ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」 http://hiyorigeta.exblog.jp/
生徒を引率して金沢大学に出向き、歴史学の東田雅博先生の講義を聴いた。題して「柳模様の世界史」。授業は、この絵柄の皿、お家にありませんかという投げかけから始まった。 大航海時代の東西交流の結果、西洋に中国趣味が流行した。そうした中で、中国を舞台にしたある悲恋物語が有名になった。 それは、「裕福な家の娘が使用人と恋に落ち、親の決めた結婚相手から逃れて駆け落ちしたものの、見つかって最後には二人とも死に、二羽の鳩に姿を変える」というもの。 この物語は、陶磁器の絵柄「柳模様(ウィローパターン)」になり、定番のデザインとなって、イギリスの食卓を飾るようになった。当時の英国人は、子供の頃から見慣れたこの文様によって中国のイメージを醸成させたそうで、この時代、中国は紳士の国として尊敬すべき国というイメージだったという。 後、列強の干渉に国が傾いて、日本も日清戦争で利権を奪取すると、この有名なデザインを使って風刺絵も作られた。その図柄をレジメで見ると、本当なら駆け落ちして橋を渡っている人物が、中国から財宝を持ち出す日本人に置き換わっている。他にも、列強の国旗が、木や鳩の羽などにそれぞれ騙し絵のように織り込まれていて、当時の世界情勢全体を皮肉っていることが判る。 この「柳模様」の皿は、高級陶磁器メーカー、ミントン社などが作って、長く親しまれていたが、今はかの地では作っておらず、この日本、地元の優良企業ニッコー社(元「日本硬質陶器(株))が作っている。皆さんのお宅にこの図柄の皿があるのではないですかと尋ねたのはそういう理由ですと冒頭に戻って話は終わった。 皿の絵という具体的なものと歴史という抽象的なもの、西洋史と東洋史、過去と現在がすうっと交錯して、大学の講義らしいスリリングな話だと感心し、大いに刺激を受けた。これは、お話だけではなくて、テレビ局あたりが異文化接触の物語として、ふんだんに映像を使ってドキュメンタリー番組にでもしてくれると面白いかもしれない。 私は熱心にメモをとったのだが、さて、生徒さんはと見れば、ほとんど筆を動かしていない。「聞いてはいたよ。」といった風情。どうやら、これが勉強だという意識が湧かなかったようだ。 確かに、彼ら一年生が勉強と思っているものは直線的で単一だ。歴史は古代から現代へ真っ直ぐ。古文は古文、現代文は現代文で別。英語と国語、語学として目指しているところは同じなんて感覚はほとんどないだろう。狭い範囲を順番立てて進むから勉強すべきだということが判る。先生が黒板に字を書くから書く。そんなレベルである。だから、今回のように黒板を一切使わず、且つ、広範に知識を結びつけるような話を楽しむには、まだ、ちょっと基本となる「基礎学力」と「学習を受ける訓練」が足りていない。これが、今の時期の三年生だったら、そのあたりのことはクリアされているから、大いに楽しんだことだろう。我が勤務校の、最上級生のレディネスは、バッチリである(と信じたい)。 最近は、こうした「大学見学」が盛んだ。新築なったばかりの自然科学棟を私は初めて見たが、吹き抜けのエントランスなど贅沢な空間利用の設計で、ホテルのような造りに驚いた。 この企画、一山全て校地という恵まれた国立大(独立行政法人)の環境を見せて、まず、生徒様に、いい大学入ってみようかなと思って戴こうという、ありがた〜い教育的配慮の行き届いた行事である。
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先週、身内の踊りのステージがあったので、老父と金沢厚生年金会館ホールに出向いた。その後、近くの公園のベンチで一休み。秋の日溜まりの中、外の空気を吸うのは本当に気持ちがよかった。 そろそろ御輿をあげようという時になって、父が、どこかでお茶にしようと言い出した。 足腰が弱り、手引きがいるようになって、用事以外はあまり出歩かなくなった父にとって、特にすることがないまま外に出ているというのは貴重な時間なのだろう。元来、珈琲好きの彼は、こんな時間、「外でお茶」をしたかったのである。 そこで、会館に戻り、ロビーのラウンジで珈琲を注文して、雑談を続けた。 今までと同じ生活をする。それができることの悦びは何ものにも代え難い。その気持ちはよく判った。 ぺちゃくちゃお互い好きなことを言い散らかして時を過ごす。何だ、人のことは言えない、私も久しぶりの「外でお茶」だなあと思いながら……。
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「あとがき」で「とりとめの無い話」だと阿川さんが書いているように、友人同士、食事を共にしながらの雑談といった感じで、そこが懐かしくもあり、楽しくもあった。 その昔、遠藤周作、吉行淳之介あたりがよく閑談集を出していて、楽しく読んだものだ。この本は、あの頃の本の匂いがする。北さんは「第三の新人」より後に世に出たが、一時期、マンボウ・狐狸庵でブームになって、友達の友達みたいな関係で仲良くなった。遠藤、吉行なき今、阿川さんにとって北さんは、数少なくなった大事な同業の友人である。 全六回の対談は、七歳も年少ながら、もうあちこち痛くて早く死にたいと嘆く北さん、もっと頑張れと励ます阿川さんという関係で進む。 会話の端々に茂吉の歌を持ち出すのは阿川さんのほう。自分が愛唱尊敬する歌人の息子で、どことなくノーブルな雰囲気を持つ北さんに、瞬間湯沸かし器の異名を持つ阿川さんもあまり怒ったことはないらしい。