ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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「ちくまプリマー新書」の一冊。英和辞書によると、プリマー(Primer)とは、入門書・手引きのこと。ネットで調べると、お化粧の下地のこともいうようだ。若者向けの本としてなかなかいいネーミングである。「岩波ジュニア新書」は、私が若かった頃、華々しくスタートしたが、当時、生意気盛りだったから、最初から「ジュニア」向けと断っている本など、絶対、読むもんかと思っていた。 このシリーズ、クラフト・エヴィンク商会の装幀もお洒落である。岩波より字が大きく情報量は少ないが、その分、一冊読む負担は少ない。この本もあっという間に読了した。 子供の頃の「見る」という行為の話からスタートし、錯覚やステレオ写真の目の合わせ方について話は展開していく。ステレオ写真の立体視は、私自身、うまくいく時といかない時がある。これまでは、立体に見えること自体に努力してきたが、目の動かし方のほうを意識の中心にしながらというのは初めての経験だった。 この本を読んで、いろいろやってみた。眼鏡を外し、脱力して目を働かさないようにして鼻先に本をもってくる。すこしずつ離していくと、ぼけていた像がはっきりと見えはじめ、途中からまたぼけてくる。ピントがくる距離がえらく顔に近い。確かに、ド近眼はド近眼だと実感する。書かれているように、目はカメラと同じで、ピントの山がある。実際にやってみてなるほどと思う。 彼によると、目は常にフォーカスを会わせ続けようとするので、人はボケ画像を見ることが出来ない、実際、周辺部はぼけていているのだが、焦点のあったところしか見ていないから意識されず、常にパンフォーカス状態で見ている。ぼけというのは、だから、写真が出来てから初めて意識された概念ではないかという。いわれてみれば、確かに、目はカメラでいう「コンティニアスAFモード(常時ピント合わせモード)」だ。他に、目は銀塩カメラよりデジタルカメラに近いという指摘も、カメラ好きならではである。 目を語るということは、ものの見方を語ることである。自然に、自分が若き前衛芸術家から、なぜ、今の立場にいるようになったかの話が入ってきて、自分の芸術観を語っているようで面白かった。 文中、カメラが目にあたるなら、悲劇の現場で、レンズから涙が出たらすごいという突拍子もない記述があったが、さすが精神が軽やかな芸術の人だと感心する。
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