ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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前進座公演「五重塔」追記
さて、数ヶ月後、ラジオで原作の朗読をやっていて、久しぶりに露伴の文体に触れた。実にのびのびした文体で、江戸を感じる。 聴きながら、子供の頃、毎月取っていた学習雑誌だったかに、この「五重塔」の漫画があって、表紙は五重塔をバックに腕組みした大工の構図だったことを思い出した(今考えるとベタな絵柄)。 先日、三谷幸喜の映画「みんなの家」(2001)をテレビで観た。皆が自己主張していった結果、どんどん最初の計画と違ったものになって大騒ぎという流れは「ラジオの時間」と同じ。反目しあっていた若きデザイナーと昔気質の棟梁が徐々にお互い家にかける情熱を理解し、プロとして心通じ合っていくという話なのだが、嵐を心配し、新築中の家で鉢合わせするシーンに至り、ああ、これは露伴だと気がついた。まあ、ミエミエの設定なので、日本人なら同然気がつくべきですよと三谷幸喜からぐっと目の前に突き出されているくらいな重ね具合であった。 現代は設計士が図面を引く。棟梁は現場責任者のごとき役割になった。全責任を棟梁がとる戦前とは大きく様変わりしている。職人(芸術家)同士の意地の張り合いと、職人だからこその和解を、今、描くのなら、この二者ということになる。その上、もちろん、お任せの昔と違い、今は施主の希望は最優先だ。三者三様の立場と思惑を面白おかしく描いていて、なかなか楽しめた映画だった。 それにしても、芝居、朗読、映画と、ここのところ、続けて露伴が出てきて、ちょっと面白い。(2010.11.30)
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中西和久がでずっぱりで演ずる喜劇。脚本・演出:ジェームス三木。エノケンがエノケン自身の人生を紹介しながら進行し、合間合間にレビューなどを挿入して観客に楽しんでもらおうという趣向。 主役の中西は八面六臂の活躍で、しっかりソロをとるトロンボーン、トランペットの他、バイオリン、ピアノもこなして藝達者なところを見せる。客に鼻紙を要求して、もらったテッシュの広告主を読み上げたりして笑いをとるアドリブもうまいもの。 後半、足を切った晩年の心情もうまく表現されていたように思うが、女出入りなどの私生活は裏話を周囲の者が語るという形に限定して、悪い面を全面には出さず、あくまで喜劇スターの人間的側面くらいに抑えて捉えている。それは、この話の大枠の構造上そうするしかなかったのだろうが、その分、人物の彫り込みは浅くなった。 せっかくのダンスはもっと大人数だとよかったとか、楽器などうまくこなしているが素人の手習いの域を出るものではなく、器用だなと思わせるだけの効果しか上げていないなど、つまらなくはなかったが、感心しきりという訳でもなかったというのが正直なところ。 エノケン人気を直に知っている世代は、もうかなりの高齢に属するはずである。私たちの世代まで彼は生きていたが、すでに足切断の後のことで、「渡辺のジュースの素」のCMソングなどでお声に耳なじみがあるという程度である。 作品は、望月優子、サトー八ロー、財津一郎、千田是也など関係の有名人の名をちりばめ、人間相関的な知的関心もさそったりして、あれやこれやジェームス三木流のサービスをしているのだが、どうも最後まで「作りもの」感が否めず主役に感情移入できなかった。 野々市市民会館が改装中で、一方の会場が遠い松任文化会館となったため、金沢の人は駅前の音楽堂邦楽ホールのほうに流れた。その結果、立ち見が多数出て、開演直前まで慌ただしく、ゆっくり待つ雰囲気にならなかった。また、立っているのが辛くて途中で帰った人もいたと聞いた。そんな小さな混乱も、この劇の評判を落としている遠因となっているように思う。 (2010・11・23)
