ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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叔母さんの家の子になることも、彼氏と深い関係になることもしない。人からの助けを、強い形ではないけれど拒否している。でも、だからといってネガティブでもない。彼女なりに自分のペースで、ゆっくりと自立に向かおうとしているのだろうね。もう、笛を吹いたら飛んできてくれたダリアも死んでしまったのだし、彼女自身もそういう方向を意識している。彼女の生き方を見ると、一度、大きな喪失感を心に抱いた人が、ゆっくり回復に向かいつつある生き方という感じがするね。 このお話、客観的にはすごく不幸な身の上だけど、彼女自身は、不幸な感じで受け取っていないよね。よく考えたら、周りが実にいい人ばかりに囲まれているんだね。 変わったところもあるけれど、みんなの友だちを思い浮かべてみると、彼女のような、世間的なイメージでの「女らしさ」に囚われず、自分のペースで自分なりの成長を志向している子は、目立たないけどいるよね。 だから、大人の常識から見れば、変わった子だともいえるし、今の女の子のある種の感覚がしっかり描かれていて、どこかにいつもタイプの子ということもできるよね。二つの意見は、どちらが的はずれとは言えないようだね。」
昔、ばななが大ブームだった頃、何冊も読んだ。今回、久しぶりだった。全体的な印象は昔と変わらない。なんだか、昔も今も、ばななは「私はこんな女の子です。」ということをみんなに知ってほしいために小説を書いているような感じがする。もちろん、それは小説家としての戦略なのだろう。 居候話の部分だけでまとめるしかなかったので、一緒に暮らすことを中心に据えた具体的な話にしかならなかったが、「普通だったらどうなのだろう?」という意識で、もう一度、作品を読むと、その世界の独自性が見えてくることもあると伝えたつもりだが、メッセージは参加者に届いただろうか? ばななの小説、初期の頃よりうまくなっているように感じた。母の死における霊的な体験やダリアという友だちの存在、夢でのダイアの死の予感など、詩的なイメージがうまく挿入されていて、なかなか効いている。奈良の絵からインスパイアされたことも大きいのであろう。 彼女は一九六四年生まれ。このコラボレーションは一九九八年から二〇〇〇年まで月刊誌「CUT」でなされたということなので、作者三十歳代半ばの作である。モチーフがどの作品もどことなく似ていて、ワンパターンだと言えば言えるが、純文藝らしいポエジックな香りをたっぷり味わった。 読書会係は自分の趣味でこれに決めたのだという。彼女が選ばなければオジサンの私は読まなかった。いい小説選んでくれて有り難う。(2007.7.13実施)
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