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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

 2007年01月30日
  せっかくの外食なのに
 マンネリにならず新鮮な生活を送ろうという去年のスローガンは、精神的なことが欠落して、いつも行く外食の店を避け、新しい店を開拓しようというレベルで展開した。
 山側環状道路が出来て、交通緩和がはかられたので、夜、食事に出歩いても、ラッシュに巻き込まれて、食事になかなかありつけないということが減った。その分、出向く範囲が少し広がった。
 そんな初めての店での出来事。
 夫婦で食事をしていると、後ろの席の話し声が聞こえてくる。どうやら勤務校の生徒さんと親御さんのようだ。こっちには気づいていない様子で、子供が愚痴をこぼしている。
 聞こえてくるのは断片だが、その日あった訓話の内容があんまりだと言っているようだ。こっちは教員といっても、先頭切って導いている立場ではない。だが、教える側がどういう危機感をもって、どう生徒にハッパをかけたかは知っている。その話を、子供は、今度は自分の立場で自分流に解釈し、私情をまじえて訴えている。本来の意図やニュアンスとは微妙に違うのだが、生徒の立場からすると、そういう受け取り方になってしまうのだろうというぐらいのフィルターがかかっている。
 親御さんのほうは心得たもので、適当にあしらってなだめておられたようだったが、内心はどう思われたのだろう。これが子供べったりの人だったらどう反応されるか。親御さんには、また、親御さんなりの立場と考えがある。それもまた当たり前のこと。
 教える側、親、本人。一つの教育のやり方に三者三様の思い。私は、この日、ちょっと客観的な立場で、この当たり前のことを改めて垣間見たような気持ちになった。
  隣りの席に「センセ」がいると判ったら気まずいだろう。こっちは自然無口になる。向こうが先に店を出て行って、ようやく夫婦の会話が再開される。せっかくの外食なのに、ちっとも美味しくなくなるのだが、仕方がない。
 教員は、こんな時、巡り合わせが悪かったと諦めて、じっと耐えて生きていかねばならぬ人種なのである。
 2007年01月28日
  吉村昭『回り灯籠』(筑摩書房)を読む
 新刊故、あっという間に手元に届いた。
 この本も彼がタッチしていない死後編集だと思われる。PR誌「ちくま」連載のエッセイを中心に、新潟の新聞に連載された新潟礼讃、城山三郎との対談とバラエティに富むが、寄せ集め感はなく、到着した夜、一気に読了した。
 なぜ彼のエッセイがいいと感ずるのだろうと考えたが、理屈ばかりの受験評論文読解に少々食傷している折り、事実を、それ以上でもそれ以下でもない、そのままの描写と感慨で綴った文章に、透明な爽やかさ、潔さを感じるからなのだろう。過剰な色がついていない。大げさな気持ちの装飾がない。読んでいて、すべてがよく判る。経験の事実だけを淡々と語り、それについてのコメントがなく、さっと終わってしまうだけのものも散見され、あっさりしすぎていると感じる人がいても不思議ではないくらいである。だが、それゆえ、彼が触れた、取材で関わった人物・出来事などが鮮やかに読者の脳裏に刻まれることになる。
 腰帯に「最後の連作随筆」と銘打ち、死に関する文章を引用して、特別に死について深く沈潜した文章が多いかのような印象を与えるが、それはごく一部で、全編、いつもの彼らしいエッセイである。「死去=遺作」という図式を強調することで、手にとってもらおうという編集上の戦略だが、少々中身との乖離を感じた。特に、巻末の対談は、九年前と少々古いこともあり、元気一杯、全然「老いって感じない」と発言しているくらいで、編集者が誘導したい方向性とは違っている。
 お酒が入っているのか、対談の吉村は饒舌で、最近の芥川賞を批判してみたり、城山の受賞辞退に突っ込みを入れたりと結構言いたい放題で、サービス精神旺盛なところをみせ、意外な一面を知る。
 2007年01月26日
   シャバーサナのポーズ
  去年あたりヨガのブームがあって、私の通うジムでも、ヨガやピラティス(西洋流ヨガ)系のプログラムが増えた。腰に悪影響があるのではないかと避けていたが、痛くても動かした方がよさそうなので、変な体位は出来ないが、出来る範囲でやることにして、半年くらい前から参加しはじめた。
