ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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どうも今年は買い替えの巡り合わせになっているらしい。電気髭剃り、オーブントースターは、以前ここで触れたが、その他、充電池を交換したばかりのハンディクリーナーの、今度はACアダプターのほうが壊れて充電できなくなり、高い別注文するくらいならと再度買ったり、居間の照明がつかなくなってシーリングライトを省エネタイプに買い替えたりした。 先日は先日で、愚妻が、縁石に乗り上げてタイヤを傷めたのを知らずに車を走らせ、バースト寸前となって緊急にタイヤ交換をした。それで高速も走っていたのだから、危ないところだった。 今日は、布団が破れて羽毛が浮遊しはじめていたので、冬に向けてリフォームに出した。店員の話によると、洗浄など再生加工の上、新たに羽毛も増量するらしく、その高価なのには驚いた。夏も終わり、今のうちにと思って持って行ったのだが、私のような人は多いらしく、布団屋さんは今が繁忙期なのだそうだ。 冬の用意と言えば、電気ストーブのスイッチも不良で、これも何とかしなければならない。秋には、二台の車の車検が五月雨式に待ちかまえている。
愚妻は、ハードコンタクトレンズが古くなったので新品に替えた。眼科で検眼の時、そろそろ安手でよいから老眼鏡を使ったらと勧められ、今日、百円均一ショップに寄って、どんなものなのかお試しにと度の弱いのを買ってきた。作りはチャチだが、細かい字がよく見えるという。老眼鏡を物色しなければならなくなったことに愚妻は多少の感慨を催したようだが、私ももちろん見事に進行中で、近いところを見るため、最近、愛用の近眼眼鏡をかけたり外したりしていたら、見事にレンズを割ってしまった。これも、大慌てでつけ替える。 これやそれや合計すると、ここのところかなりの出費である。ただ、この買い物や支払い、すべて現状を維持するためのもの。新機軸として加わったものはなにもない。当然、ワクワク感もほとんど湧かない。 今年が巡り合わせの「大」の年だったというのなら諦めもつくが、以後、機械、人間双方、加速度的に現状維持管理費がかさみ、それに忙殺されるようになるのではないかと、今からちょっと不安である。 人生とは、畢竟、メンテナンスの謂なのだと実感するこの頃。
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歌舞伎のことを書いていて思い出した。 当時住んでいた東京のアパートは、私が高校時代からの友人N君を頼って、その隣りに部屋を借りたもの。だから、いつも彼と一緒だった。彼は芝居が大好きで、誰の子供が誰という歌舞伎界のことも熟知していた。 ある日、その彼から、梨をもらったからといって、おすそ分けを戴いた。誰から貰ったのと聞くと、鳥取出身の友人からだという。なんでも親御さんは梨栽培業者だそうで、結構、羽振りのいい子らしい。 「彼こそ、ホントの梨園の御曹司だね。」 うまい。ちゃんと言葉を知っていることが前提のウイット。今でもはっきり覚えているところをみると、当時、余程感心したのだろう。国文学科出身はこんな言葉遊びが大好きである。
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旅行の目玉は、歌舞伎座で歌舞伎を観るという愚妻発案の企画。彼女は生の歌舞伎は未見というし、私は、その昔、半蔵門の国立劇場には何度か通ったが、東銀座のほうは入ったことがなかったので、贅沢をしようということになって、いい席をとった。お金は支払い済みだったので、当日、腰が悪化して宿舎でずっと寝ていても、これだけは這ってでも観に行くことになっていたのである。幸い、問題もなく最後までちゃんと座って観られました。 なんでも、八月は、「八月納涼大歌舞伎」と銘打って、午前・午後・夜の三部制になるそうで、まあ、通常より短めの上演時間で、つまりは、お盆値段なのではなかろうか。