この会話でも、北さんは、結構、チクリとしたことを言っているが、嫌みになっていないし、阿川さんも受け流している。北さんは阿川さんを「先輩」と呼びかけているので、お二人、気の置けない先輩・後輩の間柄なのだろう。 あまりの乗り物狂ぶりに阿川さんは「変人」だと思っている北さんに、貴方に言われては心外と阿川さんが呆れるといったあたり、読んでいて面白かった。 最後の対談は平成十二年のもの。あれから六年がたつ。阿川さんは今年八十六歳。宇野千代のように九十五歳くらいになって「私、死なないような気がする」と嘯いてやろうと計画中だとか。 新潮社のサイトに、阿川佐和子、斎藤由香、お二人の娘さんによる父親の行状暴露対談が載っている(「怒る父、騒ぐ父、嘆く娘」(「波」二〇〇二年二月号の再掲))。どっちがマシな父親かというのが話のテーマで、正直に言うと、こちらの裏話のほうが俄然面白い。阿川佐和子さんは、今や父親より有名人だし、巻末付録としてこれを載せたら絶好のオチになって、もっと売れたのではないかな。
(追記)「第三の新人」のお一人、小島信夫が一昨日亡くなった。九十一歳。慌てて、ご存命の方の年齢を調べた。安岡章太郎、八十六歳。庄野潤三、八十五歳。今、第三の新人が文壇最長老世代。昭和三十年代は遠い昔である。
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十年くらい前に撮った下町写真に簡単なエッセイがつく。少々色褪せているものも補正なしで載せてあるのはノスタルジーの演出であろう。実際の下町に限定したものではないというところがミソで、山の手の写真も混じる。下町というイメージで構成した「まぼろしの町」というコンセプトである。今も健在な風景もあるし、もう壊されて実在しないものもあるという。 駄菓子屋、銭湯の番台……。私の子供の頃、ここ金沢でも当たり前にあった風景である。自分も若い頃、こんな写真を撮っておけばよかったなと思いながら頁をめくる。なにせ高校時代からのカメラ小僧である。写歴だけは三十年を超える。 反対に、金沢になかった風景もある。東京下町は河口の町だから、大きな川のほとりの写真が混ざるが、そういう景色はこちらにはない。東京に住んでいたので、風景としては見たことはあるが、実感としてこちらの気持ちは動かない。もともと、金沢は前田様の御城下、東京的な意味での下町らしい下町はなかった。 中で一枚、古い銭湯の、脱衣場から庭を撮している写真に目がとまった。四半世紀前、私が毎日通っていた目黒川近くの銭湯の脱衣場とそっくりで懐かしかった。あの時、風呂から上がって体を冷ます間、木造りの脱衣箱の横に椅子を置いて、小さいながらも趣のある庭を眺めてぼんやりしているいるのが無上の楽しみだった。 当時、東京の銭湯は、まだ、由緒ありげな御殿造りが多く残っていて、当時の生活の中で、古き良き東京文化を最も身近に実感できる空間だった。江戸の名残りに触れている、そんな感覚をあの時感じていたように思う。 あの銭湯は、玄関が唐破風(からはふ)の屋根、脱衣場は合天井という贅沢な造りで、大正時代にブームがあって、競ってこうした様式の建物になったのだということを、後に建築の本で知った。釜の燃料に建築廃材を使っていて、横に山積みにしてあった。歩いていて銭湯が近づくと、木の燃える懐かしい匂いが漂ってきたことを今でもよく覚えている。老朽化と経営難で、東京の古い銭湯が激減しているというニュースを聞いたことがあるので、もう、あの建物はないだろう。 金沢での幼児の記憶と昔の東京での記憶。それは、かつて体験したことをゆっくり呼び戻す作業だ。それに、体験したことがない東京下町の生活を想像してイメージする作業が加わる。「記憶」と「想像」は、よく似ているけれど、どこか違う。記憶は脳の奥の方から抽斗を開けるように、想像は脳の表面から湧いてくるような感じで焦点を結ぶ。それを繰り返した。それは、この写真家がまぼろしの町を提出したように、私も記憶と想像を頼りに、私だけのまぼろしの町を作り出す作業でもあった。 途中に入るエッセイは、ノスタルジーをかき立てる装置みたいなもの、たいしたものではない。東京在住者には、巻末の、私的下町ガイドが具体的で嬉しかろう。
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何度かこの日記で紹介している四方健二君の第三詩集『羅針盤』が泉鏡花記念金沢市民文学賞を受賞した。今日、正式発表されて、夜のローカルニュースで流れたそうだ。すぐに知人から、彼方が紹介文を書いていた人ではないかと電話があり、しまった、今日、発表だったと気づいた。時、既に遅しで、彼の晴れ姿を見損ねてしまった。 直接、彼に尋ねたわけではないが、闘病生活という括りなどなく、一冊の詩集としてどう評価されているのか気になっていたと思うので、この受賞は本当にうれしいだろう。病棟も明るい空気に包まれているのではないか。ここ二十年で数度しか会っていないなまくら外野応援団だけど、やはり嬉しい。 これから、ますます詩作に弾みがつくだろうと、久しぶりに彼のブログを覗いてみると、今月から施行された「障害者自立支援法」のせいで、支給手取額が月八万円から二万円近くに減額され、次の詩集出版のための資金積み立ても出来なくなるのではと心配している文章が目に入った。 食費など生きるのに必要な保障しかしない、あとの「生活潤い費」などは自己負担でという政府の考え方らしいが、直接収入の方途がないのだから、結局、不足分は家族の負担になる。親族に稼ぎのあるところならいいが、年金暮らしのようなお宅は、高齢者の受益者負担もきつくなっているし、立ち行かなくなる家庭も出てきそうだ。調べてみると、「自殺支援法」などという陰口が囁かれていたらしい。まったく勉強不足であった。 世の中、悪くなるばかりだが、逆風ものともせず、今後も感受性のアンテナを精一杯広げていってほしい。 これから多忙になるのがちょっと心配。無理せず「楽しく」乗り切ってください。改めて、このたびの受賞、おめでとう御座います。
