ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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今日は寒いと天気予報が告げる日、暖かい格好をして職場に行くと、暖房がしっかり焚いてあって逆に暑かったりする。通勤距離の短くてかつ車の私は、帰りも体が冷え切る前に家に着くので、あまり寒いという印象がない一日となる。 反面、今日は弛むという日、少し薄手の格好をしていくと、暖房が早々に切られて寒い思いをしたりする。そんな日に限って外に出る用事があったりすると、それでも外はそれなりに寒いので、私の中ではその日はえらく寒い日とインプットされる。世の中の寒暖と関係ない自分の感覚。だから、外にとめてある車の温度計を見て、なるほどと思う時と、へえ、そんなに寒いのかなと思う時が入り交じる。建物の中の温度が外と連動せず、人工的に調節されるから起こる現象。現代人は、生き物の感覚と遊離して、えらく体調を崩しやすい環境にいるのだなと思わせたここのところの寒暖の差であった。 それにしても、弛んだ日の温度は春めいていて、ちょっと上がりすぎ。そのあたりに温暖化の影響があるのだろう。「昔は弛んだといってもここまであたたかくなりましたっけね?」と同僚と会話を交わした。 この前、額を棚の開き戸でぶつけた。数日後、皮膚が粒々の炎症に変わって偏頭痛がするようになった。そこで職場近くの医院に行くと、もともと体にいる菌が神経について悪さをしているとのこと。ぶつけが直接の、疲労・老化が間接の原因らしい。もらった処方箋を時々いく調剤薬局にさし出すと、この薬は置いてないので、その医院の隣にあった薬局に行くように言われる。しかたなく再度戻る。素直に付帯施設化しているところに行けばよかった。初めてのそこでは、待っている間にお茶が差し出された。 薬の支払いは、塗り薬と飲み薬数種で八千円超。さすがに驚く。保険適用しないと二万六千円を超える。迂闊に医者にいけない世の中である。 医者の説明やもらったパンフ、WEBの情報を総合すると、結局、痛み止めを飲んで安静にするだけらしい。対処療法だけで痛みがひどいときはブロック注射を打つ。悪化すると神経をおかしたりするようなので、ここのところ、出来るだけ静かにしている。 歳をとると、ちいさなことが結構一大事になりかかる。
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また、すべった話題。この時期の教育関係者の話題としては実に不適当(?)。 ジムの浴場でのこと。最近の風呂場には金属製の手すりがついていて、腰の悪い私は、大抵それにつかまって入る。ところが、今回、手がすべってバランスを崩し、危うく縁で腰を強打しそうになった。慌てて手に力を入れなおして、ぎりぎりのところで止まったので助かったが、何分、腰のことなので一瞬ひやりとした。 まだ私は中年なので力も入り何とか持ち直したが、もう二十歳も上だったら、止まらなかっただろう。 それにしても、なぜ、ああいう場所の手すりは妙にツルツルした金属製なのだろうか。表面加工でなんとでもなるはず。折角手すりがあっても、当事者には優しくない。 もう一つ、職場の階段。いつも使う一つは標準よりゆったりしていて、手すりを持たなくてもいい優しい造りだが、もう一カ所は標準的な勾配で、これは手すりにつかまっておりないと怖い。転勤当初から一部の箇所にガタが来ていることに気づいていたが、少しずつガタが大きくなってきていた。外れたら危険だと思って、先日、担当の方に増す締めしてもらった。 これまで誰も気がつかない。手すりを常時使っている私だからこそ気づく。そして、治す人が近くにいるからすぐに直った。 使っている人の声って大事である。あの何処でも見かける介助用のステンレスつるつる手すりバー。どこに言えば直るのだろう。
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以前、写真家の星野さんの本をザックに入れモンブラン山頂で彼を追悼した方の話を書いた。その方の名は田中康典さんという。昔、地元の書店に勤務され、現在は教育関係出版社の営業として、時折、職場に顔を出しに来られる。彼は県内唯一のアルペン山岳ガイドの資格を持ち、ここのところ、七大陸高山登山に挑戦されていた。 一年前、エベレストを制覇して、残るは一つとなっていたが、今冬、南極ビンソンマシフ(四八九七m)を攻略して、既に帰国したと、一月二日の地元新聞に出ていた。正月、実家でのんびり新聞を見ていて、大きく出ているのを見つけたのである。 以前、件の雑文を差し上げたところ、以来、動向を伝える葉書をいただくようになった。出発前にいただいた便りに書かれていた日程よりかなり早い帰国のようだった。お祝いの葉書を書いたのが少し遅れて、出すのも遅れたら、投函した翌日にご当人が我が職場に営業にこられた。そこで、間が悪いですがと、口頭でお祝いを申し上げた。彼の話のよると、すべてが順調にいって早く登頂できたのだという。 この冬休み、折からの荒天で国内では多くの遭難者が出たとニュースで伝えていた。そういう方々は休みをそこでしか取れないから無理をしたのだろう。切ない話である。 田中さんもお仕事を持っておられながらのチャレンジ。それだけでもいろいろなご苦労があったと思うし、五十八歳という年齢での制覇にも並々ならぬ「鍛え」の努力があったのだろうと思う。そうしたパワーのある方が身近におられるというのは、しがない勤め人にとっては本当にうれしいことであった。