日程に合わせるしかなかったので、芝居は初日、演目の好みは二の次となった。 最初の演目、『磯異人館』(指宿大城作・福田善之演出)は、異色の幕末維新物。洋館に西洋軍服、台詞まわしもほとんど現代物と変わりがない。琉球王女瑠璃(七之助)が薩摩高官の養女となり、一介の下級武士(勘太郎)に恋をするも、イギリス人技師(亀蔵)の強引な求婚を承諾せざるを得ず、渡英するという荒唐無稽な筋立てと、女性を女形がやっているところが歌舞伎らしいところである。英国人技師が如何にも如何にもの舌足らずな片言日本語を喋って、笑いを誘っていた。歌舞伎らしさが大事だった初体験の愚妻には、ちょっと物足りなかったかもしれない。 次の『越前一乗谷』は、水上勉原作の朝倉家の滅亡の物語を舞踏劇(尾上菊之丞振付)に仕立てたもので、踊りが主。浄瑠璃社中が物語を語り、時に役者に台詞もあるというミュージカル風の構成。今や中堅の勘三郎(前の勘九郎)と三津五郎との、戦(いくさ)を模した踊りも楽しかったが、それは顔見せといった程度で、主役の朝倉義景は橋之助であった。回り舞台、せり上がりなど舞台を大きく使って、スペクタクル的な配慮がしてあり、観ていて飽きなかった。義景を思い佇む妻小少将(福助)に紅葉が舞うシーンなど美しいの一言。 初日とて、場面転換直後の書き割りが揺れていたり、ここは本当ならもう少し早い舞台転換を考えていたのではないかなと思わせるところもあったが、まあ、すぐに改善されるだろう。 観なかった午後の第二部では、新劇役者渡辺えり子作・演出のユニークな昔話劇があったり、夜の第三部は定番『先代萩』があったりと、お金さえあれば、一日中、飽きずに楽しめるプログラムになっているところが、さすが江戸時代の庶民の娯楽の王様らしいバラエティの豊かさであった。 チラシを眺めていて、夜の部を含め、今日の演目に、私が学生さんの頃観ていた歌舞伎役者が誰もいないことに気がついた。無理もない。あれから四半世紀、多くは代替わりしている。古い伝統藝、何も変わらないように見えても、それを繋いでいく人の寿命だけはどうしようもない。 貧乏学生のあの頃、この年季の入った専用の劇場で、いつか、ゆっくりお芝居見物してみたいものだと思っていたので、今回、念願が叶って、胸のつかえが下りた気持ちである。 ただ、そうだからか、高いお金払って、ちゃんとした席で芝居をみている自分が、なんだか本当に私自身なのか、本当は、あの頃とは違う別の人間が観ているのではないかという、妙な感情が湧いて仕方なかった。もういい歳のオッサンなのだから、ちょっと贅沢にお金払って観ているだけのことで、何を言っているのだと言われれば、まったくその通りなのだが、なぜだろう。ずっとそんな気分で観ていたのである。
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話はとりとめもないが、東京で戴いた食事もすべて美味しかった。「軽食で胃袋休め」と思って入ったサンドイッチカフェのオープンサンドも具がたっぷりで文句なしだったし、芝居小屋で食べた大阪寿司の弁当も、ほんのり甘みがあり口にあった。また、帰りの東京駅で買った、酒のおつまみに配慮した副菜を入れましたという触れ込みの駅弁も、違わず、よく一品一品吟味されていて美味しかった。漬け物一かけにも手を抜いていない。昔、駅弁といえば、鮭の切り身の入った美味しくもない幕の内で我慢していたのだから、以前とそう変わらぬお値段で、こんなに美味しい食事が戴けたことに大満足だった。そう言えば、テレビでよく駅弁戦争の裏側なんて番組をやっていた。その競争の成果なのだろう。 そうこうと、今回、感心することばかりだったが、愚妻とともに大問題だと思ったことがひとつある。 連日の酷暑で、通りを歩いていると、熱気が陽炎のように舞い上がる。どうも尋常な暑さではない。アスファルトの照り返し、冷房の室外機からの熱風がない交ぜになって、繁華街の通りの暑さは体感温度四十度をとうに超す。