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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

 2006年05月30日
  フジ子・ヘミングを聴く

 今月上旬、「題名のない音楽会」(テレビ朝日系列)で、イングリット・フジ子・ヘミング(p)のインタビューと演奏を聴いた。テレビのドキュメンタリーがきっかけで発掘されたピアニストで、その番組は見た覚えがある。耳の障害のために不遇時代が長かった伝説の人。有名になって、それなりに時がたったが、しっかり演奏を聞いたのは初めてである。以下、十五分ほど聴いただけでの印象。
 インタビューの中で、グレン・グールトの「ゴールドベルグ変奏曲」を聴いて、この演奏が喝采を浴びているなら、私もこれでいいと自信を持ったという言葉が印象的だった。
 演奏は、かなり個性的で力強い反面、リズムが後ノリで重たく、妙な間があって、そこに日本人のリズムを感じさせる。
 この二つのことをつなげると、つまり、フジ子流のグールド精神和風バージョンをやっていると思えばよいのだろう。ちょっとアクのある演奏である。
 確かに、西洋の真似をして、いかにそれらしく弾くかというところに力点があった時代は終わった。
 私が二十代後半、ある在欧の日本人ピアニストが、次々にモーツアルトを録音していて、私も一枚買ったことがある。楽譜的には完璧なのだが、中身というか精神が何もないのに驚いた覚えがある。一聴、日本人と聞かされなければ向こうの人だと思う演奏だった。それほど西洋的な演奏の雰囲気をたたえていた。でも、どこにも、その人を見つけることが出来なかった。あとで、西洋の批評家が同様の批判をしていることを知って、こっちは同胞、贔屓目に聴いているはずだから、西洋人には、不気味にさえ映ったのではないと思った覚えがある。
 フジ子の演奏は、そうした過渡期を経た、日本人としての感性が感じられる演奏だった。開き直りというのではない。自信を持って、日本人的感性でいいではないかと主張しているように感じられた。
 ただ、あまりによく判る日本的な解釈の仕方、間の取り方などに、なんだか、西洋音楽導入期の古くささのようなものもちょっと感じないでもなかった。おそらく、これは玄人受けしない演奏である。下手クソという批評も当然出てくるだろうなと予想できた。
 そこで、ネットを調べると、やはり、以下のような評があった。
 
 「フジ子が話題になるからと言って、若いピアニストがくやしさに身を震わせる必要はないのではないか。乱暴な喩えだが、食ってはいけないが優秀である声楽家が、驚くほど歌の下手なSMAPが紅白の大トリをつとめるのを見て悔しさに身を震わせるのが筋違いだということと同じであろう。
 有能なピアニストが、フジ子に嫉妬する必要などない。そもそもジャンルが異なるのだから。むしろ、それまでピアノ音楽に関心のなかった人たちが、フジ子やマキシムなどで初めてピアノのコンサートに行き、クラシック作品の良さを聴き、耳が肥えてきて、他の「普通の」演奏家のコンサートにも行くようになるということだってあり得るのだし、何も嘆かわしい状況ではないように思う」(高橋健一郎研究室BLOG「プロのピアニストの嘆き」2006.1.14)

 

 これなど、彼女を認めているようなフリをして、わざわざ括弧までして「普通の」演奏以下だと切り捨てている文章である。
 この人に言わせれば、彼女のファンも「音楽はあくまでもBGM」でしかなく、「音楽の解釈がとても素晴らしいだとか、そんなのは基本的にはどうでもいい」人種なのだという。まるで無知蒙昧の徒のような言い方である。彼女の音楽なぞ、ちゃんとしたクラシックとは到底認められないが、音楽を「消費」ととらえたり、「ドラマチックに伝えられた彼女の人生をそこに重ね合わせて、しばし感動を味わうというのがメイン」の大衆を啓蒙する効用は認めようというのである。
 言うなれば、自分は高みにいて、下々を卑下しつつ憐憫を施している格好。素直に「認めない」と言えばいいのに。この方、おそらく、あの滞欧女性ピアニストの完璧さなどは推奨し、中身には目をつぶってしまう方ではないだろうか。
 彼女の演奏が「ジャンルが異なる」と言われるほどヒドイものなのか、私には判らない。でも、こんなスノッブというか、衒学趣味というか、嫌味な言い方はイヤである。読まなきゃよかった。
 クラシックは、譜面通りだから、技術と解釈が表裏一体になっていて、なかなか不自由な世界だ。ジャズでは「ヘタうま」なんてのがあるが、そんなのは認められそうにない。長年聴いているジャズなら少しは自信を持って意見が言えるが、クラシックは心許ない。技術がどうだとか評価がどうだとかというところとは無縁な立場で聴いていくのがよさそうだ。半可通にならないように。感動した、その素直な心を大切に。ディレッタントが一番いい。

