ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」 http://hiyorigeta.exblog.jp/
先日、愚妻が腰痛で安静となった。夫婦揃って腰痛持ちでは洒落にならない。一生、重たいもの係をしてもらう算段をしていたので、こちらも痛手である。 整形外科から帰った愚妻は、「まるで、あなたがいつも言っていることを、医者にまた聞かされたような気がしたわ。」と感想を述べていた。痛み止め、腰痛用ウエストベルトの装着、今後、家庭生活の中で気をつけなければならないことなど。多少病名が違っても、特効治療がない腰の病気、指導の中身はほとんど同じなのであった。 千葉の遊園地に行く予定をしていた愚妻は、それがふっ飛んで、がっかり気味。そこで、ネット通販で、念願のペリカン金ペンをポチッとすることに……。 その美しいペンが届いた日、私は、某書店の閉店セールで「高級文具三割引」の貼り紙を発見してしまう。次の日、ネットの相場と相談の上、通常なら値を引かない万年筆の中から、常々欲しいと思っていた加藤製作所の金ペンを購入した。二日で二本。 ペリカンは鼈甲縞と白色のコントラストが典雅な優美さをたたえ、加藤は、セルロイドの美しさに加えて、金ペン独特の書き味が素晴らしい。 という訳で、愚妻の遊園地行きは、金ペンに化けて終ったのでありました。 (追記 愚妻は一週間ほどでよくなりました。)
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九月も終わろうとしている。今年は暑い九月だった。日中、涼しくなったのは、ごく最近のこと。 九日は重陽の節句だった。新暦になって滅んだ節句だがと、この日、授業があったクラスではちょっと説明した。菊がらみで、生食用の菊花が売っている話や乾燥菊をお汁に浮かべるとちょっとリッチだよという話も……。 それにしてもと思う。自分の今の生活に、全然、この種の風流さがない。ない人が語っても、説得力はなかろう。 そういえば、仲秋の名月も気がついたらいつのまにやら終わっていた。以前、月や暦の話を勉強かたがた書いた覚えがある。余裕のない今年、どんどん時間だけが通り過ぎていく感じだ。 八月には終戦を意識した読書をするのが例年のことだったのに、それも今年はせずじまい。広島の黙祷も、職場の椅子でお茶をすすっている間に終わってしまった。先日、NHK歴史番組の再放送で、米軍は「パンプキン」なる模擬原爆を、本番前後に投下し続けていたことを知ったのが唯一の勉強。見ながら、そんな意味のない空襲で各地が被害にあっていたのかと思って暗澹となった。 昨日の横須賀に原子力空母が配置されたというニュースにも吃驚。そう決まっていたなんて、全然知らなかった。非核三原則はどこにいったのだろう。先月、長崎で首相が「今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立っていく」と宣言したばかりだというではないか。 ちょっと顔を上げると色々なことが通り過ぎていることに気付く。 気持ちをもっと外に向けよう。日々の生活が「生活のみ」にならないように。
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数年前から、男性月刊誌で面白そうな特集をしているものを、気軽に買うようになった。「一個人」(KKベストセラーズ)「男の隠れ家」(あいであ・らいふ)など。「東京下町散歩地図」「ジャズを巡る旅」「大人のクラシック」などというのが、家にある号の特集見出しである。寝る前のお気軽読書。 この前、初めて買ったのは「ラピタ」(小学館)という雑誌、九月号。万年筆の特集であった。中に、次号は万年筆が付くと予告があった。万年筆オマケ・シリーズ第四弾。またすぐに売り切れだろうと、予約を入れなかったら、発売当日になって、アマゾンから「今なら在庫あり」とのメールがあり、それならと注文した。 ところが、出店業者の商品と抱き合わせ注文にして、送料を無料にしたつもりでいたら、別々に払わねばならぬらしく、たかだか九八〇円の雑誌に数百円の送料を払うハメに……。その日、現物が近くの書店に並んでいるのを見つけているので、歯がゆい思いをした。このドジに愚妻がいじめること、いじめること。(悲) 到着した万年筆は、小さいがなかなか考えられているホワイト色。こういうものには当たり外れが多いが、インクフローも潤沢で、当たりの部類と思うとちょっと嬉しく、どんどん使うことにした。(嬉) 使って二日目。あまりの小ささに、開ける時、勢い余ってキャップを落とし、キャップの縁を歪ませてしまう。あっという間に傷物に……。これは相当にがっかりであった。(悲) ところが、その数日後、前号の懸賞に当たったとかで、靴下のセットが送られてきた。これで送料の損を取り返した格好となった。(嬉) ところが、翌日、今度は、その「ラピタ」自体が休刊することを知ってびっくり……。もうお楽しみの第五弾はない。(悲) 一つの雑誌を巡り、個人的に色々動きがあって、小さく一喜一憂したのが面白かった。