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金沢の郊外、末町に浄水場があって、そこがこの日曜日、一般公開するというので、見学に行ってきた。昭和五年竣工ということで、八十年、金沢市民に水道水を供給してきた歴史あるところ。今年、国指定名勝の指定を受けている。 子供の頃、遠足できた記憶があるが、当時は、木々が茂る犀川ダムに向かう細い道を延々と歩いて、最後に雑木をくぐって敷地に入ったことを覚えている。今は近くに私立大学ができ、それなりに家が建ってきて、あの山の中の感じはない。表通り自体は時々通ってはいたが、施設の中に入ったのは、そういう訳で四十年以上ぶり。 緩速式が当初の施設。沈殿ため池は定期的に干して砂の洗浄を行うという。鍬で手作業。面倒なことをしていることに驚く。急速式は昭和四十年の増設で、浄水には薬品を使用する。より自然なのは緩速式だが、今の世、悠長なことも言っていられないのだろう。現在、市の水道量の四分の一を供給しているそうだ。 幾何学模様の洋風庭園が正面にあり、噴水を斜めに放水しロート状の傘を持つ東屋にあてるアトラクションを見ることが出来た。消防の放水のようで、竣工当初あった見せ物だという。池の魚は毒検査の役目だそうな。 バルブ室の役目の洋風小建物が並んでいてレトロな景色、東園地は雪吊りがしてあって金沢らしい景色、遠景の向う山は紅葉真っ最中と、ここ北陸では珍しい晴天の中、しばしの散策を楽しんだ。いい休日のひとときだった。
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一昨日はリフォームした実家の引き渡し。設計士さん、棟梁さん立ち会いのもと、どこがどうなっているのかの説明があった。台所など生活部分は現代的な作りにしたが、仏間や洋室などはできるだけ建築当初の姿を残すようにした。前にも書いたが、窓は後付のアルミサッシを撤去、また、建築当初のものは傷んでボロボロだったので、まったく同じデザインで木枠の窓にした。 また、葉っぱ柄の古い模様ガラスは現代ではもう作れなくなっているということで、使えるガラスを一カ所にまとめて使い、余ったガラスは目立たないところに使って、それで割れた時の予備にするなどの配慮がしてあった。透明ガラスの歪んで見えるのは建築当初のまま。 壁紙も、もともと使われていたものが発掘されると、それと似ている現代のものを選んできて、これではどうですかと向こう側から提案があり、それをこちら側の感覚で、こっちの方でお願いしますと別の色模様の希望を言うと、また、向こうからそれよりやはり復刻したほうがいいのではと再提案があって……と、壁紙ひとつとっても、いったりきたりをしながら決めていったので、なかなか大変であった。 他にも、昭和モダン的な精神を生かして建築屋さんがアレンジした部分もあった。例えば、内戸や照明の傘などはよく洋風部分の雰囲気に合っていた。 二階ベランダ部屋は畳を入れて長く物置化していたので、ここが広々と何もない板の間になっていたのにはちょっとした感慨があった。幼児の頃、ここで日差しを受けながらよちよちと駆け回っていた記憶があって、ここがそうした本来の使い方ができるようになったのは数十年ぶりのこと。今そこを甥っ子が駆けめぐっている。自分の赤ちゃん時代と重なって懐かしさがこみ上げてきた。 昭和初期、祖父が作り、戦後、父がリフォームした家は、平成期、我々世代で再度大改修した。一世代一仕事。八十年を超えた民家ゆえ、今後、数十年が過ぎて再び傷んできたら、次はもう改修ではなく建て替えかもしなれないねえと家族で話が出た。でも、もうその頃には、今ここにいる何人かはこの世にはいない。 ただ、大改装した割には、元に復したところが多いので、外見的には全然新しい感じがしない。工事のカバーがはずされると、そこに現れたのは、まったくもって「前の通りの家」だったというのがちょっと変な感じで面白かった。 翌日、亡父の三回忌法要を予定通り実施した。お寺で仏事の後、集まった親戚に家をお披露目、その後、近くの料亭で宴会。諸行事は恙なく終了した。今月末、ここの住人となる母親・弟夫婦が引っ越して、それで一段落となる。
私達夫婦が住み続けることになるマンションの改修工事、こちらは遅れ気味で、日祭日も工事をする旨、張り紙があった。しかし、いずれにしろ、もう終わりに近い。
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今のマンションに引っ越して熱源が電気になって以来、これまで使っていた薬缶が使えなくなった。 電気ポットと珈琲ドリップ用小薬缶で用を足していたが、ちゃんとした薬缶を買うというのが我が家の懸案であった。ショッピングセンターなどに行くたび、売り場を覗くのだが、夫婦ともども気に入ったものがない。十年近くそんな中途半端状態を続けて、今年ようやく買うことが出来た。 あったのはデパート。仕事を終えてから大慌てで行って、それだけを買って帰ってきた。平日、久しぶりにデパートで物を買ったのが薬缶というのはちょっと変な気もしたが、この薬缶、それなりの値段である。 柳宗悦の息、柳宗理のデザイン。とはいえ、実にオーソドックスな格好をしている。