ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。
エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」 http://hiyorigeta.exblog.jp/
桜も終わりの方になると花弁がピンク色を濃くして散り際を知らせてくれる。火曜の朝、出勤の途中の桜を眺めながら、夜桜見るなら今日が最後かもしれない、兼六園でも行こうかと思った。 しかし、日中、五月中旬の陽気とかで、帰宅時にはもう七割がた散ってしまっていた。それから、ぐっと冷え込みはじめ、夜、風が窓をたたいた。翌朝、冷えた空気の中で、花びら一枚も残っていない裸木を見つめながら、つい昨日、満開の桜を見ていたのが信じられない気持ちだった。 金曜日には霰さえ降って、職場の暖房がフル稼働する寒さに。ストーブに手をかざしながら、灰色の外を眺めると、一瞬、花まだきの錯覚に陥ったくらいだった。 こうして、寒暖の乱高下に翻弄されて、桜は一夜にして舞台から去った。 昨日、気温は平年並みに落ち着いて、春らしさが戻ってきた。片栗の群生が満開というネットでの情報を得て、平栗に向かう。 平栗は、金沢の裏山野田山の山向こうにある。子供の頃は遠足すると通るところというイメージだった。結構歩いて、へたばったくらいでようやく辿り着く。ここでしばし休憩のことが多かった。昔はそれなりの戸数があったのだろう、我々が子供の頃には分校もあったはずだが、今は十軒に満たないくらいの小さな山の集落である。 村の近くに遊歩道が整備され、観察コースになっていることは知っていた。だが、実際、花の季節にきたのは初めてである。
地面から十センチほど、下を向き、紫の花弁が反り返る可憐な花。それが絵の具の雫を散らしたかのように辺りに広がっている。まさに群生である。 マクロの得意なコンパクトデジカメが愚妻、買ったばかりのデジタル一眼レフにクローズアップフィルターが私。典型的カメラ親爺である。中年夫婦の落ち着いた野山散策というより、夫婦接写大会の様相を呈したのは予想された展開であった。 見上げるように覗くファインダー。よく観ると、花弁の根元にくっきりと紋があり、その線を全弁つなげて見ると、図案化された桜の模様のように見える。俯瞰していては決して気がつかない性質である。
三十分程度の道程を二時間かけて歩く。顔を上げると、桜がほんの少し残っている。五月に入ると、主役は新緑に入れ替わるだろう。 村横の駐車場に戻る。苗代仕事のトラクターが畦道を通り過ぎる。運転の農家の方から、こっちは忙しいのに暢気にカメラ何ぞをぶら下げてといった目で、ちょっと見られてしまった。 金沢に住み始めて数年の、金沢初心者の方のブログ(「金澤徒然日記」)に、ここ平栗のことを「山間の日本の原風景が美しく残っている場所」と評されていた。言われてみれば、その通りかもしれない。水がはられた山沿いの田、木造に漆喰の農家、敷地には二階建ての蔵が建つ。 これまで辺鄙な山の中の集落くらいにしか思っていなかった地元もんの私は、それで、正しい風景の見方を教えられる。
(このカット愚妻撮影)
|
|
お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
感想をお寄せください。この「ものぐさ」のフォームは、コメントやトラックバックがあるブログ形式を採っておりません。ご面倒でも、左の運営者紹介BOXにあるアドレスを利用下さい。
(マイノートパソコンと今は無き時計 2005.6 リコー キャプリオGX8)
|