必要だったり、日本史を知っていないと面白くなかったり。だから、時にドタバタとスラップスティック風のやりとりをしていても、今のティーンエイジャーには難しい部分もあるかもしれない。 愚妻がよくいくサイトに、糸井重里「ほぼ日新聞」というのがある。基本的には商品売買サイトなのだが、面白い読み物があって飽きないらしい。タイトルは、もちろん、「毎日新聞」とか「日刊新聞」とかのパロディ。毎日アップと断言はできないが、かといって、三、四日というスパンでもない。そのあたりの、ニュアンスがよく出ている。こんなのは、聞いて意味がすぐに分かるし、楽しい言葉遊びである。 このサイトの人気コーナーに「いいまつがい」(「言い間違い」の言い間違いの意)というのがあって、全国から今日はこんな言い間違いをしたと情報が入ってくる。これは、私も時々覗く。みんな毎日、結構、ドジを踏んでいるようで笑える。 年寄りは、よく似た発音の別のことばを使って間違うようである。特に片仮名が怪しい。「デトロイト食品」って、なんの間違いがわかりますか。これ、「レトルト食品」と言おうとしたようです。よくあるのは、字をひっくりがえしてしまうやつ。定番中の定番の言い間違い。これも、(巧まずして起こった)言葉遊びの一種である。 どうかと思う2ch掲示板用語の中でも、一つだけ気に入ってる言葉がある。感情的な書き込みがあると、ポッと入る合いの手。 「もちつけ。」 これで一遽に和む。「落ち着け」では偉そうである。ぺったんぺったんしているイメージが急に湧いて、板内はクールダウンする。 いい仕事している言葉遊びである。
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閑話休題。映画の話に戻ろう。 普通の家庭では、何年もかけて、ちょっとずつ入れていったテレビや冷蔵庫を、この家族は半年足らずでバタバタと導入していて、ちょっと違和感があった。テレビがどっと一般家庭に入ったのは翌三十四年だからそんなものだが、冷蔵庫が入り始めたのは、三十年代後半からではなかったか。いずれにせよ、あの町工場さんは、結構なお金持ちということになる。まとめて描いたのでそうなった。 愚妻は、大晦日に東北に向かう帰省列車が空いていて、違和感をもったという。確かにごった返していなければおかしい。 でも、そんな重箱の隅の間違い探しも、よくできているからこそ。 演技的には、多くの人が子役の活躍を褒めているので、では、薬師丸ひろ子を褒めよう。「野性の証明」(1978)の時、あんなに可愛かったひろ子ちゃんが、お母さん役をねえ、という中年女性の書き込みを観たが、数えてみると、あれから二十七年の月日が流れている。 短気な旦那さんにしっかり仕え、従業員にも愛情を注ぎ、家事もしっかりこなす良妻賢母で、でも、時に旦那より実権をふるう、当時の典型的な日本の母親像を手堅く演じていた。うまい。ある程度の年齢以上の男性は絶対好きな女性のタイプ。今、小学生を持つ母親は、もっと若々しくて軽薄、「女」現役という感じの人が多い。いなくなりつつあるタイプである。 もうひとつ、多くの人がこの映画にはまった理由に、映画の公式WEBサイトの出来のよさがある。三丁目の様子がCGゲーム的に再現され、その場所であった映画の断片が、そこここに挿入されている。私も、合計すると、それなりの長さを事前に観てしまったことになり、映画を観ていて、あの断片はここにつながるのかという確認作業をしていたような気分に陥った。 予習のしすぎだったんじゃないと愚妻に指摘されたけど、ちょっとそういうところがある。 このサイトには、何千という感想の書き込みがあって、どういう年代の人がどういう感想をもったか事細かに分かる。みんな温かい気持ちになって、自分の幼少期や、亡くなったり老いた親について語っている。そんな文章も沢山読んで、それで、また感激したりした。そうした気持ちの共有ができるなんていうことは、インターネットが発達しなければ広がらなかったことで、映画は、コミュニティー形成の「契機」としての役割を担っているようである。映画のエンドロールに、WEBサイトプランナーの名もクレジットされていたことを愚妻が見つけた。そうした、本来、映画の制作と直接関係のない者まで、しっかり載せるということは、このウエブサイトの役割が本編並みに重要であると、制作者はしっかり認識しているからなのではなかろうか。
