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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

 2006年12月01日
  半藤一利 『昭和史』(平凡社)を読む

 半年前に読んだ『昭和史』の戦前篇。もちろん、こちらのほうが先に出ている。
 まず、冒頭、昭和に到る大正の流れを、「統帥権干犯」と「天皇口出しせずの態度」の確立の二点で押さえることで、以後の動きを判りやすく説明している。このため、一つ一つ「点」でしか知らなかった事件・事変の背景が流れとなってつながって、よく理解できた。
 読んでいて、時局が切迫するにつれ、暗澹とした気持ちになっていく。軍部が陰謀につぐ陰謀によって政治を掌握していくさまは、今で言うとテロそのもので、日本が見事なまでにテロリズム支配国家化していったことが判る。
 しかし、半藤は軍部の独走だけにその責をかぶせてはいない。軍部と結託して、好戦思想を煽りまくった日本の新聞界にも言及しているし、それを喜んで受け入れていった国民にも言及している。確かに、指導者、マスコミ、国民、
この三者のいずれかに冷静な視線があったならは、どこかでブレーキがかかったはずである。国際情勢の無知、西洋の手練手管に較べて無垢の赤子の如き外交オンチ、上層部の長期的展望のなさ、責任の所在をはっきりさせないナアナア主義、場当たり的対処療法的政策、集団熱狂好き。読んでいて、結局、あの戦争は日本人全体の責任であり、日本民族が生来持っている弱点の発露だったのだという感を強くする。
 日本人の海外侵略に対する楽天的肯定論は、島国住民の大陸願望とでもいうべきもので、血として潜在的に太古の昔から受け継いでいる。近代社会の中で許されざるこの志向を、皇国の発展を大義名分として国民に示すことで、その血を刺激させ、且つ、長年続いた「お上には逆らえぬ」的発想が染みついている日本人気質がそれを後押しする。おそらくそんな精神構造だったのではないだろうか。
 現代日本人稼業(?)を長くやっていると、ああ、この動きは、見事なまでに日本的だと思う時がある。明らかに恣意的な方向性作りが行われ、多くの者がそれに内心疑問を感じているにかかわらず、「世の中の流れ」だからと、唯々諾々として従うばかりか、一部には積極的にそれに乗ろうとする輩も出てくる。この構図は現代の組織の中でもそんなに珍しいことではない。
 そうした日本人の陥穽が、戦後、そんなに問題にならなかったのは、ただただ平和で、戦争という大事が眼前にぶら下がっていなかったからで、一旦緩急あらばどうなるかは火を見るよりも明らかである。日本人は戦前と何も変わっていない。(つづく)

