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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

 2009年01月25日
  ブレス・ユー

 英語話題が出たので、引き続き……。
 先日、クシャミをした同僚に、すかさず、ALTさんが「ブレス・ユー!」と声をかけていた。
 私には意味が判らない。そこで「それ、どんな意味ですか?」と横から尋ねた。クシャミのことなので、最初、てっきり息をするほうのブレスだと思ったのである。
 でも、ちょっと考えて、「「ゴット・ブレス・ザ・チャイルド」のほうの「ブレス」ですか?」と問い直した。確かスペルは「Bless」で、「〜を祝福する」という意味。つまり、「あなたにご加護を。」ではないか?
 彼の説明によると、やはり、そっちで、正しくは「God Bless you.」。クシャミをした人にお声がけする決まった言い方で、クシャミをすると魂が抜け出してしまうと考えるからだという。訳としては「お大事に。」あたりが妥当なことば。
 一応、辞書で「Bless」を繰ると、他の項目に「Bless me 」というのもあった。これの直訳は、当然「私にご加護を」。これは「おやおや」「しまった」「とんでもない」という意味になるらしい。映画ではよく聞く、ちょっと下品な「damn(ダム)」「Goddamnit (god damn it )(ゴッダム)」(「ええぃ、糞!」)などと同類の言葉らしいとあたりをつけて、またALTさん聞いてみた。
 すると、ALTさんは一瞬聞いたことがないという態度をみせてから、ああ、あるけどそれは古い言い方だと、思い出したかのように付け加えた。
 そういえば、私たちの世代、高校時代に、土砂降り雨の形容を「キャッツ・アンド・ドッグス」と習ったけれど、あれも余り使われていない言い方らしい。それと同じようなものかもしれない。辞書にはあるが、まず使わない言葉。語学はホントに難しい。
(英会話が堪能な人にとっては低レベルな話題かもしれませんが、そんな語学力の人の日記ですので、その辺りご容赦を。)

 

 2009年01月24日
  (おまけ)
  キャロル・キングの「君の友達」を訳した際、「Keep your head together 」というところが訳せなかった。
「頭をキープ? ツゥゲザーって、何を一緒にするの?」 
 そこで、ALT(外人語学教師)さんに聞いた。どうやら、頭をカーッとさせず、冷静さをキープしろということらしく、「ドント、パニック」に近いニュアンスという。そこで私は「慌てずに」と訳した。
 教材になるくらいだし、本当に簡単な単語の歌詞なので、楽勝だと思って訳してみたのだが、それでもこんなもの。ALTさんがいなかったら、そこでストップして、この記事はできなかった。
 言葉は、単語の辞書引きだけでは判らないことがたくさんあって、厄介だ。
 2009年01月23日
  (つづき)

 そういえばと、以前この日記で触れた沢田研二の「君をのせて」(岩谷時子作詞)も心に浮かんだ。

 

「君のこころ塞ぐ時」、「ひとの言葉、夢のむなしさ」知った時には、「粋な歌をうたい、君をのせて夜の海をわたる舟になろう。」という詞。

 

 この歌、前は男と女の歌として読んだ。だが、元々は男同士の歌なのだという。確かに「皮の靴をはいて、肩と肩をぶつけながら」というあたりに、はっきりそれは感じられる。
 三つの曲、どれもラブソングとして読むことも可能だが、共通しているのは、性別とは無関係に、傷ついた友人に手を差しのべる「連帯」の気持ちである。ストレートな「ヒューマニズム」と言い換えてもいい。
 LP「明日に架ける橋」は一九七〇年の発売。LP「つづれ織り」は翌一九七一年。沢田研二のシングルは同年十一月リリース。
 あの頃、米国はベトナム戦争が泥沼化していた。ジュリーのは安保闘争終焉の頃。だからこそ、音楽の上では、こうした「愛のメッセージ」が充ち満ちていたのだろう。
 あれから四十年近くたつ。私の心の中で、急にあの頃の時代の気分がふわっと入り込んできて、懐かしくも切ない気分に襲われた。

 

 