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私の学生時代からやっている西岸良平の戦後文化回顧漫画の映画化。昭和リバイバルの一つである。各映画賞も総なめにしたそうで、それならと、四日夜、仕事が忙しくなる前に駆け込みで鑑賞した。一日一回の上演に縮少されていて、そのため満席だった。 東京タワー建設中の昭和三十三年、我々夫婦が生まれたころを舞台にした、あの頃を知っている人にとっては、無性に懐かしい風景。琺瑯(ホウロウ)の看板、オート三輪、駄菓子屋。これでもかという具合に出てくる。 そこに繰り広げられる、濃密なご近所づきあいの人情話。 戦争に生き残ったことを原点にしている自動車修理工場の親父、戦災で妻子を亡くした医者など、あちこちに戦争の影を引きずっている。直接、戦争に関係がなくても、当時の社会の不成熟さのため、父の入院費のために身売り同然で姿を消す飲み屋の女や、たらい回しにされる妾の子、集団就職で親元を離れた住み込み女工など、今ならもう少し何とかなるはずの、苦しさも背負って、それぞれが生きている。 そうした意味で、昔はよかったとは絶対に言えない時代である。 ところが、若い人の感想を読んでいると、昔の人は人情が厚くていい時代だったというものがほとんど。ご近所さんの心の通い合いが濃密であるという意味では、確かにそうだが、こんな狭い地区で、こんなに不幸を背負っている人ばかりいるということも考えないといけない。 おそらく、若い人は、三種の神器を買い、町工場を大きくする夢を素直に信じて邁進している主人公一家を見て、希望に満ちあふれている時代だと思ったのだろう。それはそうだが……。 どっちの時代も、どっちもどっち。いいところもあれば駄目なところもある。あのころは、戦争のキズもあったし、物もなかった、でも、みんな助け合っていた。対して、今は、戦争を意識することもなく、物は溢れている。でも、人の関係は切れてしまった。 次の日、読んだ小論文の文章(慶応大二〇〇三年度)。出生率の低下、平均寿命ののび、未婚率・離婚率の上昇によって、一〜二人世帯が日本全体の半数以上を占めるようになり、両親と子供をユニットにする家族のほうが少数派になってきていることを指摘し、これまでの子育て中心のライフスタイルが揺らいでいると報じている。こうした新局面に対処するには、一、再び、家族中心主義に戻るか、二、家族に代わる新しい社会関係を構築するかを考えないといけないと結んでいる。 生徒が持ってきた答案は、「前者は、女性に負担を強いるものだから絶対反対。現代は、女性の社会進出が盛んで、よい傾向。一人一人が目標を持って充実した生活を送ればよい。」というもの。 社会の中で、家族という人間関係が切れて、問題が山積になっているのをどうするかということを問うているのに、「女性の社会進出万歳」では的はずれである。女性の自立という命題が、現代っ子にとって考えなしのステレオタイプになっていることが見て取れる。この小論文で、女性論、現状肯定論では、不合格である。 そこで、私は、映画の内容と家族愛の復権を願う多くの人の感想を語り、個として断ち切られている現状をどうすべきか、いいアイデアがやすやすと生まれてこない以上、一が、ばっさり捨てられてしかるべきものではないことを強調した。 映画の翌日に、人間バラバラで、先行きたち行かなくなるという現実を分析した文章を読み、その対比に思いを致している時に、「それでいいじゃん。」みたいな答案を読まされて、結構、エキサイトしてしまったのである。ちょっと、彼女にきついことを言ってしまったかもしれない。(つづき)
(上の画像は公式ウエブサイト提供無料壁紙を転載。下は映画館屋上駐車場からの景色)
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前回と同じような合併話題。今度は銀行のである。 この正月、東京三菱銀行とUFJ銀行が合併した。三菱銀行は東京在住時代から口座を持っているので、統合のためATM休止の旨の連絡がきた。 東京と違って、地方では地方銀行が根を張っている。大銀行は、県庁所在地の繁華街に一行あるだけで、不便きわまりない。今やお金は置いてあるだけ状態である。 ほっぽっておいたら(放り出しておいたら)、いつの間にか、三菱の頭に東京がついた。東京銀行という銀行があることさえ知らなかった。いつの間にか、UFJという銀行が出来ていた。出来たと思ったら、あっという間に、三菱と合併することになった。今度の銀行は「三菱東京UFJ銀行」というらしい。