 指導者やプログラムによって多少の違いはあるが、ヨガといっても、かなりソフィスティケートされたもの。呼吸に留意したストレッチといったニュアンスである。
 途中、全身を弛緩させて横になるポーズがある。「シャバーサナ」というらしい。
「横になっていても体には力が入っているものです。手足の力を抜きましょう。肩や首も。最後に顔面の力も抜きましょう。まぶたや口を閉めようとする力も抜きましょう。」
  言われた通り、末端から中心へ順に力を抜いていく。目は半閉じ、口もうっすらと開け気味になる。夜、布団に入ってもここまで脱力することはない。なんだか殺され役の演技をしているみたいだと思った途端、「この体勢は死体のポーズともいいます。」という解説の声がした。やっぱり。
 魚とか犬とかポーズには色々な生き物の名前がついているが、「人間のポーズ」というのはない。人間が体を動かして似せているのだから当たり前なのだが、人間が人間として唯一仮託できるのが、この死のポーズだというのが、なにやら哲学的である。
 個々に小さなマットを敷いた板の間に大勢で横臥する。スタジオの広い天井が見える。この景色、なんだか、昔々、どこかで見たことがあるような気がしてくる。はて、どこでだったかと考えて、思い出した。
 保育園のお昼寝の時間である。
 私の通った保育園は、途中、お昼寝の時間というのがあり、みんな集会室に集められてゴロ寝をさせられた。私は寝つきのいい方でなかったので、ぼんやり天井を眺めていることが多かった。
 板張りの大きな部屋でゴーロゴーロとお昼寝。そこに寝ているのは、今は、オバサン・オッサン・オバアチャン・オジイチャンたち。半世紀跨いでも、やっていることは変わらない。
 2007年01月23日
  竜安寺の石庭
 センター試験の「問一 評論」は、俳句に造詣の深い尊敬すべき評論家、山本健吉の竜安寺の石庭論でした。志賀直哉の文章を紹介し、この庭が創建当時と変わらないと志賀は評価しているが、それは不変を指向する西洋的発想であり、緊張感を与えるこの庭は日本では例外的なものであるという論旨の文章。結構、昔の文章で、小説も含め問題文の選択はきわめてオーソドックスでした。それはまるで、近年の政治の保守傾向に合わせているのではないかと思えるほどです。
 一昨年、小説の出題を当てたと書きましたが、実は、今年も当てました(!?)。今度は評論。
  十一月に、韓国人が書いた竜安寺の石庭否定論を、私の担当したクラスの定期テストとして出しています。その時、「竜安寺の石庭というのはね。」と色々説明した覚えがあります。こっちは問題集からのアレンジ。センター試験は既製のものとかぶらないよう調査するはずですから、まったく同じものが出ることはまずありません。今回のように、類題が出ただけでも、我々としては大当たりの部類です。偶然といえば偶然ですが、個人的にはうれしいことでした。
 でも、これには多少のからくりがあります。国語教員は、出来るだけ、色々な分野の問題を網羅的に出そうとします。その年やっている業者問題集に経済論が少ないと思えば、他の問題集から経済論を持ってきます。そうして、その分野の基礎知識の解説をします。その結果、たいだいの分野を網羅するのです。ですから、なんらかの形で当たる確率が高くなるのです。
 それでも、やっぱり、「やったー!」という気分はちょっとあって、自宅で、こっそり乾杯しました。こんなこと、誰も褒めてはくれませんが……。
 三年が、センター試験でウンウン唸っていた頃、一年は「進研模試」でした。昨日、その問題を見たところ、哲学者の名前が羅列される難解な文章でした。これは、おそらく受験生でも取っつきにくい。
 最近、進研模試は標準的すぎるという批判があって、今回、妙に気張った問題を出したのでしょうが、これでは、逆に、現代文嫌いを増やす結果になります。ちょっと極端な気がします。
 地理の先生が、今年のセンター試験、なんだか、業者の模試のような、こんな設問出来なくてもいいというような穴ねらいの設問が混ざっていると嘆いていました。もっとしっかりした、その教科の基礎認識が押さえられているものを問うてほしいとのことでした。
 そんなこんなで、なんだか、試験というものが、世の中の風潮や業者の都合に振り回されているような気がしました。もっと、勉強には落ち着きが必要なのではないでしょうか。
 2007年01月21日
  関数とは?

