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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

 2010年03月28日
  ネットが出来なくなって
 パソコンのリコールをのばしのばしにしていたが、この年度末、ようやく修理に出した。古い機種なので、今更という気がして放置していたのだが、さすがに製造会社から電話がかかってきたので観念し、送られてきた箱に入れて送りかえした。
 さて、ネット環境がなくなって一週間。いつも読んでいるブログなどを読めないのはどうということもなかったが、ネット検索で調べものができないのには困った。いつも、家に帰ったら電源は入れっぱなしにして、買いたい商品の詳細を調べたり、バス時刻表を調べたりと、便利に使っていたので、今までいかにネットに毒されていたかを思い知った。
 その分、見事にテレビを観る時間が増えたので、「テレビの天敵はネットだ」という通説は、まったくその通りだと思った。
 テレビで流す一本の映画を最初から最後まで観たのも久しぶりのこと。見に行けなかった作品だったので、大いに楽しんだ。
 寝台特急「北陸」号に芸能人が搭乗してレポートした鉄道番組も長々と観た。それで、充分、乗った気になった。
 今夜のNHKテレビでは、再生医療の現在をドキュメントしていた。今やトカゲのように失った器官が再生できるようになりつつあるらしい。
 「再生治療」というこれまでの治療とは違う新しい医療は、いわば、小さな人体製造技術である。これは、今後、人類がどう進んでいくのかという倫理的な判断を強いる。先日、授業で養老孟司のハイテク化の行き先に警鐘を鳴らす文章を扱ったばかりだったので、とりたてて興味深かった。
 養老の文章は遺伝子情報が解読される前の文章なので、それなりに古いものだが、今や、その解析も終わり、そこに書かれていることが加速度的に進行しているということを、番組を観ながら実感した。遺伝子操作技術は、彼の言うように、いずれ人間を超えた能力をもつ人(超人・神)を作ることができる段階にまで達する。
 兄姉の病気を救うためドナーの役割を背負って生まれてくる弟妹のことを「救世主兄弟」というのだそうだが、イギリスは、議論の末、厳しい条件つきで認める法律を作ったそうだ。クローン人間技術も進んでいるという。事細かに検討し、どういった方面について許可するのかあるいは不許可にするのかを、国単位でなく国際的に統一して決めていかねば、なし崩し的に危うい「科学暴走」が起こり、歯止めがかからなくなるかもしれない。
 テレビは与えられるだけで自主的選択ができない不自由なものと思っていたが、偶然、いい番組に当たるという幸運が訪れることもある。その反対に、一見、ネットは主体的のように見えて、その実、自分の狭い了見で選ぶだけで、間口が狭いまま選択が固定化し、何も新しいことが起こっていないという面もある。
 ネット依存症ぎみだったことを知り、テレビの有用性を再発見した一週間だった。
 2010年03月27日
  アンコールワット展を観る
 年度末の休日、中心街のデパート催事場で開催中の「アンコールワット展」を鑑賞した。一年かけて巡回する中、金沢と東京三越本店だけがデパート開催で、あとは美術館・博物館開催のようだ。
 アンコールワットへは、七年前に実際に行って、観てきた。アンコール・トムや木の根が遺跡を鷲掴みしているタ・プロームなどを見て、当時のクメールの文化の高さや信仰の深さに圧倒された。今でもその時の景色を思い出す。地雷がまだ完全に除去されていないので、あまりフラフラ道以外のところを歩かないようにとガイドに注意されたりもした。
 今回の展示は、上智大学の石澤良昭学長が監修し、上智大学の学術成果を一般へ開示・啓蒙するという側面がある。鑑賞した日は、偶然、ご本人がホール・トークをされたので、氏自身から貴重な解説を聞くことができた。仏頭の顔を「お顔」と表現するなど、石像に敬意を払っておられる様子が言葉の端々に感じられ、現在のカンボジアの人たちも信仰が深く、人に対する温かさがあって素晴らしいと話を結んだ。
 会場のビデオによると、この方、発掘に携わった現地の友人のほとんどがポルポト政権下で殺されたそうだ。その後、現地カンボジア人の発掘専門家を育てることも大きな仕事になったという。その研修中に廃仏がまとまって発掘されたそうで、スーパー業界大手のイオングループの強力な経済的援助も得て、現代の学術として様々な要素がうまくかみ合い、学者としても羨むべき成功をおさめた方のようだ。
 現地に行ったことのある私の素朴な感想として、一面に彫刻を施された建物自体の素晴らしさが心に残っていたので、今回は、石像のみの展示で、建築関係の展示・解説はほとんどなく、少しもの足りない気がした。氏の話の中で、仏像は考古学、建物は建築学と分かれているという話だったので、彼監修のこの展覧会、建築分野が弱いのは致し方ないのかもしれない。
 あの時、シェムリアップのホテルの前にあった小学校の子供たちの、元気一杯にグランドを駆け回って遊んでいる様子を眺めながら、日本より経済は遅れているかもしれないが、不幸な時代が去って力強く成長していっている国の明るさを感じたことを思い出したりした。
 会場の壁に掛かっていた年表を見ながら、若いカップルが時代による変化を議論していたが、私なぞ、おおざっぱにひとまとめにしてしか観ていなかったので、大変頼もしく感じた。アジアの文化の違いを平気で話し合える教養がこの日本に根付いてきているなら心強いことである。
 我が家はこのデパートで友の会積み立てをしているので、買い物券化して、最上階食堂街で遅い昼食、後、デパ地下で食料品を買う。まったくもって商売にはまっている格好。
 世間ではデパートの凋落がニュースを賑わせている。年度末の休日にもかかわらず思ったほど混んでなくて、閑散一歩手前くらいの人出だったのが、その証拠か。
 2010年03月23日
  温度差の日々

