ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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先週の繁華街行き、デパートの上りエレベーターでのこと。小学校低学年くらいの女の子の長嘆息が聞こえてきた。
「お母さんって、お化粧の階にしか興味ないんだって……。女の人って、本当に大変ねえ……。」
小さな箱の中、誰も笑わなかったけど、私は「クスッ。」となった。 そんな女の子も、いずれ、小さな化粧瓶に大枚はたく大人になる。 美人さんになれかし。
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先週の日曜日、音楽会の前に用を済まそうと、雪降りすさぶ中、バスに乗って繁華街に出た。通りはさすがに閑散としていた。 まず昼食をと、昔よく行ったラーメン屋さんを探したが、影も形もない。仕方がない、別の店に向かう。 途中、ビル地下にあった大衆料理屋さんもなくなっていることに気づく。昔、そこで仲間とワイワイ宴会をやった記憶がある。自分が使ったお店がなくなると、ちょっと淋しくなる。思い出がかき消されたように感ずるからだろう。 それで、ちょっと胸騒ぎがしたが、到着した丼屋さんは元気に営業中だった。ここを贔屓にして何年たつのだろう。老夫婦でやっている間口の小さなお店。末永い営業を祈るばかりである。 用事に手間取り、滑り込みセーフで金沢市文化ホールに入った。金沢交響楽団の第45回定期演奏会である。 今回はCMや映画に使われたオーケストラ・サウンドということで、前半は「サウンド・オブ・ミュージック」など映画音楽が、後半は、テレビなどで耳馴染みの短いクラシックが演奏された。指揮大能正紀氏の訥々とした解説を交えながらの教育的な進行であった。 メインはラベルの「ボレロ」。アマチュアとしては、ソロが多い上に単調に同じことを延々繰り返さねばならぬパートが多く、難曲である。生で聴いたのは何十年かぶり。有名曲にもかかわらず、パンフにも「演奏機会の少ない曲」と紹介されている。 私の理解に間違いがなければ、管単独のソロオーダーのラストはトロンボーンのはず。一本で充分大きな音量が出るのでこの中程の位置を与えられていると解釈している。音程をとるのが難しいこの楽器、オケの実力はこれで簡単に判ると私は昔から思っている。案の定、最初、結構ヨレて、こっちもハラハラしたが、途中から持ち直して何とかこなした。反面、小太鼓はしっかり叩き切っていたし、弦・管のリズム感もよかった。全体としては、巧拙とり混ぜたメンバーながら、よく纏まっていたと思う。 大曲並べたプログラムでなかったので、リラックスして楽しめた演奏会だった。雪で客の入りを心配していたが、ほぼ満席に近く、これも他人事ながら安堵した。 但し、好事魔多し(?)。私はここでしっかり風邪をもらってきた。冬、大勢いる場所に出向くとテキメン風邪をひく。今週は体調不良でさっぱりの一週間であった。
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ようやく問題読解マシーン状態が終わりつつある。 先日、某難関大学模試の評論を解いた。最近流行の言い回し。難解で、ぼんやり読んでいてはこっちも判らない。腰を入れて読む。飛躍が多い。その分野を論ずる際、定番として知っておかなければならないことは、当然、書いていないから、こっちは何となく判るが、生徒は判らないだろうなという文章。 これには詳細な解説冊子がついていたので、そっちもしっかり読む。段落毎に何が書いてあるのか、例も出して、いちいちパラフレーズしてくれる。すごく判りやすい。 で、思ったこと。同じ内容なんだから、こっちの文章で書いてあったら、ただ、それだけのことなのに……。 いつもの愚痴ながら、評論読解とは変な世界である。 某日、過去問を解く。桑原武夫「現代社会における芸術」。 西洋的な「卓越した個我」による「主観的生命」を主張するような芸術観は、実は「短い幸福な時期に栄えた一つの芸術観にすぎ」ず、複製芸術が出現によって、こうした芸術観は崩れ去りつつある。今、芸術は「固いもの」から「柔らかいもの」に変化しつつあるというのが論旨。一九六九年発表という時点でと考えると、以後の芸術・文化を予測して慧眼。 