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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

 2008年08月26日
  スヌーピーに会う
 ミッフィーに会ってすぐに、私はスヌーピーにも会ってきた。「大谷芳照が訳したスヌーピーの世界」展。於金沢二十一世紀美術館。
  シュルツ氏に気に入られた日本人アーティストがいるということは知っていた。今回は彼の作品展で、「PEANUTS Found in Translation」というのが横文字のタイトル。
 日本でショップ・コンセプトを提案して以来のお付き合い。原作者と交流を温めていく過程で作られた作品が前半。後半は、ピーナッツ・モチーフを使った墨の字とのコラボレーション作品の展示であった。
 シュルツ氏は、あくまでもコミック世界の中で作品を作った。大谷氏は、それを商業デザインやアート分野に広げようとした。原作者にはそれが新鮮に映ったのだろう。ミュージアム建設でも彼の才能を必要とした。
 しかし、生みの親は、先年、死亡した。シュルツ・ファンデーション側としては、今後もスヌーピーで新しい表現が出来る大事なタレントの持ち主ということになる。シュルツ氏の奥様のお墨付きがある限り、彼の作品は安泰だが、今後、表現を広げていく上で、表現者としての「個」である大谷氏は難しい道を歩んでいるような気がしてならない。現に、ショップでは、「スヌーピー可愛い!」と、子供たちが目を輝かせていたが、それは大谷氏の表現とは、直接、関係のないことなのであった。
 小生、大昔、スヌーピーのノートを持っていた。キャラクターとして昔っからお馴染みだが、横文字スラスラの人ではないので、「ピーナッツの世界」自体をそんなに詳しく知らない。シニカルな面も多いと聞く。日本人には、そうしたメッセージの部分が欠落して、キャラクターとしてのみ認知されている部分が強いのではないだろうか。展覧会を観ながら、そのあたりをもっと知っていればと思った。
 2008年08月24日
  ミッフィーに会う
 「オランダの版画とモダンデザイン」展を七尾美術館で観る。オランダは他の欧州諸国と違い風景画を中心に独自の発展を遂げてきていることは数年前の美術展で学んだ。今回、そのオランダの美術に触れるいい機会、その知識の実地検証のような気分で鑑賞した。
 レンブラントなどの古い風景版画から始まり、次にエッシャー小展となる。展示品のほとんどは、一九八一年五月、伊勢丹美術館で観た「エッシャー展」でご対面済みである。「昼と夜」「空と水」「邂逅」「上と下」など……。
 今回の展示で、「昼と夜」がオランダらしい田舎風景であることを知る。「上と下」もそう。オランダ建築なのだそうだ。どうしても彼の絵は騙し絵的な部分で見がちなので、絵を見る視点が広がった思いがした。
 彼の幾何学デザイン的要素から、後、オランダ特有のモダンアート、モダンデザインへと展開していくというのが展示の流れであった。
  今回、ブルーナの強い輪郭線とシンプルな色づかいの世界も、モンドリアンら先行オランダ芸術家の圧倒的影響下に生まれたもので、ある意味、ダッチ・デザインの完成形・ポピュラリティー版であることを知る。
  ブルーナ小展では、モンドリアンらしき縞柄の抽象画を小首をかしげて観ているミフィーの絵「どうやってみるの?」なぞ、お仲間、お仲間を不思議がるの図で、ニヤリとさせられた。傑作である。他に彼の作ったミッフィー以外のキャラクターの絵も紹介されていた。ラストには、オランダ企業の洒落たポスターの展示。「日本・オランダ年」を記念した展覧会らしい締めくくりであった。
 帰宅後、ミッフィーというのは、実にオランダ・アートらしい作品なんだねと愚妻に話すと、そんなことも知らなかったの? といわんばかりの口ぶりで、「無知をさらけ出すだけだから、あまり人に語らない方がいいわよ。」と釘まで刺されてしまった。
  よく考えたら、彼らの色づかい、赤・白・青のオランダ国旗が原典なんですね。こんなシンプルなことも気がつかなかった……。
 今回は、確かに彼女の言う通りかも……。
 2008年08月21日
  「世界大風呂敷展」を観る

