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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

 2008年04月30日
  久しぶりの電話
 久しぶりに高校の友人から電話があって近況報告をし合う。ここのところご無沙汰だったが、彼も親の介護で忙しいとのこと。同級生の近況も教えてくれたが、やはり、親の世話をしているという。昔、お宅に遊びに行って面識のある親御さんばかりなので、あの方々が……との思いを強くする。無理もない、私達の方が、あの頃の親の年齢以上になっているのだから……。
 このところ、仕事の後、父の入院先に立ち寄る生活が続いている。転院し、ちょっと遠くなった。病状に波があり家族は一喜一憂。遠路、親戚が見舞いに来て下さり、昔話に花が咲いた。そうこうで、必要に迫られ、3月末に携帯電話も買った。私自身、新しい職場環境で慣れぬことも多く、腰痛も相変わらず。
 落ち着かない日々が続いている。
 2008年04月20日
  古山浩一『万年筆の達人』(エイ出版社)を読む

 愚妻が、図書館から「万年筆」で検索しヒットした本をありったけ借りてきた。写真中心のカタログ風の本が多かったが、一冊、読みたいと思っていた古山浩一『万年筆の達人』(エイ出版社)が入っていたので、他は読み飛ばし、これをじっくり読んだ。
 長く美術の教員をしていた画家の著者が、趣味の万年筆での出会いを財産に、各地の万年筆名人の話を聞き書きしたもので、手仕事職人さんへの聞き書きで有名な塩野米松氏と同様の仕事である。手書きの味わい深い万年筆イラストも多数掲載されており、話に出てくる古い万年筆がどういうものなのか、目で確認もでき、判りやすい編集になっている。
  万年筆は、昭和三十年代後半から四十年代前半までが全盛期で、お役所が書類を「ボールペンで可」とした途端、急速に没落しはじめた。確かに、私の子供時代、小学校高学年頃には既に安物万年筆を持っていた。鉛筆の次はボールペンではなくて、すぐに万年筆だった。学習雑誌の購読予約特典が万年筆だった時代である。あの頃がピークだったというのは実体験としてよく判る。
 そんな全盛をよく知っている元万年筆使いたちが最近戻ってきているようだ。先日、同級の友人からのメールでも、万年筆をまた使い始めたという一文があったし、最近のブーム、オジサン世代が今頃になってあの頃欲しかった高嶺の花を買うといったある種のリバイバル現象である。
 この本、一つの業界の話を集めたものなので、出てくる方、皆等しく、戦後業界の急激な膨張と縮小の荒波をかぶっている。
 例えば、この前買った手作り万年筆の加藤清翁も、製作のみではなく、壮年の頃には中近東に打って出るなど、商売人として広く活躍していたようだし、今、この世界で名を成している多く人が、生き残りの戦術を次々に変え、時には業種替えをしながら乗り切って来られた苦労人ばかりである。
 心配なのは、ここに紹介されている職人さんの多くがご高齢であるという点。滅びつつあると思われていたこの技術が、今、残照の如く脚光を浴びている。しかし、弟子への伝承という伝統は既に止まっているので、二十年後、三十年後はどうなっているだろう。職人の技は、庶民には手の届かない超高級品となって生き残るしかないのであろうか。今はなんでもそうなっている。万年筆がそうならない保証はなにもない。
 今回、この本を読んでから、『日本産万年筆型録ー今買える国産万年筆のすべてー』(六耀社)で、実際に作られている手作り品や大手企業三社の定番品をカラー写真で確認して楽しんだ。これで「国産の現在」がだいだい掴めた。
 舶来物の派手な高級限定品より、日本製品の実用的完成度や職人の技に魅せられつつある自分がはっきり判った読書だった。

 