 センター型入試問題集の文中に「欲求は欠乏の関数である」とあって、その意味を問う設問があった。「関数」という言葉を判りやすく言い直せば、生徒に説明できると思って、辞書を引いた。

 

 「数の集合Aから数の集合Bへの写像y=f(x)のこと。Xを独立変数、Yを従属変数という。Aが複素数の集合ならば、特にfを複素変数関数という。Aとして2次元空間、3次元空間、…の部分集合をとる時は、2変数関数、3変数関数、…(総称して多変数関数)という。」(広辞苑)

 

 文系の私には何やらよく判らない。よく使う言葉だから誰でも漠然としたイメージくらいはもっているのだが、こちらが予想した説明とえらくかけ離れている。そもそも、説明が難しすぎやしないか。小学生が初めて関数を習い、関数ってなんだろうと辞書を引いたら、目が点になること請け合いである。
 後半の説明は、副次的なものだから置くとして、前半では、y=f(x)だけが親しい。ただ、これでは国語的な説明にはならない。説明の心臓部は「写像」という言葉だけである。つまり、関数とは「写した像」だといっているのだ。なんだか比喩的・文学的な表現だと感心したが、どうやら、そうではなく、ちゃんとした数学専門用語のようである。
 そこで「写像」も繰ってみた。こちらの説明も難しい。そこで、別の辞書でも引いてみたが、どれも似たり寄ったりだった。
 私が漠然と思っていたこの言葉の説明は、おそらく、こうだ。

 

 「Aに規則や数式を与えることでBがそれに対応して変化すること、数学ではy=f(x)と書き、このfがその規則にあたる。」

 

これでダメなのだろうか。まず、日常的に使われるのは、この程度の意味である。
  辞書を引くと、時々、ぴったり感がなくてもどかしさを感じる。辞書の役割として、その言葉の厳密な定義を押さえなくてはいけない。かといって、それでは、場合によっては難解となる。引く人も、だいたい通常使われている意味を知りたい人と、そのくらいのことは知っている、厳密さを求めて引いたのだという人もいる。そのどちらも満足させるのは、なかなか難しそうだ。
 この日記で何度も嘆いていることだが、本当にこれはいいと感じる辞書はない。私の場合、電子辞書の「広辞苑」でピンとこなかった時は、「新解さん」(三省堂)を繰ってみる。表現・用法的なことは「明鏡」(大修館)や「表現読解国語辞典」(ベネッセ)を。事典的なことは、まず、パソコンでお手軽にフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を見、用を足さないときは腰を上げて書庫に赴くというのが、最近の調べ方のパターンである。
 言葉の辞書的意味だけで、この設問を説明しようとした目論見は外れた。別の角度から理屈を考えなくてはならない。
 簡単な設問一つ、たった数十秒で説明して、すうっと通り過ぎているところも、実は、こちとら、ゼイゼイ言いながら調べている。生徒さんは、授業をあだや疎かにしないで戴きたい。(と、ちょっぴり押しつけ調。)
 昨日今日はセンター試験。好天に恵まれた。さて、首尾はどうだったか。

 

(追記……私のこの定義を読んだ愚妻、それでいいけど、xが変化してもyは一定という関係もあるよ。そっちが足りないんじゃない? 「理化学辞典」(岩波書店)に三十八行ほど説明が書いてあるけど貸そうかとのたまったが、わたくし、丁重にお断りいたしました。)