 2009年01月18日
  あの頃の気持ち

 昨秋、キャロル・キングの「君の友達」を使った英語の授業を見学した。名盤「つづれ織り」の中の一曲である。LPの原題は「タペストリー」といい、当時、この言葉は一般的でなかったので、日本語に訳したタイトルになったのだろう。ある人曰く、「今じゃ、日本語の方が意味が判らないよ。」と。確かにその通り。
 その授業中、私はこの歌詞のことばかり気になった。

 

 「君の友達(You've Got a Friend)」

 

あなたが落ち込んでいたりトラブルに巻き込まれた時、
だれかに心癒してもらいたい時、
そしてすべてがうまくいかない時、
目を閉じて私のことを思ってみてほしい。
私はすぐにあなたの元へ駆けつけるでしょう。 
あなたの闇の夜を明るく照らすために。

 

もし、あなたの頭上の空が暗くなり、雲に覆われて、
あのいつもの北風が吹き始めたならば、
慌てずに私の名前を声に出して呼んみてほしい。
あなたは、すぐに私がドアをノックするのを聞くはずだから。
               (キャロル・キング作詞、拙訳)

 

 これを頭の中で日本語に訳しながら、どこかで見知った歌詞だぞという気がしてならなかった。程なく気がついた。サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」とよく似ている。

 

「明日に架ける橋(Like a bridge over troubled water)」

 

君が疲れ果て、惨めに感じられる時、
涙が瞳にあふれる時、僕がその涙を乾かしてあげよう。
僕は君の味方。たとえ、辛い時、友だちが見つからない時でも、      
逆巻く水に架かる橋のように、僕が横たわってあげよう。     
逆巻く水に架かる橋のように、僕が横たわってあげよう。     
                                      
君が落ち込んだ時、通りに放り出された気分の時、辛く思う夜が来た時も
僕が君を慰めてあげよう。僕がその痛みを分かち合ってあげよう。
暗い闇がやって来て、傷みで心が充ち満ちてしまった時、
逆巻く水に架かる橋のように、僕が横たわってあげよう。   
逆巻く水に架かる橋のように、僕が横たわってあげよう。
               (ポール・サイモン作詞、拙訳)

 

 S&Gの大ファンだった私は、何度この曲を聴いただろう。水のイメージの有無こそあるが、落ち込んでいる友に手を差しのべる「共生」の精神はまったく同じ。「When」「down」「troubled」など単語の選択にも共通性が見られる。(つづく)

 2009年01月17日
   木槌と金槌
 漱石のことだから、もうとっくに指摘されていると思うが、自分としてはちょっとした発見だったので、書いておきたい。
 「夢十夜」の中の「第六夜」を授業でした。運慶が明治の世まで生きていて仁王制作に鑿を振るうという例の話である。主題は明治の表層性を嗤う文明批評。木の中に仁王を隠しているのなら、簡単だと自分も彫ってみたが、ついに明治の木にはないと悟るという結末で、それまで芸術を解する側にいたかに見えた作者の分身「自分」が、実は、他の明治の人間同様、何も判っていない人であるとボロを出すところで終わる。少々韜晦気味で、そのあたりも漱石らしい。
 そこで、何に気がついたかというと、運慶は鑿と槌(つまりは木槌)で彫っている。ところが、「自分」は金槌で鑿を振るうのである。重い金槌は繊細な木工細工には適さない。明治はぴょんぴょんと飛び飛びに外発的発展を遂げてきたと漱石は指摘しているが、その明治の蛮勇を象徴しているような小道具が面白い。効いているなあと感心。
 あれ、どこからか、そんなことも気がつかずに人に教えていたのですかと呆れられそうだ。
 2009年01月12日
  加藤と吉本
 昨年暮れ、加藤周一が亡くなった。八十九歳。その昔、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑の休憩ベンチで岩波新書の「羊の歌」を読んで、あの圧迫された時代に、よくこれだけの広い視野と自由な精神を失わなかったものだと感嘆した覚えがある。一九七八年、加藤周一著作集が平凡社から出た時も、配本毎に買い続けた。場合分けのはっきりした明晰な文章を書く人で、いかにも理系の人の文章という気がしたものだ。
 彼の「文学とは何か」(角川書店)も、当時、それこそ文学とは何なのだろうと文学論や文学史論をさかんに読みあさった中の一冊として懐かしい。そういえば、その頃読んで勉強になった「古代文学史」(岩波書店)の著者西郷信綱も昨年九月に亡くなっている。
 液晶テレビが我が家にやってきた日の夜、もの珍しいので、テレビのチャンネルをぐるぐるまわしていたら、吉本隆明が講演をしている映像にあたった。第一印象は「お爺さんになったなあ。」というもの。車椅子で、手振り大きく話している。収録時は八三歳だったという。饒舌だが、声が年相応に弱い上、内容が「芸術の価値」についての論考で、ぼんやり聞くには難しく、見た目の印象ばかりが記憶に残った。
 全共闘世代の理論的な支柱として活躍したイメージがあるので、加藤周一と五歳ほどしか違わないことを意外に思った。下って、我々の世代になると、共同幻想論やマス・イメージ論の印象が強い。
 テレビでは、糸井重里に、講演時間の超過をたしなめられていたが、吉本は、ここ五十年考えてきたことを話しているのだからと言い訳をしていた。本人としても総決算のような気持ちで話していたのだろう。
  新しいテレビが我が家にやってきた日の吉本隆明。私は長く覚えているだろうか。
 2009年01月11日
  さようならブラウン管