  お盆、石川県立歴史博物館にて夏期特別展「世界大風呂敷展」を観る。恒例、日中の避暑を兼ねた行動。
 漠然と日本の風呂敷のことだけをイメージしていたが、世界で使われる風呂敷も多く展示してあった。その昔、故剣持武彦先生が「包む」文化論を授業で展開していたことが思い出される。風呂敷を知るとは、つまりは「布の文化」を知るということなのだというのが素朴な感想。裁縫が得意な妻の方が親しいかもしれない。
 五年前、国立民族学博物館であった展覧会の展示品を利用しているようであった。第二展示場では、加賀の風呂敷の特色を説明してあり、興味深かったが、いつものことながら、本会場と離れていて、そこまで見に行く熱心な人がどれだけいることか。施設的な問題だが、なんとかならないかといつも思う。
 会場の大きさからしてタイトルはちょっと大風呂敷?

 2008年08月20日
  「『仮想人物』の世界」展を観る

 浅野川の洪水のため一部閉鎖していた徳田秋声記念館が十二日より通常営業に戻ったという地元新聞を読み、特別展「『仮想人物』の世界」を観に出かけた。お盆休みの最中で、午前中に行った金沢二十一世紀美術館は芋の子洗い状態だったが、勿論、こちらは貸し切り状態。ぱっと見、被害の名残りは何もなかった。
 妻死亡後、すぐに懇ろとなった女弟子、山田順子との関係を、事件が起こって十年近くたった後、作品化した長篇小説「仮想人物」にスポットをあてた展示である。
 実在の山田は自由奔放な生き方をした人で、当時の道徳では批判も多かっただろうと思われる。解説にも、マスコミを意識した動き方をした人というような記述があった。
 今の時点からみると、自らも文筆家としての大成を願い、自立した生き方を模索した人で、解説氏がいうように、「芸術だけを支えとして」生き抜こうとした「新しい女」の「一つのサンプル」として、再評価が必要なのかもしれない。
 それにしても、夢二や勝本清一郎など有名人も混ざる男性遍歴をみるにつけ、当時の保守的モラルの中で、当時の文壇画壇のみ例外的に、芸術家はそんなものだという男側の「自由恋愛」容認の雰囲気があったのだろうなという感じがした。フェミニズム的発想をするとまったくもって男が悪いといわれそうである。
 マッチポンプ的な動きをしがちな自然主義作家、作品化までの歳月のかけ方に老獪さを感じる。大事なネタである。大切に育てていったのだろう。
 作品は未読。肝心の作品のコメントはできないのが情けない。断片を見る限り、例によって女性の描写や会話に実在感があり、優れているようだ。
  最後に、二階より浅野川を眺む。
 洪水から一週間程たって、大橋を通った時は、いつもの水位だったが、水は茶けて汚れていた。激流で地肌を削ったところからまだ土が流れ出ているのだろう。河川敷の緑も心なしか冴えなかった。
 この日、流れを見ると、澄んだとまではいかないが、かなり透明感を増してきているようだ。木造の梅の橋も、修繕・漂白でもされたのだろう、白くなって新木ぽくなっている。界隈は、少しずつ旧に復している気配で、一安心であった。


  洪水の土落ち着いて秋流る      
  橋渡る秋声の恋読み終えて       俊建

 

勿論、読み終えてはいない。そこはそれ、イメージの世界ということでお許し願いたい。橋も渡ってないし……。

 2008年08月18日
   朝のラジオを聞く
 先日、能登に出張があって、片道八十キロ近くを車で移動した。平日の朝、こうして長時間、車の運転をするのは久しぶりである。CDを何枚か積んで出発したものの、結局、FM局の朝番組をつけぱなしでひた走った。
 女性パーソナリティが、北京オリンピックや高校野球甲子園大会などの話をしている。私より年下だが、落ち着いて、適度に愛嬌があって聞きやすい。曲もスタンダードの「スマイル」、もはやエバーグリーンとなっているギルバート・サリバンの「アローン・アゲイン」、新進女流歌手によるボサノバ「三月の水」とバラエティに富んだ選曲で、耳に心地よい。
 二ヶ月ほど前、二十年目のテレビが壊れて映らなくなった。今年はオリンピックも音声で鑑賞。
 日々のメディアは、どうしてもラジオ中心になるが、宵の内、民放では十代アイドルの幼き雑談やお笑いDJの馬鹿話ばかり。音楽も若者流行の知らない曲がほとんど。違和感を感じつつ、我慢して流していることが多かった。
 朝方から日中にかけては、仕事をしている大人のために、ごく普通の放送を流している。当たり前のことかもしれないが、久しぶりに平日の放送を聞いて、違和感がなかったのがちょっと嬉しかった。
 2008年08月17日
  読書その日暮らし(2)

