ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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数ヶ月ほど前、ある書店の中央平台に、大幅値引きされた本が置かれていた。いかにもゾッキ本らしいハウツー本も混じってはいるが、大手出版社の新本もあって、その中からこの本を選んだ。売価は定価の四分の一。文庫本程度の値段である。このシステム、どんな流通形態になっているのだろう。 内容は湯浅芳子との交友記。この方、お名前は聞いたことがあったが、人となりは初めて知った。なかなかに個性的な人である。常に男っぽい出で立ちをしていた今で言うレズビアン。宮本百合子との仲は有名だったそうで、宮本が逃げた後も、終生、彼女を好きだったらしい。田村俊子とも関係があったという。自由奔放に女を愛し、終生、御亭主然とした生活を送り、ズケズケ物を言って平気で人の心を傷つけるかと思えば、細やかな女性らしい心遣いも忘れない。 瀬戸内の文章は読みやすく、思った通りのことを率直に書きつづったというような筆づかいである。時間を追って伝記的に語るというのではなく、その回その回、ゆかりのエピソードを思い出して話を進めていくスタイルで、雑然としながらも、一編一編はエッセイとして独立して読むことができる。 もともと、PR誌「ちくま」に連載されたもの。以前、この小冊子を定期講読していたことがあった。すっかり忘れていたが、読みながら部分的に読んでいたことを思い出した。 野上弥生子、網野菊など名だたる女流たちが、彼女の我が儘に困り果てながらも付き合っている。当時、女性の物書きというのは特殊な世界、狭い業界ゆえに、女同士、寄り集まり濃密に付き合っていたのだろう。「女流文壇」という言葉が生きていた時代ならではの関係だなというのが一番の印象だった。(つづく)
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先の休日、繁華街に用があり、立体駐車場に車を止める。パーキングチケットが家にあったので、それを消化してしまおうと、帰り、精算機に券を挿したが入らない。いつの間にか形が変わっている。おそらく、途中、それなりの移行期間があったはずだが、それを知らない。自分の生活が長期中断していたことをこんなことでよく実感する。 先日も、久しぶりに行った電気店でポイントカードを出したら、長い間ご来店がなく、カードの有効期限が切れポイントは失効していますと言われた。一体いくら分使い損ねたのですかと聞いたところ、五千円を超えるとのこと。それなりの額である。 職場でもそう。確かあれはあそこに置くように、昔、私が置き場所を作ったはずだと、その棚に行くと、最近使った形跡がなく、抽斗の取っ手に埃がたまっている。人が代わりまた置き場所を変えたのだろう。では、今はどこにあるのか。長年いる割には新人さんと同じようなことを聞かねばならぬ。 仕事の段取りも変わった。ここ数年、ついて行っていなかったので、今はよく判らなくなっていることも多い。変に以前の記憶があるものだから違ったことを人に言ったりする。そんなことが何度かあって、しまいによく判りませんと答えて済ますことが多くなった。 色々な場面で、「あれあれ。」と思う。でも、どうしようもない、気にしないようにしよう、一つ一つやり直し覚え直しすればいいではないかと自分でも思っているのだが、その瞬間、ほんの一瞬、ちょっと情けない気持ちが入り込む。 この日、郊外に出て外食、スーパーマーケットで食料の買い出し、書店で本選びと、典型的庶民の休日(?)を過ごしたが、書店あたりで、立っているのが辛くなる。以前に比べればぐっと長持ちするようになったが、ここも無難にこなすことができると気持ち的に楽になるのになあと、ゴール直前タッチアウトの気分で家に帰った。 本選びは次回まわし。それだけ独立してゆっくりと。