 2007年01月19日
   吉村昭『死顔』(新潮社)を読む
  入院中、彼の随筆を読み、ああ、吉村さんがいたではないかと、鉱脈を見つけたような気持ちになっていた時、彼はすでに癌に冒されつつあった。
 巻末、妻津村節子の報告記によると、最期は自宅に戻って死を迎えたようだ。前もって延命処置は望まないと遺書にしたためており、ニュースで伝えられているように、管を自分から外して自然死を選んだという。
 本人は、意識がなくなり自分の判断がつかない状態になって延命治療をされることを懸念していた。このことは作品の中にもはっきり書かれている。この作品、主人公「私」が関われる範囲で関わった兄の死に臨んでの一連の行動を淡々と描いたもので、所収の平成十五年作「二人」という作品と内容的にほとんど同一である。同じ題材がたった五編の短編集に重複して載っていることに当初違和感を持った。死後、本人のあずかり知らぬところでなされた編集なので、本人が生きていたら許していたかは疑問が残る。
 ただ、彼の最期の仕事が、この短編「死顔」の執筆と校正であったことを思えば、同じ話でも、もう一回書きたかった内的動機には納得がいく。彼は兄の死に仮託し、その死を反芻することで、自分が早晩迎える死のイメージを固める作業をしていたのだ。ここでは、死の迎え方についての自分の流儀や、自分がかつて病人だったことを踏まえ、周りの者の病人に対する配慮の仕方についての考えを表明している。みんなに、私はこう死を考え、こうしてほしいと伝えているのだ。
 若い頃、湯治に行った温泉場での出来事を記した「ひとすじの煙」、夫殺しの女を保護観察司の目から描いた「山茶花」、ともに佳品。それに対して「クレイスロック号遭難」は未定稿で掲載すべきものではなかったと考える
 また、彼の最後の小説単行本がハードカバーながら安価な角背なのは残念である。若干定価が上がっても、糸綴じ丸背にしてほしかった。
 ちょっと残念なところがあるが、総じて、過剰を排したした彼らしい高潔な印象の作品集で、次の創作がもう紡がれないのことが惜しくてならない。
  読了後、最期の随筆集が十二月に出ていることを知る。それを今日注文した。
 2007年01月16日
  論語知らずの論語読み

 教科書に「論語読みの論語知らず」という諺が載っていた。この言葉、いつも「論語知らずの論語読み」と逆さに言ってしまう。意味はほとんど変わらないが、体言止めになって人物にウエイトがかかる。授業の時、気をつけなければならない。
 なぜ間違うのだろうと思っていたが、今日、思い当たった。阿川弘之『論語知らずの論語読み』(講談社)のせいである。
 この本、最初に章句が掲げられ、関連ありそうでなさそうな身辺のことや文学仲間との交友を面白おかしく書いてある名エッセイ。
 私自身、大学時代、授業の必須単位「論語」があり、一年間、みっちり習った。漢学に力を入れている学校だったので、老子、孟子、王陽明など、一講座ずつ専門の先生がいて手厚かった。授業では、朱子『論語集註』の翻刻を使い、古注と新注を訓読で習ったが、現代人なら誰でも感じるように、朱子の解釈は堅苦しくてあんまり好きではなかった。人間的に書いてあるものを、わざわざ堅苦しくしようと努力しているような考えだと思ったものだ。
 授業は勉強だからそうそう面白くない。予習かたがた楽しく読んだのは、渋沢栄一『論語講義』(講談社学術文庫)。明治の経済人から見た座右の書の解説と年寄りの言いたい放題といった内容。かつて自分が関わった政治的回顧談あり、封建時代の教育を受けた人らしい気概の表明ありで、脱線ばかりだが、実感的にその章句をどう捉えてどう解釈しているかがよく判った。学者でないゆえの好き勝手流の楽しさがある。今から思うと、阿川さんの本は、この渋沢論語の換骨奪胎バージョンである。
  ということで、わたくし、ちょっとは囓ったけれど、それ以来、蘊蓄が深まっているわけでもないというレベル。でも、立場上、一応、生徒には知ったかぶりをして教えている。その立場が、文字通り「論語知らずの論語読み」なのであった。間違えるわけである。自分のことをそうだと思っていたのだ。
 阿川さんと大きく違うのは、彼は謙遜、私は実態。

 