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先週、駅西に出かけたついでに、新しく国道八号線沿いに出現したショッピング施設に立ち寄った。専門店が長屋風に並び、気に入った店に入る軽井沢や関西空港のアウトレットモールを連想する横長の建物。シェードがあるとはいえ、いちいち外の通路を歩かなければ隣の店に行けない構造に、夫婦ともども、吹雪の北陸向けではないね、冬は来ないなと評価は低かった。 この時、隣接の富山資本の大型書店にも入った。洒落た小物が並ぶ雑貨店も併設していて、カウンターに置いてあった独自に出しているミニコミ誌も女性向け。ターゲットは明らかである。 なんでも県内最大の売り場面積だそうで、整然と書箱が並び、書棚にはわざわざ番号が振ってあって、お目当ての本に行き着きやすいのがウリのようだ。つまり、ちょっと図書館の閉架式書庫に潜り込んだかような演出をしてある。
そういえば、去年、犀川左岸にできた関東資本の店は、わざわざ段差をつけたり書棚の高さを違えたりして「本の森」を散策するかのような演出がなされていた。 それに較べ、先日行った繁華街にある地元資本の老舗書店は、模様替えをしたのはいいが、よく言えばすっきりと、悪く言えば、無個性などこでもある本屋さんといった感じになった。 金沢は県外資本に喰われて地元資本が萎縮していると言われて久しいが、書籍販売も例外ではなさそうだ。 その富山資本の店で、「竅iエイ)文庫」なるシリーズの特集をしていた。趣味に特化した文庫だそうで、カテゴリーは、バイク、釣り、カメラ、写真など。そういう文庫があることさえ知らなかった。面白そうなので、その中から一冊買うことに決め、マニアックなカメラ蘊蓄本は避けて、写真本を選んだ。活字に飽いたらパラパラめくろう。 こうした本との出会いは、はじめて行った本屋さんならではの楽しみである。
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今日の午後、崩れて雨が降るまで、二週間、好天が続いた。 職場の机から外を観ていたら、前栽に背高泡立草が数本花をつけていた。最初に見つけたのは先週半ばのこと。嫌われものの外来種で、一時はアレルギーの根本原因のように言われた時期もある。生命力が強く、どこからともなくやってきて根を張る。 数日後、開通半年の山側環状道路を通ったら、道沿いのいたるところに叢生していて驚いた。ここから職場へ飛んできたのだろう。この黄色の花で秋の盛りを知ることになるなんて、ちょっと、やれやれという思いだった。 この日、お世話になっている自動車整備店の秋恒例芋煮会に出掛けた。 美味しい煮物椀を戴いてから、展示してあった新車に座ってみる。現金なもので、長くシートに座っていられなくなって、ここのところ、車に興味を失っていた。ご近所しか乗らないのだから、どうでもいいといった感じであった。 新車の匂いがする。座高が高く、今の車と景色が違ってみえる。急に、ちょっと新車でドライブしたいものだという気持ちが湧いてくる。いつもなら、待て待てと思うのだけれど、でも、そんな欲が出てくるのはいいことかも知れない。所有の車も、もう十三年目。新車で長距離ドライブを目標に、私の腰の巡航距離を伸ばす意欲づけにするというのもいいアイディアだ。さしあたり買い替えることはしないつもりだが、そんな秋の優しい日差しに誘われたかのような気持ちになった。 先日職場であった秋話題。 「この季節、以前は、よく仕事帰りに大乗寺に寄ってお参りしたものです。夕刻の秋の空気に包まれているお寺を散策し、門前から金沢の町並みを鳥瞰するのもいいものですよ。」と同室の女性に語ったら、「私もよくその上にある林檎園に行って、もぎたての林檎を買います。あそこのおじちゃん愛想悪いんですけどね。」と返された。 裏山に登るという点では同じだけど、精神はだいぶ違うんじゃないでしょうかと、私は突っ込んで、小部屋はちょっとした笑いに包まれた。 過ごしやすい夕方、こんな日は、仕事帰りに何かもう一つ自分のために寄り道をしたくなる。でも、秋の陽は釣瓶落とし。さっさと暗くなってしまって、すぐに家恋しくなってしまう。 秋の夕まぐれは、我々にアンビバレンツな感情を運んでくるようである。
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山崎正和に知的社会の構造を分析した文章がある(「日本文化と個人主義」)。私の定番教材である。それによると、明治期は、エリートと大衆という単純二極構造だったのが、大正期、エリート層が量的に拡大し、純粋なエリートと知的な中間階層に分離したという。彼は、それを「岩波文庫をつくる人間とそれを読む人間」という判りやすい譬えで説明している。 平成時代、大学進学率は五十パーセントを超えた。大学で専門教育を受けた者をインテリと仮定すると、現代は、人口の過半数がインテリという未曾有の膨張状態となったといえる。この結果、自分の専門の論文も読みこなせず、解説書の引き写しで大学を出たようなレベルの者も大勢混ざるようになった。山崎流に言うと、「岩波文庫を手にとることさえしないインテリ」の誕生である。 それでも資格はとった。