ヒートアイランド現象である。反面、ビルの中は、どこも底冷えを感じるくらいの低温で、愚妻は長袖がいると嘆いていた。外が暑いから頑固に冷やす、すると熱は外にいくという悪循環に陥っているようで、それが当たり前になっている都会全体の無頓着さに少々危機感を感じた。経験のない瞬間的温度落差の連続に、年寄りには辛い街だと思わないわけにはいかなかった。 今、羅列した、巨大ビル群、女性の社会進出、国際化、受験産業の現在、こだわりの駅弁、ヒートアイランド……。ひとつひとつはどれも知っている。でも、それが田舎では定着していなかったり、情報だけで実感がなかったりした。それを、今回、都会の「現実」として、わっと見せられた気がした。その色々な側面の総体が今の日本なのだという感じで、私は東京を見つめた。 日本丸、駄目な部分ばかり目について暗澹とすることが多いけれど、よくなっているところも沢山ある。文化はゆっくり成熟に向かっている。それを感じることが多かった。後は、この感想を、地方人の私がどう生かすのかということになる。 ここのところ、何年も時が止まっていたせいか、世の中を遠くに感じていたのだが、今回の旅行で、少しは取り戻せたような気がする。そんな効用がつくなんて思ってもいなかった。
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しかし、それより印象的だったのはソフト面である。特急クラスの車掌が若い女性だったことに軽く驚いたのをはじめとして、行く場所場所で、昔なら年配の男性の仕事というイメージが強い職業に、女性が多く就いていることに意識がいった。地方では未だに風土面で壁があるが、都会では、最早、当たり前のこととして定着しているのだろう。最初、いちいち驚いていたが、途中から、今は、そういう時代なのだと納得するようになった。都会の先進性をはっきり見せつけられた思いだった。 ヒルズでは、表方ばかりでなく、ゴミ収集も若い女性スタッフがこざっぱりした制服を着て担当していた。普通、若い女性は嫌がる仕事である。しっかりした意識を持って仕事をする教育が徹底されているのだろう。こちらの地方では、おそらく、そんな仕事するのなら花嫁修行をさせますと考える親が多いのではなかろうか。 次の日の夜、ジャズクラブで生演奏を聴いた。客は女性のほうが多かった。夜、暗い酒場でジャズを聴くというのは、典型的男の文化だと考えるのは過去の話。女性が自分で稼いだお金を使って、アフタージョブにアルコールを楽しむのに何の問題があろう。これはもう単純に、正しい方向になっているように感じた。 日中、あちこちで外国語が聞こえる。外人さんの総数が、昔に比べて急増しているのは間違いないようだ。それも、お上りさんではなく、日本に馴染んでいる様子の方が目につく。東京の「国際都市」という側面が昔に比べてぐっと前に出ている印象で、東京人はそれを自然に受け入れているように見えた。 今回、偶然に、某予備校の前を通った。昔、私が関係していた予備校は、建て増しを重ねた迷路のようだったが、この校舎は、オフィス街に立つビジネスビルと見紛うガラスエリアの広いすっきりとした建物だった。一階にはパソコンや液晶画面が並んでいるのが見える。営業戦略上、今や、こうした環境提供が必要なのだろう。浪人生は、大人と同じ環境の中で勉強している訳で、そこに苦学生というイメージはない。へえ、こんな中心地の、こんな一流会社のような建物で受験生をやっているのかと思うと、古い人間は、ちょっと違和感を感じたが、だから駄目だという理屈にはならない。つまりは、受験業界がビジネスとして成熟してきたということなのだろう。今時の彼ら、なんだかとても格好いい生活を送っているようなのだ。(つづく)
