ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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一昨日、何気なく、この秋、地元でどんなジャズライブがあるのだろうと「もっきりや」のHPを覗いたところ、明日、ピアノとベースのデュオに中本マリがゲスト出演するという。もう出会い頭という感じで、一年ぶりにライブハウスでジャズを聞いた。一週間前に急遽出演が決まったようで、まさに偶然の出会いである。 最初の二人の演奏は、ベテラン岡田勉のベースを中心に中堅後藤浩二のピアノが絡むという流れ。岡田は早いベースラインを弾きながらユニゾンでボイス入れるので、なかなか賑やかなソロであった。ピアノもスインギーで申し分ないが、個人的にはもっと左手が強力のほうが好みである。
お目当ての中本は、七十年代、TBM(スリー・ブラインド・マイス)レーベルのアルバムあたりのイメージがこちらにはあるので、あれから四十年近く、それなりのお歳になっているだろうとは想像していたが、髪は銀髪、とくに染めもせず、胸板・ウエストもしっかりある、やや豊満なスタイルになっていたのに驚いた(彼女のHPの写真は一体いつ頃のだ??)。女性は変貌する。髪を染めないというのは、自然体でいこうということなのだろう。ボーカルスタイルも、ディープでしっかり声を張る黒人風のスタイルで、重く太い声になっていた。これも、こちらの勝手なイメージと違っていて、長く歌い続けた大ベテランになられているのを実感した。岡田とは二十歳代からのつきあいだという。 「サマータイム」「グッドモーニングハートウエイク」「ソングフォーユー」などの有名曲以外は、有名曲ちょっと下レベルのスタンダード曲が多く、いわば通好み。 一週間前からの告知でどれだけの客が集まるのか心配したが、ボーカルレッスンの教え子さんらしききらびやかな女性客も混じり、座席はいい感じに埋まっていた。 合間の休み時間、指に包帯をしていることを見つけた馴染み客が、彼女に「ユビ?」と問いかけたところ、「指、そう無いス(ユービーソーナイス)。」と答えたそうで、横でそれを聞いた愚妻に地味に受けていた。何ともジャズ歌手らしいジョーク。
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「リング」などのベストセラーでで有名な小説家による日本人論。藤原正彦の論に異論を展開するかたちで、豊富な例を出しつつ、はやく日本人的情緒から脱出して論理におもむかねばならぬと説く。作者は、日本人は「なあなあ」でいかに失敗しているかを痛感しているようで、それはそれで実によくわかる話。教員免許制度の問題点などの具体的な話は一刀両断的な明快さを感じる。ただ、論理という言葉に収斂させただけで終わっているところが物足りない。読んでいて、反論しているようではあるが、結局、藤原さんと同じ土俵でしかないのではという気になった。
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TVのCMを見ていて気づいた。出てくるのは女性ばかり。そこで、CMに出てくる男女比を、「女」「男」と声に出しながらチェックしてみた。間違いなく圧倒的に女性である。男性は、出てきてもファミリーの一員という扱いがほどんど。稀にイケメン俳優である。みな見目麗しき方々ばかり。 この夏も清涼飲料水のCMで、十代の娘が、制服とおぼしきスカートをばたつかせて浜辺でジャンプして活発に動きまわっているものがあった。そのスカートのばたつきで「若さのエロティシズム」を表現して、世の男性の目を引きつけようという作戦なのがよく判る。 今、メディアのこういう所は、どう分析されているのだろうと、この本を読んでみた。この本、ジェンダーの立場から、現代メディアの状況を、これまでの学者の説を紹介しながら解説していく。まったく、ジェンダーの立場からしたら、現代のメディアの有り様はそう映るだろうなと思う内容であったが、切る刀が単一なので、金太郎飴のようで読み進むにつれ、もういいかなという気になった。 愚妻にこの話題を振ると、よく観ている家のリフォーム番組でも、最後は新しい家で、奥さんと娘さんが仲良く台所で料理をしている場面が多く、旦那さんと息子さんが料理を作っている映像など見たことがないという。子供も男の子はテーブル側の人。まるで、それが正当で動かさざるべき「幸福の構図」のようになっているので気になっていたという。 なるほど、男はそのあたり鈍感だ。芸能レポーターが婚約した男に向かって、「彼女の手料理で好きなものは?」とかならず聞くが、その逆はないとこの作者は怒っているが、確かにマスコミがまき散らす男女観はえらく保守的のようだ。