長! 三菱が行名の頭に来たのは、格の問題らしい。結局、三菱が他行を合併したというのが実情なのだろう。 ところで、じゃあ、UFJ銀行って、もともとなんという銀行だったか、知っていましたか。私は咄嗟に出てこなかった。「三和」と「東海」である。つまり、今度の新銀行は、「三菱・東京・三菱信託・日本信託・東京信託・三和・東海」銀行である。長! 地方では、小さな地元銀行や信用金庫の経営状態などについては、口舌にのぼることが多いが、大きな銀行のことはさっぱりである。 大銀行が日常の取引銀行のことが多い大都会の人はともかく、地方で、UFJ銀行の来歴言える人は三割にも満たないというのが私の予想だが、どうだろう。それとも、私の社会性が欠如しているだけだろうか。 いわんや新銀行の来歴をや。
さて、今、「合併早見表」を観ながら作った関連質問。あなたはどれだけ答えられますか。
問一 みずほ銀行は四行の合併です。そのうち、せめて三行を言え。 問二 さくら銀行っていうのがありましたが、もともとの二行を言え。 問三 また、そのさくら銀行は、現在、どこと合併して、なんという銀行に なったか言え。 問四 大和銀行はいくつかと合併して、今、何銀行と言っているか、答えよ。
四問とも答えられなかった人。その人は由緒正しい地方人です。
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年の暮れ、年賀状の住所を書いていて、ちょっと混乱した。平成の大合併とやらで、全国各地で地名に変更があったからである。宛名を書きながら、知っている範囲で、新住所に書き直さねばならない。 郡部が市になった場合、旧の町名が残っていて、郡名の部分を市の名前に替えるだけでいいところと、旧村町名が滅んだところがある。地域によってまちまち。統一がとれていない。町と町の場合は、形は一応同列なので、微妙な力関係による綱引きがあったことが仄見える 能登外浦の町、富来町は、隣の志賀町と合併して志賀町となった。富来の名は地域名の上に「富来○○」と被せる形で、何とか存続させている。同じような面積同士だったのに志賀が上位にきたのは、表向きの理由はどうであれ、志賀原子力発電所が立地していて、莫大な補助金が入って潤っているからだろう。金は力なりである。 また、旧町村が滅んで広域で市になったところは、昔のどのあたりのことかさえ判らなくなった。 例えば、近隣では、松任市と白山麓六町村が合わさって、白山市が誕生したが、その結果、驚くほどの広域となった。 ニュースで、交通事故が白山市どこどこであったと報じられても、そのどこどこという地域が小さいと、金沢市民にはわからない。山間部であったのか、海沿いであったのか。これが、松任市徳光いわれたら、徳光がどこにあるかわからなくても、まあ、松任なんだから平野部だなと判るし、白峰村桑島といったら、白峰村は白山中腹の村。山の中で事故があったのだなと判る。ところが、今は、全然、イメージが湧かない。中域の名称がすっぽり抜けているからこういうことになる。 そもそも、松任市は加賀平野のど真ん中、海と平野の文化だし、六町村は、白山合衆国を名乗っていたくらいで、山の文化である。その文化の違う地域が一緒になっても、市としての独自性を出すことは難しかろう。住民も新市に対しての愛着が湧きにくいのではないか。 特に、この市の場合、地図を見ると、中央部が細いネックになっていて、瓢箪のような形をしており、同じ市だということ自体、奇異な感じである。便宜的で長続きしない、国から助成金もらうための「方便」という感じがしてならないのだけれど、地元の人はどう思っているのだろう。白峰の人と徳光海岸の人、自分たちは同じ地域の仲間と思うだろうか。 風の噂によると、スキー場を七つも抱えることになって、赤字が財政を圧迫するので、数カ所、廃止することになるらしい。赤字でも村の活性化のためなんとかやっていたところなど、唯一の冬場の収入源が断たれ、その旧村地域は見るも無惨な廃れ具合になることが予想される。 今年来た年賀状で、ようやく友人たちの正しい住所を知ることとなった。能登の鳳至郡の一部の町と珠洲郡の町が合併して、能登町という広域の町になったのは知っていたが、そこを鳳珠郡と呼ぶということなどはこの葉書で知った。同じ県民でも我々加賀の住人にはもう分からない。そもそも、郡という概念自体が今度の合併でがたついてきている。 今は違和感があるけど、何年か経つと、それでも慣れてくるだろうか?