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毎年のように情報収集(買い出し?)ツアーと称して東京に行っていたこともあったが、このところそれどころではなく、今回、六年ぶりに東京を眺めることとなった。不思議なことに、最近の印象ではなく、ずっと昔の、学生時代との違いにばかり思いがいった。まるで四半世紀ぶりに訪れたかのような感覚が最後まで抜けなかった。我が老父が、どんどん途中の記憶更新が抜け落ちて、若い頃の記憶で話をすることが多くなったのと少し似ているかもしれない。 今回の旅行では、折に触れて、日本の文化はしっかり成熟に向かっているという感慨が湧いた。これが一番の印象であった。 初日、六本木ヒルズに向かった。東京の高層ビルといえば、あの頃は、新宿西口にかたまって数本立っているだけという感じだったが、森ビル展望台からの首都全景、特に東京タワー方面を見ると、スカイスクレーパーの名に恥じないガラスとコンクリートの塊が眼前に迫り、戦後六十年、東京が名実ともに世界の大都会になっているのを実感した。横には、できたての東京ミッドタウン、眼下には、これもできたての国立新美術館が見える。今回、私のスローペースでは行けなかった目的地のひとつである。 三日目には、半月型の吹き抜けが印象的な東京国際フォーラムを短時間見学した。出来て十年という。昔、国際的に通用するコンベンション施設が東京にはなかった。国際都市として、確かにあってしかるべき施設で、それが今はある。また、秋葉原駅をはじめとして多くの駅舎がリニューアルされ、美しくなっていた。昔は周りのビル群に比べ小汚くて小さな駅舎が多かった。 外観的には、こうした、建築物が着実に充実し、近代化しているのが印象的だった。それは、あの当時、少し残っていた急ごしらえの「戦後復興」的な部分が、今、もう、完全に取り除かれていたということでもあった。(つづく)
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お盆、日の差す昼下がり。 リビングの冷房は、古いアパートから持ってきた六畳用なので、フル稼働しても完全に冷え切らない。そんなダルな時間は、ボサノバを流しながら、気楽なエッセイでも読んで何とか夜まで凌ぐ。 読んだのは、さくらももこ『さるのこしかけ』(集英社)『たいのおかしら』(集英社)、和田誠『似顔絵物語』(白水Uブックス)他。 ここ二年、図書館にあるさくらももこの本を、新しいものから読んでいったので、最後に初期のエッセイに辿り着いた。 いつも楽しい話のオンパレードだが、年齢を逆行する読み方をしたので、この二冊には三十歳代前半の若いももこがいるのが逆に新鮮であった。 『たいのおかしら』のほうに、姉と一緒に写っている七五三写真が掲載されている。利発そうな姉に較べ、ぽっちゃりほっぺのぼんやり丸顔で、本当に、正真正銘、「まるい子」である。命名の由来がそれでよく判った。漫画の顔の輪郭とは全然違う。 和田の本は、似顔絵を重要な「営業品目」にしている彼の、似顔絵を中心とした自伝とでも言うべきもの。先達、清水昆を尊敬していることや、学生時代から彼の似顔絵は人気だったことなどが語られる。似せるだけではすまない作画上の苦労話なども興味深かった。 他、軽い本を何冊も借りてある。買ったまま読んでいない本も……。流し聞きしただけでそのままになっているCDも何枚か。 布団干し、部屋の掃除、靴磨き、車のメンテナンス……、日頃、忙しさに取り紛れて出来なかった家事を織り交ぜながら読み進む。お盆行事のない我が家は、いつもこうして籠もったかのような数日を過ごす。 今日は敗戦記念日。あの日も暑い一日だったと聞く。夕刻のニュースによると、関東では四十度を超えたところもあったとか。今年は、どうやら夏らしい夏のようだ。