 2007年01月13日
   藤原正彦『この国のけじめ』(文藝春秋社)を読む

 昨年最大のベストセラー『国家の品格』(新潮新書)が総論なら、この本の前半は各論といったところ。『国家の品格』は講演の活字化で、聞き手を惹きつけるために、断定的でちょっと説明不足の部分があったが、こちらは書いたもので、一編一編で完結していて、テーマに沿って書かれているため、各問題についての主張が明確である。
 市場原理主義、改革至上主義、実学重視、早期英語教育を批判し、日本が誇るべき武士道の精神で、世界の力の潮流に迎合せず、孤高を貫こう、それで世界は日本を尊敬してくれると説く。
 ある方の読後感に「近年の世界の動向や日本の行き方に違和感をもっていたが、その漠然と思っていたことがここにしっかり主張されていて、お陰ですっきりした。」という内容のものがあった。これは、年配の方の最大公約数的感想ではないかと思う。実際、先日金沢で行われた講演会は立ち見が出るほど盛況で、彼の持論に共感の拍手がしばしば起こったそうだ。
 教養主義なぞもはや過去の産物という時代だからこそ、いにしえを知るものとして、今の流れは違うぞと声高に主張しなければと考える立場だといえば、その通りで、まったくの
尚古調だが、今しか知らない若い人には新しい意見として映るようだ。
 『国家の品格』を読んだ読書好きの高校生に感想を聞いたところ、そんな考え方もあるのかと思ったという。確かに、偉大な思想家として教科書に出てくるジョン・ロックを諸悪の根元のように貶しているのだから、へえと驚いたのも無理はない。
 私自身、概ね共感をもってこの『この国のけじめ』を読んだ。この考えが、真に世人をして心動かさしむるを得ば、日本変革の端緒になるやもしれぬという淡い期待を抱きつつ……。
 ただ、本としてみると、彼の言うことは、いちいちよく判る、判りすぎるほど判って、その分、面白みやスリリングさには欠けるという気もした。
 今のお上は「美しい国」を連呼している。この本では民族主義は危険と厳しく拒否しているが、日本精神発露の理論として、為政者が便利に自らのご都合理論に組み込んでしまう可能性がなくはないという心配はある。
 後半は、父母の思い出話や日々のエッセイ。こちらは大いに愉しんだ。文章がしっかりしている上、時にみせる漢語使用も効いている。なかなかの名文家である。ユーモアのセンスもイギリス流といえるようなウイットに富んだもの。特に、恐妻ネタ・もてもてネタには大笑い。先の講演会の冒頭でも、「妻から、貴方は人柄に「品格」がないので人前に出るなと言われております。」と切り出して会場をわかせたという。
 主張的な文章とエッセイが同居する少々雑多な内容だが、逆に、それで彼の文筆の間口も俯瞰できる。その意味で、『国家の品格』よりこちらがお勧め。私としては、今度は一冊すべて随筆の著作を読みたいと思った。

 2007年01月11日
   安岡章太郎のサイン本を見つける (あのころ)

 大学が近くだったので、授業の合間に神田神保町の古書店街をよく冷やかした。学生生活も三年目くらいになると、興味のある本を置いてある本屋さんがわかってきて、そこにいい本が入っていないか、確認作業のように行きつけだけをめぐるやり方となる。
 専門を看板にしている古本屋さんは、平気で定価の何倍もの値をつける。そこにその本があることはわかっているが、そこでは買いたくない。そもそも、学生の身分でお金にものをいわせるような買い方ができるわけもない。本当に掘り出し本を探そうとすると、巡り方のパターンをハズさねばならぬ。
 ある日、何気なく入った古本屋さんの棚に、安岡章太郎『志賀直哉論』(文藝春秋社)があった。すでに絶版で、あったとしても定価以上の値で売っているはずである。いくらだろうと箱から取り出しめくり始めると、中表紙に、太い万年筆で、「永井龍男様 安岡章太郎」と自筆サインがあるではないか。こういう太い線のインクづかいは、物書き特有のもの。字体的にも間違いなく安岡のサインである。値段はと見ると、定価の数割増といったところ。サイン本であることに気がつかず、通常の古書価をつけたものとみえる。おそらく、永井龍男が所蔵の書籍を処分したのだろう。それが流れ流れて、この古書店にきた。でも、店主はそれがサイン本であることを見落とした……。
 私は、そこで、ちょうどの現金を用意し、本にお金をのせて奥の帳場に持っていった。包装してくれている時、サインを見つけて、「ちょっと待った。」といわれるのではないかとヒヤヒヤした。
 バレることもなく本は包まれた。私は鞄に突っ込んでドアを開けた。外に出たらこっちの勝利である。ちょっと歩道を横歩きし店主の視界から完全に外れてからバンザイをした。何だか駆け引きに勝ったような気分だったのだ。
 今もこの本は書棚にある。初めての経験だったのでドキドキした。今でもよく覚えている若かった頃の一コマ。

(書評・同人誌評の頁の最下段に写真あり)

