ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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注目のピアノは海野雅威という。今年二十七歳。鈴木が「ジャズ界のハリー・ポッター!」と紹介して笑いをとるほどお若いのに、レッド・ガーランドやアンドレ・プレビンあたりを彷彿とさせるスインギーな演奏を披露して皆を唸らせていた。御大がデビュー時から即注目したのも納得の上手さである。アドリブソロもメロディを幾分残して弾いたりするので、今何コーラス目のどの辺りをやっているのかよく判る。そんなちょっと昔風な演奏をするかと思えば、ファンクネス溢れる演奏も難なくこなす。時に手を交差して右手で低音部を弾いたり、指を立てて滑らしたりと技巧的な運指があって、ピアノの奏法をしっかり教育として学んだ人という印象を持った。クラシックを学んでジャズに流れてきたのではなく、純粋培養的な英才教育によってジャズの道を真っ直ぐ歩んできた今時の青年音楽家という風に私には映った。 あまりに上手すぎて、ちょっと古風に完成され尽くしているようにも思えるが、米国に武者修行に行くそうなので、どう変化していくか、大注目である。私見では、もう少し羽目を外したワイルドさを身につけると文句なしになると思う。日本のジャズシーンにそう詳しいわけでもないが、この人、いずれビッグネームになると、ここに素人予言して置きたい。 実は、数ヶ月前、NHKの放送を聴いた後に、このトリオの新譜「フォー・ユー」を買いに走ったのだが、発足直後の新レーベルの悲しさ、地元には流通していなかった。そこで、この会場で購い、演奏後、チンさん(鈴木氏)にサインしてもらった。音楽家にサインをもらうのは生まれて初めての経験で、結構ミーハーしてしまった。 このメイン・コンサートはそれなりに埋まっていたが、その他の企画は少々人出が淋しかった。聴衆の年齢も高い。多くは無料である。もっと多くの市民に参加してもらいたいと思った。
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NHKーFM「セッション2007」を聴いて、恐ろしく上手いピアニストがいると舌を巻いた鈴木良雄(b)トリオが来沢することを知り、八月にはチケットを購入、楽しみにしていた。 「金澤ジャズスクエア2007」というイベントのメイン扱いで、他に、音楽堂前ではアマチュア楽団による青空ミニコンサート、交流ホールでは市内ジャズスポット推薦の音盤をハイエンドオーディオで聴く鑑賞会や「4×6」というコンボによる前座演奏が繰り広げられていた。この、女性パーカッショニストが入った地元コンボ、チック・コリアの難曲をバシッと決めるなど、素人離れしたハイレベルな演奏で驚いた。 一度、ホールを出、再度入場。ここからが有料となる。今回のトリオは、女性ボーカル、ディー・ダニエルのバックバンドという立場での演奏。 知らない歌手だったが、中堅年齢の実力派で、「ハニー・サックル・ローズ」などの有名ジャズスタンダードをスキャットを交えパワフルに歌った。前半は、オーソドックスな感じだったが、後半は、ゴスペル・R&B色が強まり、弾き語りも披露、高音の伸びのある発声に聴衆からは溜め息が出ていた。ソロでも大編成でも、ジャズでもソウルでも、米国の多様な音楽ビジネスの中でしたたかに生きてきたベテランといったところだろうか。フランクな曲間のおしゃべりに、こちらのヒアリングがついていけなかったのが残念。 御大、鈴木良雄(b)の生演奏を今回初めて聴いたが、派手さはないが堅実で歌心溢れたソロをとる人であった。(つづく)
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さて、帰宅後、ネットで多くの人の感想を読んだ。前作をオンタイムで観た中年世代が色々批判している。若い人は若い人で、男女が入れ替わるなんてあまりに常套だとコメントしていた。あの当時、この映画が評判になって、以後、テレビなどで類似設定が続出したという順番をご存じないようであった。いずれにしても、なかなか難しい立場にある映画であることは間違いないようだ。 舞台に立った大林監督は、長野から依頼があり、「五十年後の子供たちに見せたい」という気持ちで撮ったということなどを熱心に語った。しかし、この五十人の中に、この映画で描かれた世代の子供たちは一人としていなかった。真実の愛の気持ちと生きることの強さをこの映画で描いた監督は、思い入れ世代より、これから人生を構築していく若い子供たちにこそ観てもらいたいのだということは、彼の言葉を聞かなくても、映画自体が雄弁に語っている。監督は若い人に広まらないことを、内心、切歯扼腕しているのではないかと推察し、現状を残念に思った。
(入り口に貼ってあったポスターのサイン「いつか見た映画、いつか見た夢」)