最相葉月監修『星新一空想工房へようこそ』(とんぼの本)
  私の若い頃、大ブームを巻き起こしたショートショートの名手、星新一を写真・イラストを中心にして紹介した本。経歴の紹介、関係者のエッセイ、詳細な年表からなる。「新潮文学アルバム」の「とんぼの本」版だと思えばよい。
 星の作品は、小学校の時、友人から勧められて『ノックの音が』を読んだのが最初だった。それから文庫本が出る毎に何冊も読んだ。
 教員になってほどなく、彼の「羽衣」という掌編を教材化した研究発表を聞いたことがある。原典と絡めて教えようとする内容だったが、聞いていて、何だか彼の作品が、古典教育のダシに使われているような内容で、本末転倒だと思った覚えがある。贔屓の引き倒し。
 確かに、彼の作品は中学あたりの教科書に載っていることが多かった。でも、一体、国語教師は、どんな理屈をつけたして授業していたのだろう。教員が解説するショートショートなんて、どう考えても面白くなさそうだ。今、漱石の「夢十夜」の教材研究しているから、尚更、そう思うのかも知れない。
「面白い話やねえ。みんな、こんな変な夢見たことないかい。これはお話やさかい、うまくこしらえてあるけど、こんな夢、漱石さんは見たんやねえ。」
でいいではないかという思いがふつふつと湧くのである。
 星の作品はSFなので、内容と実人生とをくっつけにくいのが難しいところ。この本によると、彼は膨大なメモ書きを読み返しながら、篩(ふる)いにかけ、格闘していると、ある瞬間、アイディアが神がかりのように降りてきたのだそうだ。それをストーリー化し、下書きし、しばらく時間をおいてから清書するという作業を地道に続けていたらしい。
 日々、艱難辛苦していた様子はよくわかったが、このガイド本を読んでも、どこからあの奇想天外な発想が生まれるのか、創作の秘密は判らなかった。当たり前。

 

山本一力『くじら上手』(文藝春秋社)
  池波正太郎を尊敬する時代小説の新しい旗手といった程度しか知らなかったので、まずエッセイからと手を出した。
 読んで、新聞配達をはじめとして、若い頃からの苦労人で、勤め人時代も長かった方であることをを知る。世代的には私より上だが、ここで語られる昭和の日本は、同時代人として私も味わったものばかり。これが起こった時、私は何をしていたっけ? などと思い出しながら少しずつ読んでいった。
 もともと「週刊文春」の連載もの。一編一編が短いのが少々残念。
 正直、エッセイとしては標準レベル。

 

さくらももこ『焼そばうえだ』(小学館)
 お盆。暑くてへたばっている時は、さささっと、さくらももこ。と言うわけで読んだ本。
 よく集まる仲間の一人、植田君にバリ島で焼そば屋をやって貰おうという思いつきを一年がかりで実現させる話なのだが、正直、全然、面白くない。多くの人に迷惑をかけて行われたお金持ちのおふざけという感じ。自分が言い出しっぺなのに、なんでこんなことしなくてはならないのか、泣きたくなったなどという身勝手な感想が書かれてある。そもそも本人が楽しんでいないのが致命的。

 2008年08月14日
  読書その日暮らし(1)

増田れい子『看護』(岩波新書)
 この本、看護の現場へ出向いていって入念に取材した「ルポルタージュ」といえばいいか。出版がもう十年前なので、細かいところでは現状と違うところが出てきているようだが、根本的な状況は変わっていない。
 患者の看護に対する誤解 看護の立場と実際の仕事、労働条件の厳しさなど、具体的かつ丹念に描いてある。
 読み始めてすぐに、新聞の社会部記者のような文体・構成だなと感じた。小説家を母を持ち、自身も文筆人として有名なこの著者が、かつて新聞社で長く働いていたことを知り、やはりと思った。三つ子の魂百までも。時に本人談として独白文を長く挿入して臨場感を出すなど、先輩記者にみっちり鍛えられただろう書き方がしてある。