氏の文章は実に判りやすく納得できるもので、古典的名著『文学入門』(岩波新書)も、深いにも関わらず判りやすくていい本だった。それでも、これは京大の問題。設問ではどれだけこの問題について考えているか、深く問われる。こんなのが出題としてはいい。 次は本番、実際の個別入試。月曜日に実施され、翌日、新聞に問題が載った。 富山大学は、会田雄次『日本人の意識構造』(講談社現代新書)。昭和四十七年刊行の歴史的名著である。若い頃、クリーム地の講談社現代新書のめぼしいものを乱読した折りに読んだ覚えがある。渡部昇一『日本人のこころ』などとともに印象に残った一冊。古いと感じる部分があるので、出題は、刊行時期を明らかにした上、「当時の日本人の意識を踏まえて書かれてあります」と設問に補足コメントをつけている。 金沢大学は、昭和五十七年の柳父章『翻訳語成立事情』(岩波新書)。これも名著の誉れ高い。入試にもよく出ていて、「あてはまる」という意味の言葉の翻訳をどうしようと悩んでいる友人に、ちゃんと穏やかで申し分ない訳語を既にしているではないかと福沢諭吉が笑ったという翻訳論では大定番のエピソードを引用しながら論を進めている。 センター試験の小説は夏目漱石だったし、なにやら受験界は、新しいものを追いかけるのではなく、ベーシックな大定番ものを出そうという風潮が近年顕著のようだ。受験向け文章の払底が原因なのか、言論界の行き詰まりのせいなのか、基礎を見直そうという回帰路線なのか判然としないが、これまで躊躇してきた「大定番を読め。」との指導が気兼ねなくできそうなのは大歓迎である。
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石丸氏に作ってもらったオリジナル・インクを入れる万年筆として、ペリカン・トラデショナルM205デモンストレーターを購入した。また、鉄ペンである。 限定品切れ状態だったので、何年か後にまた新しいバージョンで出るだろう、その時に買おうと思っていたら、追加入荷があったらしい。欲しかった限定品を見つけると「今のうち」という気持ちがふつふつと湧いてくる。そんなご商売にしっかりのせられ、万歳、見つけたと歓び勇んで画面のボタンを押した。それにしても、こんなに、わたくし、「限定もの」に弱かったかしらん? 宅配でやってきた通称ペリスケ(ペリカンのスケルトン)、透明軸にカラーインクがとろとろと動くのが楽しい。アンダーラインやメモ書き中心の使用になりそうなので、それなら太いのがよいとBニブを選んだ。 万年筆が透明なのは、昔なら違和感があるかもしれないが、安ボールペン全盛の今では見慣れた景色である。中の吸入機構が見えるせいでメカニカルな感じがするのが特色で、それが伝統的デザインの中に収まって見えるところにコントラストの美がある。 当初、ロイヤル・ブルー一色だったインクも六色に増えた。この紙は自分用だから目立つ色インクで、これはちゃんとした書類だからブルーブラックでと色を選ぶ作業は、面倒くさそうでいて、逆に楽しみでもある。 年頭、今年は色に配慮したいと書いた。それが今、手帳を開くと、色々な色がド派手に目に入って、ちゃんと実現している。こんな形で実現するとは自分でもびっくりだが、「三色ボールペン活用術」とはいかず、色の違いに全然意味がないところは御愛嬌。
(古いM400とデモンストレーター。基本デザインは変わらない。)
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紀貫之が土佐の守として赴任したのは四十歳代後半、帰京の時は五十歳を過ぎていた。当時としてはすでに老境である。ということは、赴任前に生まれ、土佐で亡くした女児(おみなご)は、かなり遅い子であったことが判る。「歳をとってから生まれた子は可愛い」とはよくいうが、まさにそれだったと思われる。再び、土佐の地を踏むことはあり得ない。二度と娘の墓参りができないことが判りながらの出立である。親の気持ちはいかばかりであったろう。 貫之は二十代半ばには歌人として認められ、三十歳代半ば頃には、例の「古今和歌集」編纂の大仕事をしている。歌の分野で功成り名遂げた人の、世俗に生きる社会人として、老境に入った頃の飯の種がこの土佐を治めることだった訳である。 帰京後、彼は玄蕃頭となる。