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先の土日を絡めた日程で、初めて本格的な旅行をした。一人だと悪化した場合どうにもならないので、愚妻の出張に便乗する形で列車に乗る。まず、責任のない東京観光で遠出の練習である。緩く行きたいところを決めておいて、出来る範囲で動くというスタンス。ホテルで寝ているだけでも無事に帰ればよしとする。 新幹線は指定席車両の端の席。足を前の壁に投げ出したので何とかなった。がらがら引きのトランクも愚妻に任せっぱなしで、自分は身の回り品のみ。移動も、地下鉄の連絡が悪いところはさっさとタクシーを使った。コインロッカーもどんどん使う。若い頃のケチケチ旅行からみたら贅沢だけど、無理は禁物、お金で何とかなるところはお金でという発想でこなした。 結局、絶対行こうと思っていたところには行けたが、「無理がきいたらここも。」といったところは行けなかった。そんなレベルだった。 具体的には、六本木ヒルズ、美術展、秋葉原、芝居見物などには行けたが、あちこち歩き回る東京下町文学散歩や、方向が違っていてテキパキしないと時間が取れないカメラフォーラムには行けなかった。 以前より椅子に座っていられる時間が長くなっているので、途中で横になりたくなって困るということがなかった反面、じっと立っているのが一番辛いということが今回の旅でもよく判った。 美術展では、入場早々ソファに座り、以後、展示室全コーナー休憩椅子制覇を達成した(悲)。時々、椅子のない部屋があって、そんな時は前室まで戻って座り、また、先の部屋に行って続きを観た。気が散って、連続的に深く対象に入り込むことができないもどかしさを感じたが、これは諦めるしかない。 これで、遠出でこなせる自分の限界とペースが分かった。こまかいことは人様に全部任せての、気分次第、お大尽旅行ならこなせるが、こまごま自分から動かねばならない仕事旅行は未だ不安がつきまとう。 一時期、もう東京の景色なぞ、この目で見ることが出来ないのではないかと思っていたので、ヒルズの展望台で摩天楼を見ると、結構、感激するのではないかと、行く前に、その時の自分の姿を思い描いていたのだが、実際、現地に行くと、東京タワーが下に見えるね、あのビルはどこどこだね、といった眼前の刺激にすっかり心奪われ、感激にひたるのを忘れてしまっていた。ちょっとは元気になってきた証拠かもしれない。 (以後、まとまり次第、東京の印象記を少しずつアップしていきます。)
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久しぶりの中距離巡行で、それは呆気なくついた。 いつもは職場との往復ばかりなのだが、この夏、合宿で白山麓と下界を何往復かした。それでカーボンがとれたのだろう、愛車のエンジンは、見た目に比して快調そのものだった。なんだか、それをこのままスクラップにするのは忍びない気がして、その時に、もう一回、車検を通そうと決意したのだった。 ここ数ヶ月費やした車選びの時間が無意味になった恰好だが、カタログ見ながら、この車だったらこのグレードで、最低限オプションにはこれを付けようと、積んだり崩したりして考えたのが楽しかったので、それもまたよしとしよう。 この盆休み、愚妻の施したみっともない補修を横目で眺めながら、私は、五、六年ぶりにカーショップに行って、ケア製品を購い、年寄り車の掃除なんぞをしはじめた。何年もほったらかしだったのに……。 我ながら、何ともはや、現金な人である。
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車検が近づいた愛車、後付パーツ部分から傷んできて、錆も出てきた。今度はゴチャゴチャついていないプレーンなボディのを買おうと決めている。実は、ここ数年、愚妻の軽自動車に乗っていて、今春、元に復したので、自分の車を運転するのは久しぶりのことなのであった。 まじまじと自分の車を眺めると、愚妻が自己流の補修を試みていて、色のかなり違うペイントを平気でボディに塗りたくっている。塗装のはげたリヤウイングなどは、今や「鹿の子斑仕様」である。しまいには、ブラックアウト部分までボディ色に塗ってすましている。確かに、それで錆は止まるが、見た目は、かなり情けない状態で、さすが我が愚妻、がさつを絵に描いたような修理ぶりである。 お世話になっている同級生の車屋さんに行き、今後を相談する。