ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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この受験期、沢山の出題を読んだが、振り返って、一番印象に残ったのは、志賀直哉の「灰色の月」(「世界」昭和二一・一)だった。原稿用紙八枚程度の短編。その巧さに舌を巻いた。大学時代に一度読んでいるはずだが、あまり印象に残っていない。終戦直後を描いたスナップといった印象でしかなかったのだろう。 冒頭の東京駅の描写から戦争の混乱期であることはわかるが、終戦を跨いでいるかで意味合いが大きく異なる。そこはしっかり読みとらねばという気持ちで読んでいくと、すぐに、電車内で様子がおかしい若者が描写される。 次に、乗客の二人が会話する部分がくる。その遠慮しあったやりとりに、老作家その人である主人公は温かい気持ちになる。しかし、座っている若者は栄養失調で餓死寸前だということが明らかになるにつれ、今度は、どうすることもできないという暗澹たる気持ちに陥っていく。 小説は、最後の行で、この話は昭和二十年十月のことだと明かして終わる。 つまり、敗戦二か月後の省線の一コマ。戦後復興の明るい側面と、餓死せず冬が越せるかという切迫した事態が貼り合わせたように提出されている。構成が巧みで、短編のお手本のような作品だと思った。今頃、さすが小説の神様は小説が巧いなあと感心しているみたいで、呆れた感想であるが……。 さて、この設問では、この若者の緩慢で捨て鉢な様子が栄養失調によると分かるかがポイントになっている。それがわからないと見事に間違い選択肢にひっかかる。 当時の状況を推察する能力さえあれば、敗戦直後の食糧危機とすぐわかりそうなものだが、一部の生徒は押さえられなかった。生徒によっては、想像がぱっと広がる子と、いつまでたっても、「今」の発想や自分の立場からでしか考えられない子がいる。他の教科では見えてこない部分である。 授業を終わっての素朴な感想。 志賀自身、自分の外出時に見聞したことをアレンジした小品に、これは何を描いた小説かなんて、いちいち発問されているとは思いもよらないであろう。「みんなは飢えたことないから判らないだろうけど、正解のポイントは、栄養失調です。」だなんて授業、六十年後にしていると知ったら、かなり情けなく思うだろうなあ。日本は大丈夫かって。
(志賀直哉第一作品集「留女」箱)
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