 2006年05月27日
  「此の事、万事に渡るべし。」旧式ストロボ大活躍
 家にカメラのストロボが三台ある。そのうち二台は、もう三十年以上昔の、汎用タイプの外光オート機種(ナショナルPE-2801、PE-2850)。オートとはいうが、カメラ側を決められた絞りと同調シャッタースピードに設定せねばならず、カメラから言えばマニュアルと同じである。
  もう一台は、カメラ会社の専用機種(ペンタックスAF-330FTZ)。カメラの情報を読みとって調光するTTLという二十年来標準のオートタイプである。洗濯機で言えば、二槽式と全自動くらいの違い。
 ところが、近年、各社、TTLより一つ進んだ最新方式になった。メーカーによって呼び名は違うが、大抵、頭に横文字を足して、何とかTTLという名前。横置きドラム洗濯機になったみたいなものだと思えばよい。
  買ったばかりのデジカメ一眼レフ、その最新式の調光システムしか対応していない。一つ前のTTLストロボをつけるとフル発光してしまい、画像は真っ白になる。同じメーカーなのにである。
 そこで、高校時代買った、見るからに古くさいデザインの懐かしストロボをつけて、カメラ側をマニュアルにして撮ると、時にバッチリの光り具合となる。
 中途半端に進んだオート機種は役に立たず、全てを人間様が操作する古い機械が出番となる。
 「此の事、万事に渡るべし。」
 中途半端より、最終的には、基本に忠実、ベーシックなものが残る。
 クラシックカメラの流行もそういうところがあるのだろう。写真の知識や技術が如実に出る世界。だから奥深い。自分の意志で動かす機械だからこそ愛着も湧く。
 多少白飛びしても、デジカメの利点、撮り直しがきく。これまで理屈では判っていたが、現像にお金がかかり、失敗が怖くて試し撮りなどできなかった。そうした長年の実地体験不足を、デジカメ一眼は一気に解消してくれる。
 今日一日、最新式に超旧式をつけて、見慣れた居間をパシャパシャ何百枚も撮って、ちょうどいい設定を見つけ出した。いわば、コツを掴むというやつである。どんなに機械でも、こうしたコツやクセといった世界がある。
 そういえば、去年買ったコンパクトデジカメも、カメラ上部に取り付け金具(ホットシュー)がついているので同じことをした。小さなコンパクトボディに単三四本仕様のでっかいストロボをつける。見た目、滑稽なほどアンバランスで、皆、その異様な姿に驚く。
 カメラマニアは、こんなことに時間を費やして得々としているのである。
 2006年05月25日
  ライカの目 「木村伊兵衛の13万コマ・よみがえる昭和の記憶」(NHK教育ETV特集)を観る
 先日、テレビのチャンネルをまわしていて、偶然、木村伊兵衛の写真が目に入ってきた。NHK教育だから「日曜美術館」か何かだろう、夜の再放送を録画しようと流し聞きしていたら、一向に一区切りする気配がない。終わりのほうになって新聞を見ると、上記番組の再放送だという。よい番組だったのに録画しそこねて残念なことをした。大抵、こういうものは後で悔いるものである。 
  有名な本郷森川町の交番辻の人通り写真や、農家の嫁の乳やり写真の前後のコマをすべて紹介して、彼のファインダー越しの意識の流れを跡付けているのが興味深かった。やはり、発表された写真が誰の目にもベストのチョイスである。
 それにしても、彼の写真は懐かしい。昭和二、三十年代、忙わしく未来にしか目を向けていなかった日本人の中で、刻々変貌する都市を写真に留めることが、記録以上の普遍性を持つようになることを、彼は当時からはっきり自覚していたに違いない。都市に「棲息」する都会人を、遠景でも、至近距離でもなく、中景として、まさにその距離感で焼き付ける、その間合いこそ都会そのものなのであると主張しているように感ずる。番組でも触れていたが、それは、秋田での写真が、農村の生活に入り込み、密着して撮られているのと対照的な手法であることからも明らかである。
 川本三郎は、この中で、木村の写真には、芸術写真として対峙する見方と、そんな木村という表現者の表現であることを忘れ、純粋に懐かしい思いをさせる写真として見てしまう二つの要素があると指摘していたが、そのミックスにこそ彼の写真の本質があるのだろう。そして、それは何も木村だけではなく、写真の持つもっとも根元的で最大の力であるはずである。現実を写す記録性は、いずれノスタルジーを発する。それを嗅ぎ分ける動物的な勘、それに、絵として切り取る芸術全般に必要とされる感受性、そうした写真家の基本を最も理想的な形で開花できたのが木村であるという気がする。現代では、当たり前のこのことに、木村は早くから気づいて実践していた、その先駆者として彼はいる。その意味で、幸せな芸術家であった。現代でこれをやっても、もう木村伊兵衛「ふう」にしかならない。スナップという写真ジャンルが、彼の呪縛から未だに逃れられていないことを考えると、彼の大きさが判る。
 ただ、高度成長が安定期に入った七十年代、彼の写真には、以前のような力がなくなったような気がした。農村に土に暮らす生活がなくなり、また、都市と人間が「中景」でのつながりを喪失したからだろう。写真家は、既に現実には失われた関係性を、自己の方法論をなぞる形で、どこかにないかとほじくり出すしかなくなったからだと言えはしまいか。
 人間、幾つもの方法論に華麗に転身し続けることなど出来はしない。昭和三十年前後、そこに伊兵衛はいる。
 2006年05月23日
  観劇鑑賞会に復帰する
 観劇鑑賞会「金沢市民劇場」に復帰した。その例会があって、「木の皿」(加藤健一事務所)を、野々市文化会館にて鑑賞する。
 長時間同じ姿勢がとれない。自分のペースで立ったり座ったりできないのが一番辛い。だから、最初のアナウンス、休憩無しの一幕物だとの告知に、ちょっと心配になる。これまで、気にもとめなかったことが、故障持ちには重要事である。
 席について書類に目を通す。機関誌が薄っぺらになっている。感想文集もレイアウトが変更され、単に文章を追い込んでいるだけのシンプルな二つ折りに。
 在籍していた時から、会員数が漸減していたが、今や三ステージしか維持できなくなって、積極的に感想を書いたり動いたりする人が減ったのだろう。印刷費にも事欠いているのかもしれない。会員手帳にハンコを押してもらって入場すると、そこにはパンフを売る声が聞こえ……と、昔と何も変わらないようにみえる風景だが、そんなところに、はっきりと月日の空白を感ずる。
 お懐かしい顔を見つけ挨拶する。また、戻ってきました。宜しくお願いします……。
 歳月を感じる部分と、なにも変わらない部分、その二つを交互に感じながら、淡々と復帰の夜を過ごす。
 帰宅すると、愚妻が、芝居どうだったと聞く。
「うん、いい芝居だった。あれを悪くいう人はいないな。」
「久しぶりで面白くなかったらがっかりだから、よかったんじゃない。」
 彼女の言葉で、こっちはなるほどと思う。淡々とこなして戻ってきたということは、最高にいいことなのである。
 2006年05月21日
  「四方健二の世界『羅針盤』朗読会」に参加する

 先週の日曜日、以前紹介した四方健二君の詩集『羅針盤』(郁朋社)出版を記念しての朗読会があり、「もてなし広場」に出かけた。先年出来た金沢駅東口巨大ガラスドーム地下のイベント広場である。
 この詩集が縁で、彼は地元放送局の女性アナウンサー金子美奈氏とメル友になったそうで、手弁当で朗読役を買って出てくれたという。せっかく事前にしっかりと予習をして感情込めて読んで頂いたのに、オープンスペースということで、雑踏の雑音が反響し、ちょっとざわついていたのが残念だった。場所的には小ホールのようなところがよかったのかもしれない。観客には報道関係者が目立ったが、こうしたフリーな雰囲気なら、もっと気軽に知人に知らせて、宣伝マンになればよかったと夫婦でちょっぴり反省した。
 展示コーナーには、高校卒業の寄せ書きも飾ってあり、私の字を見つけた。もう二十年前の色紙で、よく保存してくれている。あのころの同僚や、今は亡き彼の仲間たちの字が懐かしかった。


