ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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読売新聞に連載され単行本となったキーンの自叙伝。時間に沿いながらも一回ごとにテーマを決めて書かれているので、話がすっきりとして判りやすい。前半は「『青い眼の太郎冠者』(中央公論)などで既知の話だろうと、戦後、文学者との交友のあたりから読み始め、終わってから、はじめに戻って前半を読んだ。 ここのところの彼の本は、『明治天皇(上下)』(新潮社)の上梓(二〇〇一年)以外は知らなかったので、その後、あまり有名にならなかったものの、心血を注いだ二著があることを知った。 前半でも、収容所時代、持ち前の能力の分担で、小樽育ちで会話が堪能なオーティス・ケーリが直接の尋問を担当し、キーンのほうは主に書類担当だったことなどが明かされていて、成る程と思った。ケーリの日本語の上手さは、あの頃のことについて書かれてある本によく出てくる。 キーンにとって、角田柳作の学恩深く、ケンブリッジ大のセルゲイ・エリセーエフ(漱石の門弟として有名)に対しては、はっきり失望したと書いてる。そのあたり、八十才をとうに越え、多くの関係者が鬼籍の入られた人らしく、忌憚なく評価を語っている。現存の人でも、大江健三郎とは、途中から理由不明で仲良くしそこねたと、これもはっきり書いてある。 彼の講演は何度も聞いた。それでも、十年ほど前、埼玉であった「不易と流行」を論じた国語の大会の記念講演が最後。「不易」も大事だが「流行」も大事、その両方の要素があってはじめて作品が残るという趣旨だった。まったくその通りで、判りやすい解説だと納得しながら聞いていたことを覚えている。 連載は 二〇〇六年のときのもの。今を語った部分で、健康であると記されている。キーン一九二二年生まれ、今年八十七歳。 (この文章を書くに際して、戦後日本の再建に尽力した同志社のオーティス・ケーリが、二〇〇六年亡くなっていたことを知る。合掌。)
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