 2006年11月30日
  どこでも同じ?
 今住むマンションでは、数年に一回、排水溝の清掃がある。高圧噴射で「お通じ」をよくする作業。業者が各戸に入る。
 その朝、我々夫婦はすっかり忘れて、部屋は散らかり放題、風呂場の排水目皿にも髪が詰まり放題、すべてほったらかしのまま、家を出た。気がついたのは次の日の朝、カレンダーのメモを見つけてから。この惨状を業者さんと管理人さんは「とくと拝見」していったに違いない。
 私は考えただけで顔から火が出る思いで、慌てて、寝ている愚妻を起こした。ところが、あにはからんや、愚妻は平然としている。終わったことをくよくよ後悔しても仕方がないというのである。さすが、「家事は人生の無駄」をスローガンにし、日頃、「家事はしたい人がすればいい、私はしたくないからしない。」「部屋が汚くても生き死にには関係ない。」と嘯いている人らしい鷹揚な態度であると感服した。
 ただ、世の中、男女平等といっても、いまだに部屋が汚いのは奥さんの責任という風潮がある。ここのような田舎で、そんな旧来の常識が完全になくなるのはもう数十年先のことだろうから、管理人さんに顔を合わせたら、「奥さん」として、お前の方から謝っておいた方がいいのではないか?と言うと、愚妻は、そうね、わかったわと、これはなかなか殊勝に私の言うことに同意した。
 ところが、その朝、管理人さんにバッタリ会ったのは私のほうだった。そこで、私が謝る羽目になった。まるで全責任が私にあるかのような具合いになって、「旦那さん」としては甚だ不満だが、こうなったら仕方がない。
 「すっかり失念しておりました。さぞ、汚くて驚かれたでしょう。」と頭を下げたら、管理人さん曰く、「いえ、ご心配には及びません。どこも一緒ですよ。」とのご返事。
 フォローになっているような、確かに汚かったと追認されてしまったような、こちらとしては微妙な気分だった。
 あんまり深く考えないで早く忘れよう。
 2006年11月27日
   リズムを刻む
 今年は、秋にビッグアーティストが金沢に来なかったので、その分、恒例の「ビッグアップル・イン野々市」のチケットを早々に買って、二十六日を楽しみに待っていた。今年はジョン(b)とジェフ(as)のクレイトンブラザーズ。兄のジョンが率いるビッグバンドは、近年、一流の名をほしいままにしている。
 今回はスモールコンボでの演奏。基本的にはオーソドックスなハードバップながら、よく聴くとテーマ部の合奏でかなり細かいアレンジが施されている。だから、その部分も聞き所で、安易なソロ回しに終わっていない。
 それは、彼の曲を取り上げた地元ムーンライトジャズオーケストラの演奏を聴いても感じたこと。豪快にスイングする判りやすさは維持しつつ、吹奏に強弱をつけたり、音をわざわざフラットさせたり、なかなか手が込んでいる。ベイシーサウンドでは飽き足らない耳の肥えた層も音楽的に満足できるし、演奏者側も適度な難度があって挑戦のしがいがあるのではないか。決してソロプレーヤーとしてビッグネームではなかった彼が、編曲家・リーダー・指揮者・教育者として、近年、うなぎのぼりに評価を高め尊敬を集めているのが判るような気がした。
 ピアノは予定されていた子息から一流どころのベニー・グリーンに変更されていて、これは儲けものだった。去年、コンコードで来日した際は、ギタリストとのデュオだったので、落ち着いた演奏に終始したが、今回は、水を得た魚の如くノリのよい演奏を聴かせた。彼の参加によって、多弁な中に持ち前のブルースフィーリングの効いた厚みのある響きが加わっていたように思う。速い運指も楽々こなし、オンリズムのソロも親しみやすいパッセージの連続で、嬉々として弾いている感じだった。
 それにしても、このリズム隊の安定感こそ本場ものという気がする。日本人の演奏が続いた後、第二部で彼らが登場し音を出した途端、ぐっと音が締まってリズムが生き生きとうねりだした。その上、冒頭、アップテンポを二曲続けて一気に聴衆を乗せ、アルコ弾きのムーディな曲でしみじみとさせるなど展開も手慣れていて、ジャズファンを一気に魅了させた。
 トランペットがバラードを奏でている時、私はふとステージの足元を見た。超スロー曲にもかかわらず、ペット奏者はしっかり足でリズムを刻んでいた。横のベニーに眼を移すと彼も。そして奥のジョンも足踏みをしている。その足の動きが全く同じ。多分、テンポが遅いほどそれは重要な行為なのだろう。
 ジャズマンのリズム感は天性のもののように思われがちだが、無意識にせよタイムキープの努力の賜物として、あのリズム感が生まれているということをその瞬間知った。この日一番の発見だった。
 2006年11月26日
  和と写
 寒さは日に日に冬を告げているが、今年は北陸にしては晴れの日が多い。日中でさえ斜光の影が長いが、重たい雲が覆う北陸ではそれさえ珍しく、今年は写真日和の年といえそうだ。
 昨日も晴れたので、午前の仕事の後、小外出。中村記念美術館で開催中の「加賀伝来の名碗」展を観にいく。本多町の崖麓にある小公園に面して、古い和の家の旧中村邸と、鉄筋の新館がある。
 旧中村邸のほうで「金沢里山工房交流会展」なる展覧会をしていたので、内容もわからぬまま、そちらから見学する。家に籠もっていたら出会えない偶然の歓びである。漆、陶器、染め物など様々な分野の若手地元作家による新作クラフト展で、二階客間の平机にこまごまとした作品が置かれる。建物を味わうもよし、畳に座って作品を眺めるもよし。ガラスケースごしに覗き込むのではない暖かさを感ずる。ちょっとお金持ちの旧家にお邪魔した感覚であった。
 新館は二回目の訪問。茶道専門の美術館である。「加賀伝来の茶碗」展は、李朝南宋伝来など年代物の茶碗が並ぶ。ゆがみの美、高台の形状、かいらぎや釉のかけ具合、古びた味わいなどを味わえばいいのだろうが、茶道の眼を養ったことのない私にはちょっと高尚すぎる部分もある。ただ、忍草の文様に釉薬がかかった仁清作は、人の手業と自然のつくる造形がバランスされてなかなかの佳品だということは判った。
 碗はまず袋に入れ、緩衝材にあたる小さな枕・布団とともに箱に詰める。その箱をまた袋で包む。それらの包みものも展示してある。袋の色は碗の色味と合わせてあり、この外の袋の紐を解くところから茶の心が始まるのだろうと想像した。
 この美術館の最大の楽しみ、茶室を配する日本庭園を観ながらお抹茶とお菓子を戴き、庭に出て秋の和の写真を撮る。
 先日の伝統産業工藝展を観て、ああ、こうした世界は大事だという意識が醸成されていたのと、秋の斜光を受ける庭園は綺麗だろうという写欲が合わさって、ここに来ようと思ったようだと後で気がついた。
 2006年11月25日
  世界に飛び立つのは