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NHK「BS20周年ベストセレクション」は、今日が敗戦記念日であることを意識してか、二本、戦争を背景にした番組を再放送していて、視聴。深く感銘した。 一本目の「食は文学にあり・荷風と谷崎・終戦前夜の晩餐」は、谷崎と荷風の戦中期の交友と各々の生き方を「食」を中心に紹介しながら辿っていくというもの。「食」をキーワードのしたところが現代的である。疎開日記や断腸亭日乗などで触れられている食物が料理番組よろしく湯気をたてた映像として紹介されていく。谷崎の美食ぶりや戦時中の食料確保がいかに大変だったかが、それで実感される。晩年、荷風の愛した大黒屋のカツ丼も、グリーンピースの載ったごく普通のもののようだ。 市川の自室で、うつ伏して頓死している荷風の死亡写真が最後に出てきたが、これは初見で、少々衝撃的であった。 二本目の「あの夏〜60年目の恋文」は、昭和十九年、教生として一ヶ月半小学四年生の男クラスを受け持った女先生に淡い恋心を持った一人の男の子が、六十年後、老婆となった彼女と文通・再会する物語。 当時のことは、再現ドラマとして役者たちによって演じられ、老婆爺となって文通・再会を果たすシーンは、本人が実際に出てきてドキュメンタリー風に描く。この部分、素でインタビューに答えている場面もあるが、ちょっと前の自分を自分自身で演技している部分もあり、そのあたり、虚実皮膜で話が進む。 お話の構成として斬新だが、一歩間違えると白けたものとなる難しい手法で、うまく映像化しているものだと感心した。 ここ数日、戦争特集として幾つかの番組や特集があったが、現代史おさらい番組や核兵器の可否などといったものより、背景として戦争があり、それが人の営みを大きく左右してしまう、「人が生きる」ことを描いた作品のほうに深く心動かされる。当然か。
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美術展報告をまとめて……。 五月に七尾市に所用があり、合間に七尾美術館にて長谷川等伯展を鑑賞。前回の久蔵の梅図ほどの大作はなく、少々地味な感じだったが、大振りな屏風絵何枚かあり、それらがメインということになろうか。こうも毎年のように観てくると、等伯一派の筆の特色に少しは気づく。大胆さと緻密さが同じ画面の中で同居していると私は思っているが、当たっているだろうか。 同じく五月、石川県立美術館開設五十周年記念として「近代日本美術の精華〜東京藝大美術館コレクションを中心に」展を鑑賞。十年近く前、谷中・根津・上野散策をした折り、所蔵展をやっていてので見学したことがある。あの時に観た作品にも幾つか再会した。ポスターになっている高橋由一「鮭」、松田権六の卒業制作「草花鳥獣文小手箱」などは間違いなくあの時にも観ている。今回、県の美術に多大な影響を与えた作品や、ゆかりの作品に力点が置かれているところが地元的であった。 この八月、「オルセー美術館・フランス国立図書館所蔵 フランスの浮世絵師アンリ・リヴィエール展」を観た。十九世紀末、ジャポニズムの大流行で、浮世絵に多大な影響を受けた画家、アンリ・リヴィエールの版画や水彩画などを紹介する展覧会。先日、北斎館を訪れたばかりだったこともあり、やはり、北斎や広重などの浮世絵と類似した構図やモチーフがところどころに感じられるのが、逆輸入的で興味深かったが、仏蘭西の田舎を飽かず描く彼の後年の水彩画を続けて観ているうちに、風景画家というのは、洋の東西を問わず、視点に共通なものがあるからこそ惹かれたのではないかという気持ちがしてきた。影響というよりその共通性の確認ということこそ重要だったのではないかと思ったのだが、どうだろうか。