 昨春、我が家で二十年間活躍したテレビが壊れた。以来、我が家はテレビのない生活をしてきた。もっとも、ラジオの音声でNHKを聞いていたし、いざとなったらパソコンを立ち上げ、ソフト変換方式でザラザラな画面を視聴できたので、まったく遠ざかっていたのではないが……。
 一度、雨にあたって基板が壊れ、修理するまで一年以上、テレビを観なかった時期があった。その間、阪神淡路大震災があって、高速道路倒壊の有名な映像をかなり後になるまで知らなかったのが、ちょっと世間様からズレていると感じた点。まあ、困ったのはその程度であった。そうした経験があるので、今回も特に買い替えを急ぎもしなかった。
 今度の液晶テレビも、売り場で較べると、確かに高いものほどきれいだが、普及タイプでも我々には充分と
お手頃価格のものを購入した。二十五型が三十二型になったが、横幅が伸びただけで、縦画面はほとんど以前と変わらない。
 それにしても、先代のブラウン管は長くもった。結婚後も当座は小さなパーソナル型ですませていたので、これが事実上初代のリビングテレビだった。もし、この二代目が二十年もったら、我々は見事に爺婆である。そう考えると、ちょっとクラクラした。
 愚妻は、貴方はインターネットに興味を示すとずっとやっている。テレビも、ケーブル経由になってチャンネルが増えた時、延々と見続けていたことがあった。だから、またずるずるとテレビを見続けるのではないかと、今から警戒ぎみである。
 さて、どうなることやら。

 2009年01月10日
  「栄光のルネサンスから華麗なロココ展ーエル・グレコ、ルーベンス、レンブラント、ナティエー(from Renaissance to Rococo)」を観る
 先の正月休みに、県立美術館で開催されている上記美術展を観に行った。ルネサンスからバロックを経てロココに至る絵画を集めた絵画展の初日。この日、北陸の一月としては、青空が見えて、寒いながらも太平洋側のようなすがすがしい陽がさしていた。
 聖書から材を採った宗教画や、貴族の肖像画が多い。全体的な印象として、実在の人物だろうが非実在の人物だろうが、差はほとんど感じなかった。時代は三つにまたがるが、それよりヨーロッパ絵画としての連続性のほうを強く感じた。
 貴族の肖像画では、当時の服飾に興味を持った。男性も胸まである長髪、立襟の途中でかっきりと水平に折れた硬そうな襟。女性の車輪状になった見事なまでの深襞襟。あんな大きな輪っかの襟をしていて、食事はどうしたのだろう。
 現代、男は背広とネクタイをする。当時の貴族は当時の貴族の服を着ている。当たり前である。しかし、今の目で観てみると、何でこんな服なのか判らない格好である。今のネクタイだって、何故こんな長いぴらぴらしたもので首を締めるのか、後世の人が見ると不思議がるかもしれない。
 何百年前の貴族が、正装でおめかしして絵師に肖像画を描かせる。そして、その絵は今に残り、ネクタイとスーツ文化の人たちに鑑賞される。そんなことになるなんて思いもよらなかっただろう。
 格好は昔だが、お顔は今でもどこかにいそうな顔をしている方ばかり。あなたはどんな方ですか、どんな気持ちでポーズをとっていたのですか、あなたの生きた時代はどんなだったのですか。一枚一枚の貴人に、心でそんな声をかけながら紳士淑女たちの肖像の前を歩んだ。
 単調な画面構成ばかりだが、肖像画というのは、何だか吸い込まれるような魅力があって、飽きない。
 2009年01月06日
   おてつぎ会