 一昨日の早朝、外は真っ白になっていた。コンビニ買い物で表に出ると、車はもう砂だらけといっていいほど。黄砂である。ここまでひどいのは初めてかもしれない。ワイパーでガラスを傷めるのを懸念したのだろう、ご近所さんは朝っぱらから洗車をしていた。
 半月ほど前、今年初めての黄砂に見舞われた。その時、ある人が「黄砂が降ったらもう雪は降らない」と俚諺めいたことをいった。初耳ながら如何にもそれらしいので感心していたら、数日後、雪が降って、この諺、信用しないことに決めた。
 この季節、三寒四温で気温が安定しない時期ではあるが、それにしても、もあっとするくらい暖かい日があるかと思えば、冬そのもののような日もあって、ちょっと差が激しすぎるような気がしてならない。
 それでもさすがにもう雪は降るまいと、昨日、雪かき棒やスノーマットを車から降ろした。いい加減ながら洗車。午後、兼六園横を通ったら、桜の木も蕾で赤くなっていた。春近し。
 ところが、今日、愚妻がいつも行く自動車屋さんでタイヤを交換しようとしたら、この週末は雪の予報だけどいいですかと言われ、替えずに帰ってきた。さて、どうなることやら。

 

    老境のわれ関せずや猫の恋

 2010年03月22日
  テレビ収録の演奏会

 昨日、石川県立音楽堂コンサートホールにて、井上道義指揮のオーケストラアンサンブル金沢第二七八回定期公演を聴く。
 目玉は十八歳の天才青年ルベン・シメオ(tp)。タルティーニの「トランペット協奏曲」とハイドンの「トランペット協奏曲変ホ長調」で師匠モーリス・アンドレ譲りの正確なリップ・ワークを聴かせた。若いのでフレーズに軽快感があり、カデンツァ部はもう「溢れるテクニック」という感じであった。
 アウエルバッハの「フラジャイル・ソリテュード(弦楽四重奏とオーケストラのための)」は、少し不気味な感じを残した静かな曲。現代音楽として難しくなく、弦一本の響きの多彩さをホールに響かせた。
 「チェロとブラス・オーケストラのための協奏曲」は、チック・コリアとの共演でジャズファンにも知られるフリードリッヒ・グルダの怪作。ドラムとギターが入り、もともとのコントラバス奏者と三者でリズムを刻む古風なロックビートの中、ルドヴィート・カンタがアンプを通したチェロで、ジョン・マクラフリン(e.g)ばりのフレーズのソロを聴かせるかと思うと、バロック調ありスペイン調あり、クライスラー「愛の悲しみ」の如き甘美なメロディありと曲調が千変万化、それがはっきりとブロック別に出てくる。最後は行進曲風。全体としてはチェロの技巧総まくりのチェロ協奏曲の部類である。何ともあの怪人らしい。途中、ミラーボールの光がきらきらと会場をまわり、管も楽器を上下にしてブラスバンド風、井上も踊らんばかりの指揮ぶりでロックコンサートのイメージを演出していた。一九八〇年作ということなので、作曲意図は判りやすい。あの頃、ジャズはフュージョン全盛。つまり、この時代に多く聴かれているあらゆる音楽のクロスオーバー、あるいはジオラマといったところである。愉快な曲。
 他に、ヘンデルの合奏協奏曲第12番ロ短調ニ長調。アンコールで小曽根真(p)が客席から呼び出され、tpとcelloのトリオで一曲やって喝采をあびた。これで観客の満足感はぐっと増した。
 テレビ収録のカメラがまわっていた上、CDライブ録音もするということで、オケの音も締まっていて実力全開の演奏であった。観客も微妙に緊張気味。井上になって数年。オケは音に表情が出てきて明るさが増していた。
 連休の上、強風で鉄道は遅れ気味のようで。帰りに寄った駅名店街は観光客でごった返していた。