なお、本日のタイトル、大げさで、且つ、使い方が違っています。皆さんは、こんな間違いをしないように。
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よく行く某大手チェーン店で買い物をした。ここは合計額を電卓で指し示して確認する。 私の買い物は単品六百円。半額券を持っていたので、それを差し出すと、若い店員は、いつもの通りハンディ電卓を取り出して計算しはじめた。が、さすがに途中で気がつき、手を止めた。 「三百円でございます。」 「ハイ、判っております。」 マニュアル通りって、見事なまでに頭を通過しないのだということを実感した一瞬。
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疲れて帰った夜、短い自分の時間に、万年筆の調子を見ながらぬらぬらと試し書きをしていた。ラジオ(テレビ音声、NHKの歌番組「SONGS」)から懐かしい沢田研二の声が聞こえる。その歌詞を、いつの間にか、追うようにメモ帳に書き連ねていった。バラードなので、なんとか字が追いつく。 「♪ 風に向かいながら、革の靴をはいて、肩と肩をぶつけながら、遠い道を歩く……」 書きながらその情景を脳裏に描いた。 「僕の地図はやぶれ、くれる人もいない。だから、僕ら、肩を抱いて、二人だけで歩く。」 歩いているのは都会の舗道だろうか。この二人は大人の男と女だろう。 「君の心ふさぐ時には、粋な粋な歌をうたい、君をのせて夜の海を渡る舟になろう。」 なんてダンディなのだろう。男だねえという気がしてくる。 最後のフレーズが何度もリフレインされる。 「君をのせて夜の海を渡る舟になろう。」 僕がもっともっと若くて、格好良くて、ダンディで、気障なことを平気で言える人だったら、彼女に言ってみたいものだ。 僕は、君を乗せて夜の海を渡る船になりたいんだ。なんてね……(照)。 そんな気障なことを言う青春などついぞなかったけれど、言ってしまっても許される若い時を過ごしたかったという気も今頃になってすごくする。 なんでも出来た青春。でも、結局、何も出来なかった青春。この歳になって、多少の悔恨と共に、あの頃を思い出す。もっともっといろんなことをすればよかった。 ペンを動かしながら、急に胸が締めつけられる気がした。久しぶりの、妙に懐かしく、でも、ちょっと息苦しい気持ちだった。
(この歌は、ジュリーのソロデビュー作「君をのせて」。作詞岩谷時子、作曲宮川泰。1971年。今更になって名曲だと気づく。 おそらく描かれている二人は、心傷ついた男同士というのが本当は正しいのだろう。「人の言葉、夢のむなしさ、どうせどうせ知った時には」とあるので、岩谷は全共闘退潮期の空虚感を表現したかったのかもしれない。歌謡史的にもグループサウンズが下火になってきた時期。沢田自身、一時期、謡いたくない歌だったというのも、その時の心情が重なってくるからかもしれない。宮川泰さんは亡くなったが、岩谷時子さんは九十歳を越えてご健在のご様子。昭和の香り濃い名歌である。)
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前職場の弓道場開設十周年記念の会があって参加した。準備・連絡・運営などはOBが手弁当で頑張った。 午前は式典と射会。私は、写真係兼講評係。 久しぶりの顔が揃う。射会では、OB、二年の現役組、習ったばかりで射るのがようやっとの一年生、皆混ざって弓をひいた。 「ここに集った人は共通点がある。それは、ここで弓道を習った、ここで大切な高校生活をすごしたということ。お互い知らない人も多いかもしれないが、そこだけはみんな一緒。何年も前にいた人、今、まさにここにいる人、そんなバラバラな時間の人たちが、一つの「立ち」になって弓をひく。そこに時空を超えた絆のようなものを感じました。」 私はそんな話しをした。 ファインダー越しに見るOBは、皆、大人になってはいたが、すぐに、あどけない表情で一生懸命引いていたあのころの顔と二重写しになった。 夜の懇親会も、他府県からわざわざこの日のために参集したメンバーも多く、大いに盛り上がった。 実行委のメンバーでさえ全員金沢在住ではない。全国各地に散っているOBが互いにメール等でやりとりして情報を流し合い、今日の日を迎えたのであろう。その労力は大変なもの。本当によく集まった。 同席の先生と「皆楽しそうで、いい会だね。成長した彼らと会うことが出来、我々にしてみても教師冥利だね。」と話を交わした。ずっとほんわかとした気持ちになって過ごした。 実行委の皆さん、本当にご苦労様。楽しく温かい会を有り難う。