世の中、仕事が細分化されるようになったから、極小範囲の知識でも、ちゃんと仕事はこなせるし、自分は専門教育を受けた専門家だと信じて疑わない。明治時代のインテリの百科全書的教養レベルからすると、知識量が抜本的に不足しているにもかかわらず、意識の上では、「少なくともオレは馬鹿ではないはずだ。」と自己同定するに至った。 総体的知的レベルが明治時代に較べぐっと上がっていることは間違いない。だが、その時代その時代でのインテリ層は、本来的定義的に少数のままのはずである。つまり、急増したのは、インテリと自己認識している大衆層なのである。 教養主義の時代、真のインテリはインテリであることを誇らなくてもよかった。名実共にインテリなのだから、周りがそう扱ってくれた。しかし、この似非インテリ時代、誰も自分を敬っていくれない。そこで、自分で周りに知らしめる必要がある。つまりは、示威行動の必要性が出てきたわけで、それが、他人蔑視の言動となって現れることになったということなのだろう。
昔、自分は学がないですからという腰の低い人が大勢いたように思うが、今では、こうした謙虚な人を見つけるのは困難だ。 この悪弊を断ち切るにはどうすればいいか。 まず、専門外の知識でもどんどん吸収するのがインテリという意識を育てるとよいかもしれない。世の中、知らないことだらけだということに気づけば自己満足的有能感は低下する。 そして、何よりも、思い上がらず、「謙虚に生きよう」と自覚する心を育てるということを根気よくするしか解決の道はないように思う。知的レベルは一層の向上が必要だし、生きていくのに最低限必要な矜持も持って貰わなければ困る。しかし、それとは関係なく「実るほど頭を垂れる稲穂かな」精神の涵養が不可欠だ。古来から言われている「分を知る」「分をわきまえる」ということ、即ち、自分を知ること。これは、とりもなおさず、相手を尊重する気持ちの現れになる。 おそらく、子供たちは性根から不遜なのではなく、それが不遜な態度になることを知らないだけである。不遜だから「謙譲の念を持とう」では理屈にも何もなっていないのことは重々承知しているが、それを教師が全面に押し立てて継続発信していくことの効果は少なくないのではないだろうか。 なんだが古めかしい結論だが、精神の持ちようの教育は、昔のほうがよほどしっかりしていた。今年のNHK大河ドラマ「功名が辻」を観ていると、武士(もののふ)の道として、どうこの局面を選択し、生きていくかと自問する場面がよくある(但し、山内一豊は奥さんの意見に盲目的に従うけど(笑))。己の分を知った上で、発想のトップに、あるべき「理想像」を持っている人は、凛として美しい。 「自分はどれほどの人間なの?」 「どんな人間になりたいの?」 まず、そこから考えさせ、自分が出した答えを、はっきり「生きる目標」にさせる意識づけこそ重要なのではないだろうか。生徒も教師も忙しくて肝心なことをし忘れている。
あれ、仕事の話と絡むので、気持ちが走って、我ながらえらく説教臭くなったような……。
そういえば、ここのところ、全然、岩波文庫読んでいない……。
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私は興味深く読んだのだが、後で、ネット販売「アマゾン」の読者レビューを見て驚いた。三分の一以上が酷評である。呆れた独断・妄想で、こんな先生に習った子供は可哀想だ、私はこの先生を「見下します」というのさえあった。仮定として言ったものを、次の章で事実として論じているとか、有名本を論証に使って軽薄だとか、一応、批判として成立する理由をあげているが、その根っこには、若い自分をこの先生は馬鹿しているという被害妄想的な不快感があるように思った。 そうした妙に論理的なあげつらいの文章を幾つも読んでいくと、自分が攻撃されたと感じたら過剰に反応するという、今ここで分析している現代の対人関係の問題がそのまま形となって表出しているように感じた。ただ、こういうと、そういう貴方の態度こそ、まさに若者を見下している。貴方もこの作者と同じ穴の狢だという反論がきっと返ってくるはずで、議論は見事なまでに水掛け論となる。 この問題、レビューに反論を書くような若い大人世代よりも、今の小学校から高校生くらいに顕著に現れているように思う。「若者」とくくったので、ちょっと漠然とした議論になり、それは今の世の中全体の傾向でしょうということになる部分もあるように思った。教育現場で、事実として起こっている問題として、対象を限定して、あくまで教育心理学的に分析すれば感情論的批判も少なかったのではなかろうか。
それに、誤解を恐れずに言えば、教育学の本は業界ハウツー本である。例えば、営業会議で、顧客をいかにくすぐってその気にさせて商品買わせるかについて会議していたとして、その内容を当の客が聞いたら、いい気持ちしないのとよく似たところがあるのではないか。 本の最後に、著者はもう一度しっかりした「しつけ教育」をと提唱している(一部のレビューアーには、これも呆れた黴の生えた発想らしい)。この点も、我々同僚同士、いつも口にしていることである。小さいうちに全然しつけがされていない子は、自分の我が儘の正当性の理屈だけが達者になって、本当に情けない高校生が出来上がる。そして、情けない大人が出来上がり、情けない日本が出来上がる……と、続く。(つづく)