 彼は、詩集を出す度に腕を上げ、「筋ジストロフィー症の」という括りなどいらない本格的なものになっている。出版社の方も、作品を評価して出版を決め、作者に会ったら障害者だったのに驚いたという話を聞いた。おそらく本人も、純粋に詩人として勝負したい気持ちを強く持っているのではないだろうか。病気のことを直接語るものはほとんどなく、今感じている精神の背景として、自分を否応なく規定したものとして、という詩が多い。
 処女詩集には、はっきりとした嘆きがあった、恨みがあった。それは、今でも現れるが、多くはその気持ちを抽象化し、イメージの世界に昇華した上で提出しているので、一見、判りにくい。
 例えば、「そのとき」という冒頭の詩では、自分が「光りの空間」にいて、「星屑に包まれていた」という。そこは「穏やかな光」の世界である。しかし、彼方には「暗黒」があり「私」はそこに向かっている。「そのとき私は死臭を嗅いだのだ」という意外な一行でこの詩は突然終わる。光り輝く飛翔した天国的イメージだと思って読んでいくと、急転直下、吸い込まれそうな死への親近性と恐怖の気づきに変転するのである。
 それは、気管切開をして人工呼吸器をつけることで、声を失うかわりに心の平安を得るはずだったのに、ぜんそく的な症状が出て苦しんだことを歌ったその次の「誤算」という詩に「秘密のうちに死を夢見る」という言い方で述べられている。
 この詩集の前半は、この種の、さらりと述べてはいるが、「蛍の死骸握り潰す」(「夏至」)という比喩などで発現する、根底に黒くて重いタールの流れのような心の蠢きを感じさせる詩が多い。
 しかし、そうした死と対峙し、時に厳しく、また、時に沈みがちな詩の他に、水芭蕉の姿に「祈り」を感ずる「水芭蕉」、梅雨上がりの青空を歌った「雨のち晴れ」、「私は今ここにいる、この奇跡にありがとう」と生に感謝する「ありがとう」、「ひだまりを拾おう、心のポケットに詰めて、ポケットをひだまりが溢れたら、みんなの心におすそ分け」と温かな心を周囲に広げていく「ひだまり」など、穏やかに生を見つめて日々感謝しながら生きている詩人の心の暖かさが表出している詩が、後半、多く現れるようになる。
 そこには、「この人生に苦心しながら、葛藤しながらも(中略)ポジティブに生きています。人の真心を追い風にして。」「多くの人に生かされて、温かな日々を過ごしています。」(まえがき)と語る、今現在の彼の心境がそのまま反映されているのだろう。
 以前の詩に較べて、明るい太陽や光を題材にした作品が多くなり、冬から春、春盛り、夏の詩が多くなったのも、その表れである。十代二十代に較べて、技術的に目を見張る冴えを示しているが、その上に、この、彼の精神の成熟こそが、括弧付きから抜け出でいると感ずる理由である。
 四季を感じ、身の回りに起こった出来事に感応するのに、何の違いもない。彼の心は、ここで、人として普遍的なものに向かっている。ただ、病棟のベッドの中という狭い知覚の世界、そこだけが特殊である。何の予備知識もなく彼の詩を読んで、幾つもの比喩的表現を重ねていると思われる詩も、実は、彼が眺める小さく切り取られた窓から見える実景であることが多い。知覚の範囲が狭小ゆえに、必然的に猥雑性を排除せざるを得ない。実景は純粋なイメージとなる。そうした意味で、詩人の闘病生活を想像する読み方もできるし、象徴的に読み解く試みも可能であるように思う。
 読みが複合的になるのは、詩人の戦略なのであろうか。

(本サイトのトップ頁下段に、その時の模様をアップしました。ご覧下さい。)

 2006年05月19日
  表記のゆれ

 その時の気分で短文を積み重ねているので、この日記に、細かい表記のゆれがあることは、自分でも判っていた。(分かっていた。わかっていた?)
 一太郎には、そんな表記のゆれを検索するモード(「表記のゆれ」)がある。特に片仮名語は不統一だと目立つので、検索をかけてみた。
 その結果、自分の場合、「ty」で終わる言葉に長音符号「ー」をつけているものといないものがあるのが、一番大きなゆれであることが判った。例えば、「アクティビティ」と「アクティビティー」。「広辞苑」には後者で載っているので、こちらで統一することにしたが、この種の長音、近年、省略される傾向が強いのではないかと気づいた。この傾向は、「コンピュータ」なんて、本来のばすべきものまで切る傾向につながっているような気がする。
 次に、日本語のほうの検索をしてみて、漢字・平仮名が不統一でゆれていると気づいた言葉は、「〜風に」「〜の方が」「何か」などであった。
 「したら良い。」は「したらよい。」と平仮名にすべきだが、「良い悪いにかかわらず」は漢字のままがよい。これなどははっきりしているほう。
 でも、なかには、グレーゾーンみたいなものもあって、一律に統一できない気がしてきた。
 何か、なにか、なんか……字面のニュアンスがどこか違う。
 その時々の、文の勢いや流れでいいのではないかと思い直し、これらは不統一のままにしたのだが、公の出版の場合、校正者は、どうしているのだろう? ちょっと気になった。
 さて、この日記では、「藝」の字だけ正字(旧字)を使っている。お気づきだろうか。もちろん、これは意識的な用字である。
 「芸」という字は「うん」と読み、もともと香草の名。虫除けに使用したので、蔵書の意となった。日本史で「芸亭(うんてい)」という言葉を習った人も多いはず。石上宅嗣が設けた日本最初の図書館のことである。
 「藝」の現在の字が「芸」なのは、だから、本家を乗っ取ったかように感じられて、個人的に納得しがたい。そこで、この字だけ正字にしている。
 最近、いい意味で使うことが多くなった「こだわり」というやつである。何でこの字だけという気が自分でもちょっとしないでもないが、そのあたり、ご了解願いたい。

 

 2006年05月17日
   ロング・アンド・ワインディング・ロード

 怖ず怖ずと告白すると、私は英語がさっぱりである。ジャズが好きで、三十年間、英語の歌を毎日のように聴いているけれど、そんなのは、全然、実力向上に関係がない。
 それに較べ、今の高校生の英語力は、我々の時に較べて格段の違い。そもそも高校入試のヒアリングからして、もうほとんど判らない。我々のころは、英語で「黒板に字を書く道具はなんというのですか」と聞かれて「chalk(チョーク)」と書けばいい程度だった。
 今でも自分が受けた入試のヒアリングで覚えているのは、「地下を走る電車をなんというのか」という質問。サブウエイという単語が出てこなくて、ウンウン唸って「ジ・アンダーグランデット・トレイン」(地下化された電車)と書いた。edをつけると「〜化した」という意味になるということを、中学時代に既に知っていたわけで、自分では名(迷?)解答だと思うけれど、あれ、マルにしてくれただろうか。正答書いて、すっと通り過ぎっていった人より、奮闘努力の跡がにじみ出ていて、我ながらエライ!と思っているのだが、もちろん、誰も褒めてくれない……。


 そんなレベルの私にとって、最近の民放FMは、英語のヒアリング力のある人だけに放送をしているよう気がして、正直、イヤである。どことなく除け者意識が湧いてくる。
 例えば、番組冒頭の口上が英語のものがかなりある。「どこどこプレゼンツ、なになにがなになにでなんとやら。」としゃべっている。この番組は、○○会社の提供で、どんな内容か、概要を説明しているのだろうということはわかるのだが、意味はさっぱり判らず、ただただ、その一分ほどは空白となる。
 いつも聞く朝の番組でも、女性キャスターが、外人さんにインタビューしていて、時折、格好良く、アハーなんて合いの手いれて、その挙げ句、日本語でほんの一言の翻訳しか言わないことが多い。あんなに長く外人さんが喋っているのに、たったそれだけ? そんなわけはないでしょうと、置いてきぼりを喰わされる。
 この前も、ビートルズで有名なアップルレコードがアップルコンピューター相手に起こした訴訟に敗訴したというニュースを読んでいた。その後、彼女は、英国新聞のコメントを紹介しますと、ペラペラと英語で読んで、「面白いですね。」の一言で終わってしまった。一切翻訳なし。何が面白いのか、こっちは、さっぱり判らない。
 どうも、「なんとかかんとか、ロング・アンド・ワインディング・ロード。」と言ったような気がするので、アップルレコード社の苦境を、ビートルズのヒット曲になぞらえたのだろうと推測した。長く曲がりくねった路。
 ホント、日本の放送聴くだけでも一苦労である。