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特にどこかに行くわけでもなく今年の夏は終わった。このままでは気分転換が足りないような気がして、九月上旬、代休の平日休みを利用して温泉に行った。 といっても、近場の白山麓。数年前に出来た研修施設で、お湯がよいと評判の、こぢんまりとした民家風の建物である。その日、宿泊者は私達夫婦だけ。仲居さんによると、夏休み中はかなりの混雑だったが、今は一休みとのこと。夜、浴場として利用しているお客が捌けると、館内は貸し切り状態となった。 夕飯も、何万円もする温泉旅館の料理とは豪華さが違うが、山のもの主体の好ましいもの。山菜の天ぷら、湯葉のお造りなど。いつもより多くアルコールも頼んだ。生憎の雨模様だったが、風呂場の大窓から見た山並みは、霧がゆっくり移動して、木々を隠したり露わにしたりして風流だった。こんな自然の景色を見るのも久しぶり。 この一泊、風呂と食事以外は本当に何もしなかった。部屋でテレビと雑談。それでもあっという間に寝る時間になり、朝、あっという間にチェックアウトの時間になった。夏の疲れが出たのだろう。夫婦共々、ごろごろと無為の時を過ごした。 昔なら暇に感じたかもしれないが、まだ、ゆっくりし足りないくらい。若い頃とちょっとずつペースが違ってきているのを感ずる。 白山さんに寄ってお参りしてから帰る。 温泉と参拝。典型的ご高齢ご夫婦のプチ旅行のような一泊。
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広角とマクロが強力で、面白い絵柄が撮れるリコーのデジカメGX8。しかし、望遠は使い物にならず、暗いところもからっきし。古さが目立つようになった。 もう一台、ペンタックスのデジタル一眼レフも調子が悪く、撮したファイルが破損していることが度重なった。これでは、信頼に足るカメラがなく、いざという時、不安である。今月、写真を撮る仕事を頼まれていたので、大慌てで一眼レフは修理に出し、コンパクトデジカメは新規購入することにした。 買ったのは、かねてリサーチ済みの後継機、リコーGX200。液晶モニターも見よく、色々進化している。特にカスタマイズ性能は素晴らしく、自分用に変えた設定をいくつも記憶させることが出来る。ボタンの割り振りも変えられるなど、自分流の操作に対応してくれるマニア好みの機種である。 さて、買って3日目、居酒屋で初出番となった。暗い座席で撮ったが、これが見事な白飛び写真の量産。ストロボオンの露出が安定しない。ああ、後継機らしいと苦笑い。帰って、ソフトで修正して、何とか人に渡せる写真にした。 酔いが覚めてから考えるに、オートで撮ったのが原因らしい。積極的に設定を変えて、状況に合わせたモードにして撮らねば、まともな写真が撮れない。そのあたりあまり進化していないのであった。 しかし、広角が24mmに広がったり、手ブレ防止機能か追加され、高感度ノイズが若干減ったりと、以前なら失敗写真になるところを、なんとか持ちこたえてくれるようになった。 カメラを変えたというのは、新しい視点を得たということである。なにか、これまでにない新しい世界が見えてくるかもしれないと楽しみにしている。久しぶりにカメラ雑誌を買って、人様の「眼のつけどころ」を味わう。まず、そこから再スタート。
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この辺りでは、生誕百日目にお宮参りをするのが風習だが、全国的には一か月目のところも多いらしい。若夫婦はそちらに従い、市内五社の一つ、鍛冶八幡にて初宮参りをした。 なぜ、ここでなのかは聞かなかったが、行ってみると、このお社は水天宮の流れらしい。弟なりにしっかり調べての選択だったようである。 我が家での初宮参りは弟本人以来三十年以上ぶり。前夜、出席できない病棟の老父と、懐かしく当時の思い出話をしたりした。 式前に、神主さんが、デジカメで子を抱いた母の写真を撮り、帰りにはお宮参り証明用アルバム(?)にして渡してくれるなど、現代風のサービスもしっかりあって、ちゃんと初穂料分の見返りがある仕掛けになっている。いかにも資本主義の世の宗教という印象で微笑ましかった。 そういえば、以前、白山さんに行って車の交通安全の祈祷を頼んだ時も、御神酒やらお札やらを頂き、至れり尽くせりで、満足して帰ることが出来、最初、そんな出金不要と渋っていた愚妻が、行ってよかったと、ころっと態度が変えたことを思い出した。 夜、父に今日のことを報告に行ったら、あの神社は、確か、昔々、家族で初詣をし、振舞酒を戴いたことがあったはずだと言い出した。確かに、私も現地に行って、それを思い出して懐かしかったので、行ってもいない父の記憶の鮮明さに驚いた。もう四半世紀近く前の話である。 病院は病原菌の巣だから、無理に赤ちゃんを連れてこなくていいと常々言っていた父が、今夜になって急に、早く孫を抱いて写真を撮りたいと言い出した。そうだね。今は母方の実家にいるし、首も据わっていないので危なっかしいけど、できるだけ早く対面できるように弟に言っておくよと言って、病室を出た。
