ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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地勢的にダムが作れない浅野川は、犀川と連動して管理されており、今回、浅野川を守ろうと犀川の方に水をまわすと、今度は犀川流域に被害が出た可能性があったらしい。犀川の治水自体も完成されたものでなく、限界は未だ目標値より低いままという。また、地元ニュースによれば、河原に降りる用の、そこだけ低くなっている堤防部分の遮断が遅れたことも被害を大きくした原因ではないかと分析していた。辰巳ダム建設問題への影響も小さくはないだろう。救済、補償問題も含め、色々な問題が今後解決されなくてはならない。 この夜のテレビの全国ニュースでは、急激に水かさが増し、園児の死亡事故となった神戸の映像が、金沢の映像とともに繰り返し流れていた。 遠地とよく知っている地元。本当は強弱があるはずのものなのに、メディアを介すると、すべて平板化され、受け手とは無関係な単なる「情報」としてのみ入ってくるような感覚があって、怖さを感じた。 ただ、今回、それが遠いところの話ではなく、やはり自分の地元の出来事なのだということを教えてくれたのが、被害にあったお年寄りがしゃべる金沢弁であった。 (被災地区は、お客さん商売のところが多い。夏の観光シーズンまっただ中で、痛手だろうと思われる。いち早い復興を金沢市民の一人としてお祈りいたします。)
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昨日の明け方、土砂降りとなった。すぐに止んで、いつもの通り職場に向かう。部屋では、通勤途中、「冠水」という電光表示が出ていたよという話がのんびり聞こえてくる。 机で仕事をしていると、市内の川の幾つかが危なくて、避難指示が出ているという話が入ってくる。慌てて市役所のHPで確認すると、避難指示区域から、浅野川下流が特に危ないらしいということが判る。ただ、こちらが慌てだした頃には、ピークを過ぎた感があり、「避難指示」から「避難勧告」にダウンしていて、青空も見えているくらいだから、これ以上ひどくはならないだろうという感触だった。 昼前、WEBの全国版で主計町が浸水したことを知る。しかし、昼休み、旧同僚との外ランチでも軽く話題に出た程度、淡々とこの日を過ごした。 金沢の奥座敷湯涌温泉と浅野川大橋界隈が大変なことになっていたのを映像で見て実感するのは、帰宅後のローカルテレビでであった。今年二月、高級万年筆を見学した主計町の茶屋街が無惨にも泥に浸かっている。 天神橋近くの川岸にお住まいの方に電話を入れると、自分の家は大丈夫だったが、数十メートル下流からの地区はアウトだったという。 弟の話によると、嫁(義妹)の実家は公民館に避難したが、何事もなく昼頃には自宅に戻れたそうな。 本当にそれぞれである。(つづく)
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ほぼ毎夜、老父の病院に行き、歩行介助など身辺の世話をする。そこで、しばし雑談。よく昔話が出る。自分のこと、家族のこと、世の中のこと……。 父の若い頃のことは、私が実体験として知るところではないが、途中から私の記憶とも重なってくる。それは知らないなあ、ああ、それはもう私が生まれていて知っているよなどと答えている。 しかし、知らないといっても、このくらいの歳になると、少しは現代史の知識もあり、当時の世相も判っているので、昔話にもついていける。父の話に、それは戦後何年くらいの話だねなどと相づちも打てる。 この前、待合室のテレビから「港の見える丘」の歌が聞こえてきた。父は昭和二三年頃の歌だと言いながら、歌い出した。自分の若い頃に流行った歌は、年数まで言えるらしい。父二十歳頃のことである。(後、調べると昭和二十二年、平野愛子のヒット曲とあった。) この前は、懐メロ番組で軍歌が流れ、父はそれも歌っていた。でも、この歌は父の歳では実感がないはず。「この歌、もう少し上の世代の歌ではないかい?」と突っ込むと、「そうだ。」とのこと。自分が戦地に行かずとも、子供はその頃流行した歌をさっさと覚えてしまう。おそらくその類である。この手の微妙な違いも、なんだか判ってしまう。 父に細かいつっこみができるのも、こっちが歳をとってきたから。若い看護士には皆目判るまい。 医学的な知識や介護のノウハウなどは何もないが、そんな昔話ができる相手としての役割が息子にはあるよなという気持ちで、今日も病院に行く。