  夫婦の会話は、そこから、このワインデングという単語の話になった。今でこそ、車雑誌などで、「この車のワインデング走行性能は〜」などと平気で使われるようになったが、私たちが英語を習い始めた頃は、決して馴染みのある言葉ではなかった。妻は、この有名な曲を、ワイドのアイエヌジー形だと思ったそうで、長い幅広のまっすぐ道だと思っていたという(それじゃ、まったく逆だ。)
 でも、人のことは言えない。私は私で、「ワイン」という言葉から、ワイン色と解釈し、勝手に、長い黄昏道だと思っていた。濃い茜色の空がどこまでも続く高速道路。ちょっとアーバンで、雰囲気いいじゃないですか。
 この言葉が、ワインドのアイエヌジー形であることに気づいたのは、結構、後年のことである。ワインドが曲がったという意味であることは前から知っていたのに、全然、結びつかなかった。
 私の場合、なんでイメージが間違ったかは判っている。あの曲が流行って五年ほど後に、エルトン・ジョンの「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」が大ヒットして、二つのイメージが被ってしまったのである。さらば、黄昏の煉瓦路。
 そこで、次に、このワインデングは舗装路かデコボコ道かということが問題になった。愚妻はデコボコだと言い張る。職場には外人語学教師(ALT)がいる。職場についてすぐに、どんなイメージなのか訊いてみた。
 彼が言うには。舗装未舗装は特に問わないが、フォレストとかカントリーにあるロードのイメージだそうで、ライフにあてはめると、ディフィカルト(difficult)なイメージで使うという(これ、聞き取れた英単語をつなげただけです)。どうも、英紙は、きわめてオーソドックスな洒落を言ったようだ。
  お互い英語ダメだったねえと、朝の夫婦の会話は、同病相憐れむの図だったが、まあ、これは「兎美味しいかの山」のたぐいである。

 

 さて、文部科学省が小学校の英語教育必修を打ち出した。早ければ二年後からの実施で、ここ金沢は、モデル地区ということで、もう導入済みである。
 おそらく、ヒヤリング力のある日本人は確実に増える。あと二十年もしたら、放送の半分近くが英語になっているのではないか。簡単なインタビューくらいなら、もう翻訳しないでそのままが当たり前の世の中に。
 その時の年寄りは、今から戦々兢々である。
 けれど、先週の放送で、外国のポピュラー音楽(オールデイズ)に滅法詳しいあの山下達郎でさえ、この教育改革に苦言を呈し、子供の頃にはしっかりした日本語、特に「思想語」の涵養が重要と、さらりと言っていたのには、我が意を得たりであった。どんなに日常会話ができても、抽象概念を操れないと大した人物にはなれない。
 今までの英語教育、あれだけ時間を割いたのに、ほどんどの人が喋れなくて、多くの日本人はコンプレックスの塊である。だから、その是正を目的にした制度なのだといえば聞こえはいいが、学校教育の改革とは、結局、コマ数の取り合いである。何かコマを新たに入れたら、入れた分、どこかの教科が減らされる。どこが削られるのか。おおよその見当はつく。
 この意見、理系の愚妻ともども我が家の統一見解なのだが、なにせ、英語ダメダメの二人、全然、説得力がない。

 

 2006年05月16日
  腰痛の歩き方
 自分の歩き方、誰かに似ているなと思ってはいた。腰を悪くした人特有のどっとこどっとこした歩き方。
 今朝、急に思いついて、愚妻に喋った。
「私の歩き方って、「スターウォーズ」のC−3POに似ていないか?」
レギュラー陣二台のロボットのうち、おしゃべりでお間抜けな金ピカなほうである。二足歩行ロボットらしい突っかかったような歩み。
「なーん(全然)。というより、「カオナシ」そっくりね。」
「え、カオナシって、「千と千尋の神隠し」のか?」
「そう。」
 でも、あののっそりお化けがどんな歩き方していたのか、さっぱり思い出せない。そもそも、黒い衣装に包まれていて、足など見えていなかったのではないか。
「どんなふうに?」
「ほら、背中が丸まっていて、顔を前に突き出しているでしょ。」
おい、それは、歩き方じゃなくて、姿勢じゃん。もう、子供の頃から、嫌と言うほどお前は猫背だ猫背だと言われ続けているし……。
  でも、カオナシとC−3PO。どっちもどっちか。どっちも性格にちょっと問題が……。
 2006年05月14日
   夏目房之介『孫が読む漱石』(実業之日本社)を読む 

 新刊(二月)で買って、先日ようやく読み終えた。『漱石の孫』(実業之日本社)に続く作者の漱石ものだそうだが、前著は読んでいない。
 著者は著名な漫画批評家で、漱石の長男バイオリン奏者純一の子である。新聞で軽妙洒脱なコラムを読んだことがあり、肩も凝らずに楽しめるのではないか、途中、楽しそうな漫画も入っているし、という軽い気持ちで選んだ。
 前半四分の一近くを占める「吾輩は孫である」というプロローグの章が一番面白い。祖父と父、それに孫である自分自身を、分かりやすく社会的文脈の中で定位させようとしている。
 父純一は、親爺の著作権を元に、「高等遊民」を地でいった人であると定義される。作者自身は、若い頃「漱石という存在に反発」していたが、自らのダブル倒産によって、遺産という実体が消えたことで、漱石とは「自分の思想上の問題」だけになった。そのため、今は「孫といわれてもにこにこ受け入れられる自信」がついているという。
 「学問研究から文芸創作に移った祖父と、大衆文化の中で少し研究よりになった孫のベクトルのちがいは、大風呂敷にいってみれば、国家も文化も急ぎ建設中だった百年前と、その成果を楽しく消費する戦後大衆文化社会とのちがいを背景にする」といった分析の仕方に、批評家らしさが垣間見える。
 作者は、自分の立場をよく知っている。読んでいない作品は、初めて読んだとはっきり断って書いてあるし、難しいところは難しい、面白くないところは面白くないと書いてある。そういうところは、まったく今の一般的な読者の感覚そのままで、包み隠さず表明しているところなど、おそらくかなり意図的である。理論武装して書かれた本はゴマンとある。作者は、そんなことをしたら、自分が刀折れ矢尽きるのがオチであるとよく判っているのだ。
 この本の感想をネットで調べると、内容がないと否定的なものが見受けられたが、直接、本人に接したことがない孫の代で、かつ、文芸の専門家でもない立場として、時に残された親族を語る風に、時に、社会に作品を定位させる漫画評論の文学版風にと、行ったり来たりしながらの文章なのだから、熱烈偏愛者にとって物足りないのは当たり前である。それを求めるのはお門違いであるように思った。
 漱石作品を読んでない人にも分かるように書いて、ちょっと分析的な意見も入れ、エッセイとして読んでもらっても面白いものを目指さねばならず、その間隙を縫うのは、なかなか難しい作業であったのではないか。
 個々の作品分析では、だから、『行人』あたりは、ちょっと気負っていて、その辺りで、ちょっと読むのを止めていたが、最後部、祖母鏡子の『漱石の思ひ出』や漱石書簡集などのことになると、また、ぐっと生き生きしてくるのは無理はない。
 晩年の鏡子を、作者は幼児の頃よく見知っている。腹蔵のない大黒柱的な存在だったそうで、そんな性格だから夏目家はなんとか体裁を保つことができたのだという。そして、漱石にとっても世に言われるような悪妻などではなく、心が通じ合っていたはずだという書き方がされてある。もう一度、結婚するとしても旦那がいいと彼女は語ったそうで、末裔としては嬉しい言葉だったのではなかろうか。この本、そんな残された一家のエピソード的な部分が、やはり、楽しかった。
 ただ、全体的に、面白路線にも大真面目路線にも徹し切れない中途半端さが祟って、読者レビュー的に言えば、五つ星中、☆☆☆程度か。