彼によると、そろそろ買い換えを勧める、車検を通しても、いつ何時大金のいる修理が必要となるか判らない。通すなら、それを覚悟しておいてほしいとのこと。 では、買い替えるならどんな車がいいのかと尋ねると、今やガソリンは高騰、下がる気配はない。地球温暖化が進み、今後も暖冬傾向だろう、遠出もしないようだし、貴方の場合、前輪駆動のリッターカークラスで充分だという。 まさに正論。エコロジーを考えると、それにしくはない。しかし、それにしても、商売気のない商売人である。 今流行りの言葉で言うと、「ダウンサイジングの思想」。調べてみると、多くのブログで、そうしたサイズダウンの車に買い替えている報告がある。特に欧州では既定の流れだという。 しかし、反論も出てきた。腰痛の身で、雪でスタックしたらどうするのだ、人様に迷惑かけるだけだ。まず、しっかり定時に職場に着くことが人生の大事。車で情けない思いはしたくないだろう。これまで通り、余裕のある排気量で、且つ四駆が、なんと言ってもオールマイティだ。車にお金かけない発想は、定年を迎える次回の買い替えの時でいいではないかというもの。これも一理ある。 どの車買おうかと悩んでいるというより、どんなコンセプトで、今後、車と付き合おうかという根元のところから迷っているので、茫漠たる車選びとなった。 ここのところ、各メーカーのディーラーに行き、何台も試乗した。カタログも穴のあくほど眺めた。 で、結論は……。(つづく)
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今は別メーカーのカメラを使っている友人が、長期貸与という形でペンタックスのマクロレンズを送ってくれた(FA50mmF2.8)。 広角マクロはコンパクトデジカメで経験済みだが、一眼レフでの等倍マクロは生まれて初めての体験。噂通り、オートフォーカスでピントが合わない。ジージーと行ったり来たり。これはなかなか手強いゾという印象。 等倍マクロでファインダーを覗いてみての感想は、世の中、なんて埃っぽいのだろうということ。なんでもかんでもモノは埃にまみれている。接写では、まず対象物の埃落としからはじめなければならない。見えてないとは何と幸せなことか。 これに勢いづいて、ペンタックス使い垂涎の単焦点レンズFA77 mmF1.8を購入した。売り切れ続出で購買欲が高まっていた最中、よく利用するネットショップに在庫が入っていたので、人生のお楽しみ、欲しいものは買う、我慢するのは止めようという路線で「購入」ボタンを押す。 ポチッとな。 このレンズ、ポートレート用として有名で、実際、撮してみても、ボケがすっきりとしてザワつきがない。さすが、名にし負う「リミテッドシリーズ」である。 思えば、F値が2を切る明るい単焦点レンズは、三昔前まではゴロゴロ売られていた。ズーム全盛になって一度忘れ去られ、最近、また見直されてきた。デジタル一眼からのカメラファンは、その明るいファインダー像と綺麗なボケに感嘆措く能わずのていだが、私のような古いだけの中抜け古株(?)は、元に戻っただけのような感じがしてならない。ああ、そうそう、明るい単焦点はこんな感じだった。 覚悟はしていたが、デジタル換算100mmを超す中望遠なので、スナップ使用には苦しく、最短撮影距離も長い。外食撮りは、事実上、無理である。 ということで、ファーストライト(最初のシャッター)は、白髪まじりの鬼妻の横顔ということにあいなった。 御免ね、レンズ君。