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今週まとまった積雪があった。昨年はこれでいいのかと思うくらいの雪しか降らなかったので、久しぶりである。もう少し降り続くと町が混乱する一歩手前でおさまったのでよかったが、除雪のされない職場駐車場でのスタックを恐れて歩いて通勤した。 雪のために、これまでと違う町の様子が見える。大通りの歩道は意外に歩く人が少なく、裏の生活道路を歩いているものだとか、道から玄関にかけて足跡がまったくない家があって、空き家と知れるとか、この車は雪が被ったままで動かした気配がないなとか。そんな細かい発見をしながら、腰をかばい、すべらぬようヨチヨチと轍を歩いて進んだ。 帰りの夕まぐれ、車ならまず寄らないお総菜屋さんでおかずを購い、裏道を歩いていると、子供たちがまっさらな雪の公園で、ジャンプしたりわざわざ転んだりして雪に模様をつけて遊んでいた。 ああ、そういえば、自分も子供の頃、こうして道草しながら帰ったものだと思う。あの時代、今よりもっと雪が深かったし、除雪システムも貧弱だった。子供の背丈では雪の高さは目の前に迫ってくる。大人の靴跡に合わせて飛ぶように歩いたり、雪玉を転がしたり、いろんな小さな遊びを発明して時間をかけて家に帰ったものだ。 雪は夜の底を明るくする。空が暗くてもどことなく明るい、いつもと違う光の景色の中、いつもと違う帰り方をする。忘れていた雪の日の子供の自分を思い出し懐かしい気分に襲われたり、大人は除雪のことなどを心配しなければならないから、ただただ憂鬱なだけだけれど、もしそんな心配をしなくてもよいのなら、今でも子供のように雪と愉しくつきあえるかしらんと思ったりした。 いつもとほんのちょっと違う動きをしたここ数日。
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雪の夜、お盆を持ってお皿を取っていくタイプの外食チェーン店に入った。汁でもこぼれて油が付いたのだろう、レジ付近の床が滑りやすくなっていた。私は気づいて注意して歩いたので事なきを得たが、愚妻は見事にすべって、ずってんと転んでいた。 座席についた頃、店長とおぼしき若者が、大丈夫でしたかとやってきた。愚妻は「ええ、大丈夫ですけど、ちょっと滑りやすくなっていますよ。」とやんわりと注意を促したが、その人は、そのまま厨房の中に入っていった。 愚妻はそれを目で追って、マニュアル通り対応しただけなんでしょうねえとポツリ。結局、私たちが食べている間、誰も床の様子を見るなり拭くなりした従業員はいなかった。 また、誰か転ぶ。
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今年の成人の日は十一日(月)。なんとかマンデー法とやらで、「成人の日」が毎年移動するようになった。帰省の行き帰りも考慮して、前日の十日(日)に行った市町村も多かったようだ。昔は、左義長と成人式がパックで休日になっていたイメージがある。その左義長の実施日も、最近は統一がとれなくなった。 昔は、神社のどんど焼きに正月飾りを投入し、お餅を焼いたり、書き初めを燃やしたりして何時間も遊んだ覚えがある。今、教室で一くさり愉しかった思い出を話し、今の話は、年寄りの昔話だなと思う人はA、自分もそうした覚えがある子はB、今もちゃんと燃やしているという家はC。さあどれか手を挙げよとアンケートをとったところ、ごく数人BとCがいた程度だった。何十年もたつと、細々と続く伝統保存行事のような扱いになるかもしれない。 成人式も、最近は荒れて、祝辞中の演壇に一部新成人が上がり込んだり、進行を妨害したりする様子が毎年ニュースで流れる。見ているとこちらが不快になって他のチャンネルにかえたくなるくらい。救いは彼らを一喝した来賓に対して会場から拍手が湧いていたこと。新成人のほとんどがやはり苦々しく思っているのだと判ってちょっと安心した。 成人式は今やダーティーなイメージになってしまっているので、昔ほど芸能人が二十歳になったという芸能ニュースを流さない。それに今や二十歳になった時には盛りが過ぎている子も多いからと芸能レポーターがコメントしていて妙に納得した。今やそんな世の中である。 この日の夜、テレビの番組では、NHKをはじめ何局かで新成人向けの番組を流していた。頑張っている新成人の紹介や、野球の王監督から若者へのメッセージなどに暖かいものを感じた。 それにしても、ぐずぐずに崩れていく年中行事。こんなにないがしろにして、日本人は自分で自分の首を絞めているいるような気がするのだが、大丈夫だろうか。