(写真は表紙カバーイラスト(一部))

 2006年05月12日
   竹の子騒動

 五月三日、しみじみと竹の子を味わったのはよかったのだけれど、実は、あれからてんやわんやの日々となった。二人暮らしなので、一本を食べ尽くすのに二日ほどかかる。食べ終わった五日、今度は隣家から頂き、それがなくなった七日、かねて約束の筍賞味会があって産地別所に赴く。その夜、また愚妻の実家から一本あるから取りに来いとの電話が……。
 黄金週間終了、明日から仕事で、そろそろ気持ちを切り替えねばという時間帯に、大慌てで下茹でにかかる。
 結局、竹の子料理が、間を置かず、二十数食、一週間以上つづいた。飽きるほど食べたとはこのことである。でも、そこはそれ、大好物。全然、飽きない。
 とれたては、米のとぎ汁で軽く湯がくだけで充分である。定番の煮物は一番硬いところを使うので、料理としては楽だけれど、美味しさのランキングでは下の方となる。穂先に近い柔らかいところも、刺身以外にどんどん使う。和食だけでは献立に行き詰まって、中華の具にもする。贅沢の極みである。
 竹の子の成長は早い。子供の頃、遠足で、ちょっと大きめの竹の子を見つけ、帰りにそこを通ったら、もう若竹になっているのにビックリしたことがある。数時間でみるみる伸びる。愚妻などは、小学校の横が竹藪だったそうで、見ていると伸びるのがわかるという言い方をする。おそらく授業中よそ見をしていたのだろう。
 そんなだから、旬の季節が本当に短い。愚妻は「三日見ぬ間の桜かな」だねというので、確かに短いという意味は出ているけど、「見ぬ間」じゃないよ、毎日食べていたんだからと反論した。
 もっと旬が長かったら、間隔をあけて、まだまだいただくのだが、本当にせわしい。桜で言うなら、「世の中に絶えて竹の子なかりせば」のほうだよ、と答えた。ただ、これは替え歌、竹の子に換えた途端、風流が吹っ飛んで狂歌となる。
 さすがに、食い意地の張った和歌なんてないだろう。この種の話題は俳句の世界かもしれないと、歳時記を取り出して、竹の子知識のおさらいをしたが、やはり、そんな無粋な句は載っていなかった。
 そこで、代わりに、目にとまった句をひとつ紹介したい。

 

  筍を煮るつくづくと妻の顔  石川桂郎

 

  作者は、戦前、石田波郷の「鶴」創刊に参加、戦後、俳句誌の編集長などをつとめた人。
 また巡って筍の季節(季題は夏)になった。大慌てでアク抜きをして煮物を作っている妻を見ていると、もう何年、この妻とこうして筍の季節を過ごしているのだろうと、若くはない妻の顔をじっと見つめた、と解釈するのが正当だろう。煮込まれている音「ぐつぐつ」も掛けている。
 だけど、私は真っ先に、「オレは、一所懸命、竹の子と悪戦苦闘しているのに、お前は食卓の前で、のほほんと出来上がるのを待っているだけではないか。お前なあ。」というイメージを思い浮かべてしまった。もちろん、日頃の恨みが文学の解釈に大きく反映したのである。
 石川さんのお宅、どっちが煮ていたのだろう?


 

 

 

 

 

(竹の子料理を出している農家にて。GW中の昼時で大人気)

 

 2006年05月11日
  テディベアを抱く
 先月の末あたりから、上級生が一年生に弓道の基本の動作を教え始めた。弓道は、「射法八節」という八つの連続した動作で射る。そのうちの三つ目に、「弓構え(ゆがまえ)」といって弓を構える動作がある。矢をつがえ、肘を張る。この時の腕は、円相を描くのがよいと言われている。新入生がやっている横で、バルーンを抱いているようにするんだよとアドバイスする。昔は風船と言っていたから、ちょっと現代的にはなったが、まあ、カタカナにしてみただけである。教員は毎年同じことをいう。
 すかさず、二年生が、私は「テディベアを抱くように」と先輩から習いましたと突っ込む。なるほど、優しく包み込む様子がよく出ている。三年女子の誰かが発明したのだろう。
 いいんじゃないか。いい感じ。
 ただ、そんな巨大なテディベア。一体、いくらするんだろう。あれの正式なのは縫いぐるみと侮れないほどの高級品である。そんな手を回さねばならないほどの熊が家にある子なんて、そんなにいないんじゃないかなと思ったけれど、ここは、持っていたらうれしいなという乙女チックな憧れのイメージと解釈すべきでしょう。
 すぐお金に換算してしまうのは大人の悪い癖であります。
 2006年05月09日
   京大教授の講義を聴く

