ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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他にどんな絵本を覚えているか考えてみたのですが、超定番、乗り物の絵本があったことを思い出しました。 確か、電車は展望車が描かれていたはず。子供が乗っているのが描かれています。小田急のロマンスカーでしょうか。 船では、アルゼンチナ丸があったのを覚えています。これも調べると、二代目が一九五八年の竣工だそうで、あの船は二代目だったと判ります。当時の最新鋭だったのですね。絵本になるはずです。ちなみに、この船は一九七七年に解体されています。 幼い頃の淡い記憶が、ネットでお手軽に調べただけで、はっきりとした形になっていく。内からの記憶と外からの押さえの情報が重なって、間違いのない映像が脳裏に定着する、そんな感じでした。 ちょっぴり懐かしい気分を味わった一時。
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小さな家の周囲がどんどん都会化されて困ってしまうが、最後に郊外に移築され、笑顔が戻るという結末で、テーマ的には「都会のネズミと田舎のネズミ」に似ている気がします。移築してくれたのは建てた夫婦の子孫という設定ですから、一冊に描かれた歳月は長く、一枚一枚の頁の歳月は、それなりに空いていることになります。長篇ドラマの断片をつないだような描き方です。 乗り物に感情移入することができるアニミズム的幼児世代は、家が主役であっても別に奇異には映らないはずですし、主役は動かず、常に中央に描かれ、周囲だけが変わっていくという手法も当時としては斬新だったと思われます。一歩間違うと単調にならないとも限りませんが、家自体にも表情の変化があり、それで楽しむことができました。 今読むと、このお話、人の一生の物語のように感じます。幼児もそれを無意識に読みとっているのではないでしょうか。 また、半可通的大人視点で読むと、エマソンやソローに繋がる田園主義・自然生活の思想もうまく忍び込ませているように感じます。エマソンはボストン、ソローはコンコード、リーバートンはニュートンセンター生まれです。共に米国東北部のマサチューセッツ州出身という共通点があり、リーバートンは彼らの強い影響下にあるように感じました。 私は、今回、岩波の原作の方を買いました。絵本を買ったのは何十年ぶりでしょう。ディズニー版の方は、何度か復刊されているようですが、今は廃版で手に入りません。再度の復刊をお願いしたいものです。
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子供の頃、家には何冊も絵本がありました。その中で一番記憶に残っているのは、大きな家に囲まれた小さな家のお話でした。何度も何度も開いて見ていた覚えがあります。 気になって、もうだいぶ前、福音館書店の外交さんに聞いてみたことがあったのですが、知らないとのことでした。タイトルは覚えていない、「家が顔になっている絵だった」だけでは、判らなかったのも当然です。 それで、ずっとそのままになっていたのですが、今回調べてみて、大まかなところが判りました。 作者はバージニア・リーバートン。タイトルは「ちいさないえ」。今も石井桃子訳で岩波書店から出ています。でも、私が見ていた絵と違い、優しいタッチです。私が愛読したのはディズニーっぽい絵でした。そこで、更に調べると、はやりディズニーの絵本シリーズ中にありました。リーバートンの原作を基に短編アニメ化したものを、絵本仕立てにしたもののようです。 アニメ自体も、大昔、ウォルト・ディズニー本人が毎週チラリと出てくるディズニー番組で流されたとのこと。あの番組、観ていた記憶がかすかにあるので、もしかしたら、この作品も観たかもしれません。いや、なんだか観たような気がしてきました。 原作の絵本は一九四二年の作。絵も作者自身の手になる名作の誉れ高い本のようです。多くの人が、この本人版を愛読していますが、私のようにディズニー版に親しんだ人もそれなりにいるようです。(つづく)