横に広く熱を底にしっかり受けやすい。実際、使ってみてもお湯の沸きが早いようだ。取っ手も大きくとってあり持ちやすく、蓋も大きめで取り出しやすい。使っていて何の障害もないというのが、つまりは深く考えられた結果ということなのだろう。 長く使えるものをと探していたが、しっかりした材質のものとなると、ほとんど真新しいデザインが施されていて、モダンキッチンには似合うだろうけど、使いやすいかどうかとなると微妙なものが多かった。この薬缶、雑然としたごく普通の台所によく似合う。 でも、と思う。そんな製品が、デザイナーの名を冠したデザイナーズ・ブランドで、デパートなど、それなりの売り場にしか売っておらず、かつ高価であるというのは、日本の「もの作り」としてどうだろうかという気がしないでもなかった。もの作りの本質的な部分が痩せ細っている感じを受ける。 実は、買ったのは初夏。冬が近づいてきて大活躍する時期になってきた。あまりに台所の景色に馴染んで何の存在感のない薬缶を眺めながら、こんな製品が無名でいいからどこででも安価に手に入る世の中になったらいいのにと思ったことだった。
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ここのところ選挙のたびに立候補者の名前の表記を確認する。選挙公報に並んだ政党毎の名前一覧で見ると、圧倒的に名前の漢字の一部を平仮名にしている人が多い。その数八割以上。女性でもともと平仮名名前らしき人や判別不明者を除くと、漢字のみの普通の表記は各政党で数人程度であった。 名前を短冊に書いてもらう関係上、難しい漢字は避けたいのだろうが、必要以上になされているようで情けなさを感じる。 例えば、地元、馳(はせ)氏が平仮名にしているのは、「馳せ参じる」くらいしか使わないので、平仮名にするのは理解できる。しかし、どこかの県で「○○六ざえもん」とあったのには笑った。なんだかドラえもんが六人分身したイメージを思い浮かべたくらいである(私は変?)。 「たちばな慶○郎」という方、おそらく元の姓は「橘」さんで、漢字が難しいと判断したのだろう。では「慶」のほうは大丈夫だと思ったのだろうか。こちらもそれなりに難しい漢字だと思うけど、などなど、突っ込みどころがたくさんあった。 平仮名だらけのこうした一覧を眺めていると、暗澹たる気持ちになってくる。それは、一度ハードルを下げてしまうと、人はそれに合わせてしまい、どんどんハードルを下げざるを得なくなるからである。しまいに、人に見せる表記はなんでもかんでも平仮名書きとするという何とも情けない状況が出てきても不思議ではなくなる。文化は逆に須くハードル高めであってしかるべきと考えているのだが……。 それに、政党から、今の有権者の知的能力はこの程度と見くびられているような気がするのも気分がよくない。これでは、なんだか覚えて貰うのが第一優先の芸能人と意識がほとんど変わらないように感じられて、一人ひとりが軽い人に見えてしかたなかった。(私は変?)
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夏、親知らずを抜いて貰うために紹介状を持っていった大病院。若手過ぎの男性医師が同年齢ほどの女性看護師と対話をしながら作業を進めていた。私は大口開けてされるがまま。二人の会話が聞こえてくる。驚いたことに、二人は「ため口(ぐち)」(十年ほど前からよく使われるようになった言葉、「友達口調」の意)で喋っている。 男の問いに、女は「はい。」ではなくて、「うん。」 女「それ、○番じゃなくて、○番じゃない?」 男「違う、○番やろ。」 いくら看護師の地位向上がなされてきたとはいえ、これはそういうこととは無関係、抜本的に違うのではないかと思った。仕事中なのにプライベート感が漂う。もちろん「患者様」たる私に向かっては丁寧な言葉を喋る。だから、尚更、変なのであった。 ガリガリ・ドンドン、格闘の施術の最後、医者が呟く。 「おもしろくないけど、まあ、結果オーライやな。」 どうやら、医師としては、すっぽり抜くのがベストなのに、うまく行かず、歯を砕いて摘出したので、ちょっと技的には残念だったということらしい。問題はないけれど、そんなこと、患者の前で呟かなくてもよろしい。患者を微かな不安に陥れる発言である。 ということで、後、かかりつけ医師が私の口腔を覗いて、「私ではこんなに上手く抜けません、上手な施術ですよ。」と褒めていても、私は、「いや、先生のほうが絶対いいです。」と言いたい気分だった。