 

 2010年03月21日
  プロなら
 金曜日、スポーツ大会があり、生徒の活躍をカメラに収める。便利な高倍率ズームをつけていったが、バスケットなど室内で動きが早く、ブレ写真量産。レンズの選択を誤った。明るいレンズを旨とせねばならないところだった。
 土曜日、吹奏楽部の定期演奏会があり、カメラマンを買って出て、記録写真を撮した。演劇部の顧問をしていたことがあり、地元ホールの楽屋もいくつか知っているが、もう、だいぶ以前のこと。今回、久しぶりに舞台裏に入った。部員がお金を積み立て高い会場費や舞台業者代を払っての、年一度の企画。
 舞台撮りは、もう何度も頼まれて撮ったことがあるのでベテランの域(?)のはずなのだが、新しいカメラなので、操作にまごついたり癖に驚いたりと、こちらとしてもいい勉強になった。大砲レンズに付いている台座を利用すると、折角買ったバッテリーグリップが雲台のツマミと干渉して、縦横に回転出来ないことが判り、ちょっと慌てた。この日のためにと買ったグリップが働けず、ちょっと予定外。スポットライトに露出を合わせるため、マイナス補正したら、そのまま忘れて暗い写真が続いたりして、失敗写真もそれなりに混ざる。
 昨日今日、プロなら失格である。もっと現場を考えること。一度カメラを三脚につけてみる程度でいいから予行演習も大事。
 これ、何事にも言えるべし。
 2010年03月20日
  カツ丼の話からマグロの話になりました
  漢文で、神への贄(にえ)として「羊豕(ようし)を割きて」とあった。「豕」は、いのしし、家畜の豚の意、ニクヅキをつけた豚と一緒だねと解説をして、小ネタで脱線。
 豚の切り身に衣をつけた揚げ物を普通「とんかつ」とか「トンカツ」とか仮名で書くことが多いけれど、本当はどう表記するのが日本語として正しいのか知っているかと質問した。理系のある生徒は「豚に、勝利の『勝』」と答えて、見事にこちらの思うツボにはまり、笑いが起こった。
 もちろん、答えは「豚カツ」。
 「かつ」はカツレット(cutlet)の略。だから片仮名書きが正しく、「とん」はもちろん漢字。カツレットは子牛や羊の切り身やフライをいうと辞書にある。豚を使ったからわざわざ豚と断っているのであろう。
 ついでに、「カツ丼」の正式名称を述べよと、別のクラスで小ネタ第二弾。
 文系のこのクラス、さすがに「どん」が省略語であることを察知し、「カツどんぶり」と答えた。正解。丼(どんぶり)は深い器のことだけなので、正式には「丼飯(どんぶりめし)」か「丼ご飯」というべきで、だから誰も使わないけど、完全版は「豚カツレットのせ丼飯」である。
 「どん」が省略語だという意識は、今の日本人には、ドンドンなくなっていっているような気がする。わざわざ「カツどんぶり」という人自体、ほとんどいない(ただ、親子丼は、「親子どんぶり」という人がそれなりにいる)。作文で「いまいち納得がいかない」と平気で書く子が時々いて、そんな子に聞くと「いまいち」という言葉が俗語であるという認識自体がないので、無理からぬことなのであった。漢和辞典をひいても「丼」に「どん」の読み方はまだ書かれていない。しかし、数十年もしたらつけ加わることは必至である。
 ところで、ばあちゃん育ちの私は明治のしつけを受けたので、丼飯は下級の食べ物という意識がある。あれは、店屋物のメニューで、おかもちで運ぶ利便性を考えて器を少なくしたもの。家の食卓で丼が出されることはまずなかった。そもそも、ご飯の上におかずをいったん置いて、ご飯椀の中の白米を汚してから口へかき込むだけでも怒られた。今、そういうことに目くじらをたてる人はかなり少数派である。
 金沢に来る若者の多くは、大抵、近江町市場で海鮮丼を食べるのを楽しみとしている。画一的といえるほど同じ行動。店によってはかなりの高額のメニューも並んでいるが、あれは、私たち世代から見ると、ラーメンに伊勢エビを載せているようなもので、正直、感心しない。一つ碗にする意味が希薄である。
 昨日、ワシントン条約の国際会議でクロマグロ取引の禁止案が否決され、世界の消費の八割を占めている日本は一安心となった。ニュース解説によると、日本のマグロの消費量は、七十年代あたりから急増し、輸出国から輸入国へ転落したという。今や、まるで寿司ネタの代表のように言われているが、マグロ至上主義文化は、私たちの子供の頃にはあまり広まっていなかったよう記憶している。グルメの世の中になるにつれて、クローズアップされてきた感がある。資源管理の徹底が急務になるなど日本政府の責任ある行動が求められているが、まず国民の過剰な「有り難がり意識」が沈静化するだけでもバランスはぐっとよくなるのではないか。
 いずれにしろ、半世紀ほど生きてきて想うのは、食文化は、本当に五年単位くらいの短い間合いで変化しつづけ、昨日の常識が今日の常識にはならないということ。今後もどうなっていくのだろうか。
 2010年03月18日
  若者たちに聞いてみた

