ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」 http://hiyorigeta.exblog.jp/
ようやく秋らしくなった金沢。温度変化が急激なせいもあって風邪をひき、医者に行くことに。薬を何種類ももらって、それで症状が抑えられている感じで気分がさえない。 朝、マンションのエレベーターに乗って、なぜかボタンを押しても動かない。よくみると今いる階を押していたとか、職場で、用事のため二階に降りるはずが一階までおりてしまい、今、なぜ一階にいるのか判らず、しばらく呆然としたなどといったポカを繰り返し、一見、普段通りにしていても、どこか薬で意識が眠っている部分があると気づいたりした。(愚妻に言わせると、それは薬のせいではなく歳のせいです、ということらしいのだが。) ここのところ、そういう訳で、何もする気が起きず、ぼんやりテレビを観て過ごしている。 我がマンションは大規模改修中。窓の格子枠や鉢植えなどを入れて、部屋は雑然としてる。これも気分的にすっきりしない一因か。
「あれ?寒む」と急ぐ夜中の金木犀
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昨年に引き続き「金沢JAZZ STREET 2010」が開催され、連休中、繁華街の会場を巡り歩いて、かなりの数のバンドを聴いた。 「武田幸夫カルテット」「TAKE−C」などのオーソドックスな編成のモダンジャズ、「金沢銘曲堂」のドラムレストリオ、地元社会人ビックバンド「ピラミッド」、創価大学、青山学院大学、国立音大、慶応義塾大の各学生ビックバンド、同志社大学、早稲田大学のデキシーランドジャズなど。 社会人バンドの実力はなかなかのもの。世の中、人前で楽器を披露できるセミプロクラスの人が一体どのくらいいるのだろうかと疑問が湧くくらい。音楽で飯を食っていないから社会人と分類するだけで、飯を食おうとしたらそのままプロになるというレベルの人も多い。この中では、個人的に「金沢銘曲堂」のサックス・ギター・ベース編成が珍しく、面白かった。 ビッグバンドでは、山野コンテスト四連覇の国立音大ニュータイドが群を抜く。昨年はロック系ギターだったり派手なパフォーマンスのボーカルがいたりと若者らしい音作りだったが、今年は少しオーソドックス路線に。プロの卵の集まりだから当たり前だが、アドリブソロが完成されている上に、山野で演奏したと紹介された曲など、明らかに現在のメンバーの実力を一番発揮できるようにアレンジされているもので、なるほど、コンテストでのアピール度は高いだろうと推察される出来。演奏も余裕綽々で、会場も大いに盛り上がった。 同志社のデキシーバンドのコメントで、「大学でデキシーをやっているのは今やうちと早稲田くらいしかない。」と語っていたのが印象に残った。このトラディショナルな音楽は、日本ではどんどん先細りの真っ最中のようだ。そのもう一方の早稲田大は、デパートの催事・食堂街階での演奏だったが、途中で廊下を巡り歩いて買い物中の客を楽しませてくれていた。 プロでは、「森下滋カルテット」を聴いた。私は、昨年、講義とソロを聴いている。今回はラテン・タンゴ畑のバイオリン奏者とベーシストを入れて、ラテン系の名曲を多く演奏した。ベースはジャコ好きと見た。 夜は、「月見光路プロジェクト」ということで、光のオブジェがそこここに置かれた「しいのき迎賓館」裏の芝生広場で「BE;Z」なるスカ〜アシッド風サウンドのプロバンドを聴いた。ロッキーやらETやら有名曲が何でもジャズになっていて判りやすく、熱心な女性ファンがいる感じのバンドであった 今年、巡った場所は、109前、柿の木畠ポケットパーク、香林坊にぎわい広場、アトリオ八階、片町プレーゴあたり。あまり移動しなくてすむところを選んで動いた。特に、夜、今春出来たばかりのしいのき広場に大勢の人が集まっていて、そこの芝生に寝ころんで聴いたのが印象に残った。まるであたりは行く夏を惜しむ花火大会のような雰囲気だった。私の前で寝ころんでいたのは、出演したどこかの大学ビックバンドの女学生たち。わざわざ出向いて演奏し、こうして異郷の町の中心部で寝ころんで夜のひととき過ごす。若い時のいい思い出になったかしら、老いてこの時を思い出してくれるかしらと勝手に想像した。 今回、デキシー、モダン、ビッグバンド、ラテン系など色々な種類のジャズが聴けて、一年間分のJAZZを聴いた気分になった。東京あたりでは、一つのバンドに数杯のドリンクを飲んだだけでクレジット支払いしなければならないような金額になる。無料でハシゴしているのが申し訳ないくらい。県外客の入れ込み実数は判らないが、お客さんは大勢いたし、今後も継続し「金沢でジャズ」を定着させてほしい。