 

倉本智明『だれか、ふつうを教えてくれ』(理論社)を読む
 この本、視覚障害者の著者が、ヤングアダルト向けに書いたもので、著者は「障害学」を考えている方。若い頃は弱視、現在は全盲に近いそうである。
 同じ障害の父ももうオールドエイジである。働き盛り世代の意見はどうなのだろうという気持ちで手にとった。
 友だちが草野球で彼のために特別ルールを作ってくれたが、あまり楽しくなかったというところから筆を起こし、参加しているということと「共生」とは違うということを印象的に語る。
 社会が「ふつう」としていることも、不利になったり努力しても無理なことを押しつけていることがある。その「ふつう」が出来る限りの考慮をしたものであるどうかを検討すべきであるという主張がなされている。そして、このことは身体障害者だけでなく、すべての人間とのつきあいにいえることだと広げていく。
 ホームに落ちてしまう話や、障害と一口に言ってもさまざま、弱視と全盲では視覚障害といっても配慮が違うなど、視覚障害者の家族としてよく見知っている体験談も多く書かれてあって、判りやすい。
 ふつうとは、本当の意味で、ふつうではないことが多いというのがタイトルの意味であるが、このタイトル、障害者のことについて書かれた本という感じがしない。ちょっと損なタイトルのような気がする。

 

村瀬孝生『おばあちゃんが、ぼけた』(理論社)
 特養老人ホームで働いた後、宅老所なる私設老人ケアの家で働いている方が、認知症の老人とのつきあいを語るヤングアダルト向けに書かれた本。倉本智明『だれか、ふつうを教えてくれ』と同じ「よりみちパンセ」シリーズの一冊。
 自分の娘が判らなくなるというより、一生懸命子どもを育てていた時代の記憶が濃く残っているので、大人になった娘を見ても、イメージと違っていて誰なのか判断できなくなるだとか、現状そうなっていることに、なんとか今現在の意識で理屈をつけようとするので、出てくる話は事実と違ってしまってくることが多いなど、ぼけ特有の症状を体験から判りやすく紹介している。
 大きな施設での仕事は時間との戦いで、効率が優先される。その忙しさは増田の『看護』に描かれる病院のそれと同じ種類のもの。ぼけの及ぼす問題はそうした能率を優先する社会の対応との軋轢の中で生まれてくる。社会の時間に合わせるのではなく、ゆったりした時間のなかですごせば、多くの問題は解決する。ぼけが素晴らしいなんて思わないが、たとえ、ぼけても人は一生懸命生きているのだというのがこの本の主旨である。

 

香山リカ『老後がこわい』(講談社現代新書)
 著者はテレビのコメンテーターなどで顔が売れている精神科医。シングル女性によるシングル女性の老後を考える本。
 友人の死から自分の孤独死を考えるところから筆を起こし、いつまでも「娘」の立場のままであることの精神的な影響、親の死、ペットの死、住居の問題、葬儀や墓の問題まで、起こり得るだろうことを大きく網羅して話題にしている。
 自分の問題として、実に率直に揺れる心境を語っているという印象で、同世代の女性にとって敷居が低い書き方がしてある。
  考えないようにしようという「心理抵抗」はダメだが、先行きは流動的で、「なるようにしかならない」から、自分なりに出来る限りのことをしつつ、悲観せずに生きていこうというのがこの本のメッセージ。
 平成十八年という今現在で、且つ著者四十六歳の時点での感慨という風にうつる。増田れい子の『看護』を読んだ直後だったせいか、「病・老・死」に直面してどうのこうのといった深刻さはなく、今後、加齢に従って考えが変わっていくかもしれないとも思われた。

 2008年08月11日
  「初」めて?