 構えなくても心にすっと入っていく文章ということで、九月に再読したばかりの星野道夫のエッセイ『旅する木』(文芸春秋社)を後期校内読書会のテキストに選んだ。下準備をしていて、集中の佳作「アラスカとの出合い」が中学三年の教科書「国語三」(光村図書)に入っていること、高校の英語教科書にも彼が紹介されていることを知る。もうどんどん教材化されているようである。
 司会係が熱心に色々な質問を考えてきてくれたので、それをもとに話し合いは進行した。
 「星野さんは十六歳でアメリカ単独旅行をしましたが、皆さんはどこに行きたいですか。」という質問には、参加者の女性は全員、外国の名を挙げた。行き先は、アメリカばかりでなく世界各地に散っていて、しかも、しっかりした人生上の理由があった。男性陣が国内旅行ばかりだったのと対照的でる。
 そういえば、以前、「国際交流会」を企画し、世界各国の方をお招きした時、参加者に男子生徒は一人もいなかった。かつて「私は男に期待しない、女性に期待する。」と言い放った某評論家がいたが、確かにそんな感じである。
 「あなたの人生最大の冒険は何?」「人生に影響を与えた人との出会いは?」など、星野さんが投げかけたモチーフで、一人一人、自分の体験を語る。中にしっかりした意見をいう生徒さんがいて感心したが、後で聞くと、大所帯の部の部長さんだという。なるほど、推されるはずである。
 実施後の感想文には、「なかなか真剣な話をすることは普段ないのでよかった。」「皆がいろんな出会いがあって影響を与えられながら生活していることを実感した。」「自分の体験でも改めて考え直すと自分の中でどういう影響があったのかよくわかった。」などとあった。
 本当の自分の思いは仲がよい友だちにもあまり話さないのだろう。授業も一斉授業ばかりで、自分を人に静かに語るというチャンスは学校内ではほとんどない。
 ディベートみたいに堅苦しい枠組みもなく、茶菓も出て、リラックスした中で素直に自分の考えが言える。でも、一応、助言の先生が控えているし、みんなもしっかり答えているから、下らぬ意見は言えないとちょっとは考える。そんな中庸の雰囲気だからこそ、心に自問自答した答えを言えるのだろう。
 もっとこうした時間があるといい。真面目に生き方を考えている同輩がいることを知るだけでいい刺激になる。それで、ぐっと大人になるかもしれない。
 「何時に終わるの? 部活があるから、早くみんな意見を言ってさっさと終わろうよ。」と事前に言いにきた生徒さんもしっかり意見を述べ、いい加減な態度は見せなかった。おろらく、これまで体験した意見を言い合う集まり自体にいいイメージがなかったからだろう。
 この読書会という集まり、大学の文学ゼミとよく似ている。だから、ホントは文系の勉強の本体という気もする。
 一部の生徒だけが味わって、ほとんどの生徒はこういう世界を知らずに大人になってしまう。残念だなあ。

 

 

 

 2006年11月23日
   距離をのばす
 痛みは相変わらずだが、では、平行線なのかといったらそうでもなく、一年前に較べ、少しはひいていると感じる時もある。出来るだけ普通の生活を送るよう心掛け、騙し騙し日常業務をこなす。端から見ると、行動がスローモーで、いつも小脇に座布団を抱えているオジサンといったふうに見えているはずである。
 先日も、急な打ち合わせが入り、隣の新人とほぼ同時に部屋を出たのだが、到着にかなりの時間差があって、待っていた同僚にえらく笑われた。好きこのんでゆっくり歩いている訳ではないのだから、そんなに笑い転げなくてもね……。打ち合わせの開始がそれで微妙に遅くなる。こんな小さなご迷惑をあちこちでかけている。
 この日記で、高岡に行った七尾に行ったと、行動半径がどんどん大きくなったかように書いているが、実際はすべて愚妻と連れだっての行動で、運転は半分もしていない。先週、研修で羽咋に行き、これが、病後、単独行の最長距離になるはずだった。
 ところが、数日後、同僚の御子息の葬儀のため、急遽、その奥の志賀町まで行くことになった。まだ同乗者を乗せての運転は心配である。一人で行って一人で帰る。人の御不幸で自分の「健康」の距離を伸ばそうとしているようで、不謹慎とも思ったが、それも仏縁、距離をのばしなさいという思し召しかもしれないと思い直した。朝、座布団の余分を持ち込み、バケットシートの背中にあてたりして運転体勢をつくって出発。
 逆縁は不孝中の不孝である。親は、老いの悲しみを感じても、子の成長を見るにつけ、生とは代の受け渡しだからと心を平静にしていられる。そうした心の平安が崩れる。急に老いが露わになる。愛する者の喪失という直接的な悲しみが去ると、そうした、風に晒されているような自分自身に対する悲しみに嘖まれるのではなかろうかと、急死した故人と面識のない私は、残された親御さんの心情ばかりが気にかかった。
 車中、喋る相手とてない。能登海浜道路のロードノイズが響く中、八月に亡くなったデューク・ジョーダン(p)やビル・エバンス(p)のトリオをずっと聞いていた。
 ジャズをBGMに高速でクルージングする。私にとってはそれだけで非日常の世界である。目的もなく、ずっとアクセルを踏んでいたい。そんな気持ちを、この日、ずっと抱えこんでいた。
 2006年11月22日
   (つづき)
 今回の安楽死の議案など、医療、倫理、人権、宗教、様々な問題が絡む大問題である。それを、言うなれば「二元論」という形に仕立てて話し合いさせるわけで、高校生レベルになると、その枠組み自体が窮屈なものに感じられるのではないかと思ったし、また、そう感じてもらわなければ困るとも思った。つまり、高校生には幼なすぎる枠組みだと思ったのである。
 何事もレベルにあった教育方法というものがある。七夕という行事を中心に、織姫・彦星の物語を聞いたり(国語)、お飾りを作ったり(図工)して勉強を組み立てていく「生活単元学習」は、教育に具体性が必要な幼稚園だからこそ有効なのであって、小学校も高学年ともなると、しっくりこなくなる。それと似たところがあるのではないか。
 司会進行に的確な運行が求められるし、全員が真面目に取り組むことが大条件になっているなど、教員の事前の労力が大きい割には、失敗するリスクも大きい、なかなか大変な教育方法だと思ったことだった。
  次の日、小中でやったことがあると手を挙げた生徒に、続けて、このやり方はいいと思ったか、くだらないと思ったかを聞いたところ、半数ちょっと多めの生徒が、くだらないと思ったという。このパーセンテージは、そのまま、その時盛り上がったか白けたかのバロメータになっているはずで、うまくいかなかった方が、やはり、少し多かった模様である。 
  会では、最後に講評として「ディベートはテーマの設定の善し悪しで成否が決まる。」という指摘があった。
 何でも、その方が観た小学校のディベートは「給食はご飯かパンか」というものだったそうだ。彼の言い方では、「早々に崩壊していた」という。「どっちも食べたい。」で衆目一致して議論にならなかったらしい。
 うん、正しい結論。厚生省もいろんな種類をバラエティ豊かに食べなさいと言っている。そんな、どっちもいいことを「是か非か」にした大人のほうの大失敗である。
 2006年11月21日
  ディベートの授業を観る