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「文化の崩れを正す教育」という題を考えていたが、急にこの言葉を思いついて使ったとある。文化はしっかり伝承すべき、社会全体で教育していかねばならぬと繰り返し述べていて、まさにタイトルに言いたいことは集約されている。 行儀とは、「広辞苑」によると「立ち振る舞いの作法」のことだという。もちろん、ここでは、個人のそれを含んだ、もっと社会的な意味で使っている。腰帯に「正論」であると書いてあるが、中年以降の世代の、若者に対する感慨と批判は、この方が縷々述べているあたりが最大公約数であるような気がする。 読んでいて、何だかガッコウの国語のセンセあたりがいいそうなことが満載されているなあと思っていたら、筆者は教育学部の国語学科卒とのこと。彼の同級生の多くは、実際、国語のセンセやっているはずである。まさに御同業。題材が個人的にあんまり新鮮な感じがしなかったのはそのせい。
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多趣味のハイカラ・ボーイ、萩原朔太郎が撮した写真に、関連した詩を添えた一九九四年十月刊のビジュアル本。単発写真は、うら淋しい風景写真が多い。彼は、「光学的な作用」を利用して「自然の風物の中に反映されている自分の心の郷愁」を写し取りたいと思っていた。確かに、そうした意図は酌み取れるのだが、いかんせん、ボケ写真ばかりで、当時、いくら写真技術が難しかったとはいえ、未熟な腕である。 彼が熱中したのはステレオ写真のほう。あの立体視は、「幻想的」で「長い時間の持続している夢の中で不動に静寂している」ようだと述べている。萩原葉子は、子供の頃、父の仕事場を覗くと、時に立体写真を鑑賞していて、マズイところを見られたかのように、バツの悪い顔をしていたと回想している。 彼は、日常生活においても、「現実から遊離して宇宙へ飛んでいるよう」な様子の時があったという。ステレオ写真の世界に没入しているひとときも、彼にとって、そういう時間だったのだろう。 彼自身、僕の写真は「記録写真のメモリイ」ではないと否定しているが、今の目で見ると、当時の前橋の町の様子や家族の記念写真のほうに写真としての力を感ずる。少々、皮肉である。
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先日、二十一世紀美術館、夏の美術館主催展「ロン・ミュエック展」を観る。会場は入り口向かって左サイド、いつもは常設展をしている区画。 人間全体や顔、身体の一部をスーパーリアリズムで迫真的に表現する立体作品。それだけだと単なる映画の被りものや特殊メイクの類と変わりないが、何が違うと言って、ただただ巨大。ビッグサイズであることのインパクトは強烈であった。 メイキング映像によると、鋳型を使った昔ながらの型どり手法で作られているようで、恐ろしく手間がかかっている。 「ガール」なる赤子の横臥像が今回のメイン展示である。へその緒や血が付いた生まれてすぐの姿。ふてぶてしい表情は、生まれ出た直後の大変さの表情なのだろうが、現世にやってきてしまったことへの不満、つまりは現代社会のありようを批判する作者のメッセージを端的に表しているような気がした。 作品の少ない人のようだが、それにしても完成作品七点のみ(習作・映像を除く)というのは少なすぎる。さっさと出ざるを得なくて、あっけなさを感じた。 そこで、まだ入ったことのなかった隣接の金沢能楽美術館に寄る。平成十八年に開館。加賀宝生の伝統を紹介した「能」のミュージアムである。 一階が舞台をビジュアル的に紹介したもの。二階が展示室、行った時は、企画展「軍記物語と能の世界」をしていた。平家物語に材を取った能が多いことは知っていたが、今回、代表的なものの粗筋が書かれていて参考になった。ただ、これも何だかあっけない。金沢弁でいうと「あいそもない」感じであった。もう少し、体験的なものを増やすなりして、初心者や学童児にも判るような見せ方があってもよいのではないかと思った。 そこで、同ビル内の地元作家によるクラフト店にも寄って、お洒落な小物を鑑賞(?)して帰る。 どんどん横ズレの数時間。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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