ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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旅行の目玉は、歌舞伎座で歌舞伎を観るという愚妻発案の企画。彼女は生の歌舞伎は未見というし、私は、その昔、半蔵門の国立劇場には何度か通ったが、東銀座のほうは入ったことがなかったので、贅沢をしようということになって、いい席をとった。お金は支払い済みだったので、当日、腰が悪化して宿舎でずっと寝ていても、これだけは這ってでも観に行くことになっていたのである。幸い、問題もなく最後までちゃんと座って観られました。 なんでも、八月は、「八月納涼大歌舞伎」と銘打って、午前・午後・夜の三部制になるそうで、まあ、通常より短めの上演時間で、つまりは、お盆値段なのではなかろうか。日程に合わせるしかなかったので、芝居は初日、演目の好みは二の次となった。 最初の演目、『磯異人館』(指宿大城作・福田善之演出)は、異色の幕末維新物。洋館に西洋軍服、台詞まわしもほとんど現代物と変わりがない。琉球王女瑠璃(七之助)が薩摩高官の養女となり、一介の下級武士(勘太郎)に恋をするも、イギリス人技師(亀蔵)の強引な求婚を承諾せざるを得ず、渡英するという荒唐無稽な筋立てと、女性を女形がやっているところが歌舞伎らしいところである。英国人技師が如何にも如何にもの舌足らずな片言日本語を喋って、笑いを誘っていた。歌舞伎らしさが大事だった初体験の愚妻には、ちょっと物足りなかったかもしれない。 次の『越前一乗谷』は、水上勉原作の朝倉家の滅亡の物語を舞踏劇(尾上菊之丞振付)に仕立てたもので、踊りが主。浄瑠璃社中が物語を語り、時に役者に台詞もあるというミュージカル風の構成。今や中堅の勘三郎(前の勘九郎)と三津五郎との、戦(いくさ)を模した踊りも楽しかったが、それは顔見せといった程度で、主役の朝倉義景は橋之助であった。回り舞台、せり上がりなど舞台を大きく使って、スペクタクル的な配慮がしてあり、観ていて飽きなかった。義景を思い佇む妻小少将(福助)に紅葉が舞うシーンなど美しいの一言。 初日とて、場面転換直後の書き割りが揺れていたり、ここは本当ならもう少し早い舞台転換を考えていたのではないかなと思わせるところもあったが、まあ、すぐに改善されるだろう。 観なかった午後の第二部では、新劇役者渡辺えり子作・演出のユニークな昔話劇があったり、夜の第三部は定番『先代萩』があったりと、お金さえあれば、一日中、飽きずに楽しめるプログラムになっているところが、さすが江戸時代の庶民の娯楽の王様らしいバラエティの豊かさであった。 チラシを眺めていて、夜の部を含め、今日の演目に、私が学生さんの頃観ていた歌舞伎役者が誰もいないことに気がついた。無理もない。あれから四半世紀、多くは代替わりしている。古い伝統藝、何も変わらないように見えても、それを繋いでいく人の寿命だけはどうしようもない。 貧乏学生のあの頃、この年季の入った専用の劇場で、いつか、ゆっくりお芝居見物してみたいものだと思っていたので、今回、念願が叶って、胸のつかえが下りた気持ちである。 ただ、そうだからか、高いお金払って、ちゃんとした席で芝居をみている自分が、なんだか本当に私自身なのか、本当は、あの頃とは違う別の人間が観ているのではないかという、妙な感情が湧いて仕方なかった。もういい歳のオッサンなのだから、ちょっと贅沢にお金払って観ているだけのことで、何を言っているのだと言われれば、まったくその通りなのだが、なぜだろう。ずっとそんな気分で観ていたのである。
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