  我が家は、長い間、仏教からご無沙汰していた。
 ここ一ヶ月半、御坊さんより浄土宗の考え方をお聞きしたり、買い物に行った仏具屋さんから智恵を授かったりと、急に自分の宗派について意識するようになった。ここ石川は浄土真宗大国なので、ほとんどの葬儀は真宗さんのやり方で進む。なので、自分がこれまで参列した葬儀とそこここに違いを感じた。
 浄土宗といえば、私は、子供の頃、御坊さんに誘われて、総本山知恩院がやっている「おてつぎ会(おてつぎ子供奉仕団)」に参加したことがある。お経を唱える練習など、様々な行事の合間、大鐘楼の鐘にぶらさがって遊んだりした。確か、法然が修行した比叡山元黒谷青龍寺で一泊して、本堂の法然上人像の真下で寝て、ちょっと怖かった思い出がある。ネットで調べると、今も同様の内容で実施されているらしい。
 そうした子供の頃に習った知識や経験が、このところの一連の行事の中で、ふっと思い出されて、それでこうだろうと判断して動いた部分が自分にはある。「雀百まで」みたいな話だが、それで特に大きく間違ってはいないようなので、人の、
子供時代に定着した意識の強さを痛感する。

 2009年01月05日
  はっきり名乗る

 自分が当事者になって、今後、人のご葬儀の時、気をつけようと思ったことがある。それは、お悔やみでは、しっかり自分の身分や故人との関係を名乗るということ。私は、今まで「この度は、ムニャムニャ。」で済ませていた。
 そういう場合、遺族は、誰か判らないまま、頭を下げている可能性がある。家族は御本人自身を知らなくても、お名前や、そういう方とお付き合いがあったということくらいは知っている。だから名乗って戴けると、ああ、あの方かと心を込めてご挨拶することができる。
 御遺族のどなたかとの関係で参列している場合は問題ないが、故人との付き合いだけで、御家族の方を知らない場合は特に気をつけるべきだと思った。
 また、お香典の袋に、故人との関係が判る情報、例えば、肩書きや裏に「中学の友人」などと書いてあるとよい。
 住所も、郵便番号・番地までしっかりと。実際、数人の方の住所に行き着かず、電話帳をひっくりかえしたり、当てずっぽうに電話をして確認したりして、手間がかかった。
 これまで、香典袋に色々書くのはお上品ではないという意識があったが、遺族のためにも、必要と思われることは書いておいたほうがいい。
 小さなことかもしれないが、結局は、思いやりということになる。自戒。

 

 2009年01月04日
  普通の敬語で

(正月休みの間に、葬儀がらみでつらつら思ったことを幾つか書いてみた。数日、お付き合い願いたい。)


 通夜と葬儀の時、参列者に渡す礼状は、雛型に氏名や日付などを入れるだけで完成する。打ち合わせの時は慌ただしく、そのままOKを出してしまったが、諸々終わって、まじまじとその書面を見ると、過剰な敬語を連ねた、まだるっこしい悪文であった。ご香典の礼を述べた文の後に、わざわざ来られた礼を述べているなど、話の順番もおかしい。ああ、もっとシンプルな文章になおしてもらえばよかったと思ったが、もう後の祭りである。
  年末、忌明けの返礼品に添える挨拶状の文面を考え、プリンターで印刷した。以前いただいた既製の挨拶状を参考にしたが、これも馬鹿丁寧で、親しい人に配る文面として、あまりに余所余所しい。今はもうほとんど使わない堅苦しい漢語も目につく。私は、敬語の数を減らして、すっきりした文章を心掛けた。和紙と封筒も文具店に行って自分で選んできた。
 ギフト業者のカタログから注文すると、こうした作業はすべて代行してくれるらしい。だが、我が家はそれをしなかった。
 昨日、初売りセールで混雑するデパートに赴き、地元で評判の良い品を選んで、その礼状を同封して発送した。
 少し手間をかけた。だから、どうということでもないけれど……。