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半年ほど前、読書離れ対策で「本を読む時間」というのがあった。ある生徒が内職をやっていたので注意したら、この本面白くないという。以前読んだことがあるのかと聞いたら、今、数頁読んだだけの判断だという。そんな自分勝手は許されると思うかと聞いたら、許される、面白くないものを強制することの方がよほどおかしいと自信をもって反論された。 ある先生、廊下で女生徒に注意をし、どこのクラスの誰ですかと尋ねたら、そっちこそ先に名乗るべきではないですかと言われた。ちょっと職員室に来なさいというと、「今から用事があるので、行くつもりはありません。」と、悪びれた様子もなく、きっぱり拒否されたという。 この種の、大人から見るとびっくりするような「不遜感」に、最近、あちこちで出会うようになった。問題生徒ではない、ごく普通の生徒がみせるの態度だから、なおさら問題を感ずる。どうも今の子供は、先生を先生、大人を大人と思っていないところがある。先の廊下事件など、町で女性に声をかける変なオジサンと同じ扱いをされたのだろう。 教員は、会議で、今の子供の現状を、勉強面素行面、色々なテーマで分析する。そして、今の子供はかくかくしかじかの傾向があると結論づけ、では、どういった対策がいいかを考える。もちろん、我々は教育学者ではないから、学問的統計的に把握するわけではない。教員全員の共通認識と納得があれば、そういうものと考える。 この本の著者は教育心理学の大学教授。我が勤務校の何人かの先生が読み、日々感じていることが分析されているからと勧めてくださったので、私も借りて読んだ。 確かに、ここに挙げている事例のいくつかは、我々の周囲で実際に起きている。作者は、今の若者の努力しないにもかかわらず自分は有能だと思いこんでいる様子を「仮想的有能感」と名付け、他人見下すことで自己の精神の保全をはかっていると分析する。他者軽視することで、仮想的有能感を持ち、そのため、努力を軽視するので、努力経験が乏しく、当然、失敗して傷つき、その心の傷を他者軽視で埋め合わせようとするという悪循環を起こしているのだというのである。 こうした、最近目につく若者の心理に着眼し、新書レベルでまとめたのは、この本がおそらく最初の部類だろう。現在、数十万部のスマッシュヒットになっている。過去にデータを蓄積させた統計資料などがあるわけもなく、過去と比較しての分析ができづらい分野を、できるだけ順序立てて、有名な本なども紹介しながらを論を進めている。子供が書いた作文は考え方が出ているからいい分析資料になるはずだが、昔のものはまったく残っていないと著者は困っているが、まったくその通り、国語の先生は、年度が終わると生徒の書いたものは返却か廃棄してしまい、手元に一枚も残っていないのが普通である。(つづく)
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「鏡花、秋声、犀星の世界を楽しむ」(金沢文化振興財団)という企画の一環として実施された「三文豪映画上映会」の第一回を観る。九日、場所は金沢市立泉野図書館二階オアシスホール。映画は、室生犀星原作「あにいもうと」(大映)。昭和二十八年、成瀬巳喜男監督作品である。目と鼻の先に文化的施設があることの有り難さを実感する。 上映に先立ち、笠森勇先生による簡にして要を得た解説がつく。小さい頃、犀星には血のつながらない兄弟たちとの葛藤があったことや、原作使用料の三十万円は、自分の子供たちがつくった借金の穴埋めに使ったというような裏話が披露されて興味深かった。 子を宿し身を持ち崩す上の妹もん(京マチ子)に対して、さんざん悪態をつく粗野な兄(森雅之)、近所の饂飩屋の養子の男との結婚がうまくいかなかった下の妹さん(久我美子)、この三人の兄妹を中心に、コンクリート護岸になって落ちぶれた川師の父(山本礼三郎)と、茶屋を切り盛りして生活を助ける母(浦辺粂子)の東京近郊の僻村での生活を絡めながら描いた作品。 孕ました相手の学生(船越英二)に妹への愛情を兄が吐露する場面や、もんがさんと共に東京に戻るラスト、あんな兄でも顔を見たくなる時があるのよと語る場面で、血の繋がった者同士の情愛の深さを表現する。肉親である故に憎悪と愛情が交錯するという心の真理をうまく描いてある。 映画の場面として東京は一度も出てこないが、都会住まいの娘二人は、時々故郷に帰ってくる。男相手の水商売を生業としている姉もんは、いわば、都会のもつある種の側面、一種の「退廃性」を象徴しているし、看護師として今度助産師の資格をとろうと頑張っている妹さんの生活は、これも都会生活でしかできない「アカデミック」な側面を象徴している。いずれにしても、この農村に存在しない新しい生活である。彼女らの帰省とは、すなわち、近代の前近代への流入なのである。 地元に残った兄亥之吉は、ご近所様に恥をかかないようにという発想の旧弊な倫理観を代表している。兄がもんに辛く当たるのは、古い倫理社会に侵入してきた「都会」のいかがわしさに対する拒絶反応なのであり、さんに寛大なのは、田舎に欠落している知的側面への憧憬があるからだろう。 絶大な権力を持っていた過去と違って、うらぶれて妻の稼ぎをちょろまかして酒を飲んでいるような父は、もはや、その場の「父性」ではあり得ない。息子亥之吉にそれは移譲していると考えるべきで、兄が粗暴なのは、一家を束ねようと奮闘する父性を体現しているからである。 そうした荒ぶる父である兄に較べ、母はあくまでも寛大である。どんなに娘があばずれになっても盲目的に包み込んで温かく迎える。もちろん、それは「母性」のなせる行為であり、 故郷はあくまでも戻るべき安らぎの場であることを示している。 すなわち、もんにとって故郷とは、こうした拒絶と受容の両義性としてあるわけで、それは、愛するが故に憎いという兄妹同士のアンビバレンツな感情と等価であるといえよう。 