 前回の後日談。
  今、教えている生徒は大丈夫だろうかと、この猫の例文を示して、違和感があるか聞いてみた。文系クラスはさすがに気になる生徒ほうが多かったが、理系は気にならないの生徒のほうが多かった。
 ということで、今の若者世代では人によりけりで、微妙なところ。

 

 2010年03月17日
  「犬より猫のがいい。」

 生徒が、最近、気になる日本語に「犬より猫のがいい。」という言い方があると報告してくれました。ネットでは当たり前のように使われていて、彼自身、衝撃を受けたと言うのです。彼によると二、三年前から目立ってきたそうです。
 私はびっくりして、「のがいい」でネット検索してみました。確かに大量にありました。もちろん、中には、まったく問題ないものも多い。

 

「この中では、ブルーのがいいかもね。」

 

この「の」は、「体言の代用」という用法で、「〜もの」という意味。「これ、俺の。」の「の」です。冒頭の猫の例でも、「犬のぬいぐるみより猫のがいい」だったら、問題はないですね。「ぬいぐるみ」ということばのかわりだから。
  間違いは、例えば、こういうもの。

 

「絶対、大企業に雇ってもらうより、起業のがいい。」
「二度寝と昼寝。朝の二度寝のがいいかなあ。」
「頭の良い人より頭の回転が早いひとのがいい。」

 

ほとんど比較の用法に集中し、本来、「のほう」という言葉を入れるべきなのに省略してしまった形のようです。指摘してくれた彼は、「のほう」と、流れるように発音すると、「のー」とのばした言い方に聞こえるので、それに由来しているのではないかと推測していましたが、どうなのでしょう。
 私が推測したのは、次のようなものです。例えば、

 

  「洗顔をした後、化粧水の前に使うのがいいみたい。」
  「目の健康を考えるなら 定期的に泣くのがいいみたいです。」

 

という言い方で考えましょう。この文は問題ありませんよね。この「の」はやはり「〜ということ」という「体言の代用」の用法でしょう。ただ、これは、「ということのほう」という言い方でもあてはめることができますね。つまり、「定期的に泣くことのほうがいいみたいです。」となります。もちろん、この「ほう」は、特に何かと何かを比較している訳ではなく、今、はやりの朧化表現の一種でしょう。そういった「方面」とか「方向性」とかいった程度の意味。おそらく、その表現が比較の「ほう」と混同されて、「の」だけで「〜のほう」の意味もあると勘違いされ、堂々と比較の用法として使われたのではないでしょうか。