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叔母さんの家の子になることも、彼氏と深い関係になることもしない。人からの助けを、強い形ではないけれど拒否している。でも、だからといってネガティブでもない。彼女なりに自分のペースで、ゆっくりと自立に向かおうとしているのだろうね。もう、笛を吹いたら飛んできてくれたダリアも死んでしまったのだし、彼女自身もそういう方向を意識している。彼女の生き方を見ると、一度、大きな喪失感を心に抱いた人が、ゆっくり回復に向かいつつある生き方という感じがするね。 このお話、客観的にはすごく不幸な身の上だけど、彼女自身は、不幸な感じで受け取っていないよね。よく考えたら、周りが実にいい人ばかりに囲まれているんだね。 変わったところもあるけれど、みんなの友だちを思い浮かべてみると、彼女のような、世間的なイメージでの「女らしさ」に囚われず、自分のペースで自分なりの成長を志向している子は、目立たないけどいるよね。 だから、大人の常識から見れば、変わった子だともいえるし、今の女の子のある種の感覚がしっかり描かれていて、どこかにいつもタイプの子ということもできるよね。二つの意見は、どちらが的はずれとは言えないようだね。」
昔、ばななが大ブームだった頃、何冊も読んだ。今回、久しぶりだった。全体的な印象は昔と変わらない。なんだか、昔も今も、ばななは「私はこんな女の子です。」ということをみんなに知ってほしいために小説を書いているような感じがする。もちろん、それは小説家としての戦略なのだろう。 居候話の部分だけでまとめるしかなかったので、一緒に暮らすことを中心に据えた具体的な話にしかならなかったが、「普通だったらどうなのだろう?」という意識で、もう一度、作品を読むと、その世界の独自性が見えてくることもあると伝えたつもりだが、メッセージは参加者に届いただろうか? ばななの小説、初期の頃よりうまくなっているように感じた。母の死における霊的な体験やダリアという友だちの存在、夢でのダイアの死の予感など、詩的なイメージがうまく挿入されていて、なかなか効いている。奈良の絵からインスパイアされたことも大きいのであろう。 彼女は一九六四年生まれ。このコラボレーションは一九九八年から二〇〇〇年まで月刊誌「CUT」でなされたということなので、作者三十歳代半ばの作である。モチーフがどの作品もどことなく似ていて、ワンパターンだと言えば言えるが、純文藝らしいポエジックな香りをたっぷり味わった。 読書会係は自分の趣味でこれに決めたのだという。彼女が選ばなければオジサンの私は読まなかった。いい小説選んでくれて有り難う。(2007.7.13実施)
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七月の読書会で係の生徒がこの小説を選んできた。一つ一つが短編としても読めるように章立てをして、全体としてひな菊という女の子を浮き上がらせる一つの大きな話にしてある。会のテキストとしては、その中の「2 居候生活」だけを取り上げた。 奈良美智のイラストが別冊としてついていて、二冊でセットになっているのが特色。今年、金沢二十一世紀美術館で展覧会があって、初めて彼を知った。ちょっと陰気な感じの女の子を描く画家だが、吉本は彼の絵を見ながらイメージを膨らませて、話の続きを書いていったそうである。その場その場でイラストが挿入されているのではない分、小説のどの部分を描いているのか、後で絵の冊子を開いてあてはめるのもイメージが膨らんで、なかなかいい。 文章は上下二段組ながら行間をランダムに空けたり、急にその行だけ字数が多かったりと意表をつくレイアウト。これには驚いたが、以前、吉本は、活字を活字と思ってしまうと、今の子は読んでくれない。字だと思わせないようにするのが大事だという旨を語っていたので、これも、読書の楽しさを出すギミックの一つということなのだろう。「これ何? レイアウトミス?」といった感覚で読めるので楽しい。ただ、このため、一冊の字数は頁数の割に少ない。 しっかり意見を言ってくれる子ばかりだったので、会は淡々と進んだが、ひな菊はどこにでもいる子だと述べた生徒もいれば、変わった子だと述べた生徒もいた。最後に書いてもらったアンケートでも、「自分と正反対の意見が出て驚いたが、その人なりの理屈があって、色々な受け止め方があるんだなと思った。」というのが多かった。確かに、この二つは一見正反対のようである。 私は、最後に、次のようまとめた。