 研修でディベートの授業を参観してきた。高校国語の単元として取り組んだものを観たのは初めて。一時期、小中学校で大流行して、猫も杓子もディベート、ディベートと叫んでいた時期があったが、今は盛りも過ぎたようで、後で、三年生の教室で聞いたところ、ほぼ全員やった経験があるのに対して、一年生は過半数といった感じだった。どうやら、数年前に下火になったようだ。
  ディベートという言葉には「攻撃する」という意味がある。小学校と違って、高校生になると、「立論」「第一反駁」「第二反駁」などという堅い言葉が行き交い、思った以上に、相手を論破して勝つという「やっつける」ことを重視するのに驚いた。ある種、言葉のスポーツである。
  「安楽死は是か非か」というのが今回のテーマだったが、最後のジャッジは、五対〇で賛成の勝ちとなった。私は最初、たったこれだけの論議で安楽死に賛成していいのかとあっけにとられたが、違った。どっちの班が勝ったかの判定であって、中身の判断とは関係ないのであった。
 何事にもいい点と悪い点がある。一、言い負かされるので、自分で調べる態度が身につく。二、論理立てて説明する態度が身につく。三、しっかりと声を出して話すことができる。四、公平な立場で、問題を整理しながらスムーズに司会進行することができる。などの力がつく反面、問題も多いように思った。
 自分の意見とは無関係に、仮にどちらかのグループに入って理屈を考えるという方法は、極論すれば、「心にもないことでも理屈をこねて突っ切れば勝ち」という心性を育てかねない。また、中身あっての議論でなければ意味がないように思うのだが、議論の外形にとらわれて、形式的なものになってしまうのではないだろうか。その上、ジャッジという行為自体も馴染まない。多くの場合、議論というのは認識が深まったことにこそ意義がある場合が多い。
 何だか、私は、このやりとりを聞いていて、一部ではあるが確実に多くなってきている、他人を見下すような態度の子供たちを、鋭意、育成した犯人は、このディベートだったのではないかという妄想が湧いたのだが、いくらなんでも、ちょっと短絡にすぎるかもしれない。(つづく)

 