 2008年04月17日
   いつからこうなった
 理科の同僚から質問が来た。「教科書に粒状のことを「果粒」と書いてあるけど、いつからこの字になったの?」というもの。
 辞書では「顆粒」しかない。「顆」は、「つぶ」「まるい」意、だから「顆粒」は同じ意味の漢字を並べた熟語。常用漢字にないから「果」をあてたのだろうと予測はついたが、「果」は、もちろん「くだもの」や「はて」の意である。辞書に説明に同系の文字とはあったが、これでは、どう見ても「くだもののつぶつぶ」という意味にしかとれないので、あてたことにならない。教科書にそう書いてあっても、「顆粒」で教えて下さいと力説した。
 つい最近、同じようなことが私の授業でも起こった。教科書範囲の漢字小テストで「セキバク」という熟語を出して、黒板に答えを書いていたら、センセイ、違っていますという。生徒さんのテキストでは「寂莫」になっている。私の手持ちの教科書ではちゃんと「寂寞」。その時は同じ教科書でなぜ違っているのか判らなかったが、私は新品、生徒さんの方が前年から使っている一年古い版だったので、どうも、昨年、教科書会社にクレームが来て、今年、通用の漢字に戻したというのが真相のようだと気がついた。調べた辞書の説明の中に、「寂莫とも書く」とあったので、間違いではないようだが、これも、難しい漢字は使わないでおこうという配慮からだったのだろう。
 今の世の中、昔に較べ、漢字や言葉を厳密に使う雰囲気がなくなって、意味が通ればそれでよいという風潮になってきた。厳密であるはずの教科書の安易な漢字の書き換えは、そんな雰囲気を一層助長するのではないかと心配である。
 「この熟語は、ずっと昔からこの字なの。つべこべ言わず、難しい漢字も丸ごと、それで覚えなさい。」という、ある種の融通のなさが、今、必要ではないか。
(以上は昨春の話。載せ忘れて今頃になった。つまりは、ストック記事。)
 2008年04月14日
   ジュゼッペ・サッバティーニ&OEK公演を聴く
 盛り上がった楽しいコンサートだった。六日の県立音楽堂のジュゼッペ・サッバティーニ(テノール)とオーケストラ・アンサンブル金沢との共演。これまで声楽物はあまり聴く機会がなく、ピアノ伴奏付きソプラノ・リサイタルは聴いたことがあるが、オケ伴付きテノール独唱会は初めて。
 実は、その「初めて」というところが新鮮かもしれないと思ったことと、選曲が親しみやすく、仕事錯綜の折りの空気抜きにいいのではと、急遽、聴きに行ったのだが、大当たりであった。
 次々歌われる歌劇からの曲やイタリア歌曲を聴いていると、当たり前なのだが、「歌物」であるということをひしひしと感じる。日頃、聴いているジャズは器楽的なメロディ・アプローチのものが多く、時に歌物が混じるといった程度。甘美なメロディが朗々と歌われ、オケの弦がそれをなぞるように艶やかな音で間奏をつける。初めての私は、まるで一昔前のイタリア映画の音楽を聴いているような気分になった。おそらくストイックなジャズファンなら甘ったるいと思うくらいの甘美さ。
 サッバティーニは、声を張るところは張るが、力技ではなく、表情豊かに、時に力を抜いて囁くように、気持ちを入れながら歌っていく。歌のニュアンスの出し方の巧さは、言葉の意味が判らないながら、やはり上手いものだと感嘆した。その割に妙なシンコペもなく、すっきりとしている。
 観客は曲が進むにつれ、名曲の調べと歌声の美しさの世界に引き込まれ、もっと聴きたくなる。我々夫婦共々、「歌謡曲の歌手の、豪華オケ伴付きリサイタルとなんの違いもないね、もっと堅苦しいものかと思っていたけど、親しみやすい。こんなに気持ちがよくなって楽しいものだと思わなかったね。」と話し合った。
 演奏会は、時に独唱者が下がり、マルコ・ボエーミ指揮OEK単独で「セビリアの理髪師」序曲など親しい曲を入れていた。これも単調にならず楽しかったし、ボーミエ氏の指揮も明るく判りやすいもので、会場の楽しい雰囲気作りに寄与していた。演奏物では、歌劇「カバレリア・ルスティカーナ」間奏曲というのをはじめて聴いたが、美しい曲で印象に残った。
 歌では、「カタリカタリ」が何と言っても演奏中の白眉と思った。思いが伝わる発声、曲もやはり大名曲である。アンコール鳴り止まず、何度も引っ張り出され、最後は定番「オーソレミオ」で締めくくった。観客は間奏毎に拍手を入れる程の大盛り上がりであった。
 今、自分はいい歳の大人で、忙しさの合間、お金を出していい音楽を聴く。声楽がちょっと好きになって、それから夫婦でちょっとした外食をして、全部合わせるとちょっとした散財をして、でも、ちょっといい気分になって家へ帰ってくる。
 学生時代、こんなコンサートに出会っていたら、どうだっただろう。私のその後の音楽趣味ももっと豊かになっていたかもしれない。でも、あの時は、クラシック・コンサートに使うお金なんかなかったし、出会ってもその良さに気付かなかったかもしれない。
 どっちの時代がよいのやら。今日のようなちょっとしたリッチ感を味わう毎に、私は、いつも若い時のことを思い出す。
 2008年04月06日
  しゃべっているけど記憶にない
  入院中の老父が麻酔を使う検査を受けた。昼食抜きで呼び出しを待ったが、音沙汰がなく、夕方すぎにようやく開始、病室に戻ったのは六時すぎとなった。意識が戻ってすぐに、患者はお腹が空いたと言いだした。昼抜きなので無理もない。
 当初、翌朝まで絶食と言われていたので、「栄養は点滴でとれているから大丈夫。ちょっと我慢しなきゃね。」となだめにかかったら、端から見ていて可哀想なぐらいがっくりとした様子だった。
 しかし、程なく、麻酔のさめ具合を見て、大丈夫なら二時間後に食事にしましょうという連絡がはいった。途端に患者は完爾と笑い、点滴していない片方の手を挙げてバンザイをし始める始末。よほど、嬉しかったらしい。
 ところが、翌日になって本人に聞いてみると、昨夜のことは一切覚えていないという。どうも、意識が戻って普通通り人と応対できても、それを記憶の倉庫に入れるという脳の機能はまだ冬眠中という状態だったようだ。私も手術の際、同様の経験がある。今という瞬間瞬間に頭を動かすのと、アーカイブするという行為は、普段は一体となって行われているので意識しないが、本来は全然別々の作業のようだ。
 それにしても、食事ひとつで人は現金なまでに一喜一憂する。麻酔で理性をなくしている時は、相手や世間様への配慮が抜けて、食欲という自分の「欲」だけが全面に出てしまうものなんだろうねえという結論になった。
 その時の自分の言動を事細かに聞かされて、当の本人も苦笑い。ちょっと病室が和んだ。
[1] 

お願い

 この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。

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