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この作者のものを読むのは二冊目。「子供にしがみつかない」「生まれた意味を問わない」など十項目の括りで、精神科医として患者を診てきた経験から精神的に病まない生き方を語ったもの。各項目を通して判るのは、どうやら、こだわりを持たず淡々と生きていくのがいいと彼女は考えていること。ラストの「勝間和代を目指さない」なんていう見出しなど、実に今的で面白い。独身を通してきた自己を語っている部分が散見され、それもこの人らしい筆致。どちらかと言えば、彼女のような仕事を持った壮年女性向けである。
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吉原幸子「忘れた」という詩に「赤なら赤 ということばでふりかえる するともう 赤はない」というフレーズが出てくる。これは、その色を見た時には微妙な色あいまでしっかり直観的把握が出来ていたのに、「赤」というレッテルを貼って記憶の倉庫に入れた途端、常識的な「赤」の範疇に押し込めてしまい、本当の色の実感をなくしてしまうということなのだろう。 この詩を読みながら、私はインク工房のインクブレンダー石丸さんとのやりとりを思い出した。思い通りの色を作ってもらうため、こちらはイメージを説明する。それに基づいて石丸さんが基本となる色を作り、それから何度も試し書きをして、もう少しこういう色でと注文をつけ、根気よく微調整していく。実に地道な作業である。 この時、大切なのは言葉である。よりスムーズに思った色に着地するには、こちらの説明の仕方がいかに大事か、初めて行った時、痛感したので、二回目の時には事前にどう言うかをかなり考えて臨んだ。しかし、結局、紆余曲折、大迂回した。言葉を用意していてこれである。言葉が介在することの歯がゆさが、そこにはあった。 おそらく、あの時、石丸さんは、こちらの細かい注文のうち、矛盾して出来ない注文の部分はオミットして、お客さんが納得してくれるだろう大きなイメージのほうを大切にしてインクを調整していたような気がした。インクの特性というこちらのあずかり知らぬ部分もある。私自身も、こちらが細かい注文をすればするほど最初に言ったことと帳尻が合わなくなったのを感じた。漠然としたイメージで説明するというのは、あまりいい説明ではないと最初は思っていたが、実はそれが一番大事なのかもしれない。 自分がしっかり見た色でさえ、記憶というフィルターを通ったら怪しくなる。ましてそこに言葉という曖昧模糊なものが介在すると、正確に伝えることは至難の技。だが、人は言葉が頼りだ。 古典には本当に多くの色の名前が出てくる。今は和服の世界以外ほとんど使わなくなった色目の名も……。先ほど言った大雑把さを避けるには、細かく名前を設定していくのが一番判りやすい方法である。いにしえ人はそれに従ったのだろう。色の名前の多さは、つまり、みやび心の現れである。それでも「心を尽くしたる装ひども、数々には筆にも及びがたし。かかる色もありけりと、珍しく驚かるるほどになむ。」(おりゐる雲「増鏡」)などと書かれてある。 今、引用した部分は、後嵯峨上皇の高野御幸の様子を述べた箇所。お付きの装束の多彩な色を述べ褒めることは、そのまま盤石な御代を言祝ぐことになる。何とも色の世界は奥深い。
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人より何かと行動が遅くなり、迷惑をかけることがあるので、人より早めに行動を開始するなりして世間様に合わせようとしながらやっている。 四日から仕事は始動していたが、会議や予習中心で、今日より通常の動き。 午前、教壇でテスト監督。机間巡視したり、仕事の段取りをメモったり、考え事していたりして一区切りついて時計を見たら、もうテストの終わりの時間。どうしてもそのくらい時間を消化したとは思えず、もう一度時計を見たくらい。 会議とかでエンジンをかけたつもりでいたが、どうやら体は休みモードのままだったらしい。 世間の時計と私の時計。世間の物理的時間と違う時間の流れに自分が乗っかっているということをはっきり感じて、違う歯車が二つ廻っているイメージを思い描き、なんだか面白かった。 世間の時計のほうが早すぎる。私の時計に合わせてくれたら私は助かるのになあと思いながら、チャイムで、その夢想は断ち切られた。 ああ、指示しなければ。……「はい、鉛筆置いて。」