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元旦は私の実家でお正月行事、二日は愚妻が日帰り里帰りというのが例年の行動。妻の実家でも、姪っ子らが幼かったころは、わあわあと賑やかだったが、その子たちも皆母になって、集まることも稀になった。 以前、アマチュア無線をやっていたころは、QSOパーティといって、電波の上の互礼会のような行事があり、二十局以上と挨拶せねばならず、これはこれで慌ただしかったが、十二支を達成し、打ち止めにした。 友人たちと年始に妙高高原へスキーに行くのも恒例だったが、これも、仕事の縛りがきつくなり、いつの間にか立ち消えになった。 いつもの正月だけれど、ちょっとずつ変化がある。ゆっくりゆっくり微妙に違う。それで人生が流れていることに気づかされる。新年という区切りが世にある意味はその気づきのためかもしれない。ただ、私の周囲に、新規のものがないのがちょっと淋しい。 愚妻は、昨日、父母をつれて白山比盗_社参拝の後、県庁舎最上階からの展望を見せてプチ親孝行したという。 さあて、あっという間の正月休みだった。明日より仕事。 今は、通い慣れた職場で、腰に関して配慮も受けている。四月、異動したら、激務が待っていて悪化し、「アンタは使いものにならない」宣告受けたらどうしようと、新しい年になって、今まではぐらかしていた不安な意識が、ふわっと浮上してきた。この気持ちが、年度末が近づくにつれて、日々増大していくのではないか。そんなことを考えて、ちょっとしんどくなったが、これって、日曜夜に気分が暗くなる「サザエさん症候群」の拡大版、学期前バージョンかもしれない。
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新年明けましておめでとうございます。 今年は、ゆったりとこの日記と付き合っていきたいと思っています。どうぞ宜しくお願いしたします。
珍しく晴天の元旦を迎えた。雪はだいぶ融けたが、所々小山になっている。 白と青の対比が眩しい。 さて、年の暮れに、前振りをしてしまったので、年頭に当たって、「今年の目標」(マイブーム?)を宣言せねばなるまい?
まず、このHPのことを言えば、手書き論文の電子化を目的に立ち上げたにもかかわらず、日々の日記が中心になってしまった。再度、初心に立ち返り、作業を完了させたい。 関連して、書きかけや腹案のまま、放置されている構想がかなりある。それらをなんとできたらいい。発案は大学時代のものが多く、容赦のない歳月の経過によっと、古びてしまった理屈も多いし、頭も確実に回転が落ちて、夜、すぐに眠くなってしまう。でも、地道な作業という「努力」の方面で、なんとかしたい。
大昔書いた服部達論の中で、「彼は大それたメタフィジック批評などを標榜しなかったら自殺などしなくてよかったかもしれない」と筆を滑らせたところ、恩師のS先生から、では、何のレーゾンデートル(存在理由)なのですかと疑問を呈した手紙を頂いて、大いに恥じた覚えがある。芥川に、小説を書かなかったら自殺しなくてよかったのではないかとアドバイスしているのと同じような間違いを犯したのである。 もっと、自分のレーゾンデートルは何かということを深く考えて、それに向かって人生を送るべきだったと、体を壊して以来、思うようになった。慚愧というほどのものでもないが、後悔はある。目の前の与えられた仕事をこなしているうちに、うかうかとこんな歳になってしまった。 今年は、自分らしい年であってほしい。自然体で、自分に正直に、無理せず焦らず。 あ、そうそう、今年、一眼レフデジカメボディ、交換レンズ、大光量外部ストロボ、絶対、買いますからね。自慢げにご披露しますからね。 自分に正直、自分に正直(笑)。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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