これは、宮中での仏事の監督、外国使節の接待などを司る仕事。つまりは内勤で、もう国司として地方まわりをすることはなかった。 そんな勤め人・社会人という立場でこの本を読むと、「私は現地の人のことを褒めているけど、それは餞別をもらったせいではない」と、いらぬ注釈をつけてみたり、帰京の際に留守をまかせた隣家に対して、あからさまな不満を書いたり、結構、思ったことを自由奔放に書いている。こんなことを正直に書いて、これを読んだ隣家の人はどう思うだろう、よく書けたものだと今さらながら驚く。トラブルの溝は深くならなかったかしら。 今回、彼は明治の御代になって従二位上を贈位されているということを知って、ちょっと面白かった。生きていた時はどうかというと、九一七年(延喜十七年)に従五位下に叙位し、死の二年前九四三年(天慶六年)に従五位上に昇叙している。つまり、四半世紀かかってワンランクアップしたにすぎない。身分制厳しい当時、一生、位階は変わらずというのがほとんどだったから、彼はそれでも高い評価を受けたほうのはずである。とすれば、いくら「贈位」とはいえ、千年の時を経て、突如、十二ランクアップしたのは驚くべき話である。従二位とは、律令制が厳格だった時代においては相当な高位で、内大臣、蔵人別当、大臣の正室クラス。当時、受領階級が望んでも得られるものでなかった。制度末期の明治時代、位階のインフレーションは相当のものであったようだ。 古典は何度読んでも新しい発見がある。机で表計算ソフト睨めっこしているより、教材研究をしているほうが何十倍・何百倍・何千倍・何万倍・何億倍(以下略)も楽しいんですが……。
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それにしても、昔は本当にノンビリしていた。結局、本当に船出したのは、六日後の二十七日のこと。任期中、それなりに任地巡りもしたのであろうし、京の文化を現地の教養人に伝えたりもしたであろう。鄙にいる我が身を嘆いたりもしたろう。 今回、授業の予習のために繙いたのだが、海音聞こえる白砂青松の地でのいにしえ人の酒宴を想像すると、なんだか人間的な感じがして羨ましかった。私たちの生活は仮、彼らこそ本当の人としての生活という思いが沸々と湧き、鄙の都人に思いをはせて、しばし手が止まった。 もし、私が彼らの末裔だとしたら、一世代三十年と換算して、約三十五世代後の人間ということになる。生まれ成長し老いて死ぬ。それを三十五回繰り返した、その気の遠くなるような月日がすっぽり抜け落ちて、千年以上前にあった光景がよみがえる。古典というのは、当たり前だと思っている直線的な時間の軸をぽっきり折って、二つをくっつけてしまう装置なのだとつくづく思う。 若い子は眼前の文法や現代語訳にあくせくして、彼らの心情まで細かくは見えないのではなかろうか。現に私がそうだった。歳をとったからこそ判ることも沢山ある、年をとっても若々しいなどというような褒め言葉は私にはまったく意味を成さぬと喝破した小林秀雄(「四季 お月見」『考えるヒント』)の気持ちも判ろうというものである。(つづく)
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歳をとってから古典を読むと、その時代の人の様子や感懐が身近に感じられ、生き生きと思い浮かべることができるようになった。 例えば、この『土佐日記』がそう。 紀貫之が土佐から帰京することになったのは承平四年(九三五年)。今から一〇七三年も前のことである。十二月二十一日、後任から解由状を受け取って、すべての仕事が完了、夜、館を出て、船に乗るべき地、土佐大津に移る。翌日、お別れの宴会を開いて、「馬のはなむけ」の儀式もしている。任期中、親しくしていた現地の人たちとは、もう一生会えないのがほぼ確実だから、そこにいる人は皆、名残り惜しかったはずである。「別れ難く思ひて」、終日べろべろに大騒ぎしたという。冒頭の有名なところである。 おそらく、彼は国司として慕われていたのであろう。歌人としての名声もかの地に届いていたはずである。『土佐日記』を読むと、そんな彼の、「自分なりにいい政治をしたつもりだ。」というちょっと自慢したかった気持ちが入っているように思えてならない。 同様に、「県の四年五年果てて」という言い方にも、彼の気持ちが入っているように思う。国司の任期は本来四年のはず。女性に仮託している関係で、「男が決めた制度はよく知らないが」というぼかした言い方になっているのだそうだが、それより、実質、足かけ五年も土佐にいて、中央行政の遅れに対する皮肉やアピールを感じないでもない。こんな小さな言い方のニュアンスもどことなく判るような気がする。(つづく)