 持病の続診のため病院に行く。老父のいる公立病院の外来である。一回で長期の薬を貰うため受診は年数回でいい上、サボリが加わり、今回、久しぶり。診察カードを受付機に挿すと、保険証の確認が必要ですから窓口へと画面に出たのは想定内だったが、受付嬢に「初診ですね。紹介状をお持ちでない場合、費用がかかりますが、ありますか。」と聞かれたのには、大いに慌てた。
 この病気はここで診てもらっているので、紹介状をもらうとしたら、ここである。続きであることを強調して、その場は事なきを得たが、会計上、あとは医師の判断ということらしい。
 それにしても、毎夜毎夜、職場のように日参しているこの病院から、「アンタ、ここに来るの『初』めてやね。」と言われたような気がして、ちょっと苦笑い。

 

 2008年08月10日
  瀬尾まいこ『ありがとう、さようなら』(メディアファクトリー)を読む
  以前、受験問題集に彼女の小説が出ていて、それで、中学校講師の傍ら小説を書き、名が世に知れてから採用試験に合格して正式教員になったという経歴がちょっと目をひいた。今回、図書室でこの本を見つけ、では、と読んでみた。雑誌「ダ・ヴィンチ」に連載(2003・9〜2007・4)した、いわば教員体験エッセイ集。
  中学校なので、我々と違うところも多少あるが、語られる多くは、同業故、よく判ることばかり。失敗しながらも、温かい周囲に支えられ、経験を積み重ねている様子が語られる。以前、俵万智が高校教員の時の様子を書いたものを読んだことがあるが、若い女性ならではの生徒とのふれあいという点で似ているところがあるように思った。
 おっとりとした優しさを文章から感ずる。まわりの人のおかげて自分も成長しているという謙虚な発想があるので、嫌味がない。読みやすい表現、文章のまとめ方も上手い。タイトルは、この二つの感慨がめまぐるしく襲ってくるのが学校であるという思いからきているという。中身を表す判りやすい喩えで、本当に初々しい。
 ただ、どうしてもクラスのことが中心となるのは判るのだが、この方、国語の先生のはず。教科の話が少ないのが、ちょっと残念といえば残念。
 2008年08月09日
   時間外出入り口にて
 毎夜、病院の「時間外出入口」を使っている。入ったすぐ横には緊急処置室。時に救急の患者さんがそこで手当を受け、廊下には家族が待機している。その様子で室内の深刻さが判る。
 念のために診てもらいに来た程度の雰囲気の時もあるし、廊下の椅子で、おばあちゃんが不安そうにしている時もある。おそらく中にはおじいさんがいるのだろう。私は、その横を伏し目がちに通り過ぎる。
 ここ数日、通ると、三十人以上の人が戸内外にたむろしていた。お若くお付き合いの広い人が倒れられて緊急入院した、そのお見舞い客とのこと。面会謝絶ゆえ待機場所がないのだろう。
 それが、今宵、潮がひいたように誰もいない。
 小耳に挟んだところによると、お亡くなりになったのだという。
 かと思うと、すぐ横の暗がりで、若い女性が入院患者の男性と二人だけの世界に入っているのを目撃することもある。
 夜、毎日のように行われている、それぞれの人の、それぞれのドラマ。それらが交錯する病院の裏玄関の風景。
 2008年08月08日
   え、倒産?
 我が住まいせるマンションを建設した地元不動産会社が、この春、事実上倒産した。聞いた時は「えええ!!」とビックリ。ビルの管理も任せていたので、ここのところ管理業務が止まったままになっていたのだが、先の組合臨時総会で新しい管理会社に引き継ぐことが了承され、ようやく決着をみた。赤字補填のため積立金に手をつけるという事件をよく聞くので、それを心配したが、住人側が管理しており、大丈夫だったという。
 このところ、不動産業界は冷え込んでいる割に供給が過剰で、パイの取り合いになっている感があった。新築マンションがいつまでたっても埋まらない。しばらくたつと安売り価格のチラシが入り、この業界の胡散臭さがなおさら募るというような悪循環を起こしていた。
 今回、地元資本が全国大手の攻勢に耐えきれず負けてしまったという、県内の多くの業界で起こっている構図が、ここでも反映されてしまった格好である。「地元の会社なので安心」ということが選んだ理由のひとつだったので、一県民としても残念である。
 先月は、県内に本社がある全国中堅規模のゼネコンも倒産し、県内はますます冷え切るのではと懸念する声が、私のようなところにも聞こえてくる。どうなることやら……。
 新生銀行にはじまり、生命保険会社、地元銀行と、我が家は、これまで三つの破綻に見舞われたが、今のところ大損という事態は免れている。が、それは僥倖にすぎない。世の中、普通に生きているだけでも、あっちこっち大きな穴ぼこがあいている。それにはまらずに過ごしていくだけでも大変な時代になってきた。
 小市民的願いではありますが、今後とも恙ない人生を送れますように……。
 2008年08月07日
  (つづき)
 読むと、百円ノートに何でも書いて、どんどん貼って、次々と新しいノートにいきなさいという内容。検索用のインデックスだけは日付管理にして、パソコンに書き込み、それを索引がわりにするという手法。野口さんの超整理術の範疇にある考え方で、「一元化」を謳い文句にしているが、パソコンを使うのだから厳密には一元化ではない。あくまでも手帳・筆記・紙貼りというアナログをメインに、デジタルを検索という機能に限ってサブで使うという、時代に逆行しているというか、時代遅れ人間を救済するというか、文具好きに大義名分を与えるかような発想であった。
 検索の意識がこちらにはなかったので、作者の方が能率的・情報処理的ではある。確かに、国際的にはA4が標準なので、その二つ折りの大きさを使うのは、サイズとして理にかなっている。
 ところで、この本を読んだ数日後、コクヨが「文庫本ノート」シリーズを出すと案内があった。インデックスの取り方など、完全にこの本を意識した作り。値段も安く、「MDノート」の強力なライバル出現である。コクヨはノート界のトヨタのような存在なのかもとチラリと思う。いやはや、「商売は機を見て敏なるが勝ち」を実感する流れであった。
 2008年08月06日
   奥野宣之『情報は1冊のノートにまとめなさい』(Nanaブックス)を読む
 薄手の小型手帳で今年をスタートさせたが、老父の入院等でメモをとることが多くなり、見開き一ヶ月の小さなスケジュール帳では追いつかなくなった。そこで、メモ帳として別にA6版リング・ノート「ニーモシネ・ツゥデイズ・アクト」(マルマン)を使い出した。それに革の文庫本カバーがぴったり。当初、手帳とノート、二冊を束ねていたが、それならと、小さいスケジュール帳の方をカバーに挟み込み、一冊体制にした。
 A6版は腰痛持ちには重いが、鞄に放り込みが可能なサイズで、なおかつ、長い文章を書き綴るにも最低限の面積を確保している。リフィルを抜き差しするシステム手帳なんぞ大仰しいだけと思っていたので、文庫本一冊携帯している感覚のA6版ノートスタイルがいたく気に入って、買い物覚え、今日すべきこと、この日誌の断片、なんでも書きなぐっている。この大きさのノートとして、他メーカーでは「MDノート(文庫版横罫)」(ミドリ)「パーソナル替えノート」(アピカ)が良さそうだ。万年筆の裏写りがないというのも大きな条件。
 本人は、こうして、試行錯誤の末、行き着いた境地だと思って、得々と愚妻に話をしたのだが、彼女は数年前から文庫版サイズの「ほぼ日手帳」を愛用しているので、
 「前にアンタに薦めたら、そんなかさばって重いものなどいらないと歯牙にもかけなかったじゃないの。」
と、けんもほろろ。どうやら、「ほぼ日」大ヒットの影響で、文庫本サイズ愛好者が急増中らしい。
 世に、A6ノートを推奨する『情報は1冊のノートにまとめなさい』(Nanaブックス)という本もあるそうだがと、ネットで仕入れた知識を振りまわすと、「それ、あるわよ。」と、その本がさっと目の前に出てきた。
 とっととご購入のご様子。まことに恐れ入ります。拝見させていただきます。(つづく)
 2008年08月05日
   死と生と