 2006年11月18日
   (つづき)
 肝心の川崎和男展自体は、自分が作った工業デザインの製品を使って、更にアートとして再構成したといった趣で、実用と美の融合というデザインの基本をしっかり押さえた上で自由な飛翔が感じられ、楽しく、好ましいものであった。それだけに、ゆったりとした贅沢な気分を味わうことが出来なかったことが返す返すも残念だった。
 すっきりしない気持ちだったので、当初、行こうか迷っていた県立美術館の「第五十三回日本伝統工藝展金沢展」にも行くことにした。所謂、美術館のハシゴである。館内はもちろん静かで、年齢層はぐっと高くなる。ファッショナブル路線の今時娘は皆無。
 ちょうど、島崎館長によるギャラリートークが始まったばかりだったので、そのまま最後まで説明を聞きながら館内を回った。
 館長さんのお話は、陶藝・漆藝から服飾・人形まで、すべてのジャンルに及び、その作品にどんな技法が使われ、どこが制作上難しいかを判りやすく解説されて、有益であった。
 また、これは金沢の○○町に住んでいる誰それさんの作で、この方はこんな技法を、今、力を入れて研究中であるとか、この方は、大家の誰それさんの跡を継いで頑張っている娘婿さんだとか、ローカルで、且つ人間的なつながりの部分でもお話されたので、作家さんに一層親近感が持てた。
 しかし、何より一番感心したのは、「ちょっと横の柄と表の絵がマッチしていませんね。」「あでやかですが、ちょっと深みに欠けるところがありますね。」など、時々入る評価の視点が実に的確なことで、そう言われてみれば、確かにそういう欠点を持っていると納得できる批評ばかりであった。
 その後、ホールで、人間国宝魚住為楽が銅鑼を作る工程を記録した映画「銅鑼 三代魚住為楽のわざ」も鑑賞した。終わりにご本人が登壇され、茶の湯の開始を知らせる銅鑼叩きを披露された。初めて人間国宝の銅鑼を聴いたが、ボーンというやさしい音色であった。
 一人の作家が、気の遠くなるような工程を繰り返し一つの工藝品を作り出す。伝統を継承しているもの、大胆な創意工夫があるもの。いずれにしろ、時間をかけ手間をかけた手のぬくもりの美しさは、現代アートには見いだせないものだ。この展示を見ていると、新しい意匠を纏っているものほど姑息で、作家がもがいているように見えてくる。「伝統そのもの」という枠内で、営々とこれまで築かれてきた中の最高のものを作ろうと志向している作品ほど尊いものに見えてきた。
  対して、現代アートは「時間」や「伝統」を纏っていない。今、一瞬の美を表現するのに、技法の伝統性に埋没してはいけない。むしろそこからいかに脱却するかを競う。作品のテーマも、花鳥風月ではいけない。新しいテーマと動機の新鮮さがすべてに優先して勝負である。
 作品の物理的な意味での恒久性も意に介していない。昨年、二十一世紀美術館の外庭で展開されていた珪藻土プロジェクトのオブジェなど、あれだけの労力をかけていたので、てっきり恒久展示のものかと思っていたら、もう跡形もなくなっていた。旬は旬のうちに。古びる前に抹殺することで時代とジョイントさせ、封じ込めさせて鮮度を保つ。そういう思想なのだろう。午前中の印象があまりよくなかったせいもあったろう。新しさの薄っぺらさというものを感じないではいられなかった。
 私は「百工比照」の町、金沢の人間。新奇なものを、さもわかっているかのように論評吹聴するより、伝統の手業の良否巧拙をじっくり見極められるほうがいい。そちらの方がよほど私の方向だという思いが沸々と湧いてきた。
 2006年11月16日
  喧噪と叱声の金沢21世紀美術館
 先日、金沢二十一世紀美術館に「川崎和男展 いのち・きもち・かたち」を観に出かけた。
 中に入ると、休日ということでごったがえしていて、ざわついた雰囲気が館全体を覆っていた。団体客がどっと入ってくる一方、オシャレ雑誌から抜け出てきたような女性が、年代物の銀塩一眼レフでシャッターを切っている。ケータイ写真はもうあちこちで。ケータイで喋っている人も多く見かけた。この時点で、落ち着いて美術を鑑賞するという雰囲気ではないと感じた。
 有名な騙しプールでは、下から子供が仕掛けの透明アクリル板を叩くの叱る監視員の声が響いていた。愚妻は、巨大な縫いぐるみが展示してある部屋に掛かっていた着ぐるみを何気なく触って、係員に注意されていた。子供は着てもよいと新聞に紹介されていたから、お触り禁止の理由がよく判らないと彼女は釈然としない様子だった。
 有料ゾーンに入場しても、監視員が触らないようにと注意する様子があちこちで見られ、私が見学している間に計五回もそうした光景を目にした。子供連れ客が部屋に入ってくると、監視員がマークして、子供がそういう素振りをするのを待ち構えて注意している様子は、正直、見よいものではなかった。
 なぜ、こうなったか。おそらく事態はこういうことだろう。
 参加型美術館を標榜した結果、この美術館には子供の入場者が多い。その点で、既に作品破損の危険性が高い。子供はここでは触れてもいい思っているか、思っていないまでも意識は低い。実際、子供が通路を遊び場よろしく走り回っていた。
 展示の仕方にも問題があった。ひとつの小部屋でも、触らずに鑑賞するものと、触ってもいいものが混在していた。小さく、触れてはいけないと案内マークはあるのだが、逆に、これは大いに触れてもいいという指示はない。椅子の作品など、みんなが座っているから座っていいようだと判ったが、人がいなかったら見るだけで通りすぎていただろう。
 今回の作品が「工業デザイン」なのも拍車をかけていた。そこに飾られているのは、時計やノートパソコンなど日常に使う、いわば「製品」である。触る罪悪感はどうしても希薄になる。
 おそらくこうした事態に、美術館側は窮余の策として、せっせと注意しはじめたのだろう。そういえば、以前、「金沢」検索で行き着いたあるブログに、注意されて不快だったと書いてあったことを思い出した。故意ならともかく、不分明なままで怒られては立腹もするだろう。これでは、徐々にこの館の評判が低下するのではないだろうか。
 写真撮影についても、今回、監視員に尋ねたところ、無料ゾーンについては差し支えないとのこと。有料ゾーンはもちろん不可なので、これでは、同じ建物内で差があることになり、これも続き意識でシャッター押してしまう人が出てきても不思議ではない。
 それにしても大変な混雑である。せっかくの体験型、無料ゾーンの創設といった啓蒙の努力が、こうした予想を上回る入れ込みによって、観光施設化という横ずれを起こしているのではないかと気になった。これでは、「現代美術=アミューズメント」として着地してしまう危険性がある。鑑賞者拡大のあれやこれやの配慮が、開館一年を経て、徐々に裏目の方向に向かっているのではないかと憂慮を感じたのだが、杞憂だろうか。
 半年展示の「コレクション展U」も、瞠目するような作品はなく、肝心の現代美術自体がこの俗化に耐えられるのか不安に思った。(つづく)
 2006年11月12日
  成果と課題

