ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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このうち、「怪獣と二十世紀の夢」と題された開田裕治展は、怪獣やロボットのプラモデルや映像ソフトのパッケージを描くイラストレーターの仕事展。パソコンを使って作られた原画のほかに、実際の箱やフィギュアが置いてあって、大人も子供に戻って楽しめる。 作家の解説プレートを読むと、この仕事、マニアの購入欲を刺激するするような絵でなければならぬという大前提の上に(対消費者)、商品ロゴが入るスペースを考慮せねばならなかったり、プラモの完成予想図でもあるので、商品とのかねあいを考えて細密度を決定せねばならないなど、商業デザインとして様々な制約があり(対発注者)、もちろん、自らの創造性の発露も大事で(対制作者)、絵柄決定の落としどころが難しい仕事だと感じた。 箱絵というのは、典型的な消費される作品であるが、なんだか、こうしたきつい制約の中で、リアリティ豊かに、映像ソフトでロボットを描いていくことのほうに、よりクリエイティビティを感じ、現代らしさを感じた。享受者とのコミュニケーションの敷居が低く、シンパシティを感じやすい。日本のカルチャーとして世界に発信されたオタク文化とダイレクトに地続きの仕事である。 反対に、一切の制約がない中で、現代芸術らしい驚きを与えたいがために、現代美術のアーティストが制作の現場ですることといえば、手縫いの縫いものだったり、単調な根気の要る板の張り合わせだったりと、昔ながらのアナログな手仕事の世界である。その上、そうした作品は、芸術は芸術家の自己表現であるという、旧来の作品観を無批判に呑み込んだ既定の世界の中で作られているような、一種の「あぐら」感を感じる。そこに現代文明批評性がたっぷり含まれていても、それは個人の表現としての思想という枠組みから抜け出てはいない。アクティブな現代社会とのリークが希薄な、孤独な個の表現世界というふうに感じる。 そうした精神と制作手段の印象から、制限のない現代アートのほうがなにやら古典的なものに感じられ、アニメや特撮でお馴染みのキャラクターを描いていく、消費される無記名性の強いのイラストのほうに作品としての強さを感じることとなったようだ。(つづく)
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(マイノートパソコンと今は無き時計 2005.6 リコー キャプリオGX8)
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