 人の世は、長い巻物を巻き取っていくかのようにゆっくり移ろっていく。弟はここ数日で、「死」と「生」をたて続けに経験した。
 先日、弟の幼馴染みの親御さんが亡くなった。仕事中の不慮の死。我が父よりずっとお若い。自分も危険性のある仕事をしているから他人事ではないと語っていた。
  その弟に長男が誕生した。我が家では、本人結婚以来の慶事である。私も新生児室のガラス越しに対面し、「伯父さんだよ、宜しく。こちらがジイジになっても、煙たがらずに付き合ってね。」と挨拶を済ませた。
 個室に戻って、夫婦それぞれの母親が、産後の肥立ちや母乳のことなど色々なことを、なりたての父親に聞く。しまいに弟は、
「男のオレがそんなこと知るわけない。自分のことを思い出せばいいやないか。」
と呆れて突っ込みを入れる始末。二人の母親とも、何分古い話なので、自分の昔の経験など、なーんにも覚えていないのであった。一同、大笑い。
 夜、老父にその話をしたら、
「女性ってそういうものや。だから、あの産みの苦しみを忘れて、また産もうと思うんだ。」
と、理屈になっているのかいないのか微妙な「珍説」を述べていた。
 ホントかしら。
 私は、それに続けて、
「どうして、神様は、子供を産むという生き物として最重要事に痛みをお与えになったのかねえ。」
と何気なく疑問を発したが、これは、考えてみれば、きわめて哲学的・信仰的な質問で、男二人、「ワカランねえ。」で終わるしかなかった。
 ともあれ、新しい父親はすごく嬉しそうで、こちらも温かい気持ちで一日を過ごした。
 要介護者がいるので、各自が各自のことをこなすので手一杯。赤ん坊を真ん中に家族そろってのんびりなんてことは、当座、出来そうもないが、この子が、事故もなく健やかに成長し、我が家に幸せをまき散らせかしと思わずにいられなかった。