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昼、志賀高原に上がる。二十年近くぶり。その間にオリンピックを挟んでいるので、道は劇的によくなっていた。横手山頂(2305m)を目指す。以前はスキーで来て、最後のリフトが断崖絶壁で怖かった思い出があるので、今回、夏にリベンジである。動く歩道の斜め版(スカイレーター)と、ぐっと安全になったペアリフトで、腰の悪い私でもお気楽に登頂できる。 ここには日本一高いところにあるパン屋さんがあって、あの当時から有名だった。あの時、食べられなくて残念だったので、しっかり名物のボルシチ、露西亜キノコ風スープとともに戴いて、これもリベンジ完了である。 それにしても、あれだけ繁盛していた各ロッジが、夏季とはいえ皆ひっそりしているのに一抹の寂しさを覚えた。どこのレストランも一杯で、車が溢れんばかりに止まっていたあの頃の記憶。一つの時代が過ぎ去ったのだろう。 雲行きが怪しくなり、車で下っている最中に土砂降りとなる。雷鳴が轟き、山道は川状態。ワイパー最高速でも前が見えぬ状態となった。途中、道に落石もあり、心細さ限りなし。慣れぬ新車のハンドルにしがみつき、這々の体で、下界、中野市内に戻る。 この日は妙高高原池の平で泊。毎年のようにスキーで訪れていたいきつけのペンションだが、スキーが出来なくなってからははじめて。ここに戻ってくるもの今回の大きな目的であった。宿は昔とかわりがなく、マスターと思い出話に花が咲いたが、子供だった御子息が高校生になっていたのには年月を感じた。 翌日午前、上越市、高田城址公園の蓮まつりを堪能して、日の高いうちに帰る。 この旅、新しいところ半分、再訪半分の旅であった。昔元気に動いていたところに再度行けたことが私にとって大事な意味がある、でも、それだけでは後ろ向き。新しいところの観光もする、そんなバランスで成り立っていた旅だったのではないかと、後から思った。
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七月上旬の北海道行きがまがりなりにもできたので、それに力を得て、夏休暇、信州へドライブ旅行をした。前日に宿をネットで探して申し込むという場当たり的計画だったが、この不況のご時世、すぐに空き部屋が見つかってしまうところが昔と大きく違う。 一日目は、小布施散策。まず北斎館。葛飾北斎が、晩年、高井鴻山なる土地の豪商の知遇を得て、この地に逗留して作品を描いたことを初めて知る。横にある鴻山邸宅も見学。絵もよくした幕末の郷士である。昼は、お決まりの栗おこわ。お土産も、栗かのこ、栗の焼酎、栗蒸し羊羹と栗尽くし。普通、初日から土産をどんどん買うのは避けたいところたが、車である上に、今度の旅程で一番はっきりとした名物のある土地柄なので、どんどん買っていった。自分用には、小さな地元ワイナリーでノーラベルの普段使いの白……。 宿は湯田中の渋温泉。二度ほど横を通りすぎたことがあり、一度泊まりたいと思っていたし、亡父も泊まったことがあって、彼の口から何度かこの温泉の名前を聞いたことがあった。鄙びた温泉旅館街で、ここに泊まるのを今回のメインにした。野沢温泉と同様、外湯があり、夕方と翌朝を使って、九湯とも巡った。野沢の時はちゃんと全部入ったが、今回は、湯疲れを警戒し、覗いただけで、手拭いに証拠の印を押した手抜き箇所が幾つか……。 翌日、宿の薦めもあり、地獄谷野猿公苑へ行く。雪の中、温泉に入る猿の映像はCMなどで有名だが、あれはここの猿だという。人間がマナーを守っているので、攻撃的でもなく媚びも売らず、つかず離れずのいい感じで、久しぶりにシャッター沢山押した。(つづく)
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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