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もうだいぶ前、九月末の某日のこと。テスト前なので、放課後、質問教室を開いていた。職場は少し高台にあるので教室から市街南部が一望できる。 英数に較べ、そう質問も多くはない。夕まぐれ、終了時間が近づき、手持ち無沙汰の私はベランダに出た。太陽は沈んでいたが、鱗雲が赤く染まり、街全体が赤く見えた。本格的な秋到来を感じる。日中、ここで授業している時には気がつかない別の顔。まるで、初めてきた場所のような錯覚に捉えられた。
茜さし照れる雲居の街望む質問教室今終はりけり
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前職場の記念式典があり、勤続十年を超すということで表彰を受けた。 確か来年は奉職して四半世紀の区切り。これも一応表彰があるはず。前にどんな表彰を受けたかと考えたら、これまた、あるセクションに一定期間勤めたという表彰。六年ほど前のこと。 この歳になると、長いということだけで表彰を受ける。「何等賞ってわけじゃないからなあ。」と昨日洩らしたら、 「長くやれているということ自体が素晴らしいことなんじゃないの?」 と同僚に諭された。 そうかもしれない。その言葉に私は素直に従って、今日出かけていって、目立つ席にじっと座る数時間を過ごし、元同僚と共に表彰状と記念品をもらって、帰って来た。そんな代休の一日。
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連休中、久しぶりに弓道の練習を二日続けて観た。 今日は、前職場の部員選抜チームを招いての交流試合。学校付設の小さな道場、二射場にして対抗形式をとることも出来ず、雨天時はどうするかの心配もあり、大きな公共道場でする時とは違った課題もあったが、案ずるより産むが易し、射が始まった途端、適度な緊張感に包まれ、お互い締まったいい試合が出来た。実力も伯仲。 的に向って放つ、相手と絡まないスポーツ。わざわざ交流試合などする意味などないのではないかと、以前、対戦型スポーツの顧問から皮肉混じりに聞かれたことがあるが、今日の様子などを見ていると、そうではないことがよく判る。 心落ち着き、時間がゆっくり動く。じっと観ていると、同じ動作の繰り返しの中に、選手の微妙な心理が見えてくる。数時間があっという間にたつ。 終了後、多少の疲労と共に道場の外に出る。急に、騒がしい町の喧噪が秋空にこだまして耳に入ってきた。 星野道夫の文章に、都会であくせく働いている時、地球のどこかで、クジラがゆっくり海面にジャンプしている、そんなことを想像できる人とできない人では何かが大きく違うといった趣旨の文章があるが、そんな気持ちが心をよぎる。 「いつも時間」とは違う時間を過ごす贅沢を味わった。交流試合が有意義だったことも含め、今日はうれしい気持ちで道場を後にした。
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先夜、いつものように病院に車を止めると、赤色灯の救急車。担架で患者が救急処置室に運ばれていく。命あれかしと思いながら横を通り、病棟に上がる。 父の入院が長期戦になってきた。冬に入院し今は秋。ゆっくりと時間が動き、病棟の風景も微妙に少しずつ違ってくる。 病室は、色々な人が入ってきて、そしていなくなる。病室前に掲げてある氏名札がなくなり、空きになったかと思うと、また、次の声がするようになる。前の方は、回復されたのか、転院されたのか、それとも、お亡くなりになられたのか。我々には何もわからない。 テレビのある休憩コーナーも、お元気な方が多い時期は賑やかで、そんな時期があるかと思うと、ひっそりとしている時期が長く続くこともある。 ある時は、「オレは、ここでじっとしているような性格ではない、早く出してくれ。」と怒鳴って、家族やナースを困惑させている男性の声が廊下にまで聞こえてきたりもした。 また、なにか腹に据えかねたことがあったのだろう、ナースセンターの中で媼が若い医師に声を荒げていることも……。 端からは窺い知れない人の感情が、静かな建物の中で、ふっと表立つ。病院はそうしたところ。 そんな様々な人の思いを感じながら、私は、毎夜、ルーティーンのごとく父の病室に足を運ぶ。