 2007年01月08日
   さくらももこ三昧

 一年ぶりのさくらももこ。これも、冬休み消灯前の布団内読書。

 『憧れのまほうつかい』(新潮社)は、尊敬していた絵本画家エロール・ル・カインの死を契機に、関係者を英国に訪ねる紀行文。その割には、説明を受けながら眠たくなったとか、イギリス土産を買うか買わないかで悩む話などで紙幅を費やし、取材の内容や原作の印象などの肝心なところはほとんど書いていない。それはそれでいつものももこ流だし、それでも微妙に神妙路線の部類なのだが、これだけ現地で配慮してもらって、これでカイン話題が終わりだとしたら、せっかく日本から有名漫画家が取材に来たと思って熱心にしゃべってくれた人はちょっと拍子抜けだろう。いい本だと思ったが、もう少し、どういうお話が聞けたのか、どういいのか、理屈もつけてほしかった。
 『ひとりずもう』(小学館)は、ももこの青春記。前半は彼女流『ヰタ・セクスアリス』といった案配で、小学校・中学時代、奥手で男子嫌いだったことが語られ、中盤、のんべんだらりとした女子校生活が語られる。どうして、この子があのさくらももこになるんだろうと訝って読み進めると、終盤、目標が定まり、家族が反対する中、努力を重ね、デビューを勝ち取るまでの様子が語られる。この部分はちょっと感動的である。やはり、まるちゃんはぐうたらなまま大きくなったのではないのだ。
 彼女は「あとがき」で教訓をまとめている。夢があったらやってみて、状況を判断した上で、微調整が必要ならしっかりして、その上で、再度チャレンジするという態度でやっていけばいい。キメキメにして、失敗したらもう終わりではダメだというメーセージ。彼女のデビューまでの試行錯誤がその通りなので、読者はすっと心に入り納得する。いい話である。 
 『ももこタイムス』(集英社)は女性雑誌「MORE」に連載した壁新聞形式のエッセイと雑記。国内外への旅行、買い物や企画の予告などが、今のももこを報告する形で進む。この前、カレーショップで、大橋歩が発行している私的報告色濃厚な個人誌をパラパラと読んだが、落ち着き具合は全然違うが、作者と読者を結んで「私」をプレゼンする仕掛けとしてはよく似ている。
 気になったのは、『さくら日和』(集英社)でも感じたのだが、編集者をダシにして、パーティやお見合いを仕組んだりしていることで、それで記事を書いている。つまり、マッチポンプ化している。おふざけが楽しくてしかたがないのならいいが、ネタづくりのためという気持ちが全面に意識された途端、虚しいことになる。
 それともう一つ、そんなパーティが高級ホテルで無料招待だったり、宝石に詳しくなったり、ライカが好きになったり、美術品をたびたび「お買いあげ」になったり、高級料亭吉兆でお節料理を頼んだり、バリ島でエステ三昧をしたりなどなど、ちょっと庶民感覚とずれてきたように感じた。どうやら、ちびまるこは大人になってお金持ちになってしまったようなのである。

 2007年01月06日
  「タモリのジャポニカロゴス国語辞典第一版」(フジテレビ出版)を読む
 正月休みの自分慰藉用(?)として借りた中の一冊。真っ赤な地に金文字、派手な辞典風装幀で目を惹く。民間テレビの日本語バラエティ番組の活字化本だというが、私は知らなかった。ゴールデンタイムの番組らしく芸能人が、色々、お間抜けな突っ込みを入れて、それも字になって楽しめるようになっている。昨今の日本語ブームで、ごまんと同趣向の本が出ている。大真面目な「Q&A」だけではもう売れない。漢字問題、会話の間違い、「新明解」話題と手変え品変えの細切れ質問だが、それはそれで楽しく読んでもらう工夫で悪くはない。楽しく解いていったが、結構、はずれが多くて勉強になった。
 例。
 問「総理大臣と会食して醤油をとってもらいたい時にどう言うか。」
 答は「総理、そこのお醤油をとっていだだけませんか。」だと思ったら、一番いいのは「総理……、醤油……。」と語尾をぼかすやり方だそうだ。エライ人に依頼すること自体失礼になるので、ほのめかすことで相手が自主的に行為してもらうよう気づかせるのがいいのだそうである。
 なるほど。
 読んでいて気がづいた。敬意というのは気持ちが先で、次に態度、そして言葉である。当たり前のことだけど、世の中、大抵、言葉だけ。
 2007年01月05日
  (つづき)