 

 2008年08月04日
  阿川弘之『大人の見識』(新潮新書)を読む

 冒頭で「私は不見識」だよとさっさと断っている。確かに、かつて「瞬間湯沸かし器」とあだ名されたように、豪放磊落、泰然たる大人(たいじん)というような方ではなかった。だから、一面、本人の言う通りの部分もあって、阿川さんご自身、「これを、最初に書いておかなきゃなあ。」と思われたのだろう。なんとも微笑ましい。
 ここのところ、藤原正彦の本や『女性の品格』なるベストセラーが出、品位・品格をキーワードにした類本が多く出ている。その柳の下企画の一つとして、文壇の長老、阿川弘之に喋らせようということになったのだろう。
 大手出版社の売れ筋新書。阿川さん、久しぶりの平置き扱いになっていたのを見つけ、発売(昨年十一月)早々に買って「積ん読」のまま放置していたら、今年前半のベストセラーチャートでベストテンに入っていて驚いた。作者久しぶりの大ヒットではあるまいか。
 口述筆記で、本人直接の筆になるものではない。しかし、漢学の教養ある言い回しなど、文章の品格は保たれている。
 内容は、やはり戦時中の話が多い。でも、もう、こうした知識をさらさらと語られるのは、現役作家では彼ぐらいのものである。例を沢山出してきて判りやすく、爺やのお話を伺っているかの如き心持ちになる。イギリス式ユーモアを推奨し、杓子定規に事を行うのではなく、臨機応変、余裕のある対応をするのが大人の見識であるという、いつも持論を展開しているので、長年のファンには目新しいものではないが、圧倒的多数を占める初めての人には新鮮に映るだろうし、出版意図もそのあたりにある。
 多くの先人の言葉を引用しながら進むので、ある種の名言集にもなっているところが特色。
 売れ終わった頃に読んだので言う訳ではないが、売れたということは、御大の意見に耳をかさねばならぬと思った日本人が結構大勢いたということ。どのあたりの年齢層がベストセラーに押し上げたのだろうか。

 

 2008年08月03日
  バカボンはバガボン

 昨日、漫画家赤塚不二夫が死去した。私の子供の頃の超売れっ子。アニメ「おそ松くん」は、子供みんな観ていた。私には、家の玄関前でイヤミの「しぇー!!」をしている白黒写真があるくらい。確か、ゴジラも「しぇー!!」をしていたはず。爆発的に流行った。ケムンパスも描きやすいからノートの端っこによく描いたものだ。
 先の六月、人間ドッグの待合いに赤塚選集のような文庫本が置いてあり、巻末の古谷三敏の思い出話を読んだばかり。アシスタントを超えた一心同体的なサポートをして、後、独立の際、赤塚色から脱出するのに苦労したといった内容だったが、赤塚の人となりが伺われるエピソードが色々書かれていて、温かい文章だった。
 私の学生時代、お会いしたことはなかったが、近くに赤塚さんが住んでいた(この話は以前書いた。二〇〇五年八月十一日記事)。あの頃、ハナモゲラの山下洋輔らと仲が良かったし、タモリの売り出しに力を入れていたこともよく覚えている。
 今後、追悼ものが多く出るだろう。今、この歳で読んで面白いだろうか。ストーリー的にはちょっと覚束ないかもしれないが、ギャグの豊富さと登場キャラクターのユニークさは天下一品。彼は、漫画にある多くの要素の、この二点で傑出していた。
 当然、彼は言葉遊びの天才。例えば、「天才バカボン」って、「天才」と「バカ」をぶつけて遊んでいるのだけれど、実はそれだけではなく、梵語「薄伽梵(ばがぼん)」を踏まえているのではないかと昔から密かに睨んでいる(もう誰か指摘しているかもしれない)。則ち、聖なる者・世尊の意。
 ナルト巻模様つんつるてんの和服に帯締めのバカボンは、仏様のような存在として形象化されたのではないだろうか。