 国語学者でもないので、専門の方はどう分析されているのか。もしかして、とっくに分析済みのことなのかもしれません。ちょっと気になります。今はまだ、有名ではありませんが、いずれ話題になりそうな誤用ですね。
 レジでの「千円からいただきます」の「から」みたいに、なし崩し的に定着していくのではないかと、今から心配です。

 2010年03月15日
  また同級生と飲み会
 先週、高校時代の友人と飲んだ直後、別の友人から、帰沢するから飲まないかと連絡が入った。
 ということで、また、飲み会。何人かに声をかけたが、年度末ということで都合の悪い者も多く、三人とこじんまりとした小宴。重なるときはこういうものである。
 彼は、高校・大学の頃の写真を持ってきてくれた。若くして死んだ友人とのショットもあったし、下宿に遊びに行った時の写真、同級生上京組が集まって飲んだ時の写真もあった。どのあたりの酒場で飲んだのだったか、もう忘れている。
 三人ともここ一二年で父親を亡くしている。母親は健在。同じ年齢なので、人間関係的な部分での立場もよく似ている。退職後のこともそろそろ考えなければならない。若い時の懐かし話に、そうした妙に現実的な話が混じりあって、話はいったりきたり。でも、それが今の自分たちの内実なのだという気持ちがあった。
 2010年03月14日
  (つづき)

 父が元気だった頃、協会役員の仕事で上京することがあり、よく土曜日曜の「北陸」寝台を利用していた。夜行バスより定時に駅という決まった場所に到着する鉄道の方が視覚障害者には利用しやすいようで、私は父の手引きをして寝台座席まで入りこみ、トイレの場所などを説明して発車前に降りるということが何度もあった。それがここ二十年ほどでの思い出。結局、私自身が実際に「北陸」の寝台を利用したかどうかははっきりと覚えていない。
 最近は、ダイヤ改訂の度に急行自体が激減しているそうだし、ブルトレも乗ること自体が売りになっている一部有名車両以外ほんの数両となっているという。おそらくJRは、新幹線を中心とした高速長距離移動と都市圏の通勤通学ローカルだけに特化して鉄道を生き残らさせようとしているのだろう。在来線の北陸本線も、北陸新幹線開業の暁には、金沢市近郊を外れると、ほとんど何も走らぬ寂れた線となるはずである。鉄道好きの同僚の話によると、だから、白山をバックに在来線を特急が走る景色を撮るのは今のうちなのだそうである。 
 今回のニュース。我々にとっては地元だから話題になっても当然だが、全国ニュースにまでなったのは、花形だったボンネットとブルトレという「昭和」的なものがまた終焉したという感慨をもって受け止められたからだろう。あれだけ乗った「白山」がいつなくなったのか知らないくらいだが、十年以上前のあの時とは、確かに時代が変わってきているということなのだろう。
 私自身、深い思い入れがある訳でもないが、ちょっとノスタルジックな気持ちでテレビ画面を見つめていた。


 

 2010年03月13日
  金沢駅からの全国ニュース
 ここのところ、夜行急行「能登」と寝台特急「北陸」が廃止されるということで、地元でも話題になっていた。昨夜が最終で、両車両が並んで止まっている絵柄が撮れるので、金沢駅は大フィーバーだったようだ。民放が全国ニュースの途中で生中継を入れるという異例な扱いで放映して、一部始終を家に居ながらに見ることが出来た。「撮り鉄」と呼ばれる一部鉄道ファンのマナーが問題視されていたが、映像で見る限り大きな混乱もなく、静かに出発していった。
 「能登」は最後の肌色国鉄色のボンネット型だそうで、ある程度の年齢の人は「こだま」型として、特急といえばこれを思い出す。「北陸」のほうは、今や絶滅危惧種になっているブルートレイン。東京〜金沢間の距離が短く、朝早く着きすぎても意味がないため、急行とほとんど変わらない時間をかけて走る遅い特急列車として有名であった。
 「能登」は、昔、寝台車に自由席が数両付く編成だった。三段向かい合わせ六人で一ボックスのB寝台。一番上はほとんど天井に近く、結構、揺れる。ガタガタ音もうるさくて、寝れずに閉口だった。それに学生さんだったので時間はあり、無理に夜行でいく意味がなく、ほとんど日中の特急「白山」を利用した。信越経由で七時間。当時、帰省は一日仕事だった。寝台は料金も高く、「能登」号は、急行自由席で東京にいけるという低料金がなによりの魅力だった。もちろん、「北陸」の特急寝台なんで高嶺の花。学生さんが乗る列車ではなかった。そんなイメージがこの二台にはある。
 その安料金の魅力は夜行バスが奪った。その上、上越新幹線開通以来、特急「はくたか」+「新幹線」がメインルートとなって、早朝出立すれば、日帰り可能となって、両号とも利用価値が減じた。(つづく)
 2010年03月08日
  展覧会見学