 あの当時、二十も半ばちかい年齢にかかわらず、アイドルコンサートに二回も行ってきました。
 一人は、石川ひとみ。「まちぶせ」で有名なアイドル歌手。タダ券が手に入ったからこそです。でも、実はちょっとしたファンで、レコードも持ってました。今でも、それは手元にあって、ジャズコレクションの中でかなり浮いています。好きになった理由は、名前に「石川」がつくから。何ともはや単純な理由です。
 もう一人は石川秀美。これも招待券が当たったからです。興味があって申し込んだ理由は、名前に「石川」がつくから。これも何ともはや単純です。
 ちなみに、石川さゆりもファンで、その理由は……(嘘です)。
 さて、コンサートはロックかジャズしか知らず、アイドルとは無縁だったので、物見遊山気分、興味津々で秀美ちゃんのコンサートへ行ってきました。今と違って、なんといってもかわい子ぶりっこアイドル全盛時代です。
 中野サンプラザに到着すると、外で十代の親衛隊が、大人の指導者の下、掛け声の練習をしていて、まず、ファンが組織化されていることに驚きました。

  聴衆の中で私は最年長の部類のようです。始まると、このコンサートは録音されるというアナウンスがあり、道理で練習しているわけだと判りました。レコード会社がファンクラブを使って、盛り上がったいい音源にしようと下工作をしていたわけです。
 そこで、私もコンサート中、頑張って協力しました。もちろん、親衛隊の掛け声とは、ちょっと外したところで、一人だけ大声で。

 

(地を這うようなダミ声で)「ヒデミちゃあぁ〜ん!」
(軽快に)「ゴーゴー、レッツゴー、レッツゴー、ヒデミ!!!」

 

 このコンサート、後日、実況録音盤としてちゃんと発売されました。残念ながら聴いたことはありませんが、それに私の声が入っているはずです。
  ああ、恥ずかし。

 

 2007年01月03日
   アイドルコンサートに行く(あのころ)
 賀状を見ながら、あの頃のあの顔この顔を思い出す。
 大学が終わったら地元に帰ってくることを親と約束して東京に行ったので、行った当初から、都会ならではの経験を沢山しておこうという意識が私は強かった。友人の中には、もともと首都圏の人もいるが、地方から出てきて、そのまま東京人になろうと決意を固めた人も多い。そんな彼らと私みたいな人では、同じ学生時代でも、見えていた町の景色は違っていたのではないかと思う。
 あれから四半世紀。賀状をくれた東京在住の友人に、「どう、東京人になってみての感想は?」と聞いてみたい気がする。今でも自分は都会人ではないと感じる?  それとも、何の違和感もなくなっている?
  東京。特別な時間。
 何でも見てやろうと、いろいろ顔を出したなかで、印象に残っていることを、これまでも、ぽつぽつ書いてきた。ここのところご無沙汰だったが、これからも時々は書こうと思う。(つづく)
 2007年01月01日
  二〇〇七年 謹賀新年  

 明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。


 ここ金沢では、大晦日、一日と続けて晴天で、大掃除もはかどり、気持ちのいい新年を迎えることができました。実家でおせちも毎年恒例の行動です。老父母もお天気のせいか思ったより元気で、安心しました。
 この休み、テレビやネットで映画を観たり、手持ちのDVDを観て過ごしています。DVDプレーヤーを動かしたのは一年ぶりくらいのことです。コンセントのスイッチ自体オフになったままだったくらいで、観ようと思ったこと自体、ちょっとゆったりした気分になっているからなのかもしれません。一年に一度、こんな時間は大事です。
 今、アルコールのグラス片手に、NHKの「ニューイヤーコンサート」を聴きながら、これを書いています。
 ちょっと実家を掃除して「喰っちゃ寝」しただけなのに、えらく疲れたのは、健康の閾値が下がっているためなのでしょう。四十歳代後半でこれでは、心許ないかぎりですが、気をつけ気をつけ、年相応に無理のきく体に戻していかねばと思っています。これを今年の目標にしましょう。
 ちょっと早いですが、もう寝ます。ウインナワルツを聴きながら眠りに入る。いい初夢が観られそうです。 

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 この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。

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