 

 ニュースを見た昔のガキん子、今のオッサン連中は皆、懐かしくイヤミやチビ太を思い出していることと思います。楽しい漫画を有り難う。そして、おやすみなさい。合掌。

 

(追記……おくやみ欄に、自宅は「新宿区中落合1-3-15」とあった。新目白通り、西武新宿線下落合駅が近い。あの頃と変わらず、同じところにお住まいだったようで、これも私には懐かしかった。)

 

 2008年08月02日
  行列のできる店
  昨年から徐々に値上がりを続けていたガソリン。今や百九十円に手が届きそうな勢いである。
 ここのところ、値上げ前日、月末の夜にガソリンスタンドに並ぶ日が多い。一昨日も、某安売りスタンドの横を通ったら、給油の長蛇の列、その数は三十台を下らない。四十分近くエンジンをかけクーラーを効かせて待って、どれだけの得になるのか疑問だが、なんとか節約したいという気持ちはよく判る。自分も少し時間を遅らせ、行きつけの店で滑り込み給油をしたクチで、同じである。
 生活に絶対必需なものを並んで購う。戦中戦後の物資不足時代とちょっと似てなくはないか。
 ところで、こういうの、行列の出来る店というのかな。
 2008年08月01日
  放送室の日々(あのころ)
 イージーリスニング界の巨星レイモン・ルフェーブルが、一ヶ月前に死去した。我々の世代では、TBSの深夜放送、野沢那智・白石冬美「ナッチャコ・パック」のエンディングテーマ「シバの女王」が懐かしい。
 早くにパーシー・フェイスが亡くなり、ポール・モーリアも一昨年に死去。もうポピュラー楽器を加えたグランドオーケストラ形式の大楽団は死に絶えたのではないだろうか。イージーリスニングで耳を肥やした聴衆は、クラシックやジャズ・フュージョンに行き、ポピュラー・インストゥルメンタルは電気楽器中心の小編成に衣替えしてしまった。今、ウェブ通販サイトで「イージーリスニング」のジャンルを覗くと、ヒーリング(癒し)音楽と同義語となっているようだ。
 あの頃、イージーリスニング・オーケストラが衰退するとは夢にも思わなかった。いつまでも音楽の領域のひとつとして、皆が楽しむものだと思っていた。
 私は高校では放送部員だったので、ミキサーとして、毎日のように、彼らの曲を使った。日々の活動の一つとして彼らの曲のイントロ当てクイズをやって、曲を覚えるのも大事な仕事だった。何度も針を通したから、部所蔵の彼らのベスト盤LPは相当傷んでいたはずである。
 ちょうどその頃、バリー・ホワイトのラブアンリミテッド・オーケストラの「愛のテーマ」や MFSB の「ソウル・トレイン」など、よりリズムを強調した器楽曲が大ヒットした。今から考えると、イージーリスニングがソウルやフュージョンとクロスオーバーして、新しい流れが起こり活況を呈していたということもあるかもしれない。パーシー・フェイスは「夏の日の恋」のリズム強調アレンジバージョン「夏の日の恋76」や「燃えよドラゴン」で若々しいサウンドに転換して、好評を博していた。
 昔ほどラジオやテレビであの頃の曲はかからなくなったが、今でも、彼らの曲を耳にすると、真空管(!)の暑さにヨレヨレになりながらイントロ・クイズをやっていた、あの時の狭い放送室を思い出す。
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