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加賀藩家老本多家の庭園として江戸初期に作られたという北陸放送敷地内の松風閣でのジャズコンサート「松風閣JAZZ NIGHT」を聴く。「金沢JAZZ STREET 2010」の関連イベント。 私企業の敷地ということで、この庭に入るのは何十年ぶり。屋敷に上がるのは初めてであった。木々に囲まれた池を背にしてステージを設え、聴衆は舞台前のパイプ椅子と開け放たれた松風閣の座敷から観る趣向。和のシチュエーションが珍しく、それもこれを聴きに行くことにした理由の一つ。アルコールや軽食も販売され、料亭主催の野外演奏会の趣き。カクテルを飲みながらゆったり楽しんだ。 バンドは五組。一部、地元篠崎アヤ(vo)のバックには正装のストリングスが四人入り、大型コンボとなっていた。生のジャズ演奏会で弦楽付きは珍しい。篠崎の歌い方はジャズ発声、全体的にジャズクラブの雰囲気が漂う。曲は映画音楽など有名ものを並べていた。 二部はマントラ風の男女混合コーラス。「アクエリアス」など。メインボーカルの女性はソウル・ゴスペル系の発声。 三部は韓国からの「WINTERPLAY(ウインタープレイ)」。女性ボーカル、ヘウォン(Haewon) は気張らないが、ノラジョーンズ風の色々な要素をうまく取り込んだ感じの歌い方で上手い。バックはギタリスト(Saza-Woojoon Choi)のカッテングがリズムをリードしていて、そこが音作りとして新鮮。ブルースもノリノリで聴かせる。間奏のソロアドリブはほとんどトランペット、ジュハン・リー(Juhan Lee)。マイケルの「ビリージーン」などアレンジが秀逸で楽しく聴かせる。さすがプロの演奏。 四部は、ジャズシーンで人気絶頂の平賀マリカ。案の定、「シング」など最新作カーペンターズカバー作からの曲が多かった。ラテン・ボサノバの名曲をカバーした前作CDを気に入っていたので選曲はちょっと残念だったが、それでも二曲ほど披露してくれた。アルバムジャケットしか知らないので、もっとお若い方かと思っていた……。 多くの聴衆はこのセットで去ったが、我々夫婦は最後までいた。五部はモダンコンボに小杉奈緒なる女性ボーカルをフューチャーしたセット。サウンド的にはクロスオーバー世代の私に一番しっくりくる種類のもので、歌手は今の日本の若い女性ボーカルに時々みられる弱いコブシを入れて歌う歌い方。声の線自体は細い。「蘇州夜曲」などというオールドソングも歌ったが、今風の発声は古風な曲に似合う。 今回、全てが女性ボーカル中心。同じポピュラー畑とはいえ、各々が依って立つ発声法の違いを感じて、そこが興味深かった。 雰囲気のよいコンサートだったが、屋敷内の和テーブル席の人たちは、設えが設えだけに徐々に宴会モードに入ってしまい、主役の平賀が登場する頃には、背を向けて話し込む人も出て、後ろのほうは音楽そっちのけだった。そのため、会場はざわついていてアーティストに対して失礼であった。たぶん、居酒屋のBGM感覚になってしまったのだろう。音楽会でのアルコールはほどほどに。
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土日に東京出張があった。 昨秋の横浜出張で一人の時の動き方や旅装が判ったので、旅程も含め同じパターンを踏襲。両日とも痛み止めを服用し座布団持参なのも同じ。 朝六時発「はくたか」に乗ると途中停車なしの「マックスとき」に連絡し、三時間四十五分ほどで東京へ着く。昔のことを思うと隔世の感。仕事は土曜日の夜までで、翌日曜は帰ればいいだけだったので、帰りの列車を午後にして無理のない程度に東京見学をこころみた。 仕事・宿泊先の「ホテルグランドパレス」は、その昔プロ野球ドラフト会議の場所として有名だったところ。今回、その大広間で懇親会があったので、昔のテレビのシーンなどを思い出して軽い感慨があった。 