 2009年01月03日
  ことさら流すということ

 久々に「日本語八つ当たり」の話題。
 年末、民放ラジオを聞いていると、その番組を提供している地元企業の経営者が一年間の総括を語っていた。コメントを短くつないで数分に仕立ててある中で、その方は「じゅんぷうまんぽ」と言い間違えていた。
 よくある勘違いの部類だが、気になったのは、なぜ、わざわざその部分を使ったのだろうかということ。インタビュー時にもう一度録り直すか、その部分は使わなければいいではないか。放送局が、お金を出してくれている人のイメージ低下を促進しているような具合になってしまって、営業上もまずかろうに……。
 昨日は昨日で、新年のメッセージが入ったといって、若い女の芸能人のコメントが流れた。
 「今年は丑年だから、とつうしもうしん? ほら、なんかそんな四字熟語があるじゃないですか、それみたいに、突進していきたいと思いますので、応援宜しく。」
 彼女にとって丑年は、ゆっくりのんびりの象徴ではなくて、角を突き出して盲進する闘牛のイメージらしい。それはそれで面白いのかもしれないが、四字熟語としては、猪と牛がごっちゃになって、もう滅茶苦茶である。
 これも、録音音源。生放送で言い間違えたというのは仕方がないが、なぜ、こんな恥をかいている発言をことさら満天下に流すのだろう。放送局として、今時の若者の発言はこんなものだろうといった軽視が潜んでいるような気がする。あるいは、「お馬鹿キャラ」全盛の悪弊かも……?
 どうも中年のおっさんには、そのあたりの「言語感覚」がひどくひっかかる。ちゃんとした日本語を放送で使うのは、アナウンサーの仕事ばかりではない。現場で采配しているディレクター自身が、更なる言語感覚の向上と、言葉を提供している人としての使命感を、もう少し高めてもらいたい思うのは私だけだろうか。

 

 2009年01月02日
   祖母の傘

 賀状の仕分け作業がないため、いつもより静かな元旦だった。

 大晦日、実家の大掃除をしていて、父が管理していた祖母のタンスを開けてみた。和服や免状、祖父の軍服などが入っていた。傘が何本もあったので、開いてみたが、特に傷んでおらず、充分使える。使えるどころか、実にしっかりした作りで、驚いた。プラスチック部分がない。すべて金属でできていて、何十年もたっているのに錆や腐食もない。ぶ厚くメッキされているのだろう。可動部分の作りも頑丈で、太い糸で骨と布が手縫いされている。
 昔は、ものを大事に大事に使っていたのだろう。愚妻は、そういえば、あの頃、生地の張り替えもしていたわねえと、私が忘れていたことを付け加えた。
 身の回りのものには、使い捨てで充分ということになってしまったものがいくつもある。傘はその代表例。大事に長く使うという扱いから、いつのまにか転落してしまっている。
 本日は、妻の一日里帰り。私はひとり、生地を拭き、金属磨きで光沢を戻して、傘を生き返らせた。女性向きの小さな傘ばかりだが、老いてから購ったものばかりなので、地味な色合いで、男の私が使って問題はない。日頃使いで使うことにした。
 大掃除から以降、私は気持ちの上で父の後ろにいた祖母のことを思い出している。まだ本格的な父の遺品整理には至っていないので、その分、その前のばあちゃんのことを思い出しているのかもしれない。

 2009年01月01日
  二〇〇九年 謹賀新年 

 明けましておめでとうございます。賀状は欠礼いたしましたが、今年も宜しくお願いします。今年一年よい年でありますようお祈り申しております。

 

[1] 

お願い

 この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。

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