  先日、職場に京都大学経済学部教授下谷政弘氏が出張講義にやってきた。演題は「日本経済と経済学」。生徒に混じって聴講する。
 戦後日本経済の概略を述べつつ、経済学という学問の間口の広さを紹介するという判りやすい話だった。その間口の広さに耐えられない学生は法学に逃げていく。法学は出口も司法試験合格という一本道だという言い方をしていた。
 三年生が興味のある分野の先生の講義を選んで聴く方式。だから、受講者には経済学部進学希望者が多い。メモをとりながら熱心に聞いている者もいるし、全然聞いていない者もいる。紅粉脂黛の婦女になる要素たっぷりのおねーちゃんは、はなから聞く気なしのご様子。
 慢性的な不景気で、実社会の知識も興味関心にも欠けている生徒が、つぶしがきくという理由だけで経済学部に行くご時世である。
 京大の先生のお話を、出掛けなくても向こうからわざわざやってきてくれて、目の前でお話を聞けること自体、希有な経験のはずだけれど、そんなことをはっきり自覚しているのは、能力の高い生徒たちである。
 以前、社会人になった卒業生がやってきて、「大学時代、よく、外部の先生や業界の著名人がやってきて講座をしていたが、全然、聴きに行かなかった。今から考えると、お金出しても聴きに行きたい人ばかりで、もったいないことをした。」と話していたことを思い出した。
 最初は、一部の生徒の態度に不快感を持ったが、よく考えてみると、京大教授だと有り難がって聞いているこっちに較べて、全然、「権威主義」に毒されていない。それはそれで青春の特権なのかもしれないと思い直した。
 それにしても、新幹線は、最初は、どこからどこまでで開業したのですか、いつ何をきっかけにできたのですかという質問や、バブル期の日本はこうでしたよと説明されているのを聴いて、大人には当たり前のことを、ここまで懇切丁寧に押さえないといけないのかとある種の感慨があった。つまり、自分の歳を感じたのである。
  社会科の同僚先生によると、米不足でタイ米食べたのも、そろそろ「教える」世界に入りつつあるという。
 こっちが、そんなの常識だと思って説明を省くと、実は全然判っていないということがよくある。
 先日、文化とは普段着で付き合おうという文章を読ませて、正しいタイトルはどれかという問題をした。タイトルは主題を表すという授業をした後の確認問題である。「文化にカミシモはいらない」というのが正解なのだが、ほぼ全員、「文化といかに付き合うか」の方を選ぶ。これは単なる問題提起で、間違いではないが弱い。全然、授業が定着していないと嘆いていたのだが、ハタと気がついた。生徒たちはカミシモ(裃)を知らない。当たらないわけである。
 でも、カミシモとは武士の礼装のことで、改まった態度の比喩で使うと、この言葉だけとってつけたかのように説明したら、バレバレなので、そのあたりは難しい。
  この方、生徒の現状をよく把握しているよい先生である。日本の戦後の発展は、戦前、既に効率的な産官連携の経済システムが出来上がっていたからだといった指摘などに、なるほどと思った部分はあったが、入門向けの話に多くを期待してはいけない。それこそ、卒業生が言うように、ちゃんとお金を払って聴くべきで、こっちが勝手に、現代日本経済の閉塞感をスパッと切ってくれるのではと虫のいいことを考えていたのが間違っていたのである。

 

 2006年05月07日
  春風駘蕩

 今年は、四月にしては寒い日が続き、いつまでたってもストーブを片付けることが出来ず、金沢が北国であることを改めて実感するような毎日だった。
 我が家は、暖房をすべて電気に依存しているので、電気代がそのまま、その月の寒さをはかるバロメーターになる。親切なことに、伝票には去年の使用量が載っていて、それを見ると、二月の使用量は去年より少なく、四月は逆に多かった。春らしい日が続くようになったのは五月に入ってからである。

 

 表題の四字熟語「春風駘蕩」は、勤務校の四月の図書便りに載っていた巻頭のことば。
 蛇足の解説をすると、「駘」は、もともと鈍い馬。愚かでおっとりしていること、怠(タイ)と同系と辞書にある。「蕩」は、もともと揺れ動く木。ゆらゆら広く行き渡るさま。
 春の長閑なさまをいうのはご存じの通りだが、転じて、人の性格にも言うらしい。のんびりとした人に使うそうだ。
 春の詩で一番好きなのは次の有名な七言絶句である。何度も授業で教えていて、好きになった。

 

  江南春  杜牧       江南の春   杜牧
 千里鶯啼拷f紅       千里鶯啼ないて緑紅に映ず            
 水村山郭酒旗風       水村山郭酒旗の風                        
 南朝四百八十寺       南朝四百八十寺(しひゃくはっしんじ)    
 多少樓臺烟雨中       多少の楼台煙雨の中                      

 

 大きな景色としては、転句結句がいかにも暖かい地方の春らしくていいのだが、もうひとつ、その前の承句で、居酒屋さんの旗を持ってくるセンスがいいなあと思っている。承句には人間の生活がほの見える。それがあるから他が生きている。
 実際はどんな旗だったのだろう。この頃、お酒を出すお店の目印は青い旗だったらしい。「酒」なんて一字でっかく書いてあったのだろうか。だとしたら、今、夏に翻ってるかき氷ありますの旗、「氷」と一字書いてあるやつに限りなく近い。
 「酒あります。」
 杜牧は都に向けて移動中のようだから、旗は遠くに見えるだけで、実際はこの時飲まなかっただろう。
  前半の緑紅青の原色系の色合いの田舎の風景と、後半、朧化して淡い色調にとけ込ませる古都の風景の対比も見事だ。
 洒脱なセンスと懐旧の情が感じられる、いかにも国政紊乱(ぶんらん)し文化が飽和した晩唐の香りを放つ詩人の作である。
 ちょっと興味が湧いて、さっきネットで杜牧の詩の解説本を注文したので、いずれ感想文が掲載される予定である(?)
 今日の日記、今頃になって春話題かと思われそうだが、ここ北陸はそんな歳時記である。
 さあ、ヒーターを片付けよう。この連休の陽気で、ようやく決心がついた。

 

 2006年05月06日
  元気な山中温泉

 どんどん外に出ようという最近の行動の必然的結果として、この日記は、いつの間にか、「お出かけ報告日記」になってしまっているような気がする……(汗)。
 外から刺激を受けるので、事実は書けるのだが、主体的な部分で、思考が動いたり感情が動いたりしなければ、備忘録と変わらなくなる。それに、春の行楽に理屈をつけること自体、無粋である。「天気がよくて気持ちよかった!」で終わるのが本当かもしれない。ちょっと、ジレンマを抱えながら、何のことはない、今日もお出かけ日記である。
 四日、山中温泉「山中漆器祭」に出かけた。県内だが、時間的には先日行った隣県福岡町より遠い。私としては、巡航距離を伸ばしたことになる。
 塗り物の器は家に充分ある。実は、温泉商店街の、とある料理店に行くというのが主たる目的である。辿り着いたきっかけは忘れたが、商店街各店のブログが活発で、どんどん街のいいところを紹介していて、みんな自分の街が大好きなのが伝わってくる。そんなブログを楽しく見ているうちに行きたくなったのである。


 時は良し。ちょうどイベントもやっているといった感じの訪問。
 お目当ての中華料理屋さんは、店の様子がブログで見たままで(当たり前か)、初めて来た気がしなかった。厨房のあの人がご主人のお母さん、彼女もブログやっているよ。今給仕にきた人が奥さんだよと愚妻に解説できてしまう。知らない人なのに詳しいという、ネットならではの新しくも珍奇な人との係わり方である。