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小曽根真のピアノ・コンサートを赤羽ホールにて聴く。赤羽ホールは二度目だが、初回は昼だったので、ガラス張りの外構が映えた夜の雰囲気は初めてで、新鮮だった。 小曽根は美しい印象派風の曲調でスタート、途中からモチーフにショパンの有名曲が見え隠れする。曲は確かにショパンでもデキシーランド風にアレンジしたりと曲調が次々変わり、時に単調になりがちのピアノソロを、飽きさせず、楽しく美しく時に豪快に聴かせた。ラジオ番組でお馴染みの大阪弁トークも楽しく、どうしてそういう曲調になったかなど、一曲一曲の解説も理解の助けになっていて有効であった。 彼のピアノは、テーマがショパンということもあるが、ここのところのクラシックへの接近と修練の成果か、ジャズのノリを残しつつも、よりクラシック寄りのピアニズムとなっている印象だった。 それにしても、彼の両手のバランスはジャズピアニストの域を超えて、まったくクラシックの奏者と遜色ない。あのキース・ジャレットでさえ、クラシックをやらせると左手が重くなることを考えると、舌を巻く左手の動きであった。盛り上がってくるとクラシックでいうカデンツアの連続のような迫力で、観客一同、そのテクニックに感嘆しきり。解説によると、新しく開発された音量豊かなグランドピアノ持参でツアーしているという。それもこの印象を倍加しているかもしれない。今回、ラジオやCDで聴いて感じていたように、チックコリアの影響が色濃いことを、生でもはっきり確認できた。 第二部、アナ・マリア・ヨペック(Anna Maria Jopek)なるポーランドの女性歌手とのデュエットとなる。ボイス的要素も取り入れた一筋縄ではいかない歌い方で、うめき声的な発声、パーカッシブな発声と多彩な音色を聴かせる。ショパンの曲やポーランドの曲、ショパンの影響を受けていると解説されたジョビンの「ハウ・インセンシティブ」などを歌った。時に足踏みの床音でリズムを作り、時にピアノの蓋に顔を突っ込み、声を当てて、エコー的なサウンドを模索するなど、ダークな謎の雰囲気の漂う独特な歌い方であった。 最後は有名なノクターンを、原曲にシンコペ・リズムと装飾を付けた程度の比較的忠実に弾いて静かに終えた。後、アンコール。二人でもう一曲。 座席を立つと、案の定「すごいテクニックだったねえ」という感嘆の声が聞こえてきた。ジャズピアニストとして、日本において頭一つ抜けた存在であることは間違いない。
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NHKの日本語についての番組を見ていたら、最近は何でも丁寧に言えば安全だと「様」を乱発していると言っていた。「御住所様」「御電話番号様」など。さすがに私は遭遇したことはないが、最近の接客言葉の流れからみて「さもありなん」と思われた。 ただ、医療業界が客を「患者」と呼び捨てるのを避けて使い始めた「患者様」となると、違和感を感じない人が半数おり、市民権を得つつあるらしい。医療に「お客様」は似合わない、個人名をいちいち言っている手間は省きたいし、プライバシーで個人名を連呼するのも憚られる。そこで「患った人、病気の人」という普通語に「様」をダイレクトにつけた。人の意味の「者」という漢字に着地した上に、重ねて「様」をつけるのは確かに違和感がある。テレビでは「患う」といういわばネガティブイメージの言葉に「様」をつけたことがアンバランス感を伴うと指摘していた。 同じ先生が闊歩する業界である教育界では、未だ被行為者を「生徒様」とは言わないので、医療の方が教育界より早く接客業に近い感覚を要求されてきたということなのだろう。いずれこちらの業界も呼び名を考えねばという時代がくるかも知れない。塾と同様「受講者様」とかなんとか。 接客言葉が馬鹿丁寧になってきている。時々行くドラッグストア、入ると女性店員から独特の高音棒読みイントネーションで「いらっしゃいませ、こんにちは」と言われる。その度毎に思う。 「おい、どっちかひとつにしてくれ。」