朝、チェックアウト後、九段下から九段上に出、市ヶ谷まで歩いた。九段会館の前にはぬめっとした「昭和館」なる展示館が出来ていて、歴史ある九段会館を隠していた。田安門、靖国神社など歴史的なものは変わっていないが、通りは見慣れぬビルが立っていたり、同じビルでも入っている会社が違ったりと、歳月を感じた。昔よく利用した飲食店は見事にすべてなくなっていて、長くご商売をやっていくことの難しさを感じる。日曜朝の都心部ということで、思いの外人通りが少なく、神宮外苑駅から地下鉄大江戸線に初乗車したが、ホームにはぽつんと私一人だけという時間さえあった。 六本木の新しい国立美術館は三年前ヒルズの最上階から真下に見えた青い波打ったガラス面が印象的な建物。開催中のマン・レイ展を鑑賞した(感想後述)。 その後、地下鉄駅に戻る途中、東京ミッドタウンをさっと見物。商業区域は中抜きの高級ショッピングモールといった趣き。三階ファーバーカステルの直営ショップで自分土産にカーボン軸ローラーボールを購い、一階富士フイルムのショールームではミニ写真展を鑑賞。 後、東京駅に移動したが、北口側に着いたので、思い立って、出たすぐのところにある丸の内オアゾ内の丸善に寄り、慌ただしく文具売り場を冷やかし車内で読む本を購った。ぎりぎりで列車に飛び乗って、宵の口には金沢に戻った。珍しく列車は少し遅れて到着。 ここのところ休みがなく、この土日も出張で潰れることとなったが、正味半日ながら東京を味わうことが出来、日常のルーティンから離れた新鮮な気持ちになれたのがよかったように思う。
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森鴎外「阿部一族」の一節に、切腹せぬことを揶揄る世間の声として「阿部の腹の皮は人と違うと見える。瓢箪に油あぶらでも塗って切ればいいのに」というのがある。どういう意味か同僚が首をひねるので、私も一緒に考えてみた。 角川書店の「近代文学体系」のそこの注には「茶事談」の一節が引用されているが、どんな意味なのかは説明されておらず、これでは謎は解けない。 調べると、瓢箪はつるつるしているものの代表のように言われていたらしい。その関係か、禅問答に、「瓢箪でナマズが捕れるか」というのもあるそうだ。答えは、「うまく取ろうとするなら、更に瓢箪に油を塗り、一層つるつるにすれば、つるつるのナマズは捕れる。」というものだそうである。目には目を、つるつるにはつるつるをという発想。実際はまったく逆だろうけれど、煙に巻くくらいの説得力はある。 だから、ここの文意は、「切れないような腹なら、いっそ、瓢箪に油を塗って、尚更、つるつるにすればすっぱり切れるのに。」といった皮肉になる。塗る方が腹のほうなら単につるつるの意の比喩表現だし、刀なら、瓢箪を刀に見立て、「瓢箪のような全く切れもしないような丸いものでも、油でも塗って少しは切れるようにして、」という意味になる。どちらかはよく判らないが、禅画に瓢箪を両手で持ってナマズを捕ろうする絵があるそうな。 それで、この問題は一件落着したのだが、調べる途中で気になったことがあった。ネットの質問コーナー「YAHOO 知恵袋」で、ここの部分を質問したものがあって、その答えに「追腹もできないのであれば、恩義ある身なのだからせめて瓢箪に油を塗って、艶腹に見立てて瓢箪を切ったらどうなんだといった嫌味です。」と書いてあったのである。 これは明らかに間違い。この記述の直後に「命の惜しい男とはどうして見えようぞ。(中略)好いわ、そんなら此腹の皮を瓢箪に油を塗って切って見せう。」と本人が啖呵を切っているのだから、実際に切るといっている解釈でなければ意味が通らない。 一番の問題は、この解答が「ベストアンサー」に選ばれていたこと。この認定は、読んだ人の投票や質問者がどの答えがいいと思ったかで選ばれるのであって「答えが正しい」と保証しているものではない。しかし、読んだ人は、ベストアンサーというお墨付きもあることだし、これが正しいと思ってしまう可能性が高い。 今や何でもネットで調べる時代。こうした小さな誤りが発信元になって、以後そうだと定着していくおかしな事態が平気で起こりそうである。戦争に発展した大事も、もとはと言えば、間違った返答からといったことにならなければいいが。