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奥書冒頭には「文暦二年」(一二三五年)の文字。老境、目が不自由となるも、感興堪えずして、二日間で写し終えたと書かれてある。自筆原本の様子にも触れられていて、二十六枚の冊子だったという。(この頁は複写での展示。) 定家が紀貫之の筆跡を数行「臨模」(書体ごと模写すること)した頁もあり、貫之が著した「土佐日記」がどういう字で書いてあったのかもそれでおおよそ伺い知れる。美しい水茎の跡。それがかなりのびやかな筆致で書かれてある。後の時代と変わらない影印本などでお馴染みの仮名書きである。(この頁も複写で展示。) 「古今集仮名序」が九〇〇年代初頭、「土佐日記」が九三五年頃の成立なので、この頃には平仮名が書き文字の一体系として定着していたことが判る仮名史の上でも意義のあるものなのだという。貫之と定家、二人の間には、ちょうど三〇〇年の月日が流れている。 学者でもない小生、これが善本中の善本なのだろうと勝手に思いこんでいたが、帰宅後、調べたところ、定家の写本は、仮名遣いに手を入れ、文章を整えた「定家仮名遣い」を施しており、元本に最も近いのは為家の写本であるらしい。池田亀鑑ら先達の業績により、ほぼ原本校訂も終わっているようで、自筆本は、室町時代までは現存していたが、応仁の乱頃に失われたようだ。 以上は、この作品に関して常識的な部類のことなのだろうが、有名本文箇所を教えるだけで汲々としている我が身、学問的なところはすっかりご無沙汰していたので、今回、現物を見て、久しぶりに刺激を受け、勉強になった。 (註……展示は5日で終了)
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法隆寺展の影に隠れ、目立たないが、今回、二階奥、前田育徳会尊経閣文庫分館の一室で、定家筆本国宝「土佐日記」の公開があり、初めてこの高名な前田家本を、直接、目にすることができた。 思ったより小型のパンフレット状の冊子で、収納時は屏風が描かれた蒔絵箱に入れられ、外にもう二種類の木箱に入れられているという厳重さ。 開いてある頁は、冒頭部末尾、「ふねにのるべきところへわたる。」の「所」より以下の文。二十二日は全文。二十三日は末尾「これは、ものによりてほむるにしもあらず。」の「ものに」まで。このあたりは教科書にもよく採られ、授業でもよく解説する箇所である。 紀貫之自筆本を見ながらの書写で、且つ、書き手が藤原定家と、自筆本が失われているこの作品の場合、原本直近で、最も血筋のよい写本である。これを国宝にせずして何を国宝にするかといったレベルのもの。 字はいつもの定家独特な書体。昔から私は、正直、悪筆であると思っていて、あの秀才もここのところだけは、ちょっと落ちるなあと思っている。まあ、そこが人間的な部分であるが……。 当時のまわりの人たちの評価はどうだったのだろう。「定家さんも立派な人だけど、あの字はねえ。」なんて言われていたのではないか。(つづく)
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新装なった県立美術館に法隆寺展を観に行く。 館内は、白系の配色が増え、窓も全面ガラスを採用するなど、以前の重厚な雰囲気から明るい雰囲気へと衣替えした。また、ロビーに大きく出っ張る形で人気菓子職人の店がオープンして大繁盛していた。そちらでも集客を狙う上手いアイディアである。誰の発案だろう。 ただ、美術館の顔というべきロビーに、ケーキを作っている舞台裏をガラス越しに見せて、中の乱雑な様子が丸見えなのには、ちょっと違和感が残った。同様に、展示室近くにスケルトンのエレベーターも設置されたが、これも、なぜ透明なのか。とってつけた感じで館の雰囲気とマッチしていないと感じた。戸外も整備し、回廊性を持たせたのも今回の手直し。 展示は「玉虫厨子」がメイン。その昔、現地を訪れた時、薄暗い宝物展示室で、古いケースに入れられ、思いの外、素っ気なく公開されているのを観た覚えがある。大きなものだというのが当時の第一印象。後で同僚に聞くと、今はもっと整備されたところに安置されているという。 以前、県立美術館で、「国宝 百済観音」を展示したことで、法隆寺との縁が出来、今回の展覧会につながったと島崎館長がテレビで語っていたが、もう、それが十年前のことと知って、歳月の早さに驚いた。では、私が初めて法隆寺に行ったのは何十年前のことなのだろう。