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担当授業の一部が終了し、次の仕事が本格化する狭間、ちょっと余裕のある数日間があった。そこで、今のうちにと補助教材づくりにいそしんだ。授業の前にも今日の流れを確認したり、下読みができる余裕がある。すると、生徒から質問が出るところが見えてくる。見えてくると、事前にその部分について、こう解説しようという心の準備ができる。いつも教室へ持っていくプリント類の所持確認だけをして、そそくさと教室に向かっていたが、そんな時、急な質問が出るとどう解説すればいいか、一瞬ドギマギする。その小さな「慌て」がその日に限ってなかった。 ほんのちょっとの違いだし、端から見れば何の変りがないようなことなのだけれど、こちらの気持ちに小さな安心感がある。自己満足の世界なのかもしれないが、大切なことと思う。 日々同じことを繰り返している日々の仕事の中、少し新鮮な何日かだった。
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お隣では加賀蒔絵師田村一舟氏による蒔絵万年筆制作の実演があり、絵師さん自ら工程の詳しい解説をされていた。拡大鏡で見ながらの緻密な作業で、忍耐のいる仕事ぶりに製品が高額になるのも頷ける。 その後、一階ギャラリーに降り、蒔絵万年筆の完成品を見学した。もともと今回のイベントは、セーラー万年筆と地元の加賀蒔絵振興事業協同組合とのコラボレーションによって作られた超高級蒔絵万年筆の展示が趣旨である。こちらの方も、係から丁寧な説明を受け、フラッグシップモデル「奥美(おうび)富貴文乃合絵」(千五百七十五万円也!「趣味の文具箱vol.9」三十八頁参照)を直接触らせていただいた。人生、一千万円を超える美術品を掌上にのせたのは生まれて初めてだったので少々緊張した。なんでも、先に取材に来た若い女性アナウンサーさんなどは持つ手が震えていたとか。 クリップがなく、茶杓入れか矢立入れのようなストンとした筒状のデザイン。軸も華やかな伝統的意匠で、他の十万円弱のもの、百万円のものと順に見ていくと、やはり、これが傑出して圧倒的な存在感を放っていた。 色インク購入が目的だったので、さっさと終わるかもしれないと思っていたのだが、結局、なにやかやと一時間半近くもお邪魔してしまった。 大都会は何をやっても人・人・人である。我々夫婦、ほとんど独占状態でゆったりとお相手していただき、日本の美も充分に味わった。伝統ある町で暮らしていてよかったと思ったひとときだった。
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日本唯一のインク調合師、石丸氏が来沢されるという情報を見つけ、先週、主計町の茶屋街に出かけた。セーラー万年筆「照乃屋 蒔絵万年筆フェア」の一環である。地方都市では、常用色のインクは置いてあるが、バリエーション豊かな色インクは取り寄せとなる。きれいな色が欲しいと思っていたところなので、ちょうどよい機会だった。 会場はお茶屋を改造したギャラリー。その二階の和室にインク工房のセットを前にした石丸氏がおられた。お噂通りのバーテンダースタイル。その姿と朱壁の和室がデパート催事会場などにはみられない落ち着いた雰囲気を醸し出していた。窓の下には浅野川の流れ。 石丸氏は、私のイメージを聞いて、徐々に希望色に近づけていく。その間、色々な万年筆の知識を楽しく語っていただだいて大変勉強になった。お話好きなサービス精神旺盛な方とお見受けした。 色はピンクを基調に赤の混じったものにしてもらった。我々の仕事と言えば赤。でも、それでは面白くない、ちょっと派手な遊び心ある色合いにしたいということで、実用とお楽しみを併存させた選択である。徹しきれないところが私の貧乏臭いところ。(つづく)
