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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

 2006年04月21日
   金沢「山側環状」道路の開通

 二十年来の懸案だった金沢市内渋滞の緩和策、市内を山側から迂回する山手バイパスが、十五日、全通した。
 昨秋、愛称を募集していたが、開通を祝う新聞の全面記事のどこにも愛称らしい言葉がない。訝しく思い、よくよく読んでみると、あちこちに使われている「山側環状」というのが決まった愛称だという。
 こんなのを愛称というのだろうか。これは、お役所がつけた正式名「金沢環状道路山側幹線」の単なる略称である。そもそも車のための高規格道路で、人の匂いがしない道。募集者は「せせらぎ通り」みたいなのを期待していたのだろうか。(この先できる予定の反対側のバイパス、「海側環状」でなきゃ、呆れますよ。)
 開通の土日は大渋滞で、私の車も富山からの帰り巻き込まれ、これじゃあ在来の道の方がいいと思ったが、平日からは流れ始め、朝の通勤ラッシュは緩和されたという。どう動いたらどうなるか、今週、金沢中で話題だった。
 この道で感じたことを書こうと思っていたら、今日読んだブログに同じ趣旨のことが書いてあったので、引用したい。
 
「金沢に住んでいて、相応に地理も頭に入っていて、○○○へ行くにはどの道を通ってどのくらい時間がかかって……という感覚が相応に鍛えられているわけではないですか。それが、この道が出来たおかげでまずはそういう感覚が一部リセットされつつある。(中略)今まで混んでたところが空いてたり、逆に空いてたところが混雑したり、または混雑していたところが余計混雑したりと(笑)、なかなか予測の付かない事態になっているのですな。(中略)みんなが一斉に同じく困惑しながら、新しい状況に慣れようとしているわけです。その辺り、単に「便利になったなぁ」という以上のパラダイム・シフトが訪れつつあるんではないかな、と密かに思っているのでありました。」(「asd's log」asdn.exblog.jp四月一八日付より)

 

  キーワードは、「リセット」と「パラダイムシフト」といったところである。
 これに、私の感想を付け加えよう。
 真っ直ぐにのびた無機的な風景。トンネルの看板などにその土地名が書いてある。それで、今、どの辺りを走行中なのか判る。土地の感覚と遊離して、言葉によってようやく繋ぎ止められている。そうした高速道路などで時々感ずる感覚が、こともあろうに、自分がよくよく知っているはずのご近所で起こっているという違和感が私にはあった。
 その上にもう一つ。人は土地の名を聞いてその町の雰囲気をイメージする。○○町は閑静な住宅地だとかいうふうに……。ところが、新道は、これまで人の住んでいない場所を通っているので、ここは○○町と看板に書いてあっても、その町の匂いが全然しない。土地をイメージすることを拒絶しているかのような感じなのである。
 こうしたことに違和感を持つのは、地方に住んでいるからに違いない。東京で生活している人は、東京という生活圏内で、自分が行ったことがなく、知らないところがあるということは当然のことと思っている。今言ったことも、日常茶飯に感じてはいるが、慣れっこになっているというところだろう。同じ場所にあっても、首都高○○料金所は料金所、○○町が持つ町の雰囲気とは別物であると割り切って考えていると思う。この時、地名は記号でしかない。
 しかし、小さな地方都市住んでいる者にとっては、その土地で知らないところはない。全体把握していて当たり前。そうしたテリトリー意識の中で、突如、都会的な齟齬を突きつけられたという感覚なのである。
 つまり、我々田舎者は、土地と切り離す作業に慣れていない。心の中で、記号にしないでおこうと努力し始めてしまうようなのである。

 

(オマケ。愚妻に、今、山側環状論を書いたから、変な箇所がないか読んでくれないかと頼んだら、カンジョウ論でものを書いてはいけないと注意された。)

[1] 

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