仏教美術も、鎌倉時代以降のものは、県内でも数多いが、さすが日本の歴史に重要な位置を占める法隆寺、飛鳥時代をはじめとして、本当に古い時代のものが並ぶ。国宝、重文ばかり。ペルシャ風の水差しなど、東西往来の産物、「正倉院御物」と酷似している。 後半、柄香炉を捧げ持つ「太子孝養像」など、聖徳太子に焦点をあてた展示が続く。ここ石川は、親鸞信仰から遡り、太子信仰も盛んなところだそうだ。また、太子が弘法大師に転生したという俗説も、強引な法統護持の発想として、当時の信仰の考え方がよく出ていて興味深かった。 その後、二階に上がり、育徳会展示室にて前田家蔵「国宝 土佐日記」を観る。
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先般、職場の講演会で東大の松井孝典氏の話を聴いた。彼の話を聴くのは二度目。七年程前の前回は、よくも悪くもブルーバックス一冊読んだのと同じような話の展開で、結論に向かって、論理的で纏まった話とはいえるが、それくらいなら本をゆっくり読んだ方がいい、講演としては面白くないと否定もできてしまうといった感じの内容だった。 今回は、主催者側の要望で、自分の高校時代の進路選択の話、大学内助手時代が長かった話など、生き方の部分を交えての話だった。このため、その部分で時間の三分の一近くを占め、宇宙に興味のない者もとっつきやすかったようだ。 「生命とは何か。」と大上段に問うと答えられないが、「細胞とは何か。」と限定すれば、答えやすくなる。今までの学問は、こうした要素還元主義でやってきた。しかし、これでは全体が見えない。地球を知る学問、「知」球学=地球学として、地球のシステムの中で考えなければならないとするのが彼の立場。 人間は、かつて生物圏の一要素でしかなかったが、新たに人間圏を作った。この人間圏の流れは、これまでの十万倍のスピードで動いている、つまり、一年で十万年分消費している計算になるという。今、地球というと、温暖化などがすぐ話題に上る。だが、人間が温暖化させているから、それで、冷却化を防止しているのかもしれず、地球はどっちに向かっているかなどは判らないと彼は言う。そのあたり、安易な「みんな乗合い地球丸」的発想とは違う、あくまでも宇宙側に立った見方を貫いている。 宇宙分野のこの部分が私の専門ですというタイプではなく、統合指向が顕著。話を聴きながら、私は、彼の発想の根本にどこか文系らしさがにじみ出ている気がした。高校時代、歴史が好きで、宇宙方面に行くかどっちにするか悩んだという、その資質的な部分が、今の発想の基底になっているのではないだろうか。 私は、名の知られたこの学者が、まだ還暦すぎであることに意外な感を持ったが、活躍がお若い頃からだったので、あの少壮の研究者がもう六十歳代になられたのかと、私とは逆の方向で驚いた人もいたようだ。
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先日、愚妻が腰痛で安静となった。夫婦揃って腰痛持ちでは洒落にならない。一生、重たいもの係をしてもらう算段をしていたので、こちらも痛手である。 整形外科から帰った愚妻は、「まるで、あなたがいつも言っていることを、医者にまた聞かされたような気がしたわ。」と感想を述べていた。痛み止め、腰痛用ウエストベルトの装着、今後、家庭生活の中で気をつけなければならないことなど。多少病名が違っても、特効治療がない腰の病気、指導の中身はほとんど同じなのであった。 千葉の遊園地に行く予定をしていた愚妻は、それがふっ飛んで、がっかり気味。そこで、ネット通販で、念願のペリカン金ペンをポチッとすることに……。 その美しいペンが届いた日、私は、某書店の閉店セールで「高級文具三割引」の貼り紙を発見してしまう。次の日、ネットの相場と相談の上、通常なら値を引かない万年筆の中から、常々欲しいと思っていた加藤製作所の金ペンを購入した。二日で二本。 ペリカンは鼈甲縞と白色のコントラストが典雅な優美さをたたえ、加藤は、セルロイドの美しさに加えて、金ペン独特の書き味が素晴らしい。 という訳で、愚妻の遊園地行きは、金ペンに化けて終ったのでありました。 (追記 愚妻は一週間ほどでよくなりました。)
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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