 県高校新人大会弓道競技、男子団体はあと二本足りず、四強入りを逃しました。練習でも二〇射一二中は堅いチームだったので、これを三回繰り返せば確実に入るはずでした。しかし、二回目に一〇中以下があり、これが命取りになりました。
 以下は、団体戦が終わってから私が選手に喋った話です。
 「正直、勿体ないという言葉に尽きる。何年か前の代が、なぜ四強に入ったか。飛び抜けて上手い人はいなかったが、補欠を含めて全員、勝利への意欲が高かった。試合途中、調子が落ちてきた選手を交代させても、その補欠選手が活躍したし、毎回、誰かがいい射をして、的中率を下げなかった。つまり、みんなで勝ち取った勝利で、個々の実力以上の力が出たといえる。
 今回、射の安定している選手に続く人材に、意欲に欠けていたり、意欲はあるが中りが足りなかったりと、下支えがなかった。主力が本番で延々と中りを続けるとは限らない。現状では、そうなっても誰もフォローできない。それが今回の結果になったのだと思う。今のままではプラスアルファの風は吹かない。全員で勝利を勝ち取るチーム作りをしていかねば、半年後の県総体でも同じ轍を踏むことになる。」
  ところが、この叱咤をした翌日、何と、個人戦で一位・二位・四位を独占しました。こんな大きな舞台で、身内が二人、外れるまで決勝競射を続けるなんてことは、創部以来の快挙ではないかと思います。
 我々顧問も快哉を叫んだのですが、でも、考えてみたら、そんな強者がいたのに、なぜ団体で決勝リーグ(四強)に入れなかったのかということになり、逆に問題を露呈させているようでもありました。
 すべてが終わった後の挨拶で、「成果もあったが課題もあった。」と私は言いました。第三顧問にしては辛口批評に終始した三日間だったので、部員にしてみれば、せっかく個人優勝したのに、ちょっと冷徹すぎると思ったかもしれません。
 顧問は常に次の年のことを考えます。個人藝ではなくチームワーク、大会に向けて選手以外も含め全員でモチベーションを高めていく力、この種の見えない力は、一度どこかで切れたら、最低、数年は戻りません。運動オンチのオマケ顧問でも、二十年もやっていると、そうしたことはよく見えてきます。
 逆に言うと、そこが出来ていて、はじめて本番でマジックが起こるのでしょう。「風は自分たちで掴め。」というのはそういうことで、これは言葉としては知っていましたが、身をもって実感したのは運動部に関わるようになってからです。
 運動部顧問は、皆、そうした鳥肌の立つようなマジックを見たくて、続けているようなものかもしれません。 

 

 

 

 

 

 

 

(納射(相撲で言う弓取り式のようなもの)風景)

 

 2006年11月09日
  山代の湯に入りながら考えた

  親戚の集まりがあって、山代温泉の旅館で一泊した。車で一時間、運転は妻任せ。職場の忘年会以外で加賀温泉郷に泊まるのは久しぶりである。
 宴会前の大浴場では、各地の方言が飛び交い、遠来の客が多いことが知られた。
 湯船に浸かっていると、「ここはかけ流しじゃないね。」という会話が聞こえてきた。上がった脱衣場でも、西国訛りの別人が同様のことを言っている。ちょっと侮蔑のニュアンスが入っているような感じである。
 この「かけ流し」という言葉、温泉業界では以前から使われていたのかもしれないが、人口に膾炙するようになったのは、比較的最近のことである。テレビの旅番組の影響で広まった言葉というイメージがあるが、どうだろう。ある温泉のHPによると、「温泉を湯船に流しっぱなしにして、加えている量だけ使い捨てている。」という意味だそうで、「少しでも循環した湯が混ざった場合は、かけ流しとは言えません。」と誇らしげに注意書きがしてあった。
 山代は、人口一万三千人を有する平地の一大歓楽温泉街。商店・飲食店は三百を超え、旅館数は二十四ある。収容人員何百人というホテルが建ち並ぶ、そんな中の、百人は平気で入る大湯船がお湯捨て放題のわけがない。使い切れなくてそのままたれ流しているのは、山奥の一軒宿、山あいの鄙びた温泉場といったところだろう。湯量が相当豊富な中規模温泉地でなんとかその範疇に入るところもあるかもしれないが、そんなところはごく一部。純粋な源泉かけ流しにこだわれば、それこそ「秘湯めぐり」の世界である。
 お客の要求が過度に贅沢になっている。ここはそういうことを要求する場所ではないのだというお客側の欲望の歩留まりがなくなっている。私はそう思い、喋っている人をちょっと嫌な気持ちで見た。
 旅館業は大変そうだと、体拭き拭き、関係者に深くご同情申し上げたのだが、すぐに、今の時代、どんな商売でもそうなっていると思い直して、同情するのはやめにした。
  昨今の教育界を揺るがしている単位未履修問題も、様々な要因があるが、その一つに顧客ニーズを優先した結果といった面がある。ゆったりした気分で広げた温泉の朝の新聞にも、「未履修」の字が大きく躍っていた。
 だが、私の目は、下の方に小さくあった「足立区が学力テストの結果で学校分配金に数百万円単位の差をつけることに」という記事に釘付けになった。これでは、生徒の成績が営業マンの売り上げグラフと同じになる。
 悪いのは学校だけだろうか。

 