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「義経記」の予習をしていて、なんだか「勧進帳」そっくりな話だなというのがあった。「如意の渡しにて義経を弁慶打ち奉る事」なる章段。「義経記」には同じような話が何度も出てくるのだろうかと思って調べると、話は逆で、この話が後に能「安宅」や歌舞伎「勧進帳」に発展したもので、「義経記」自体に例の安宅の関でのやりとりの話はないのだという。 「如意の渡し」は小矢部川にあったらしい。石川で有名なこの話のもともとは富山の話ということになる。そもそも「義経記」自体が事実から百年のちの成立で、全面的に記述を信用すべきものではないが、安宅の関での出来事は架空ということは間違いないようだ。 「義経記」では、叩くのは扇子であって錫杖ではないし、渡し守は義経と知らぬまま通してしまう。当然のことながら、「勧進帳」のほうがより劇的な操作がしてある。 それにしても、子供の頃に遠足で訪れて刷り込まれ、富樫、義経・弁慶主従の銅像も建っている地元で有名な古典ゆかりの場所が、後年の作り話だったというのは意外で驚いた。赤穂浪士の討ち入りの事実があって「忠臣蔵」があるといったレベルの潤色で出来上がっているものと思っていたのである。 芥川龍之介に「狢(むじな)」という短編がある。娘が恋する男の唄を親に誤魔化すために狢の声だと嘘をついたことが、ついには世間全体に信じられるようになったという話である。作者は最後に言う。「すべてあるということは、畢竟するにただあると信ずることにすぎない」と。 また、少し話は違うが、親孝行で有名な曾子の、その母のことも思い出した。「戦国策」に出てくる話。誤って「曾参が人を殺した」と母に嘘情報を持ってきた者がいた。母は信用しなかった。しかし、三度同じ報告が来るに及び、あれだけ信じていた母も大慌てしたという。嘘であっても何度も言われると人は信じてしまうという話である。我々は何度も何度も「勧進帳」の話を聞かされている。それで、能、歌舞伎という文学作品であるにもかかわらず、史実だと思い込んでしまったのかもしれない。 加賀の国の住人で、このことを知っている人はどのくらいいるのだろうか。
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今度の車には、いちいちリモコンを押さなくても所持していれば取っ手のボタンを押すだけでロックが解除する「キーレスエントリーシステム」というものがついている。これが私には便利なようで微妙に不便なのである。確かに車の前では便利だが、家の鍵がキーレスになっている訳でもなく、自宅玄関前でおろおろと鍵束を探して鞄の中をかき回すことになった。正直、みっともない。 結局、どこで鍵を探すかの違いだけ。すべてが通しでキーレスになっていないと便利さが半減するという典型みたいな話である。 先日なぞ、朝、愚妻より先に車のところに行くも、ロックが解除されない。鞄に入れていなかったと急いで取りに戻ったが、その間に愚妻は出勤したらしく、家はもう鍵が掛かっていた。私は中にも入れず、かといって車も発進できず途方に暮れた。これはこちらの油断だが、いつかやらかすのではないかと思っていたので、とうとうやってしまったといった気持ちだった。家の鍵ボックスに戻さず、鞄に入れっぱなしのことが多くなった弊害である。 この発信器、ボタンを押すタイプのリモコンキーよりかなりかさばる。これも困りもの。小さな荷物がひとつ増えたという感じ。 その上、最近は、買い物はマイバッグ持参のところがほとんどなので、それも持って行かねばならない。もちろん、財布は常時気をつけなければならないので、車を降りる時はいつも、「財布・キー・エコバッグ」と常に頭の中で三点セットを復誦するようになった。時々、エコバッグを忘れてスーパーの駐車場で気づき、有料袋五円を払うべきか悩んだりもする。 ということで、なんだか、この頃、普段の生活は昔に比べて、微妙に神経を使う不便なものになったような気がする。何もかも面倒くさくなってきた中年には、こんな些細なこともしんどく感じる。
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明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。今年一年よい年でありますようお祈り申しております。 ここ金沢は、前日からの荒天で、雪の年越しとなった。
大晦日は恒例の実家の大掃除だったが、今年は、古い押入れから埃にまみれた箱の紐を外しての、中身の確認作業が中心となった。「国防」とか「愛国」とか書かれた瀬戸物が出てきたり、幼い頃に見て以来の塗り物が出てきたりして、一体何十年ぶりの開封だったかと時代を感じることしばし。
元旦は、おせち料理など例年通り。昨年は賀状欠礼だったが、この際と、今年は来た賀状を返すにとどめて、枚数の軽減をはかることにした。そのため、午後はせっせと賀状書いて終わった。失礼な出し方であるがお許し戴きたい。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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