「常識的に考えると、やっぱり、ちょっと変わった子だろうね。三年間も一緒に暮らした同性のルームメイトと別れる日、相手はセンチになっているのに、彼女は結構クールだし、せっかく独立して部屋を借りるのに、事務所の一室のような部屋を即決して不動産屋を驚かせたりしている。普通だったら、まず断る間取りだよね。 両親がいない彼女の身の上を考えれば、一緒に住もうと言ってくれる叔母さんがいるのだから、甘えるのが一番いいように思うけど、それはしていない。そうした甘えた生き方をする人ではないんだね。 みんな、「高春との友だちのようなつかず離れずの関係も、これはこれで、アリ。」と言っていたけど、彼にしてみたら、この状態は本意ではないと思うよ。おそらく彼は彼女が好きなのだろうね、普通、一つ部屋に暮らしたのだから、大人の関係になっても不思議ではない。でも、彼女は、深く踏み込まれるのが苦手だし、彼もそれをよく知っている。だから、彼はそれを大切にして、まるで友だち関係のような関係を続けていたのだろう。 そのことは、彼女が「そんなことしたら私たちが付き合っているのがばれちゃうわよ。」といった時、「俺たち付き合っていたんだ」と彼が冗談で返すのを期待していたのに、彼が沈黙してしまったことでも判るんじゃないかな。彼女は「まずい」雰囲気になったと深刻なるのを避けているけど、内心、彼女も彼をことを好ましく思っているのは間違いないことだし、彼も、もちろんそう。だから、彼女的にはそれでいいのかもしれないけれど、やはり、端からみたら、この関係は宙ぶらりんだよね。(つづく)
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夏の高校野球県大会。どこの県でも選手獲得に融通の利く私学勢が上位を占め、公立高校の出る幕がなくなって久しい。ところが、今年、下馬評に上らなかった金沢郊外の公立高校が、トントン拍子に勝ち進み、久しぶりに決勝戦まで進んで、地元では話題になった。 その学校とゆかりのある愚妻、まず、三回戦を観に行った。帰宅後、本人が言うには、応援席はガラガラだったが、ファインダー越しに観る選手の生き生きとした表情がよかったという。 次の準決勝はテレビ観戦。画面には相手私立高の悲壮感が漂う暗い表情が多く映っていたそうで、それと対照的に、こちらはその日も笑顔一杯だったそうだ。試合を続けられることが楽しくって仕方がないといった感じで、勝負としては、これほど強いものはない。応援席も多くの観客が見受けられ、勢いの強さ、見事に逆転勝利を勝ち取った。 愚妻によると、テレビの解説者の、この場面は手堅く送るでしょうなどと言っているのを聞いて、全然判っていない、あの監督であの選手なら、そんなチマチマしいことをする訳がないではないかと思ったらしい。そうしたら、案の定、長打狙い。下手な解説者より私の方がよっぽど的確だと、彼女は自慢げだった。まあ、メンバーを見知っているのだから、確かにこのチーム限定でちょっと監督もどきである。 愚妻は決勝戦をまた観に行った。この時は、おらが町の高校の決勝進出、めったにないことだと、こちら側観客席は大応援団になっていたそうだ。後で愚妻のところに、「あの時スタンドにいたけど、どこかにいた?」というメールが舞い込んだくらい。残念ながら惜敗して、選手はちょっと悔しそうだったが、ここまでこれたということで、まるで勝ったかのような明るい表彰式だったという。 前夜まで、「甲子園に行っちゃいそうだなあ、仕事と重ならなかったら行けるかも?」と愚妻は「捕らぬ狸」をやって、行く気満々になっていた。 身近でこんなことが起ころうとは思いもしなかった。日本人に生まれたからには、一度は自分ゆかりの高校が甲子園に行って、アルプススタンドで応援をしたいもの。「もしかしたら」という夢を見させてくれて、今年はちょっとうれしい夏前半だった。
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