 2006年11月06日
   徳田秋聲原作の古い映画「爛」を観る

 翌二十九日、第三回、徳田秋聲原作の映画「爛(ただれ)」(大映)も鑑賞する。秋山稔先生の解説。
 映画は、時代を戦後風俗に移行させて、現代ドラマに仕立て直したもので、増村保造監督、新藤兼人脚色。若尾文子、田宮二郎主演。一九六二年作品である。
 私流に粗筋をまとめると、次のようになる。
 「美男子のトップセールスマン浅井(田宮二郎)とねんごろになっていた元ホステスの増子(若尾文子)は、後になって、男に妻がいることを知る。彼は妻の執念深さに辟易していて離婚するという。そんな折り、増子の元に田舎での縁談を嫌って、郷里から姪の栄子(水谷良重)が転がり込んでくる。浅井の離婚は成立し、増子は妻の座を射止めたが、元妻は恨み言を吐いて郷里で狂死してしまい後味の悪いものとなった。増子は、地位の安定には子供を産むことが一番と、不妊処置を解除する手術のため入院するが、その間に、一つ屋根の下で生活していた姪が夫とわりない仲となっていたことを知って激怒する。結局、姪を、無理矢理、田舎の縁談相手とくっつけることで夫から遠ざけようとするが、夫は彼女の挙式前にも拘わらず栄子と肉体関係を続ける。」
 何ともドロドロな人間模様。自分が寝取った夫を、今度は若い娘に寝取られるという因果応報の話で、主人公の増子は、本妻が味わった嫉妬の激情を、今度は自分が味わうことになってしまう。浮気現場に踏み込んだときの若尾の狂乱の演技は壮絶で、この映画最大の見物であった。この時、御歳二十九。
 妻の座に納まりさえすれば必ず安住が訪れるわけではないということは、離婚が成立した時、弁護士から「今度は貴女の番ですよ」と揶揄される場面に、すでに暗示されている。この台詞は、原作にもそっくり出てきていて、進藤脚本も、そこをこの物語の骨幹と意識して話を膨らましている。
 何とか泥棒猫を追い出したものの、今後も、妻の座は盤石であろうはずがないことは、増子自身、重々承知していて、ラスト、姪の結婚式の後、自宅に戻った彼女が、「ああ疲れた」というふうに顔を覆うシーンで、その後も無限に続くであろう愛憎の労苦を暗示している。何の解決も展望もない。いかにも原作が自然主義作品らしい終わり方である。
 冒頭の麻雀のガラガラ音や、病棟で増子が聞くカラスの鳴き声の不気味さなど、音響でも落ち着き場のない女の立場を表現しているし、音楽も、曲というより不安を煽る「ジョーズ」のような効果音的なもので、観るものの心をどんどんささくれだたせるようにしむけている。白黒で撮ったのも、緊迫感を出したいがための意図的なものだろう。だから、見終わった後、観客は疲れたかのように無言だった。
 強迫観念に囚われた正妻が、逃げる夫を鬼気迫る様子で追っかける場面、現場に踏み込んだ時の増子の阿修羅ぶり、姪の首を絞めて力ずくで言うことを聞かせる場面など、人間が自己の立場を危うくさせるものに対して見せる、後先忘れた凶暴さをこれでもかといわんばかりに羅列してあって、迫力がある。
 ただ、おそらく現代娘あたりが観ると、「女は男次第」という台詞や、永続的に男の愛を獲得するにはどうすればいいかなど、どんなにたくましく生きているように見えても、結局は男に寄生するばかりの女性像が物足りないかもしれない。また、火種をまき散らしておいて、平然と同僚に「困っちゃたよ」レベルで語る男に唖然とし、まずそういう男を断罪すべきだし、なぜ女のほうから手を切らないか、確かならぬ愛にすがる女たちを訝しく思うかもしれない。
  原作は大正初期の作、まさに「女は男次第」時代の女の生き方を描いている。男の性的身勝手には寛容で、女に厳しいという旧来の倫理の、その枠組を、いくら現代に置き換えたとしても、この場合、外すわけにはいかなかった。その分、苦しい地方から都会に出てきて、金回りがよくモダンな生活ができそうな男とくっついて贅沢生活を続けるため、男の愛を、ある意味利用し、したたかに生きようとする女という、戦後的逞しさを付加した造型が必要だったのだろう。昭和三十七年といえば、高度経済成長が端緒についた時期である。その時代の最も新しい女という側面をたっぷりと増子は持っている。
 タイトルは「爛」だが、不道徳と切って捨てれば終わりではなく、ちょっと個々人が自分の小さな幸福や欲望を成就させようとすると、こうした愛欲絵図に陥るのだと言いたいのかもしれない。今回も、観に来ているのは、酸いも甘いも噛み分けた御老人ばかり。人間、さもありなんという感じでご覧になっていたようだ。

(映画評三本をまとめて「金沢・石川の文学」の項にもアップしました。)