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ある夜、芸人かミュージシャンかはっきりしないが、いずれにしろ若者二人がDJをやっている民放ラジオ番組を聞いていた。そこに出てきた高校生リスナーが、小火を出した話をした最後に、「あわよくば母親と弟が死んでいた。」と発言したので、びっくり。 私はすぐに吹き出したのだが、さすがの二人も、「その言い方はおかしいやろ!」と突っ込んでいた。 まったくその通り。「あわよくば」は、「もし運が良かったら」「うまくいったらならば」の意味。そこで、すぐにお勉強。なぜ、この言葉がそんな意味になるのか。 辞書によると、もともと、形容詞「あわ(は)よし」+接続助詞「ば」で、「あわよし」は「あわい(間)よし」の音変化だという。つまり「間がよかったらば」という意味になる。彼が言いたかったのは、もちろん、「あわや」のほう。「あわや、母親と弟が死んでいた。」 この「あわや」、「大字泉」では、「危険などがその身に及ぶ寸前であるさま。あやうく。」の意で、「幸運な出来事については使わない。「あわや宝くじの一等に当選するところだった」などとするのは誤り。」と注記がつく。 ところが、「大辞林」では「もう少しでそうなりそうなさま。今にも。あやうく。すんでのところで。」の意とし、「あわや大惨事となるところだった」「あわやヒットかという当たり」という二例を挙げている。 後者のヒットの例の場合、「大辞林」は、攻守どちら側からの判断かということなど考えずに、単に「今にも」程度の意味で使っていると考えるのに対して、「大字泉」では、守備側の立場から言った発言とする、という理解になる。「まずいことに、あやうくヒットになるところだった。ヒットでなくてよかった。セーフ。」という守りの側応援のニュアンス。 両辞書で説明がかなり違う感じだが、おそらく、もともと「大字泉」の意味で、最近は注記が指摘する誤りの認識が薄れて、「大辞林」のような意味で使われていることが多くなったということなのだろうかと思う。 それにしても、最初の話、もし高校生の発言がぽろっと出た本音だとしたら、実にシュールである。
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もう一ヶ月近く前になるが、夏期休暇中に県立美術館で上記美術展を観た。ストラスブール美術館所蔵の作品展。 ストラスブールはドイツ国境に隣接したフランス・アルザス地方の中核都市。街道の要所で、独仏がこの地方の覇権を争って、所領が行ったり来たりしたところ。並んだ美術作品を通覧しながら、この土地ならではのラインナップだという感想を持った。基本的にはパリからそれなりに離れた地方都市なので、美術の都パリでの新しい流れを受けたかたちで、その行き来の中で画家が動いているし、当然、場所柄、ドイツとの交流も感じられる。南下するとイタリアもほど遠からぬところ。そんなスタンス。 フォビズム、バルビゾン派、印象派といった美術史の潮流の中で、各派の代表的な絵画ではなく、その先駆になったり影響を受けたりした作品が並んでいるので、解説プレートを読むと、この部分がそれだなと、その絵の特色がよく判った。戸外でずっと作品を描き続けるやり方がそう古い習慣ではないことも初めて知る。フランスの田舎風景が多く、よく似ているものが多いが、そうした目で見ると、フランスの地方でイーゼルを立てて写生に勤しんだ画家たちの姿が目に浮かんだ。 展覧会の副題にはビッグネームが並んでいるが、それぞれ一点程度。それより、同時代に活躍した、この土地ゆかりの画家たちの作品が中心である。名前を知っている程度、あるいは、まったく初めて聞くといった画家たちが、簡単な概略とともにプレートで紹介されていて、それぞれの人生に思いを馳せた。巨匠が一人出る時には、その時代その時代では名声をほしいままにしたり、地方では重鎮となったりした、時代時代の一流どころは多数存在するのだろう。でも、その時代限りで、歴史に名を残すとまではいかない人々。そんなレベルの人たちなのではないだろうか。 ここのところ色々観た展覧会の作品群に比べると、圧倒的に地味だが、近代景画の真っ当な作品たちを観た気分で、その落ち着きに、これもまた美術のひとつの表現と納得しながら観ていた。 裕福な娘が植木を覗いているギュスター・ブリオンの「女性とバラの木」、寂しい通りを描いたロタール・フォン・ゼーバッハの「雨の通り」の二枚を愚妻が気に入り、絵はがきを購入。