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先の土曜日、恒例の秋の美術展「アート・ナウKANAZAWA 第49回北陸中日美術展」を金沢21世紀美術館市民ギャラリーA・Bで観る。10月30日(土)〜11月7日(日)の会期の初日だったので、中で式典をしている声を聴きながらの鑑賞となった。夏に沢山の絵を観て以来、少しブランクがあっての美術鑑賞だったので、新鮮な気持ち。 ほとんど地元や中部地方の人たちの作品なので、ある種の「身近感」があるのがこの展覧会のいいところ。毎年観ているので、この方は去年も確かこういうような絵だったねと、モチーフが同じなのですぐに同じ人と判る。全員特に知らない人だが、何かお元気でご活躍の報告を受けているような気になりながらの鑑賞となる。 「2010北陸中日写真展」「中日写真サロン入賞作品金沢展」も同時開催されていて、それを知らなかったので、カメラ好きには嬉しいプラスαとなった。多くが素人写真家のはずだが、みんな上手い渾身の一枚で感心する。特にサロンの方の写真には絞り値シャッタースピード値が記されていて参考になった。頑固に絞ってある数値や考えられた構図を見るにつけ、手間暇かけて熟考した上で狙った被写体であることがよく判る。 でも、見進めるうちに、考えられた末の写真は面白くないということに気づいた。じっくり待って撮った赤く染まった夕暮れ写真、霧に包まれる風景写真、前年に下見してとっくに決めてあったかのようなお祭り写真。そこにはライブ感がない。撮り流しているような中に真実の瞬間があって、その乱れも含めた絵面の中に芸術性が漂うものが観ていて飽きないことに気づいた。そこには、凡百の「うまい写真」の中に埋没しない、頭一つ抜けたようなこちらに訴える強さがある。そういう写真が撮りたいと思った。 と、勢いで偉そうなことを書いたが、その居並ぶ「うまい写真」さえ全然撮れない私は、まずそこからである。本当にみんさん上手くて、沢山の人がいかに写真に精魂傾けているかがよく判った。思い出したようにしかカメラをぶん回さない私なぞ、オママゴト程度だぞと、おざなりなつきあい方にちょっと反省。
(追記) 去年の雑記帳をめくっていたら、昨年のこの展覧会の時、既に写真展併設で、会場も二カ所となり、ゆったりと展示されてあってよかったと書いてあった。もうすっかり忘れていたが、安全ピンを何万個も使って作り上げた巨大な椅子が印象的だったとあって、去年の会場の様子を思い出した。あれからもう一年か。 この展覧会、我が夫婦は近年は皆勤のはずである。
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実家は昭和初期の建築、祖父が建築家だったので、自分設計の和洋折衷建築である。県勤めだったので、戦前多くの公共施設を設計したが、今残っているのは皆無のはずで、自宅が唯一残った作品ということになる。四月の時にも書いたが、洋館仕立てで目立つ上、すぐ向こう側に、その昔、公民館があって、人の出入りが多かったので、実家の位置を言うと、「ああ、あの洋館の……。」と人はすぐに理解してくれた。 今回のリフォームは、そうしたことを踏まえ、古民家再生が専門の設計士さんに発注したので、生活の場は今風に直したが、外観など、当初の建築に戻した部分もある。例えば、大昔の修繕で安手のアルミサッシをはめ込んだところなどは、昔のデザインの木枠にした。彼らは、お仕事柄、建築当初はどうなっていたのかという点を常に押さえながら、今の生活や感覚との折衷点を見いだしていくというやり方をとる。そのため、下地が出てきてこうなっていたから当初はこうなっていたはずです、そこでそれに似せたこれにしては如何かと思うのですがと提案が入り、こちらはその都度、集まって家族会議を開いたり、集まれなくてもカタログを見て各々意見を集約したりした。新築以上の手間とお金がかかる。 それもさすがに大詰め。壁の色などをあれがいいこれはどうだと決めて、ほぼ決めることは決めた。昨日、見に行ったら、その色でもう壁塗りがほぼ終わっていて、後は細かい内装と建具が嵌っていないだけとなっていた。 来週、亡父の三回忌をして、集まった親戚に新しくなった家をお披露目をする。料亭の下見もし、席割りなどを決めた。 今月末、仮住まいの母、弟夫婦が新しい家に引っ越して、父死亡以来、すったもんだしていた諸々のことが一段落する。 テレビ「ビフォア・アフター」では、先週今週と木曾の福島宿の、江戸から続く古民家の再生を特集していて、興味深く見たし、我が住まいも大規模改修の真っ最中。作業小屋が駐車場に作られ毎日作業員が行き来する。今は片面の足場がはずれ、今日、我が階はペンキ塗りだった。作業員が入るからどの時間帯に在宅しているか知らせてくれなどと、ここのところ色々連絡が入り、それにも対応しなければならなかった。そんなこんなも十一月中には終了する。 あっちもこっちも改修の今年、ばたばたと慌ただしかった。来年は静かな年になるだろうか。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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