 久しぶりの温泉散策。街全体が小綺麗になっていたのに驚いた。九州湯布院の成功に刺激されたのだろう。ゆげ街道と銘打って、商店街が和風の店構えに改築して、客をホテルから通りに出すことに成功している。
 かつて、ここは加賀温泉郷中一番奥まったところにあり、不便ということで近代化が遅れた。でも、それが逆に幸いしたのだろう。関西の遊び所として、大ホテル主義と歓楽主義に走った片山津温泉と山代温泉は、街のイメージが低下して低迷している。その轍を踏まずに済んだ。それに、もともと山中漆器という産業があり、楽しくウインドウショッピングできる環境にある。一般店も上手く情報発信しているようで、お肉屋さんの人気コロッケに女性の長蛇の列が出来ている。
 今の時代、女性客を取り込めたところが勝ちである。栄枯盛衰、四温泉郷のうち、一番地味だったところが、今、一番元気である。
 後で老父にこの見聞を話したら、とっくに承知で、より詳しい分析を聞かされた。さすが鍼灸の免許持ち、温泉情報にはやけに詳しい。最近、ちょっと耄碌してきたが、急に頭脳明晰、立て板に水で、こっちが恐れ入りましたと降参した。

 

 新緑の逆光をカメラで切り取りながら、あやとり橋、蟋蟀橋と、鶴仙峡の遊歩道を巡った後、帰路につく。


 車は山懐の水田地帯を過ぎる。北陸は、天気がいいこの数日で、大方の田植えを終えた。窓に、キラキラ光る水田の水面が広がる。野良着の爺婆が畦で仕舞支度をしている。植えたての弱々しい苗が、春風にそよぎながら強く踏ん張っている……。豊葦原の瑞穂の国である。
(写真は上から、漆器祭りの出店、漆スプーン、総湯横の足湯、店前でのお神楽)

 2006年05月05日
   スーパー銭湯に行く

 黄金週間中、安近短の極致、流行のスーパー銭湯に行ってきた。ごった返していたせいでシステムが分からず、券を買っだけで受付けを済ませずに入場してしまい、夫婦ともども、新しいところでまごつくお年寄りぶりを見事に発揮してしまった。
 広いお食事処(別会計)が目をひく。大きなお風呂、お食事もあり。温泉宿の美味しいところだけを抜き出して安価に提供しましょうというのがコンセプトなのだとすぐ気づく。これもある種ベンチャー的発想である。
 それにしても大盛況。お風呂だけに文字通り芋の子を洗うようである。混雑している脱衣場で服を脱ぎながら、久しぶりという感覚に見舞われる。
 外湯が久しぶりなのではない。小さいながらいつもジムの風呂に入っているし、新しい支店の方は結構大きなお風呂である。何が久しぶりなのだろうとその感覚の元を手繰っていくと、どうやら、人を見てそう思ったようだ。
 お年寄り、中年、アンちゃん、子連れの若いお父さん、中学生の僕……。年端のいかぬ女の子も裸で駆け回っている。
 ここには、社会を構成している全ての人がいる。そして、みんな元気に疲れを癒しにくる。子供を叱る親の声。一所懸命自分で服を着ようと奮闘中の幼児の地べた座り。ちょっとお腹の出過ぎで、早晩体を壊すと思われるような恰幅のいいオッさんの自信ありげな歩き方。みんな、後ろに社会や生活がほの見える。
 それに対して、ジムのお風呂は、運動をしようという目的で集まった限られた大人の汗流しの場でしかない。このおもちゃ箱ひっくり返したような喧噪と多様な人種の坩堝(?)に、私はどうやら活発々たる人の躍動を感じて瞠目したのである。 
 病気で一度全てが停止していたので、最近は、何か行動する度に、これをしたのは何年ぶりだろうと考える癖がついている。
 酒入り樽風呂に入りながらつらつら思いおこす。銭湯にきたのは五年ぶりくらいか。懐かしいはずである。近年、足が遠のいていた上に、発病後は、滑って転ぶのではという不安で行くに行けなかった。
 たかだか銭湯だけど、私にとっては、ひとつひとつが生活を普通に戻す大事なステップ。恙なく妻と約束した休憩場所まで戻ってこられた。
 最近は、行くところ行くところ、WEB日記用にとカメラで撮しているのだけれど、今回はさすがに持っていかなかった。
 脱衣場の出入り口にデカデカと撮影禁止のマークが掲げられていたけど、それはそうだ。風呂場にカメラ持ち込んだら怪しまれるに決まっている……。
(……ということで今回写真はありません。)

 

 2006年05月04日
   「あなた」の敬語は?

 「ひとつ国語の質問があります。「あなた(貴方、貴女)」という二人称ですが、これは目上の方に対して使っても問題のない言葉でしょうか? 私の中では、「あなた」という言葉は、同等または自分より位の低い方に対して使うもので、位の高い方には失礼だと思うのですが。見解をご教示下さい。
 英語なら「YOU」で、敬称も何もないので簡単ですよね。でも、敬称や敬語というものの文化が日本語の良さのようにも思います。日本語ってムズカシイ……。」

 

 この質問メールを卒業生からもらいました。ちょっと考えて、次のように書いて送りました。以下、貼り付けます。ペタッ。

 

 ご質問の「貴方」について。たしかに辞書には敬語として載っていますね。でも、敬意が昨今減じているとも書いてあります。「貴様」と同じく、どんどん値が下がっている途中のようです。もちろん、「貴様」ほど、下落はしてはいないですけど。
 まず、貴様についていうと、江戸時代から下落が始まり、日本の旧軍隊が目下を呼ぶときの言葉として多用して、決定的になったようです。こうした敬語の下落は、沢山あります。「あの先公、大嫌いだ」「お前なあ」など。
 さて、お尋ねの「あなた」ですが、これは「山のあなたの空遠く幸ひ住むと人のいふ」などと使う「彼方(あなた)」が元です。お近づきになるのも恐れ多いくらいのエライ人という意味で、やはり、もともとは敬語なのです。
 ですが、これも今言ったように下落しているので、結論的には、あなたの語感は正しいと言えます。現代の「使用の常識」という面から考えると、目上には言わない方がいいですね。
 ご質問は、二人称を敬語で使いたいけど、「あなた」では失礼だし、いい言葉がないのだろうかということだと思います。
 結論的に言えば、元来、敬語だったことばの敬語は、だから、あり得ないのです。いろいろ私も考えましたが、オールマイティに使えるいい言葉は、現代ではないと言わざるを得ません。
 もちろん、書き言葉は、改まって使う時用ということですので、ちょっと古くさいけど、色々あります。
 汝、御身、貴殿、貴君、貴兄、尊兄、大兄など。
  これらは、今では、余程気を遣った手紙でしか使うことはありませんね。

 

 実生活で二人称をどう言うか。
 客なら「お客様」、あるいは「○○様」と姓に様をつける。
 同じ会社内で、肩書きがある人には役職を言えばいい。「課長」あるいは「○○部長」。
 直属で親しく、自分よりちょっと年上の人には「○○さん」が一番いいと思います。「さん」は普遍的に使える便利な言葉です。
 こういう人の場合、その仕事分野を先行して知っているというニュアンスで、同じ学校の同窓生でなくても、「先輩」という言い方をする人が増えてきました。これは一種の拡大解釈ですが、最近、あまり違和感はなくなってきました。
 先輩という言い方は、今は当たり前のように使われるようになりましたが、昔は、自分が在籍中の場合、既に学校を出た卒業生だけに使っていました。在籍中の年上のことは上級生といっていたようです。私の老父は、上級生のことを先輩と呼ぶのは違和感があると言っていました。
  他に、熟成していないにことばに「貴方様」というのもあります。これは、貴方の下落を「様」をつけて食い止めようとした言葉で、字面的には「方」と「様」はかぶっていますね。あまりいい言葉ではないようです。
 どれも、帯に短したすきに長しです。
 さて、とっておきの解決策。
 日本語は、もともと二人称をはっきりさせない、そこはかとない言い方を好む言葉なので、そもそも、言わないでもいい時は言わなければいいというやり方があります。使わないということで、この言葉の敬語不在の問題をスルーするというやり方です。よく考えると、いちいち呼びかける必要がないことも多いものです。