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東山魁夷に引き続き、本館である長野県信濃美術館の上記特別展を鑑賞。 原田の絵は、一言で言えば、日本の古里の原像をつなぎ止めようとする素朴画。今はほとんど失われている日本の田舎の風景を、顔のない人物の点描と共に描き出している。ねらいははっきりしており、判りやすく親しみやすい。絵はわざわざ広角レンズ風に歪曲していてファインダー的な視点を感じるが、ビデオを見ると、彼の取材もまさにその場所に行ってカメラに収めるところからスタートするようなので、画家にとって違和感のないゆがみなのだろう。彼の描いた絵本も素敵であった。我が地元鳥越村の蓮畑の絵があって作品中でも人気だという。そこでその絵葉書を購った。 個人的には、ニューヨークのセントラルパークの緑を中央に置いた超広角風の絵がよかった。周囲にビルを配しつつ、全体が緑のカリフラワーのようで、もこもこと膨れあがっているように見える。日本の古里ばかりでなく、こうしたモダンなモチーフの作品がもっとあってもいい気がした。
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今年から八時になったNHKの朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」。しかし、勤め人には関係のない時間帯で観たことはない。話によると当初の視聴率こそ低調だったが、徐々に話題になり、今は高視聴率だそうである。 夏頃、NHKテレビに、原作の著者、水木しげる夫人ご本人が出演されているのを観た。なんだか、どこかあっけらかんとしたところがある老婦人で、苦労を苦労とも思わぬところがある反面、初々しく魅力的な女性だった。ということで、番組も終盤の今頃になって読書。 読んだ者誰もが、夫の努力に尊敬の念を抱き、貧乏を悲惨と考えず、夫がようやく成功を収めた時、「来るべきものがきた」といった感覚で受け止める、妻としてのとてつもない度量の大きさに感服する。自分から恋愛する行動派でもなし、特に手に職がある訳でなし、夫についていくしかない身であると自身を謙虚に語っているが、その一見古風な生き方、その付いていき方に凄さがあって、フェミニズムなんて概念、軽く吹っ飛ばして、でも一個の人間としてよい生を全うされている方という印象であった。 だから、ネット上で感想を拾い読みすると、若い女性の方の感想文に、「現代女性の生き方とは違うが」というような前振りがいちいちついた上で感銘を受けた旨、書かれてあるのが可笑しかった。現代女性はかくあれかしというような固定観念が否応なく刷り込まれているかのごとくである。
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上記展覧会「第一期 白い馬の見える風景」展を、長野県信濃美術館附設東山魁夷館にて鑑賞。 一九七〇年代に彼の大ブームがあって、ある程度の年齢の人は、大抵、代表作を全部知っていると断言してもよいほど国民に親しまれた日本画家である。 一九七六年、集英社の「現代日本の美術」(普及版)の第一回配本が彼だった。発刊記念特価で、この巻だけ大安売りだったので、高校生の私も買って何度も眺めた覚えがある。この画集は今も手元にある。当時、出版社は魁夷を大宣伝していて、本屋さんが文庫本にかけてくれる紙カバーも代表作「緑響く」だった。彼が唐招提寺の襖絵を手がけている頃の話である。 確か、後、実際に代表作を網羅した展覧会にも行って、肉眼で作品を目にしているし、以後行った日展などの美術展にも彼の作品があったりして、これまで本当にたくさんの作品を観ている。 この美術館の所蔵は、主に後半生のもので、習作・スケッチも含まれているので、本制作と習作を並べて比較展示できるようになっているのが特色。本制作の前に実に律儀に習作が制作されているので、スケッチ、習作、本制作と、ひとつひとつ順を踏んで描くのが彼のスタイルなのだということが判る。習作の段階でほとんど完成していて、本制作は、号数が大きくなるのと、微調整といったくらいの違いでしかない。 あの頃、例の白い馬が印象的で素敵に思えたが、久しぶりに観ると、少し、「俗」を感じて、煩わしく思ったのは意外だった。 