 まとめて二つ、鑑賞の御報告。
 だいぶ前のことになったが、昨年十二月、「アートナウKANAZAWA 北陸中日美術展」を観た。今年で第四十八回目。場所も二十一世紀美術館地下ギャラリーと最近はここで定着してきた。
 いつものように多彩な表現方法が混在するから見ていて飽きないし、そう難しくないものが多い。造形芸術も、日常素材を大量使用してオブジェにしたものなどが楽しい。安全ピン何万本使った椅子など。大賞は天国に向けて上昇する金色の階段のような大判の絵。
 ここ金沢では圧倒的シェアを誇る地方新聞社があるので、それから外れるこの新聞会社の行事は、広く金沢市民に周知されていない。今回も、休日にもかかわらず、入場者が少なかった。
 先月は、室生犀星記念館「館蔵品展 犀星写真館」を観に行く。記念館が所蔵する写真の中から百点ほどが、例の小さな特別展示コーナーに展示されている。文学アルバムなどで観るプロが撮った有名な写真もあるが、娘朝子らとのプライベート写真も多い。夫として、父として、私人としての犀星をイメージできて楽しめる。火鉢に手をかざす愛猫とのツーショットは、いつ見ても微笑ましい。小さなコーナーだけなので、二十分もあれば充分見終わる。さっと入ってさっと出てきた。地元ならではの贅沢な見方。
 

 

 2010年03月07日
  友人と痛飲

 駅に行ったのは、高校時代の友人が東京から帰省したので飲まないかと誘われたため。同級生数人と居酒屋で再会した。カウンターと小上がりの純和風居酒屋で飲むこと自体、久しぶりである。隣席の背中を気にしながら、肴を注文する。酒は地元人気酒造一社のみだが、ラインナップが上から下まで。皆で分け合いながら、大吟醸まで飲み比べした。

 結論。旨いメーカーの酒はどれも旨い!
 会うのが十年以上ぶりの者もおり、懐かしい昔話に花が咲いた。中の一人など小学校の同級生でもあって、本当にローカルな、大昔のご近所話題がいくつも出た。五十年近く前の極狭地域話題に「そうだった、そうだった。」と相づちをうってくれる人など、そう多くはいない。
 私が、最近、行きつけのお店がどんどん潰れ、淋しい思いをしている、昔は、色々相談しながら買い物が出来たのに、今はレジを通過するだけだとこぼすと、サービス業の一人が、おそらく大都会はもっとそうで、皆、淋しい思いをして、そうしたサービスに飢えている、そうだから逆に商機があると我々は考えていると即座に分析してくれて、私はさすがご商売と感心した。
 有名企業勤務の一人は、大会社が商品やデザインで冒険できない分、ネットや子会社でテスト実用化し、その反応で商品を展開していく今時の商売のやり方を教えてくれた。本当に他業種の人と話すとためになる。
 ローカルな昔話も仕事の話も愉しく、あっという間の数時間だった。

 

