ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。
エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」 http://hiyorigeta.exblog.jp/
問題集を解いていて思ったこと。 最近の若い人の書く小説に出てくるおばあちゃんに、私はいつも違和感を持つ。「それは若いあなたから見たおばあちゃんであって、おばあちゃんはそんなノリではないですよ。」と言いたくなる。例えば、おばあちゃんが写真を撮るときピースをする。そんな軽いノリのおばあちゃんは違うと感ずる。この小説家は若いからおばあちゃんが判っていないのだ、自分のノリでおばあちゃんを描いているのだ。まだまだだなあ。だから若い人の小説は面白くないのだと思っていた。つい最近まで。 でも、はたと思った。若い人にとって、六十歳をすぎれはおばあちゃんだろう。とすると、私のちょっと上の世代から。とすれば、こんなノリも十分あるかもしれない。平気でピース。高度成長経済どっぷりに育った世代。 私のばあちゃんは明治生まれ。いつも和服を着ていた。夏暑くて、洋装をしていると子供心に違和感を持ったものだ。寝るときは時代劇に出てくるような高枕。木の台に小さな俵のような枕が載っている。よくあれで頭が落ちないものだと思って聞いたら、「あれでずっと寝ているから大丈夫なのだよ。」と言っていた。 そんなおばあちゃんはもういない。 ばあちゃんが変わったのだ。若い人が書くばあちゃんが今のばあちゃんの実態だ。そう思うと納得せざるを得ないのだが、でも、ばあちゃんは私のばあちゃんらしく出てきてほしい。今風ノリのばあちゃんが出てくる小説を私は読みたくない。
「サザエさん」のフネさんはワカメちゃんにとってお母さん。おばあさんではない。でも、今のおばあさんはフネさんよりイマドキ風。しかたないか。
ただ、それこれ認めるにしても、この角田光代の小説のばあちゃんはやっぱりなんだが変。自分の死が近いことを自覚しているのに、周囲が優しくなるのが気に食わない、仲が良くないならそのままの関係で終わるのが筋だと元気いっぱい生意気いっぱいに主張している。弱ってきている人の気持ちとしてどうも違和感がある。おそらく、これは元気な作者の意見そのもので、その主張を載せるため割り当てたのがこの老人といった作り方をしていったためだろう。同僚に意見を聞くと、この小説駄目だねえとバッサリ。
|
|
お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
感想をお寄せください。この「ものぐさ」のフォームは、コメントやトラックバックがあるブログ形式を採っておりません。ご面倒でも、左の運営者紹介BOXにあるアドレスを利用下さい。
(マイノートパソコンと今は無き時計 2005.6 リコー キャプリオGX8)
|