手持ちぶさたな父と吠えるばかりの兄の存在が意味する、実質的に支配権を失っている脆弱な父性とは、別の見方をすれば、この農村のおかれた立場でもある。この狭小で旧弊な社会は、前近代をかろうじて維持してはいるが、既にその堅固な足場は崩れ去りつつある。 対して、妹たちはたくましさを増している。もんはこれからも男を手玉にとりながら生きていくだろうし、さんは着々と今で言うキャリアウーマンの地位を都会で固めていくだろう。それは時代が近代の論理にいやがおうにもとって代わられることの象徴なのであり、映像は、この対比を、淋しそうに川を眺める父の様子や未舗装の農道のカットなどで補強している。 この映画は、こうした滅びの予兆をたっぷり我々に示しつつ、ギリギリのところで残る旧来の世界を一時の情景としてつなぎ止めようとしているかのように感じた。 あの妹たちが永遠に田舎に帰省することはできない。何年かしたら、コンクリート護岸整備は完了するだろうし、農道も舗装されているだろう。母のかき氷とおでんの店もいつまでやっていけるか。そもそも、老いた父母もそう長くこの世にはいまい。 田舎の家に戻って、大人の兄妹たちが大喧嘩をする時間。それは、逆説的だが、彼女たちにとっても時代にとっても、つかの間の平穏な時間ではなかったかと私には思えた。
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元NHK解説委員で、ヨーロッパ総局長などを歴任したNHKの顔の一人、平野次郎氏の講演会が勤務校であった。 冒頭、私のことを知っている生徒さんはいないと思いますという。よくテレビに出演されていたのは十五年ほど前だそうで、確かに、ほとんどの生徒は知らないようだった。毎週のようにブラウン管でお顔を拝見したのに、月日のたつのは早いものである。 話は、先日亡くなった東京ローズの人生の概説から始まった。その上で、フォード大統領在任最終日の仕事が彼女の恩赦であったのは、訪日と天皇訪米という二回の皇室との接触によって、大統領自身、日本の印象を改めたことにその理由があるのではないかという推断を下していたが、なかなか興味深い分析だった。 世界のどこどこにいた時には、という話が多かったので、語学力を生かして世界各地に赴任した国際的視野を持っている人という点ばかりに意識が向くが、「今」を見つめ追っかける仕事の裏に、しっかり「過去」を把握する力があるのを感じ、さすが、報道の解説の仕事をされてきた人らしいと思った。過去を、資料などを読み解いて再構築していく力は、商売柄、こちらも多少持ち合わせているが、それを現在に結びつけて的確に把握し、未来を予測するという力には欠けている。 一昨日の北朝鮮核実験についても、さっと今後の展開についてコメントするところなど、私にはさっぱり見えてこない部分である。私だったら、戦時中の米国マンハッタン計画がどうの、広島・長崎の原爆がどうのということは連想するが、それどまりである。どうやら私は、過去だけを発想する人のようだ。そこが、この人との能力の大きな差であると思った。 知的でインテリといった印象を受けるのは、語学が達者だからだけではないんだよと、次の日、生徒にコメントしたが、私の言っている意味は伝わっただろうか?
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せっかくなので、手持ちのボールペンで、ちょっと捨てるのには惜しいものにも換え芯がないか探した。品揃えのある店だが、そもそも換え芯の型番が多すぎて適合の番号は置いてなかった。一つのメーカーだけで膨大な種類がある。他のメーカーでも、事実上、同じ規格で造られたものがあり、流用できるものも多いそうだが、その場に、そんな「他メーカー流用対応表」が置いてあるはずもなく、目の前の大量の換え芯のどれかは使えるんだろうと判っていても、ついに行き着かなかった。 結局、今の日本では、うまく換え芯に巡りえたものだけが生き残り、そうでないボディは捨てられるというのが運命のようだ。 「インクのなくなった芯は絶対捨てないでください。ボディごと持ってきてくれると、なんとかなる場合があります。」とは店員さんの弁。 実は、この「マイ換え芯ブーム」(?)の影響で、この時、カートリッジ式マーカーも買った。あのパステル調のインクが換えられるシステム。いつも使い捨てのものばかりだったので、地球に優しく経済的だと思ったのだが、使ってみると全然ダメだということが判明した。万年筆と同じ容量のカートリッジなので、あっという間にカラになる。どんどん買い足してどんどんカラを捨てる。逆に高くついてゴミも出て、エコノミーな顔をしているだけに、やれやれ、うまく商売にやられたなあ。といった心境。主流になっていないわけである。 ということで、この換え芯という、本来、きわめて有効な環境的システム。トータル的に見て、全然、動いていないということが判った。例の、自社製品を買わせるためにわざわざコードの差し込み口を特殊にするやり口と同じような「消費の論理」がここでも横行しているのだろうというのが結論である。 さて、ここまで読まれた方の中には、何、細かい話しているのだ、そもそも安物は使い捨てでいいではないかと思われた方も多いかもしれない。だが、こっちの商売、一回の定期テストの採点で、赤ボールペンがほとんどなくなるくらい使う。つまり、大事な飯の種である。一番安い細身の透明プラスチックのものでも年に何回も事務方に換え芯を貰いに行く。 これで、急にボールペンの話をした理由も判ったのではないですか。今、採点の真っ最中です。 あ、ただし、今日のような祝日に家でせっせと採点していても、どこからも手当はくれません。