 2010年03月06日
  金沢タクシー
 アルコールが入る会が駅前であり、仕事の後、自宅で着替え、バス停に向かったが、ちょうど出た後らしく当分なかった。交差点の違う角のバス停に行ってみると、この時間帯一時間に一本。こちらの方が本数が多いと思っていたが、いつの間にか大幅に間引きされていたようだ。金沢のバスは昔に較べて本当に便数が減っている。
 仕方がない。時間に間に合わないとタクシーに乗ったのだが、このタクシー、車線を右に左に行き来し、どんどん割り込んで突き進む。昔でいうなら神風タクシー。頑固な運転で、普通なら乗っていて嫌な感じを抱くものだが、時間を気にしていたその夜の場合、何だか、これなら絶対間に合うという気持ちが出て、逆に安心した。案の定、会場に一番に到着。
 数時間後、帰りに乗ったタクシー。行き先を告げてしばらく進むと間道に入った。理由を聞くと、○○町経由で行くという。明らかに遠回りである。ピシャリと「本線に戻って△△町経由で行って下さい。自宅なのですからどの道が遠回りか判っていますよ。」と言うと、運転手は素直に従い、膨らんだ分、早めにメーター倒しますからと言い訳した。おそらく、この客、酔っているから大丈夫、誤魔化せると思ったのだろう。
 実質被害はなかったが、翌日、冷静に考えたら、二台とも悪質ドライバーである。金沢旅行した人のブログを読むと、時折、タクシーでのやり取りや値段が書いてあり、地元民から見ると微妙にぼられている場合がある。過当競争、戦国時代の感がある金沢のタクシー。観光金沢の看板を傷つけなければいいが……。
 2010年03月05日
  動画サイトを楽しむ
 この冬、インターネットの動画サイトに懐かしい音楽家の名前を検索して楽しんだ。ビル・エバンスやコルトレーンの五十年ほど前の貴重な白黒動画などは「動く誰々を観た」的な感覚で、動いているだけで感動。全盛期のあの頃が蘇った。六十年代のアストラット・ジルベルトの後ろで吹いているスタン・ゲッツ・グループのメンバーに真面目な学生さん然とした若き日のゲーリー・バートンを見つけてニンマリ。
 子供の頃の懐かしい曲もすぐに見聞きすることができる。レコードを血眼になって探す必要がなくなった。へドバとダビデの「ナオミの夢」、マンダムの宣伝の「男の世界」など。よく通ったスケートリンクのジュークボックスから流れていたので、これらの曲は無性に懐かしい。「ナオミの夢」の場合、当時のコンサート映像はなく音源のみ。中年となって日本のテレビ番組で再演されたものがあったが、元々には及ばない。
 何日も片っ端から観ていて、映像がもたらす「併置性」に気がついた。シルビー・バルタン「アイドルを探せ」。少女の可愛らしいスタジオ収録映像の隣ファイルには、最近の彼女の姿がアップされていて、そこには、初老の女性が写っていた。言われないと絶対あのアイドルだとは判らない。
 同様に、クルセイダーズをバックに当たり曲「ストリート・ライフ」を軽快に歌う若きランディ・クロフォード。その隣にジョー・サンプルのピアノだけを伴奏にじっくり歌う中年女性となった今の彼女の映像。ベテランとしての味わいはあるが、声の張りやパンチが効いた声量など、歌手としてはあの頃のほうがインパクトがある。
 映像は、時間と無関係にその場に併置される。我々は、一気に何十年も開いている時を無視して、芸術の出来をジャッジ出来てしまう。音楽など時間が絡む芸術をしている人にとって映像は辛いメディアだなと思わずにいられなかった。
 2010年03月01日
  免許の更新
 二月のある日曜、朝早く免許センターに赴く。タッチの差で二番目組の受付にまわり、食堂に溜まった人たちにお声が掛かって列を作った時には、その後塵を拝したので、結局、最後尾になって、早く行った割には能率が悪かった。もたもたと行動が遅い人は生きていくのが下手になる。
 今年より免許にチップが埋め込まれ、暗証番号が必要となった。事前に一つは考えてあったが、機械の前でもう一つ必要と言われ、ちょっとドギマギした。そんなこと、急には思い浮かばないものである。
 チップ化の結果、免許の本籍地の欄が空欄になったのも変更点。欄はあるので、ちょっと不完全な書類のような見た目になった。
 講習会では、免許制度が改正になり、既得者は中型免許(八トン未満限定)となった旨の説明を受けた。これも初めて知る。
 どれもこれもニュースでやっていたのだろうが、私の頭に引っかからず、自分で触れてから「へえ。」と知る。もしかしたら、現代社会の、取捨選択されずに入ってくる大量の情報は、知っておいてしかるべきベーシックな情報を、逆に隠してしまっているのではと感じた。
 免許なら五年に一回触れるチャンスがあるが、もっと大事なことが、そのまま通過していき、国民全体、大きな判断間違いを引き起こすということが起こるかもしれない。また、そうしたメカニズムを計算に入れた政治的策略が起こってもちっとも不思議ではない。と、ちょっと大きく考えてみた。
 もちろん、自分がぼんやり屋さんなのを、屁理屈で誤魔化そうとしているだけであるが……。
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