 

 今はこれだけです。もう少し考えて、何か思いついたらまた送ります。今年、大人社会に入ったばかりの人ならではの実感的な疑問だと思いました。

 私もちょっと勉強になりました。いい質問をありがとう。
 せっかく書いたので、この質問、HP日記に転載するかもしれませんが、いいですか。
 あ、もしかして、最近の日記のネタ不足を鋭く察知して、私へのネタ提供が本当の趣旨だったりして? 違う? 違うよね。

 

 2006年05月03日
  春の恵み

 連休後半初日、お昼ごろ、妻の実家から筍と蕨をいただきました。日中の外出を控えて台所で下処理と調理。三時すぎにようやく遅い昼食ができました。共稼ぎの夫婦が、昼にこんなに手間をかけて贅沢な食事をすることはめったにありません。

 竹の子ご飯、竹の子と昆布の煮物、竹の子の田楽味噌あえ、竹の子と蕪の味噌汁、蕨のお浸し、……。

 沢山食べてもお腹に優しい春の恵み。

 家事で終わった一日だったけど、食べる前、何時にない献立に幸福感を覚えました。

 以上、今日の文章は写真のキャプションです。

 2006年05月02日
   やっぱり変だよ、営業言葉
  毎朝聞いている全国ラジオのパーソナリティが、四月から男性アナウンサーを加えた二人体制になった。メインの女性は、英語・仏語堪能な帰国子女で、外人とのインタビューはばっちりなのだが、飛び込み原稿のニュースなどではボロが出る。そこをフォローするための人事だろうと察しはついたが、その新規の若手アナが、「お便りを読ませていただきます。」を連発していて、朝から、げんなりである。そんな面と向かって拒否できないところにヌクヌクいて、「させていただく」を使うと、尊大感がでるということは、以前、触れた通り(昨年四月二十一日付)。
 日中は日中とて、業者さんがやってきて、「会計の計算書につきましては、事務の○○様にお渡しさせていただきましたので、宜しくお願いします。」と言うのを聞いて、尚更、暗澹。
 夜は夜、初めてのラーメン屋さんで外食。ここは食券方式で、事前に発券機で選んでボタンを押す。座席に着いて、店員さんに食券を渡したら、それを見つめながら、「ご注文を繰り返させて頂きます。とんこつ二つでよろしかったですね。」と言ったので、これにもちょっと違和感が。
 私、喋っていませんけど……。
 券の字を読んでいるだけで、何が繰り返しなのでしょう。客が口で言ったのを書き取って、その行為にミスがないか復誦するならわかるんですけど。
 そもそも、ボタンを押したのは客だから、店側に責任がかかることはありません。
 この日一日、嫌になりました。ゴキブリ一匹見たらの喩えからして、もう世の中蔓延状態のようです。
 最近では、違和感を覚える私のほうが変なんじゃないか、もう気にしないようにしようと冷静さを呼びかけているもう一人の私がいます。
 2006年05月01日
  武蔵が辻界隈今昔

 黄金週間前半は仕事だった。それだけで終わっては悲しいので、土曜夕刻、愚妻と武蔵が辻の名鉄エムザで開かれている「第五十七回中日写真展入賞作品金沢展」を観にいった。帰り、久々に隣接する横安江町商店街を歩こうかということに。
 今から四十年ほど前、武蔵が辻界隈は金沢の一大繁華街だった。街に買い物に行く時、片町と武蔵が辻どっちに行くかということが常に話題になったものだ。前回はどっちだったから今回はこっちとしようというような決め方をしていた。どちらもデパートを核に、商圏として覇を競っていた。当時の私は、もちろん、屋上の遊具施設と食堂のお子様ランチが目当てだったから、どちらでもよかった。
 武蔵の場合は、丸越デパートを冷やかしてから、近江町市場や横安江町商店街に向かうのが定番の行動だった。横安江町は金沢で唯一のアーケードのある一般商店街。母親族は、横道にあった「いとはん」という衣料スーパーと、ファッション専門店のハシゴ。子供は、オモチャ屋と休憩で入る甘食屋の蒸し菓子が目当てであった。本当にいつもいくたびに大勢の人で賑わっていた。
 その後、丸越は名鉄デパートに吸収されて、辻向かいに移り、跡地にはダイエーが出来た。そのあたりまでは、それなりの賑わいを見せていたが、徐々に客足が遠のき、昨年、ダイエーも閉鎖。老朽化した横安江町のアーケードも立て替えを断念し撤去された。
 今は、近江町市場に生鮮品を買いにいくついでにデパートにも寄るという昔ながらの客層に支えられてなんとか商圏として面目を保っている状態である。
  薄暮、屋根がなくなってすっきりした通りを歩く。ここはもともと本願寺派東別院の門前町として栄えたところ。仏壇店、法衣店、神具店、結納用品店など金沢らしい店は今でも健在だが、一般のお店は淋しい限り。
 だが、そぞろ歩きの中程に、当時、活況を呈していた衣料品店の看板を見つけて、懐かしかった。まだ潰れずに頑張っている。母親が、ここで服を漁っているのを手持ちぶさたに眺めていた昔の自分を思い出す。そういえば、子供は親の買い物にすぐ飽きて、別院さんの門前で遊んでいたっけ。
 母親の洋服選びにつき合わされるのも、考えてみれば迷惑な話で、親は、子育てに時間をとられていると思っているかもしれないが、子供は子供で、大人に文句も言わず付き合ってくれているのである。
 あれはあれで、後年、奥さんのお出かけの準備にじっと耐えて待っている旦那族の、まず最初の大事な訓練だったのかもしれない。 
  黄金週間中というのに、人影もまばら。七時には多くの店が店じまいしていた。せっかくだから、通りで唯一やっていた食べ物店に入り、薬膳料理をいただく。八時には武蔵を後にしたが、止めてあったデパート駐車場周辺でも人影を見ることはほとんどなかった。飲食店が少なく、夜の町としても機能していない。
 四十年前の、あのワクワク感を覚えている私には、一抹の淋しさが募ったが、多くの人同様、郊外型大型店中心の行動になっていて、何年ぶりに来たのだろうと指を折っている私には、何かいう資格はない。
 山側環状線が出来て街なかの道が空いた。以前より短時間で繁華街に行けるようになったのを好材料としようではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(結納店の店先。どうやら「金澤表参道」というのが、横安江町商店街の新しい名称らしい。)

[1] 

お願い

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