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出先で急にメモをとる必要にせまられて、急遽、ボールペンを購入した。本当なら一番安いので充分なのだが、せっかく買うのだからと、ちょっと高いものにした。といっても二百円の。 ボールペンにお金出すことは、まずなかった。大抵、販促グッズとしてもらったりするもので済ましていた。 ところが、このペン、思った以上に書きやすい。グリップが太くて滑り止めがついているので手が痛くならない。ペン先の滑りもよく、人間工学的によく考えられている。こんな時の百円の差は大きい。以来、ちょっと筆記用具に興味がいくようになった。 この話を愚妻にすると、今の進化などとっくに承知で、なんでもマイブームが今は文房具だそうだ。そういえば、紹介本を図書館から借りてきてせっせと読んでいた。 確かに、古より風流人士は文房(=書斎)の道具に己の趣味を遺憾なく発揮したものだ。趣味の王様と言う人もいる。 よし、それなら私もと、勇んで大型文具店に行って、店内をじっくり巡った。洒落た事務用品、万年筆などいろいろ見たけれど、結局、買うことにしたのは紐付きのボールペン。運動記録員が首から下げているあれである。もちろん、私はそうは使わず、これを職場で毎日抱えている書類カゴに結い付ける。これで、教室にペンを置き忘れることもなくなるという寸法である。 いいアイデアだとその瞬間は思ったのだけれど、「風流人が文机に頬杖しながら、吟味の筆記具でおもむろに筆を走らす」というイメージで買いに行ったので、当初の趣旨からはずれて、ちょっとすっきりしなかった。 そこで、改めて机の中を眺めてみると、私には愚妻の実家から贈られたモンブランのボールペンがあった。ストックの芯が劣化して最近は使っていない。よし、これを救出し、どんどん使ってリッチ感を味わおうと決心して、後日、また、その店に寄った。 ボールペンリフィル(換え芯)ありますよと出してきてくれた値段を聞いて驚いた。一本千円を超す。日本製の結構いい感じのボールペンが買えてしまう。でも仕方がない。「これ下さい。」 ちょっとカッコつけようと思うだけでなにかと物入りである。趣のある文鎮や高級筆記用具が何本も無造作に机に置かれていて、「これぞ男のスタイル!」と主張している書斎写真を男性誌などでよく見かけるけれど、換え芯一本で驚愕しているようでは、到底、あんな風になりそうもない。 やっぱり、百円高いボールペンや紐付きみたいな、実用本位、現実直視路線でいこうと、急に小さく決心を変えました。ヘナヘナヘナ。
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日記のカテゴリーに「壊れる」という項目を新設しなければならないかのごとく、どんどんものが壊れる。今年に入り何度この手の話題をしていることやら……。 デジタル一眼レフのバージョンアップの案内があったので、作業をしたらピント合わせの作動がおかしなり、急遽、修理に出した。一ヶ月かかるそうで、秋の写真日和に、ちょっと所在なさが募る。 先日、部活動のビデオカメラを部員が落下させてお釈迦。これは新規購入することになって、先々週は電機店めぐりだった。 愚妻は、取っ手のとれたバッグの、そのブランド直営ショップが地元百貨店にできたとかで、勇んで直しに行った。 家庭用の充電式ハンディ掃除機の充電池も弱ってきた。交換が必要で、先日、どうすればいいか、メーカーの地元営業所に電話を入れた。直接持ち込めばいいのですかと尋ねたら、こちらでも受け付けますが、ホームセンターでもOKですとのこと。手数料分安いのでしょうから仕事帰りにそちらに寄りますと言ったら、いえ、話は逆で、こちらは定価だが、小売り店は割り引いてくれるとのこと。余計な経路がかかっている方が安いというシステムにちょっと違和感が残ったが、もちろん、安い方がいい。先の休日、ホームセンターへ。また、新品買うのと変わりませんがいいですかと釘を刺されれる。 それにしても、充電池はへたれるもの。定期的に交換が必要なものが奥深くに内蔵してあって、「修理扱い」なのは、いかがなものか。 他に、電気髭剃りも同様の症状、十五年選手の単品CDプレーヤーも時々キュルキュル空まわり、銀塩カメラの内蔵ストロボはバネが外れたまま。テレビの画面は上に上にとズレて、ブラウン管はプッツン寸前状態。あれもおかしい、これも完璧ではない……と、もう、挙げ出したらきりがなくなる。何十年と傷みゼロというものは何もない。 私の財布には、だから、常時、「修理お預かり伝票」が入っている。あっちに出しに行き、こっちに取りに行く。
先日、上の犬歯の詰め物がとれた。 あ、これも修理に出さなくては……。 でも、出す時は体ごと。「お預かり伝票」はない。
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(観劇感想文の頁(「私のかあてんこおる」)に新規アップしたものと同じ文章です。臨時にここにも掲載し、時期を見て削除します。) 芸能人を見た シルバーライニング・プロデュース公演『最後の恋』第二六二回例会