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前作は「さよなら私、さよならオレ」という台詞に象徴されるように、異性のことを知ることによって、相手を思いやる心が芽生え、子供から大人になるという成長の物語だった。 それに対して、今作は、一美の肉体が死病に冒され、その体に住む一夫がそれを受け入れるところに作品の眼目があるように思えた。死さえ自分のものとする。それは成熟した愛の気持ちであり、他の言い方をすれば、「君のためなら死ねる」という恋の決まり文句の、正真正銘、真心こもり版(?)である。自分の恋心の処理で手一杯なのがこの年頃では当たり前だから、本当に一夫の心は大人である。サブタイトルの、「さよなら」の相手が「オレ」ではなく「あなた」という他者に変わっているのもそれを指している。一美役を前作に較べてぐっと大人っぽい容貌の子(蓮佛美佐子)にしたのも、おそらく意図的だろう。 冒頭、空想物語好きの一美という性格が提示され、程なく一夫はピアノが上手という設定が付与される。そして、それは、自然と即興で弾き語りの曲ができるという形で昇華される。画面では、彼女が実際にピアノを弾いてこの映画のテーマソング「さよならの歌」を全曲歌うシーンである。この場面はこの映画のテーマを端的に表現しているように思う。そこでは、男か女かなどとは無関係に、お互い深いところで融合し合ったのだと監督は言いたかったのだろう。 結局、元に戻って、本人として彼女は死ぬ。彼女自身、当然のようにそれを受け入れている。 監督は死の場面を描いていない。悲しみを強調しようと思えばどれだけでも出来るが、彼はしなかった。そういう映画ではないからである。前作、別れの最後に一美はスキップして戻っていったのと同様、一夫は、死せる一美から巣立ち、しっかり、事件が起こる前から付き合っていた「カノジョ」の元に戻っていく。それは、生きる力が弱くなった現代の子供たちに、生きることの逞しさを訴えているかのように私には映った。 四半世紀を経て、老境に近づいた監督の人生観の深まりが感じられた作品で、これまでの作品同様、観ながらずっと懐かしい気持ちが心を占め、淡い切なさを感じ続けた二時間だった。いい映画である。(つづく)
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昨年、大林監督が『転校生』のリメイクを撮ることになったという話を小耳に挟んでいた。今月、香林坊シネモンドにて一週間だけ上映があり、初日の九日(日)には監督の舞台挨拶もあるというので、久しぶりに「香林坊109」ビル四階に足を運んだ。 金沢は、中心部の香林坊映画館街が全滅し、今や駐車場になっている。映画は大手シネマコンプレックスが一手に引き受ける時代になった。唯一繁華街に残っているのがこのミニ映画館である。 映画のウェブサイトを観ると、六月には既に封切りされていたようだが、地方では、こうしたミニシアター系で巡回する扱いになっているようだ。道理で知らない訳である。その昔、ATGで『廃市』を撮った彼らしいとは言えるが、多くの人の目に触れるチャンスが少なくならざるを得ないのは、ちょっと残念な気もする。実際、この日、館側は整理券を配ったが、百席程の座席は半分の入りで、特に配らなくてもよかったくらいだった。 映画は、斜めのアングル、矢継ぎ早の台詞、細かいカット割りの連続で、当初、強い違和感を持った。ただ、それは冒頭だけの実験的手法で、すぐに普通に戻った。ただ、斜めを基調にした撮り方は最後まで継続していたが、これは途中から違和感がなくなった。 男女入れ替わって、体の変化に驚く様子など、前半は前作そのままのシーンが多かった。寺の階段が水場になったり、携帯が活躍したりとディテールは違っているが、主役たちのキャラクターを少しドライな今時の子にしただけで、しっとりとした町の路地を生かしたシチュエーションと共に、このまま、旧作をなぞっていくのが今回のやり方かと思って観ていたら、後半、大きく変化していて、肉体の滅びのテーマが現れた。(つづく)
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この夏、十三年目の車検を通すこととなって、車の延命に意識がいくようになった。まじまじと眺めると、一気に古びた印象を受ける。体を悪くして以来、手入れを怠っていたせいである。「なにもせずにいて済まなかったねえ。」という気分が湧いてくる。そこで、久々に家のメンテ箱を漁ったが、溶剤系の車用品はダメになっていた。 暑くて日中の作業は無理。夕方や明け方に駐車場に行き、今日はタッチペンでボディ補修、今日はプラスチック保護剤で内装拭き、今日は薬品を使って古ぼけたシール剥がしと、少しずつ手を入れた。といっても、何も判らぬ素人メンテ。エンジン内はノータッチである。 最後の秘密兵器に考えついたのは「油性マジック」。色褪せた樹脂に塗る。ペンを走らせていると、車に塗り絵をしている気分になってくる。こんな変な補修をしている人はいるのかしらんと、ちょっと自分でも可笑しくなった。ワックスも、しゃがむのが苦手故、お手軽不織布タイプで。でも、存外、そんないい加減手入れでも見た目がリフレッシュされた。 昨日、無事に車検から帰ってきた。「あと二年お願いしますよ。」と最後の仕上げにガソリン添加剤を給油口から注ぎ入れたが、何だかそれが「定年間際のお父さん、栄養ドリンク飲んでもう一踏ん張りの図」に見えてきて、尚更、平々凡々なシングルカムエンジン搭載のこの車が愛おしくなったのでありました。