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歌詞を眺めていると色々なことに気づく。 「黄昏」が「町の灯がやがてまたたき出す」となり、最後には「夜空」となる。短い歌詞の中に時間の経過がうまく織り込まれている。 また、「フリーウェイ」という言い方で架空化させているが、その反面、「調布基地」「競馬場」「ビール工場」という、これまで歌詞にはそぐわないと思われてきた単語並べることで具体感を出している。実生活の仄かな露出による私小説的な親近感。よく考えられている。 大学時代、私自身は貧乏生活の連続で、中央道・首都高と直結なんてニュースは関係がなかった。車も当然持っておらず、大学一年に免許はとったがペーパーのまま東京時代を過ごした。車で高速道路ぶっ飛ばすなど夢のまた夢。この歌詞のように、所有のオープンカーで彼女を横に乗せてドライブするなんて行動に、密かに憧れをいだいていたのだろう。今から考えると、何とも小市民的でプチブル的だと思えるが、若者らしいと言えばいかにも若者らしい。今はそんな自分が微笑ましく思えてくる。この曲の懐かしさは、どうやら、あの時のそんな気持ちが根っこにあるようだ。 中央自動車道は信州方面に向かう大事な大動脈。多くの車が行き交う実利的なラインである。本来、デートの歌の場面になるような風光明媚な道路ではない。今は防音壁が高くなり競馬場も工場も見にくくなっているそうだ。 今から考えると、高速道路であるというただそれだけで憧れの対象になる時代だったのだ。この歌には、あの頃、高度成長時代の匂いが強くする。 さて、数日、頭の中でこの歌が流れていたので、身近な何人かにこの考証(?)を吹聴してみたのだが、そもそも二十歳代の人はこの曲自体を知らなかった。さすがのユーミンも、どうやらそのあたりで神通力が効かなくなっているようだ。
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黄金週間後半、家でラジオをつけていたら、荒井由実の「中央フリーウェイ」が流れた。フォークやニューミュージックにとりたてて興味がなかった私だが、なぜかこの曲を聞くと懐かしい気分になる。デートの歌で、「卒業写真」のように最初からセンチメンタルなモチーフを扱っているわけでもないのに何故だろう? そんな自分の気持ちを知りたくて、少し調べてみた。小一時間の知的遊戯。お休みの精神的余裕があったればこそ。 この曲、作詞作曲とも彼女自身、一九七六年の発表。私ですら知っている独身時代のヒットアルバム「十四番目の月」に入っている。最近は彼女のバージョンばかり放送で流れるが、同時代的には、翌年、庄野真代やハイ・ファイ・セットのバージョンで広まったと記憶している。私は、この時期、東京で大学生活を始めているから、まさに当時流行っていた歌謡曲なのであった。 曲はAAB形式で二番まで歌った後、Aを繰り返す。特に有名なのは、二番のAにあたる「右に見る競馬場、左はビール工場、この道は、まるで滑走路、夜空に続く」というフレーズではないかと思う。 東京で車を使っている人には周知の事実だが、この景色は実景で、調布ICと国立府中ICの間、府中競馬場とサントリー武蔵野ビール工場を指している。中央高速道路下り線を通った人は、ここでこの歌を歌うことになっているのだそうである(笑)。当時、私は漠然と大井競馬場のほうかと思っていた。 あるブログによると、なんでも府中市随一の「ご当地ソング」だそうで、ニューミュージックとご当地ソングという言葉のミスマッチがちょっと可笑しかった。高速道路からの流れ去ってしまう景色が、その町の景観を代表するかのようになっているのが今の時代を象徴しているようで面白い。 この歌、八王子で有名な大店、荒井呉服店のお嬢さんが、付き合っていた後に旦那となる松任谷正隆運転の車で自宅に送ってもらった時にできた曲というのが、最大公約数的解釈のようである。 中央道は、一九六七年には既に調布〜八王子間が開通していたが、都心部の工事は遅れ、首都高速とつながって利便性を増したのは、高井戸〜調布間ができた一九七六年五月になってからことである。とすると、都心の仕事場から下道に降りずに高速道路直通で八王子まで彼氏に送ってもらったというのは、ピカピカに新しい行動だったことが判る。「この道は、まるで滑走路、夜空に続く」という感想は、そんなお初な体験の新鮮な感想だった訳である。(つづく)
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東京時代、毎日のように興味深い講演会がどこかで開かれていて、さすがに大都会と思ったものだ。 今でもよく覚えているのは、尾崎一雄さん。『暢気眼鏡』で知られる作家。池袋の西武美術館で「志賀直哉展」があって、その記念講演会として彼が師の思い出話を話された。 ビル上階、集会室といったようなこじんまりとした会場で、志賀直哉が卒論だった友人と二人で正面最前列に陣取った。ほんの一メートル先で彼がしゃべっている。