ニールサイモン作のコメディ。マザコン気味の真面目な中年男が、恋のアバンチュールにチャレンジしようと奮闘する三幕もの。ロマンを求める主人公が、さっさと情事を済ませたいさばけた人妻(萩尾みどり)と折り合わずうまくいかない一幕目、女優志願の跳ねっ返り娘(真織由季)にマリファナまで吸わされ、翻弄されて終わる二幕目、鬱病で悩む友人の妻(音無美紀子)とは、励まし役になってそんな雰囲気が吹っ飛んでしまった三幕目と、女優が幕毎に変わる一種の二人芝居である。 たわいもないやりとりが続く。願いは成就しないだろうことも判っている。内容をどうのこうのというお芝居ではない。それぞれの女優の演技を楽しめばよい。 この舞台、劇団の公演ではなく、制作会社が芸能人を人選してプロデュースする、いわば、名前でお客呼ぶ方式。そうした意味で、主役が愛川欽也から鶴田忍に交代したのは、営業的にマイナスである。客の注目は、萩尾と音無の二人に集中する。 お二人ともTBSのテレビドラマ出身というイメージが強いが、しっかり舞台発声、舞台演技になっていて、二階最後尾で観ていても聞き取りにくいこともなく、そのあたりはさすがだった。 特にNHK教育テレビ夜の生活番組でよくお見かけした萩尾さんは、おそらく庶民的な感じの人なのに、サバサバお色気路線の役柄を大胆にこなしていて、さすが女優さんと感心した。 各幕、三十分ちょっと。長かった休憩をつめて「通し」でやって、ミニシアターあたりで上演したら、小粋な芝居だと思ったかもしれない。もともとそういう台本ではないのか? (あと二人は知らないレベルの演劇ファン) (2006・9・30)
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前に紹介したG・ミラバッシ(p)のライブCDのことが出ていないかと、「もっきりや」のHPを観ていて、チャリート(vo)のライブがあることを知った。 そういえば、ライブハウスで生演奏を聴くなんてことは、六年程前、南青山の「ボディ&ソウル」で辛島文雄(p)グループを聴いて以来である。ただ、あそこはジャズクラブで、もっきりやのようなフォークもするライブハウスとはちょっと雰囲気が違う。 地元で聴いたのはいつだったろうと記憶を遡ると、どうやら、一九七七年、山下洋輔(p)とA・ロイディンガー(b)のデュオを「ヨーク片町」で聴いて以来らしい。あそこも厳密にはライブハウスではなくてジャズ喫茶というべきところ。当時、片町大通り沿い、細い階段を上がった二階にあった。小さな店のテーブルをどけて、十数人が入れるスペースを作っての演奏会。 あの時、ピアノの音が狂っていると山下からクレームがあったらしい。客が入ってから、やおら調律師がやってきて、ビーンビーンと作業を始め、我々はその一部始終を見守った。だから、開演は一時間遅れ。それでも誰も文句も言わずじっと待った。今考えると悠長なものである。山下さん、鍵盤肘打ちで、どうせ、またすぐに狂うのに……。 もう三十年前の思い出。 それなら、久しぶりにと、愚妻を連れ出して夜の繁華街に出向く。平日(二十六日)のこの時間帯に柿木畠周辺を歩くのは珍しいが、七時前だというのに、通りは閑散としていて、地方都市中心部の地盤沈下をまざまざと感じる静けさだった。 なにせライブ経験不足である。開場一番乗りで店に入ったものの、誰も後に続かず、私たちだけだったらどうしよう、歌ってくれるかしらと愚妻は要らぬ心配をしていた。それでも、ステージが始まる頃には三十人ほどの客が席を埋め、ちょうどいい密度になった。 席は最前列。まあ、新参者ですから、少し後ろでゆったりと聴くなどというお上品ことはしない。貪欲に聴くという態度満々。 まず、大石学(p)トリオの「枯葉」からスタート。ラジオの生演奏収録番組などで、日本屈指の実力派だと知っていたので、彼らの演奏も楽しみだった。彼のピアノは、正統派スタイルのアドリブの他、曲によって、フリー風のスケールアウト、ハンコック風のファンクリズムとあらゆる奏法を熟知したオールマイティぶりを発揮、ガンガン飛ばす疾走感が素晴らしかった。 「東京ジャズ2005」の圧倒的パフォーマンスで更に脚光を浴び、今年、ビッグバンドとの競演アルバムが話題を集めるなど、赤丸急上昇中のボーカリスト、チャリートの歌は、二十年選手のベテランぶりを感じさせるメリハリの利いた歌いっぷりでパワフルの一言。私の座席の二メートル先で、奥歯の歯並びまで見えるほど大きく口を開けてシャウトする発声に圧倒された。 曲は、「ニカの夢」「バードランドの子守歌」などのジャズ曲も混じるが、「愛するデューク」「素顔のままで」「ソングフォーユー」などポピュラー曲中心で、愚妻も聴いたことある曲ばかりでなじみやすかったとのこと。でも、有名メロディべったりではなく、スティービーワンダーの有名テーマをチャリートがロックビートで歌った後、一転、高速フォービートとなってピアノが火を噴く展開など、変幻自在なリズムチェンジがいかにもライブならでは臨場感を感じさせた。シンバルの鼻先に座っていたので、外人ドラマーが叩く太鼓のパルスが体に直接響き、パワー感、音圧、リズムのノリなど、四人全員で発散する、音楽が持つプリミティブな魔力に酔った一時だった。 かぶりつきでジャズを聴くという、これまでしたことのない経験に、私も愚妻も大満足だったが、帰りの道すがら、愚妻は「行ってよかったわ。ボケ防止には、日頃したことのないことをすると、脳の刺激になっていいという話だもの。」と今宵の行動を総括した。 せっかく最高のライブを聴いて、そんな哀しい理屈、つけんでもよろしい。
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この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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(マイノートパソコンと今は無き時計 2005.6 リコー キャプリオGX8)
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