ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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マンネリにならず新鮮な生活を送ろうという去年のスローガンは、精神的なことが欠落して、いつも行く外食の店を避け、新しい店を開拓しようというレベルで展開した。 山側環状道路が出来て、交通緩和がはかられたので、夜、食事に出歩いても、ラッシュに巻き込まれて、食事になかなかありつけないということが減った。その分、出向く範囲が少し広がった。 そんな初めての店での出来事。 夫婦で食事をしていると、後ろの席の話し声が聞こえてくる。どうやら勤務校の生徒さんと親御さんのようだ。こっちには気づいていない様子で、子供が愚痴をこぼしている。 聞こえてくるのは断片だが、その日あった訓話の内容があんまりだと言っているようだ。こっちは教員といっても、先頭切って導いている立場ではない。だが、教える側がどういう危機感をもって、どう生徒にハッパをかけたかは知っている。その話を、子供は、今度は自分の立場で自分流に解釈し、私情をまじえて訴えている。本来の意図やニュアンスとは微妙に違うのだが、生徒の立場からすると、そういう受け取り方になってしまうのだろうというぐらいのフィルターがかかっている。 親御さんのほうは心得たもので、適当にあしらってなだめておられたようだったが、内心はどう思われたのだろう。これが子供べったりの人だったらどう反応されるか。親御さんには、また、親御さんなりの立場と考えがある。それもまた当たり前のこと。 教える側、親、本人。一つの教育のやり方に三者三様の思い。私は、この日、ちょっと客観的な立場で、この当たり前のことを改めて垣間見たような気持ちになった。 隣りの席に「センセ」がいると判ったら気まずいだろう。こっちは自然無口になる。向こうが先に店を出て行って、ようやく夫婦の会話が再開される。せっかくの外食なのに、ちっとも美味しくなくなるのだが、仕方がない。 教員は、こんな時、巡り合わせが悪かったと諦めて、じっと耐えて生きていかねばならぬ人種なのである。
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