御高齢で、こうした人混みの中に出ること自体、もうあまりなさらないようだったが、師匠志賀さんの特別展である、自分が行かなきゃ誰が行くと思ってこられたのだという。 志賀さんのお弟子さんは、皆、師匠を心から敬愛している人ばかり。最初、ぼそぼそと話されていたが、徐々に色々と思い出されたらしく、お話が滑らかになって、懐かしげだった。本当にお付き合いが楽しかったことが言葉の端々に伝わってきた。失礼ながら、時々、にこっと笑った顔が子供のように可愛らしい。小柄な体格で、小さなお顔がすこしずつ紅潮していくのが前列からよく判った。 お話が終わり、演台にまだいらっしゃる時、無粋にも、前に駆け寄り本を突き出してサインを求めた若者がいた。尾崎さんのお顔がさっと厳しくなったのが見てとれたが、我慢されたのだろう、求めに応じてサインされていた。せっかくいい気分でお話されていたのに、御気分を害されたのではないかとちょっと心配になったことを覚えている。 この時お話されたエピソードの幾つかは、『志賀直哉』(岩波書店)で読むことができる。 尾崎さんはそれから程なくして亡くなられた。今でも彼のお名前を見つけると、この時のことを思い出す。
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今週頭、大学の先生に、専門について判りやすくお話をして頂く企画があった。私は係の関係で看護学の話を聴く。 陣痛のきっかけは胎児のそろそろ出るよという信号からスタートするという話や、赤ちゃんも自分から頑張って産道を回転しながら出てくる、出産というのは、お母さんも頑張っているけど、胎児も頑張っているのだという話に、大多数を占める女子は興味深く聞いていた。先生、出産ってやっぱりすごく痛いのですかという素朴な質問も飛ぶ。 その夜、研究会のお仲間I氏の御通夜に赴く。所属の研究会は今年創立二十五周年になる。若手だったメンバーも今や五十歳前後となり、あの頃中年だった氏が、今、鬼籍に入られた。あの当時、氏は今の私くらいの年齢だったのだと思いながら遺影を眺める。 式場は私が生まれ育った町内のお寺。近年、金沢では民間葬祭場が主流となっているので、久々のお寺での通夜であった。中に入るのは何十年ぶりだろう。子供の頃、敷地内を探検したことがある。それ以来ではないか。懐かしさを感じつつ、冥福を祈った。 参列者に年端のいかぬお子さんがいて、読経にむずかる声が重なる。別の幼稚園くらいの女の子は、事態は判っていて、大人しく振る舞っているのだが後半には飽きてモジモジしている。その横の小学生は立派にじっとしていた。成長に合わせて、それぞれがそれぞれの様子。 翌日は陸上競技大会だった。フィールドにトラックにと若々しい躍動ぶりが眩しい。しかし、どんなに頑張っても遅い子はあっという間に追い抜かれるという現実はどうしようもない。人生の縮図だと思いながら競技を眺める。 クラス単位で誂えたTシャツを私も着る。外で運動していないので腕が白々しているのが目立つ。二の腕もやせている。重いものを持っていないのでこうなった。判っていることだけどちょっと気が滅入った。 次の日、今度は職場の方にご不幸があり、お通夜のお手伝いをする。
こうして、今週は慌ただしく過ぎていった。 誕生、成長、老化、死。 日々の生活とは、そうしたことを目の当たりにする積み重ねであるようだ。
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一眼レフ使いにとって交換レンズは最大の興味関心事。高いものだけに、よくよく考えてシステムを組む。 愛用のペンタックスは薄型パンケーキレンズのシリーズが他のカメラメーカーにはない特色で、単焦点ならではの写りも高評価のものばかり。銀塩時代に広角から標準、望遠、それにお手軽高倍率とズームで一通り揃えたので、実用上の支障がないだけに、正直、手を伸ばしにくかった。欲しいけれど、買う理由が見つからないといったところだったのである。 そもそも写真は趣味のものである、理由やへったくれもない。欲しいと思ったら買おうと決心したのは去年のこと。ここまでの決心が実に長かった。ただ、この決心、業界(?)では「レンズ沼にはまった」といわれる所行で、病膏肓に入る状態を指す。 では、銀塩デジタル兼用、デジタル専用のどれにしようか、焦点距離はどれくらいがいいかなどと逡巡していたら、以前触れたように、一眼レフボディにヒット作が出て、急にレンズが売れ、納品待ちの製品が続出するようになった。閑古鳥が啼いて安値安定だったペンタレンズの中古市場も、今や、払底といっていいくらいタマがなくなっている。