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弓道の話をアップしたので、引き続き、些か旧聞の話を綴る。 書き遅れていたが、新しい職場でも弓道部の副顧問となった。 今度の部では、夏休みに合宿をおこなわないかわりにGW中に実施する。今年、宿泊は能登の山中のロッジ風公共施設を利用した。それなりの高度にあり、翌朝、食事前の散策は、異動して一ヶ月、慌ただしい生活を送っていた私にとって、体にいい空気を吹き入れたような気分になった。 その三週間後、今度は数校合同の練習試合があった。集まった顧問は総勢九名。「お昼を皆で」ということになり、急遽、近くのレストランに予約入れた。 なったばかりで弓道のキの字も知らない方あり、その道の方あり。初めてお顔を見る方あり、旧知の方ありと、メンバーはバラバラ。まず自己紹介するところからはじめて、ランチを戴きながら会話を交わした。 素人の中心の集団が、このスポーツに関わって、眺めていて発見したことをどうこうと話をする。それが、有段者にはない素朴さと気楽さがあって楽しかった。 自分自身はしないけれど、この競技で元気をもらっているという気持ちがいつもしている。
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二十数年前、何も知らないまま弓道部の顧問となって、慌てて何かいい本はないかと探したが、当時あったのは、白黒写真、難しい専門用語もそのまま書いてある、初学者には難しすぎる古めかしい本数冊のみであった。技術本が氾濫するメジャーな競技に較べ、なんと遅れていることかと思ったものだ。 六年前に出た高柳憲昭『みんなの弓道』(学習研究社)(2002年7月)は、アーチェリーもされている方が似た二つを比較しながら分析されている本で、判りやすく、ようやく初心者が読んでもためになる本が出たなと思った覚えがある。 ところが、ここのところ、立て続けに類書が発行されているのをネット書店で発見した。カラー写真がふんだんに使われ、懇切丁寧。そこで、最新四冊を読み比べた。以下は、弓をひいたことのない素人顧問が、まったくそのレベルで読んでの感想である。 高柳 憲昭『技を極める弓道』(ベ−スボールマガジン社)(2007年12月)。前著『みんなの弓道』で説かれていることのゆったりとした解説版といったところ。内容がつまっている前作より読みやすいところもある。メンタル面の解説が強力で、初心者より悩みを持ったある程度の経験者が読むと得るところが大きい。 松尾牧則『もっとうまくなる弓道』(ナツメ社)(2007年11月)。基礎の射法八節から順に全編カラー写真で紹介されていて、初心者向き。あるいは、おさらいをしたい人によい。昔習った指導の内容を忘れないためにこれを読むと、いい復習になる。 加瀬 洋光・関野 祐一『確実に上達する弓道』(実業之日本社)(2007年12月)。癖がついて悩んでいる人向けの記事が充実している。時折入るコラムも面白い。 石山佳彦『DVDで学ぶ有段者の弓道』(スキージャーナル社)(2007年4月)はDVDが中心。本当に有段者向きで、高校入学後、初めて弓に触って、二年少しで引退する高校生用には作られていない。ただ、こうしたDVDが商売として成り立つこと自体、選手人口が拡大しつつある証と言えよう。 と言うわけで、四冊読んだ結果、知らないことが山ほどある割には妙に詳しいところもある、全然使えない顧問が、そのバランスの悪さをより強化した恰好。 (今年二月に書きかけたままになっていた記事)