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昨年後半から俄万年筆趣味となった夫婦の間で、では、いつも行く店以外に、どこで売っているのかという話になった。 昔、学校の前には必ず一軒文房具屋さんがあって、子供たちの文具需要を満たしていたし、万年筆を置いてあるところも多かった。夫婦ともども、生まれて初めての万年筆はそうした町の文具屋さんで買ったものだ。しかし、そんなご近所のお店はここ十年でほぼ死に絶えた。 町中のデパートに万年筆コーナーがあるのは知っていたので、まず、そこへ寄ってみた。売れ筋が一通り置いてあって、そのソツのない品揃えに感心したが、えっ、こんなものが置いてあるぞといった意外性はなかった。後はネット頼りで、新興の郊外大型書店や市北部の文具店を見つけ、夫婦ともども巡った。しかし、四十五万人規模で数軒程度。静かなブームとはいえ、最早、日常生活から駆逐された特殊な品物であることを実感した。 後は、先日のような大型ショッピングセンターでの偶然の出会いを求めるしかないと、出向く毎に文具売り場に立ち寄った。しかし、まず空振り。陳列ケースすらないところがほとんど。 ただ、どこもそっくりの売り場だが、あるところではステッドラー(独)の製図用具が少しばかり置いてあったり、別のところではパーカー(英)のボールペンが置いてあったりと、ちっちゃな個性がないでもないのが逆に面白かった。これはこれまで漫然と国産文具を買っていたレベルでは見えてこなかった部分で、人生、目的を持って動きまわると楽しい発見をする。 色々な情報を仕入れていると、例えば、万年筆の老舗モンブランが高級ファッションブランド化して、異常に高い価格設定になっている上、イメージを高めるために取扱店を制限し、町の文具屋では扱えないようになっているとか、あの頃、国産といえばプラチナ万年筆だったのに、かつての勢いをなくしているようだとか、その変化や栄枯盛衰に、「へえ。」と思うことが度々あった。この感覚は、昨年、オーディオ趣味が復活して久しぶりに業界を覗いた時に感じたものとよく似ている。 ボールペンは誰が扱っても書き味は同じ。それに較べ、万年筆はひとつひとつが高価で、手間はかかるけれど、自分の工夫次第でよくも悪くもなる。そのあたりもアナログ・オーディオに似ている。自分の趣味が発揮できる分、奥が深そうだ。 結局、愚妻は、巡り巡って、いつも行く店で、現代的デザインのラミー・アルスターを買った。鉄ペンだが、それでも、現状、ペリカーノジュニア・レベルの万年筆しか使っていなかった彼女にとって、高い部類の筆記用具となった。ただ、ペン先が硬いこと硬いこと。普段使いはこの方がいいのかもしれぬが、万年筆らしさは味わえない。 だから、今、彼女の合言葉は、一本買ったばかりなのに「次は金ペン!!」なのであった。
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ご心配おかけしました。
かすみが残るが、徐々に癒えて、ビジュアル系の軽い本より読書を再開。 この写真集、地元出身の写真家ウメカヨさんと新解さん(新明解国語辞典)とのコラボレーション本。左頁に、日常の中で見せる人間のちょっとした表情や瞬間的な面白いシーンを切り取った彼女の写真。右頁に、寄り添っているようにもみえるし、全然、寄り添っていないようにもみえる単語とその語釈がキャプションのようにつく。その絶妙の間合いがくすくす笑いを誘う。やっぱり、新解さんの解説、世の中に何やら遺恨を持っていて、要らぬ一言が多い。 今回、この本で「春機発動期」なる言葉を知った。「春機」とは色気とある。色気が発動する時期。則ち、「思春期」の意味だという。なかなか面白い。「運鈍根(うんどんこん)」という言葉も、そういえば、そういう言葉もあったなあというくらい久しぶりに目にした。 誰がこれらの言葉を彼女の写真に合わせてチョイスしていったのだろう。少なくとも彼女のボキャブラリーではないような気がする。そもそも、新解さんと彼女の写真はバイブレーションが合うと考えたのは誰なのだろう。企画一発・発想勝負の本。パラパラとめくること十五分間のお楽しみ。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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