あっても新品と変わらぬ中古値。 そんなこんなで、買いそびれた状態だったのだが、先日、比較的新型で、入手しやすい部類のレンズに、許せる値段の中古品をネット通販で見つけ、ようやっと注文した。その名は「smc PENTAX-DA 40mmF2.8 Limited」。薄型軽量の極致である。 中古品を買うのは久しぶりなので、まず、当たりはずれを心配した。確かに鏡筒に小さい傷があったが、許せる範囲。それよりも驚いたのは、この機種特有のフジツボ型フードの裏側に、特殊な30.5mm黒枠フィルターがついたままの状態だったことで、これは、知る人ぞ知る裏技。手放した人は、しっかりした(?)正統派ペンタ党員だったらしい。おそらく大事に使っていただろう。それでこのブツは大丈夫だと判断できた。 デジタル専用と銘打ってあるが、イメージサークルが大きく銀塩にも使えるというのはこの道では有名な話で、早速、小型軽量の銀塩ボディ(MZ−3)につけてみた。本当に軽くて小さい一眼レフの完成である。 カメラ好きには、見た目の格好よさが何とも素敵で、それだけでいい気分になる。フイルムを入れてバンバン銀塩でも撮るということは、おそらくしないだろう。では何のためにと思われそうだが、何もせずに眺めて、ニヤニヤすることこそ、カメラマニアの王道である。 もちろん、カリッとした描写が評判のレンズ。デジタルボディの方でもしっかりと働いて貰います(貰うはずです)。
(銀塩ボディMZ−3につけたDA40mm)
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年度替わりは宴会が多い。この頃は、多少間引きながらも出席する。 同業の会は由緒正しい老舗料亭で。立派な床の間に控えの間まである和室に陣取り、仲居さんの精進料理の説明を聞く。皆恭しく拝聴し、謹んでいただく。アルコールはすすまない。 途中、そういえば、谷崎潤一郎に『陰影礼讃』という名著があるけれど、こういうしつらえの場所で、行灯一つ、薄ぼんやりした灯りのことをいうのだろうねえという話になり、それではと、電気を消してもらい、その雰囲気を味わった。さすがご商売仲間、誰もあほくさいなどとは言わない。皆同じ発想、勉強熱心である。 思った以上に暗い。ちょうど漆黒の器にお汁粉仕立ての餡ものを戴いている最中だったので、もう手許はまっくらけ、何にも見えない。風流だけど、これでは実用性皆無だね、でも、ちょっと間が悪かったと結構笑った。 帰りには江戸の間やお庭の見学もさせてもらい、生粋の日本情緒を堪能して、皆、有り難い気持ちになって店の外に出た。 さて、最後の私が出ようとすると、仲居さんから急に呼び止められた。 「あのう、お代を戴いていないのですが……。」 「えっ。!?」 いわく言い難い和の心になり切って、会計さんが金払いという俗な役目をさっぱりお忘れになったのだった。 最後の最後に大爆笑。危ない危ない、正々堂々の無銭飲食確信犯グループになるところだった。この宴会、これで絶対忘れられない会になった。
二週間後、ほぼ同じメンバーでまた飲む会があった。今度は繁華街裏通り、一階に小上がりがある居酒屋の二階。今度は一遽にドンチャン路線となる。結構へべれけ。 同じ顔ぶれなのにこんなに違う。人で変わるのは当たり前だが、場所がらが雰囲気を決めるということを改めて実感したことであった。 酒の席って、言わずもがなのことだけど、なんやかやと面白い。
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荒川洋治『世に出ないことば』(みすず書房)を読んだ。何か滋味あるエッセイはないかと、昨年九月、ライブハウスに行ったみぎり、時間調整で入った地元資本の書店で見つけたもの。値段を確認せずレジに行き、金額を言われてびっくりした。たいした厚さもないのに、二五〇〇円を超える。 そういえば、去年、『前田愛対話編』(みすず書房)が出た。勝手に『前田愛著作集』(筑摩書房)と同じ版型だと思いこんでいたが、書店で実物を見て、教科書くらいの小ささだったのに驚いた。それで上下二冊一万円近い。いっぺんで食指が止まってしまった。どちらの本も、同じ出版社である。良書の出版で定評がある会社だが、WEBでカタログを見ると、どれもお高い。今や、この著者だったら、何人の読者がついていて、高いお金払うのを厭わず買ってくれると計算して本は出すそうだが、そんな匂いがちょっと強めである。 そういえば、去年、買い直した末延芳晴『荷風のあめりか』(平凡社ライブラリー)も、文庫なのに千六百円(税別)だった。