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東京旅行中、多田誠司(as)率いる「ザ・モスト」をお茶の水の「NARU」で聴いた。 前回、初めてジャズクラブなるものに行き、今後、都会の夜は生演奏ですごそうと決めていた。体調もなんとかなりそうだったので、その初志を貫徹すべく(?)、現地で急遽予約を入れた。 開演四十分前に地下の店に入ったが、先客は隅の席に男四人が雑談していた程度。座ってすぐに彼らが今日の出演者だと気づいた。判らないが、控室のない小さい店ではよくあることなのだろう。ホントに初心者である。 若い素敵な女性がこざっぱりとした制服で給仕をする。営業顔も板に付いて、場慣れしていない私の注文や質問に笑顔で応対してくれる。店内は暗く、アルコール主体、営業は深更に及ぶので、地方の感覚では夜の商売の範疇に入るが、彼女たち、昼のレストラン勤務などと変わらない感覚で働いているだろうことは容易に察しがつく。女性客も半数を占め、演奏を楽しんでいる様子。紫煙芬々とならないような店側の配慮も怠りない。私は妙な「健全」感を持ちながら杯を重ねた。今はそんな時代である。 演奏はパワフルで複雑な動きをする。話によると、一時間前に石垣島から到着したばかりで、在京の大坂昌彦(ds)とはリハーサルなしの演奏になったという。そんな中で複雑な構成をこなしていくので、ある曲では「お客さんに判らないレベルでミスった。」と弁解していた。確かに、つなぎやエンディングで微妙な目配せ間合いがなかったとはいえないが、そこはそれ、アドリブ音楽、一直線の既定ラインを進むより、こちらの注意がいって、そんなところも楽しんだ。 スタンダードは「ジャスト・フレンズ」のみ。あとは多田と大坂の自作曲が並ぶ。おそらく彼ら大甘のスタンダードをやろうと思えば簡単に出来る。しかし、それでは面白くない、サックスがスローバラードを吹奏しているバックでドラムスが急速調で煽り立てるといったアンバランスな局面をわざわざ作るなど、色々な試みをしていた。「EQ」のライブ放送を聴いた時にも感じたが、既成の方法論を崩すフォーマットの創出に現代ジャズの行き方があるのだろう。但し、ピアノだけは技術的に少々落ち、流れに淀みができていた。 冷房が故障中で店内は蒸し風呂状態、扇風機の風だけが頼りで、「石垣よりも暑い。」とこぼしながらの力演だった。何年か後、こっちも汗を拭き拭き聴いたという皮膚感覚と共に思い出すことになりそうである。
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読書感想文の季節。事前に、「実録感動ものは読みやすいけれど、感想文は書きにくい。それより、作り話の方が色々イメージ湧いて沢山書けるよ。」という話をしたので、私の担当の多くが「小説」だった。ところが、読んだことのある本がほとんどない。こっちが完全に今の小説事情に疎くなっている証拠である。 休み中、「何で、あんなもん書かんなんがや(書かなければいけないのか)。全然、意味無いじゃん。」という言葉を何度か聞いた。感想文など何の学力の足しにならないと訴えている。それが今の感覚なのだろう。言葉の教養が低落している現状を、常々、情けなく思っているのだが、そんな説明しても詮無いこと。そんなものではないよと、多少の屁理屈はつけておいたが、説得力はなかっただろう。 多くの作文は、普段のメール文章と区別して、よそ行きで書こうと頑張っているけれど、時々、ボロが出る。もともと、本を読むことが少ないまま書いているので、「板に付いていない」感が漂うのである。例えば、「彼の頑張りは並大抵のことである」とあった。この手の間違いである。 もちろん中には何の配慮もないのもある。地の文で「〜してえよ。」(したいよ。)などと喋り口調がダイレクトに出てくると、こっちはがっくり。もちろん、こんな下卑た口語をそのまま書くのは、今や女の子の方である。 新傾向があった。登場人物の死を「亡くなられた」と敬語をつけて書いてある。近年乱発される過剰敬語の影響だろうか。 通り一遍の多い中、きらりと光る文章のを見つけると、嬉しくなる。それを期待して読み進む。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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