ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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県内の教育現場に弓道場が整備されつつある。勤務校の学校から一番近い高校に弓道場が出来たのが数年前。この学校は、年を追うごとに強くなってきている。 今日、次に近い別の高校にも弓道場ができ、落成式があった。正顧問の代参ということで、数名の生徒を引率して臨席した。 弓道の道場開きには、「天地祓いの儀」という儀式がおこなわれる。道場を開く時だけにする儀式なので、私も十年ほど前、勤務校改築の際、見たのが最初。今回で二度目である。 神官装束の射手が、天と地に向かって射る恰好をする。射はしないが、その際、大声で恫喝の発声をする。弓矢の威力によって、邪を天高く追い払い、また地に封じ、場を清める意味があるそうである。 普通、地鎮祭などの儀式は、御霊を鎮める祈りを捧げるものだから、初めて見た時、乾坤を脅かし揺り動かしてどうするのだ、神霊が怒って災いがあるではないかと訝った。後で、意味するところを聞いて納得した。 つまり、「鬼は外、福は内」の、「鬼は外」のほうだけをやっているのである。弓矢は「武」の道。「祓う」役目が儀式化したのは、よく考えると自然である。 いくつもの儀式が続く。基本的には弓を射ることしかないのだけれど、日頃の所作にはない特別な動きが入る。やり慣れない難しい動きを、数名の射手が同じ間合いでする。シンクロナイズドスイミングやスケートフィギュアペアなどと似た協調の美しさがある。儀式にいう言葉ではないかもしれないが、私は堪能した。生徒はどんな思いで見ていただろう。 帰り、案内看板のところで生徒と記念写真を撮った。先生、観光旅行じゃないんですからいらないですよと言われたが、いや、今日の記憶は一生残っている。あと何十年かたったら、あの時の記憶の唯一の証拠として、この写真は意味を持つことだろう。 まあまあ、そう言わんと、撮ろうよ撮ろうよと、こちら主導でシャッターを切ったが、私の気持ちをわかってくれる日は、おそらく最後までこないかもしれない。でも、まあ、それでよい。 写真が一枚あるという事実が残る。
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