違う会社だが、文庫本でこの値段はちょっと……。 もちろん、著者を責めているのではない。単なる貧乏人の愚痴である。 さて、この本の著者の荒川は、朝のラジオ番組でよくお声を聞く現代詩人。朴訥なご性格に飄々としたユーモアが漂う方である。一度お書きになったものを読んでみようと思ったのが購入動機。 内容は本を巡るエッセイ。文才は充分垣間見ることができたが、読んだことがない本の話が多く、ちょっとピンとこなかったというのが正直なところ。同じ装幀の別のエッセイ集があったので、そちらを先に読めばよかったのかもしれない。途中で放り出していたので、読了が今日になった。 もう一冊、別役実『左見右見』(大修館書店)も、去年、読みかけたまま放置していた本。タイトルは「とみこうみ」と読む。あちらを見たりこちらを見たりの意味。「広辞苑」では、「と見こう見」で載る。タイトル通り、四字熟語をネタにしたエッセイ集である。 有名な劇作家であるが、私は、それより、以前、教科書にのっていて、定番教材にしている「迷う犬」という短エッセイの作者として親しい。大都会では、変に方向感覚を信ずると迷う。与えられた看板だけを信じた方がよほど早く目的地につくという話で、これは東京生活で嫌というほど経験したのでよく判る話だと、教科書が替わってもずっと授業で扱っている。 そういった意味もあって、期待して読み進めたのだが、四字熟語をからませるという括りが、どうも話の展開を不自由にしてしまっているような印象で、思ったより面白くなかったというのが正直なところ。これも、立ち読みでパラパラと見ただけの『ことわざ悪魔の辞典』(ちくま文庫) のほうが面白かったのかもしれない。 両冊とも駄作ではない。滋味もあるが、感嘆措くあたわずとはならなかった。
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アナログプレーヤーを買って数ヶ月。最近は毎日のように手持ちのLPをかけている。あれも聴いてみよう、これも久しぶりだといった気持ちで聴く。これまで長らく放置していたので、一枚一枚、検盤しているようなものである。 以前の機械は、ようやっと動いているといった状態だったので、アナログの音はこんなものと見切っていた。モコモコとして聴きづらい。それが、今回、最小限の投資でスッキリと音が出るようになった。 現金なもので、では、この機械の評価はどうなのだろうと気になりはじめ、久しぶりにオーディオ専門誌をパラパラめくってみた。ところが、ずらっとレビューされているのは、趣味性の高い高級機ばかり。この種の大衆機は批評の対象になっていないようだ。まあ、そうだろう、専門誌を買うような人が、この種の製品を買うはずはない。そうは思ったものの、ちょっとガッカリだった。 しかし、何事もご商売。いずれ、そこらあたりを狙った「ブランクのある中高年のためのオーディオ再入門」といった企画が乱立するだろう。「団塊の世代を狙え!」は今や日本経済の合い言葉のようだから。 それにしても、LPはあっという間に終わる。片面十八分ほど。キースジャレット(p)の「ケルンコンサート」(ECM)D面なんぞは、たった七分である。慌ただしくてBGMにならない。その上、マニュアル操作なので、オートリターンしてくれない。放っておくと、いつまでたっても無音溝の掃除。アームを持ち上げたり回転を切ったりと、作業を幾つもせねばならぬ。でも、まあ、それも趣味のうちと思えば苦でもない。 しかし、一番の問題は、次々出してくるLPが積み上り、卓を占領することである。炬燵の上は我が陣地と思っている鬼妻にとって、邪魔ものがドンと置かれているとしか思わず、当初、「LPが生きかえってよかったね。」と、珍しく優しい言葉をかけてくれていたが、今や、「オイ、そこのハゲのオッチャン。はよ、どかせ。さっさとしないと、こんなもん捨てるゾ!」と態度を一変させていることである。 そんなことだろうと思った。
(この記事は5月頭に一度アップしましたが、GW記事を優先したため、ここに再掲載という形になりました。)