最後の部屋に飾られていたエプソン社のスキャニングによる複製画は実に精巧に出来ていて、本物と見まごうばかりで驚いた。 東山から日本画を見はじめたので、若い頃は、あの淡い色調すべてが彼の個性かと思っていた。しかし、その後、他の多くの日本画を観るに及び、日本画の顔料の特色なのだということを知った。まったく無知であった。でも、そういう入り方をした人は多いはずである。それほど彼の絵は日本画のスタンダードになっている。 だから、今回、久しぶりに観て、馴染みに再会した懐かしさはあったが、新たな感動がないまま館を出たというのが正直なところ。これはいわば「日本国民の好みの最大公約数を集約してみせた画家」(桑原住雄)となった王者が引き受けなければならない評価と言え、作品はそうした冷たさに耐えなければならない。が、かくかく言わずとも、とっくに作品はそれを判っていて、どっしりと耐え切っていくことだろう。 若年より高い能力を認められ、白い馬のシリーズで全国的な人気を得、古寺の襖絵など最高の舞台で活躍した、人気と名声を持続した希有な日本の画家。苦節何十年という苦労を味わう芸術家が多い中、本当に幸福な大秀才であったと感じる。
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紹介状を持っていった大病院で、根が割れた奥歯と親知らずを抜いた。血がなかなか止まらなかった上に、頬が腫れ上がって痛みが残り、頓服剤を飲み続けている。永久歯で抜いたのはこれが初めて。「総入れ歯への道、第一歩をここに印す」といったところか。かかりつけ医に戻り、追加で貰った痛み止めが腰痛の薬とまったく同じだったのには苦笑い。これなら家に沢山ある。 気象庁は、観測をはじめた明治三十一年以来、一番の暑さであると先日正式発表した。さすがに八月の酷暑真っ直中よりは多少ましだが、夜も思ったほど外気温が下がらない。暑さと口中の鈍痛とで寝苦しい夜。
鈴虫の涼しき声を怨みをり 親知らず抜きて近づく三回忌 俊建
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劇の衣装を借りるために舞台衣装レンタルショップに行った。ナビは金沢校外の工業団地内を示している。客商売のお店がそんな場所にあるのは変な感じがしたが、行ってみると、実際、工場や会社の合間にある町工場の二階といった風情。戸を開けたら、ちょうど剣劇か舞踊の芝居の役者さんが衣装合わせ中だった。ここは元来は劇団で衣装レンタルもしているということらしい。中は宴会出し物クラスの簡単なものから、本格的ステージ衣装、日本髪カツラまで雑然と倉庫に突っ込まれているといった印象。 人は違う衣装を着ることで別の人間になる。一緒に行った生徒はその迷路のような異空間にえらく盛り上り、肝心の衣装探しそっちのけでこんなものがあると目を輝かせていた。 プロ用の店が金沢にあること自体が初耳だった。今後、使うこともあるかもしれない、覚えておこうと思ったが、考えてみれば、後定年まで一桁、何度お世話になることか。それでも、観たこともない世界にちょっと触れて、今年、印象に残ったことのひとつだった。 勤務校では、上級生が戸外で劇をする。短期間で一本仕上げる。かつて演劇部顧問を数年していた身からすると、到底不可能のようなタイムスケジュールで、それでもちゃんと出来上がる。通しが出来ていないまま本番を迎えるチームもあるが、なんとか本番はさまになっている。集中力と瞬発力。若さならではである。 夏ばて気味の私は、暑さの中、練習一本見守るだけでクラクラした。若い頃には何とかなったことも、この歳ではそれなりの負荷を感ずる。もっと彼らをサポートできないものかと思っていたが、するべき仕事をしているだけで日々が過ぎた。 劇は成功。ただ、炎天下、芝居を見続けたので疲労困憊した。翌日の代休午前は、家の冷房全開でじっとしている。午後、久しぶりにジムに行ってピラティスで体をほぐす。ここもクーラー強冷。 今年は戦後最高の暑さだそうで、平日の町の人出は少ない。日本人は今、体調維持を最重要案件にして生きている。それで手一杯。そんな夏がまだ続く。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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