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あの方は最近お名前を聞かないけれど、どうしたのだろうと思っていると、もう随分昔にお亡くなりになっていたということがよくある。ヒベットさんの件もその類かもしれない。 つい先日も、作曲家故吉田正氏の業績を讃える歌謡番組を見ながら、ムード歌謡の松尾和子さん、最近見ないねと愚妻に何気なく話したら、もう十五年以上前に亡くなられているそうで、疎い私は驚いた。 そういえば、先日、入院中の父のもとにクラス会の便りが来ていて、枕上、記事を読みあげた。半数が死に、残りのうち半数が病気療養中、半数がご健在であるという。ベッドの上の父は聴きながら、へえ、あいつは元気でクラス会に出てこられるのかと、ちょっと悔しそうであった。 元気というのは、サバイバル・レースの勝者みたいなもので、脱落者の累々たる骸(むくろ)の果てにあるもののようである。自分は八十を過ぎても元気で宴会料理に健啖家ぶりを発揮したいと思うのが、人の素朴な生きる「欲」であるのだろう。入院中の我が身をどう思っているのか、前向きな人で、ほとんど悲しみの素振りを見せないので、息子とて、そのあたり知るよしもないが、ちょっと素の気持ちを垣間見たような気がした。 話がえらく脱線してしまった。 遅ればせながら、ここにサイデンさんの業績に敬意を表し、謹んでご冥福をお祈りします。
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書店の新刊書コーナーに並んでいたのを購入。著者は昨年八月亡くなって、晩年書かれた日本語のエッセイの中から、親しかった友人が選んで纏めたもの。 東京下町暮らしが彷彿とされ、散策好き、花好き、猫好き、蛙好きであることが語られる。昔を懐かしんだり、現代日本の変貌を嘆いたり、交友があった谷崎・川端との思い出話や自らの老いの話、それから、本業の翻訳の苦労話など、話題は豊富で楽しい。堅苦しい学者というより、猫と暮らす下町を愛する酒好きのご隠居の話を聴いているようエッセイであった。 こちらの誤解による誤訳が多いかもしれないと恐れていた川端康成先生からは、なんの誤訳指摘や干渉がなかったと語ったすぐ後に、「紫式部先生からも、道綱の母上さまからも同様であった。」と続いて、大笑いを誘うなど、なかなか達者な文章で読ませる。 花の話を冒頭に、猫の死の話がラストに来ていて、その配列もよく、全体として、しみじみと滋味深い上質のエッセイであった。 彼は、十数年前、読売新聞の招聘で金沢で講演をした。会場が当時の勤務先の真ん前の会館小ホールだったので、行き帰りに時間はかからない。著名な外国の日本文学研究者の話が聴ける、こんなチャンスは滅多にない、二時間、研修扱いにしてくれないかと当時の国語科教員総意で管理職に頼んだが認められず、皆、内心憤慨しながら年休を取った覚えがある。これがこの時の一番の記憶。内容はサッパリと忘れている。 ご本人は少々肥りぎみの体格で、日本語はもちろんお上手だったが、テレビに出てくるコテコテ外人藝能人ほどペラペラというわけでもなかった記憶がある。 谷崎と付き合いのあった外国人研究者は、他にドナルド・キーンとハワード・ヒベットがいる。キーンさんはご健在だが、ヒベットさんはご存命なのだろうか。(つづく)
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後半はベートーベンの「田園」。ゲスト・ソリストとの協調がない分、演奏のまとまりはこちらの方があった。 家にはジョージ・セル(指揮)、クリーブランド管弦楽団のLPがあって、これで私は、彼とこのオケの個性がよく判った。セルの演奏は、ドイツ流に厳格且つ古風な反面、透明感があってきわめてモダンな要素もあり、その絶妙なバランスの上に成り立っているというのが私の理解。そこが大好きであった。 これも久しぶりに生で聴くと、七番に較べ、実に細かくアレンジが施されていることが判る。管のソロパートも多く、難しさはこっちが断然上だろうことは素人ながら容易に見て取れた。 アンコールのスペイン作曲家の小品も、ハープが大活躍で楽しかった。 今年度になって音楽会行きがよく入るようになった。色々、生演奏ならではの発見があって楽しい。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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