 2006年11月05日
   泉鏡花原作の古い映画「歌行燈」を観る 

 「三文豪映画上映会」の第二回、泉鏡花原作の「歌行燈」を観た。十月二十八日、会場は前回と同じく金沢市立泉野図書館オアシスホール。解説は泉鏡花記念館館長青山克彌先生。
 もう二十年以上も昔、香林坊に北国講堂があった頃、昭和十八年作、山田五十鈴主演の白黒映画(東宝 久保田万太郎脚色、成瀬巳喜男監督)を観たことがある。
 ほとんど忘れかけていたが、今回の昭和三十五年カラー作品(大映 衣笠貞之助脚色監督)を観て、いくつかのシーンを思い出した。特に、破門された喜多八が、自分が殺したも同然の田舎謡曲師宗山の亡霊におびえるシーンは出色で、多重露出によるオーバーラップ手法が使われていたはずである。あの時、観客から、気持ち悪さに思わず声があがったのを覚えている。
 それに、なんといっても、ヒロインお袖役の山田五十鈴が、若く清楚な色香が漂い、大変、魅力的だった。私の世代では、山田は上品な年嵩の女優といった印象しかなかったので、その頃は、うら若きスターだったのだという当たり前のことを知って、妙に感心した。
 今回観た衣笠作品、明らかにその前作を意識し研究している。喜多八(市川雷蔵)が、お袖(山本富士子)に能を伝授する印象的な場面を、この映画でもシルエットを多用して幻想的に映像化して力が入っているし、喜多八を破門にした家元の座敷に出たお袖が、藝はお能しかできないと申告して、鼓師に「やれやれ。」といった顔をされるシーンなどは前作そっくりであった。音響効果も前作をなぞっているところがあるように感じられた。
 映像は、発端の伊勢山田から伊勢路を転々とする展開ながら、そのほとんどをセットで撮っている。しかし、それが実に細部まで良くできていて、日本映画の絶頂期らしい贅沢な作りとなっている。
  ストーリーは、鏡花原作にはない喜多八とお袖との恋愛が根幹に据えられている。これは娯楽映画として順当なところ。市川、山本という二大スターが共演していて、何もないほうが肩透かしを喰う。青山館長は、「芸道ものが恋愛ものになっている。評価は人それぞれ。」と説明していたので、もっと甘い好いたはれたの話になっているのかと思って観ていたが、藝道至上主義的な部分もうまく描いてあり、バランスはとれているように思った。シーン展開も破綻のない手堅いもの。雰囲気だけのトレンディドラマ大流行の昨今、昔はお金を出してこんなしっかりしたドラマを観ていたんだと古き良き時代に思いをはせたことだった。
 感想は以上。
 最後に、参考までにということで、映画の粗筋を載せる。
 「盲目の宗山は、伊勢山田では名を知られた謡曲の師匠だっが、上手を鼻にかけていた。そこに家元血筋の若い名手恩地喜多八が訪れ、鼓で勝負を挑み、その高慢チキな鼻をへし折った。狼狽した宗山は、古井戸に身を投げて自殺してしまう。
 宗山の娘お袖は、詫びにきた喜多八を好いたが、喜多八の父で師匠の恩地源三郎は、彼を破門して再び謡うことを禁じた。このため、彼は門付に身を落とし、諸国を流浪する身となった。一方、芸妓となったお袖も、中途半端な藝が父の身を滅ぼしたとかたく信じ、藝者の藝を覚える気力がなく、どこも馘首となり、置屋を転々とした。
 桑名で働いていたお袖は、ある夜、地廻りに襲われていた喜多八と再会する。彼女は仕舞の稽古を頼み、承諾した喜多八は、毎日、早朝の神社で仕舞を伝授した。二人が手と手を取り合って逃げる約束をしていた前夜、彼は地廻りとまた喧嘩となって、警察のやっかいとなり、約束を果たすことができなくなった。
 捨てられたと絶望したお袖は、大店の身請けを承諾し、最後のお座敷に出たが、そこは、あろうことか、喜多八の父源三郎の席であった。お袖はこれしかできぬと仕舞を舞い、感じ入った源三郎は謡を、同席の鼓師が鼓をつとめた。その声に誘われて、喜多八が唱和しながら庭に現れ、気づいた小袖と固く抱擁、父はそんな喜多八を許すのだった。」

 

 2006年11月02日
   秋の休日を過ごす

 先の休日、県漆藝界の巨星だった故松田権六の作品展「松田権六の世界」を、石川県立美術館に観に行った。以前にも彼の展覧会を観た覚えがあったが、会場に掲げてあった「年表」によると、死の翌年にあったものを私は観たらしい。それ以後も、県立美術館を中心に県内にいくつかの所蔵があり、観る機会は多かった。
 彼の作風は、日本の伝統的図案の深い研究態度から出たオーソドックスな意匠の中に、決して表立たないが、どこかモダンな部分を併せ持っていて、保守層から現代主義的な層まで、広範なファンを納得させる懐の深さを持っている。例えば、調度品の端、段差のある縁の部分の、昔なら描かないようなところまで図柄の続きが描かれていて、そうしたところに現代の芸術家らしい主張がすっと表出されているように思う。
 伝統の部分においても、万葉の時代から光琳風まで、時代が融合しているようなところがあって、蒔絵の文様の集大成といった大きさを感じさせる。並の人間国宝が束になってもかなわない斯界の泰斗だということを改めて感じた。
 会場は、第二部として彼の芸術の素地になった研究対象や下絵などの資料の展示、第三部として弟子筋の作品も併設展示され、多角的に理解できるようになっている。この日、最終日だったせいもあり、多くの観覧者が訪れていた。

 

  見終わった後、時間があったので、館の前の金沢神社周辺を散策した。
 金城霊沢の水は、手入れがされて昔よりきれいになっていた。風がないのに水面が微かにさざめいている。今でも幾ばくかの湧水があるのだろう。境内では、菅公に合格を祈る絵馬の白木が折からの陽光に映えている。
 秋の過ごしやすい日々もそろそろ終わり近くなってきた。例年なら、もう冬の前触れを感じさせる日が混じっても不思議ではない時候である。大きく遠出することのなくなった身に、こうした好天のプチ散歩は、先日の父と同じく大事な憩いのひとときである。
 秋を惜しむ気持ちが年々強くなっている。極寒の季節を越す労苦は、太古の昔、今と較べものにならないものだったろう。秋の平安の永くあれかしとの思いは、今の世を過ぐす老悖予備軍の私もなんら変わりがない。

 

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お願い

 この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。

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