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大型連休、天気も良し。新緑を見たくなって、白山麓旧河内村のイベント「ふじ祭り」を冷やかした後、鳥越方面へ足をのばす。今冬遂にオープンすることがなかった鳥越高原大日スキー場への道は、以前より少しはよくなっていた。ダム湖を右に見ながら牛ケ首峠の林道を左折、そのまま上へとドライブした(といっても、私は助手席)。十五年ほど前、この峠を右折して下り、麓の尾小屋(その昔鉱山として栄えた)に出たことはあったが、奥には行ったことがなく、地図を見るたび、前々から気になっていた。この初めての道を通るというのが今回の目的である。すれ違い用の待避路肩が時々設けられている一車線の舗装林道で、これでも二級国道である。 新緑の本当の青さにはまだ少々早い感じだったが、針葉樹と雑木林が混じった斑な緑の山肌は見ていて飽きなかった。ここは、秋の紅葉シーズン、更に映えることだろう。 今回、思いがけずよかったのは、道がほとんど川沿いだったこと。透明感のある渓流がコントラストの強い陽の光に反射する様は、サングラスごしでも目を刺すほどで、巌に砕け、波光きらめく白い流れの所々には、淀みが碧をなしており、谷川の刻々と変化する様子を堪能した。 車を降りれば、鳥の声。澗渓(かんけい)は潺湲(せんかん)として流れ、時恰も鶯啼いて、春、且に来たらんとすといったところである。 道は最後の集落を過ぎた辺りで通行止めになって、それ以上へは行けなかった。しかし、はじめからそのつもりである。気に入った美しい景色の所で車を止めながら、ゆるゆると戻る。途中、横谷の水芭蕉群生地登山口に寄り道し、ルートの確認をする。駐車場の立て札によると、徒歩片道一時間也。今はダメだが、足腰に自信をつけて、いつか訪れたいものだ。 帰りは直進し、尾小屋経由小松方面へ下る。この林道は、高原風のところがあったり、高度感のある山肌の道を下ったりと変化に富んでいて、信州の山あいを走っているような気分を味わうことができた。
県南部の山間部を小さく一回りした、ドライブが目的の山ドライブ。このパターンは発症後初めてで私は新鮮だった。
半月前の湯涌の時は山奥にたどり着けなかったので、ようやく溜飲を下げた恰好である。
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だらだらと午前を過ごしていたら、昼のニュースで、浅野川の鯉流しを報じていた。一度写真におさめたいと思っていたので、思い立ったが吉日とばかりバスに乗る。最近、我々夫婦はちょっとした「浅野川詣」である。 川の流れのあるところに鯉のぼりを泳がせてあり、梅の橋には吹き流しが川面まで簾のように吊されてある。色が原色なので、緑と茶の地味な色が中心の風景の中で目に飛び込むように映る。その強烈な色彩の筋が風や水で揺らめいていて、美しい。 鯉のぼりは、魚が空にたなびくという発想が楽しいので、水に泳がせたら「当たり前じゃん。」と、若者風に突っ込みを入れようと思えば入れられるが、ここは友禅流しの本場である。端午の節句と絡めた、この川らしい実に自然でいい企画である。 悠然と鯉が泳ぐというには、ちょっと水量が足りなかったが、岸にはテントも並び賑わいをみせている。春の陽気に水面を眺めるだけでゆっくりとした気分になるものだ。大勢繰り出し思い思いに岸辺で春の陽を楽しんでいる。ただ、我々夫婦は、いい写真を撮ろうという俗な欲があって、せっせと構図を考えたりしているものだから、そうした「ゆったり感」が全然なかった。まあ、御愛嬌。今回のような川の風景では、広角が苦手なデジ一眼より、ワイドコンバージョンレンズをつけたコンパクトデジカメの方がいい絵を撮れるねえというのが、その時の結論。 そんな写欲横溢で、二人は隣の東の郭に移動、和を激写(?)した。カシャン、カシャン。見た目、夫婦でカメラをブラさげた観光客そのもの。 GWで混雑する郭のメイン通り。あれだけお店が並んでいても、どうも、中に入って食べたり、品物を選ぼうという気がおきなかった。通りだけ巡って、帰りに、お洒落な店構えではないけれど美味しい手打ちお蕎麦屋さんでぐっと遅いお昼をとったり、観光ルートから外れている老舗の本店の方でお総菜用の車麩を買ったりした。 なぜ、そうしたか。今思うに、やはり、自分が観光客になるのが嫌だったのだろう。「和」をパッケージして高く売る。地元民がそれに付き合う必要はない、そんな気持ちだったのではないか。 今日のお出かけは、「観光地を県外客気分で観光した地元民」といったところだが、写真を撮る時は、もう充分にエトランゼ気分で、買い物する時は、急に地元民意識に戻ってと、後から考えると、なかなかに揺れ動く心の交錯があったようなのであった。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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