ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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職場の忘年会のお土産で美味しいラスク。お取り寄せで北海道のお菓子屋さんのクリスマスセットもやってきて、祭日、実家での恒例のクリスマス・ケーキ会(?)ではホールケーキ、二十五日、自宅でショートケーキ、二十六日、予約していたリッラクマ福箱のドーナツと、お菓子三昧の一週間であった。 昨日より年末年始休業。先週から雪の金沢となり、外出が億劫な日が続いている。数日前、除雪していない店の駐車場に車を突っ込んでスタックし、店員さんに押してもらって脱出するという体たらくを演じた。どうやら、以前の四駆の判断基準が心に残っているらしく、如何にも雪降りはじめの失敗であった。 以下、自分の覚えとして今年を振り返りたい。 今年、尖閣諸島問題をはじめとして、国境に絡む問題が多く噴出した。どことなくきな臭くなり、徐々に保守主義が台頭してきているような気がする。あの大きな戦争の端緒はこのあたりの年にあったなどと後の教科書に書かれるのではないかと不安。 国内的には、国の借金が加速度的に膨れあがっている割に国債に頼る予算を組み、一部ではばらまき政策を、一部では高負担を強いる「飴と鞭」的改革の行方も心配である。私は旧ソ連ペレストロイカの末路が脳裏をよぎって仕方がない。 我が家的には、もう何度も書いたが、父の死から慌ただしかった身辺が一応おさまるところにおさまって、なんとか一段落したのではないかと思っている。ただ、実感はあまりなくて、そうなるはずだという気持ちで今いるという感じである。何か難題が待ちかまえているのではないか、やり忘れていることがあるのではないかと不安な気持ちも残る。 愚妻は今年異動があり、これまでと違う仕事環境となって、やはり、今年の漢字は「改」になるという。 明日、通例は実家の大掃除だが、今年は新しくした直後だけにほとんど不要という。放り出したままの諸雑事をゆるゆると処理しつつ暮れていく今年である。 来年、心身に負担のない平安な年になりますように。
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珍しく早く家に帰った日、長寿ラジオ番組「誰れかとどこかで」を聞いた。こちらでは最近は夕方の放送になっているらしい。勤め人は平日の日中の番組はまず聞けない。以前、永六輔さんのお声が出ず、聞き取りにくくなっていることを知り、実際に聞いてみて、確かにと思ったことがあったが、今回はかなり恢復されていた。歩行練習を若い医師に言い渡され、足下を見ながら歩くと前屈みになって危ないので、意識的に上を向いて歩くように言われたという。「上を向いて歩こう」を作った本人が、人にそれを言われて参ったよ、というオチで、相変わらず楽しいお話であった。 今回の話で、彼がパーキンソン病だということを初めて知った。ネットで調べてみると、先月公表したようだ。自分だろうが他人だろうが、病気を明るくネタにし、前向きに笑い飛ばそうとするのは彼の人生観。 ただ、検索の過程で、老害だとか、「この爺を止めさせられない事情でもあるのか?」というような心無い書き込みが目について嫌な気持ちになった。これまでの人の歩みを、今の最良でない状況のみで頭から否定する輩が横行するのがネットの世界である。そういえば、今年、井上ひさしが亡くなった時、彼の名を検索にかけたら DV批判のコメントばかりが大量に並び、その中には「彼の文章、読んだこともありません。」と誇らしげに宣言しているものまであって呆れたことがある。人を知った上での批判は重みをもつが、知らずに言う意見は人の尻馬に乗っただけである。 ネットという世界は、その人の人生に一つでも突っ込まれそうなところがあると、その一点で全人格を否定するような中傷の嵐を受けるところらしい。簡単に検索をかけることができるため、ある人の何十年も前の失敗も瞬時に情報として入手できてしまう。そのため、いつまでも時効にならず、その情報が「生きたまま」の状態となって、いつまででも背負わなければならなくなる。まったくもって「容赦のない世界」である。 読まなくてもいいことまでずるずると読んでしまい、最後はどうも後味の悪い調べものになってしまった。
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ネットで各社のラインナップを見ると、まだこのモデル? 何年モデルチェンジしていないの? と驚く古い車種とOEM機種だらけで、「虚飾のバラエティ」というイメージを持った。食指の動く車がないと諸兄お嘆きの理由もよく判る。 ある批評家が、車選びは、エコ重視派と実用性重視派、それに車に楽しみを求めるスポーツ派の三種類に分化していると分析していて、なるほどと思った。スポーツ派は衰退の一途、今は「好燃費」が車選びの唯一の指針のような「エコ」崇拝のご時世である。 この日曜日、日本で一番売れているホンダ・フィットの新型、ハイブリッド車に試乗した。スイッチだらけな近未来的な運転席まわりで、さすがにエコモードではきびきび感は感じられず、よく言えば落ち着いた挙動だった。カタログをよく読むと、エンジン機構の一部を微妙に省略化しているのと、車重がベース車に比べて結構重くなっていることに気がついた。アイドリングストップは、慣れるとそうでもないのだろうが、多少煩わしい。ブレーキから足を離すたびにセルが回っているが、バッテリーに問題は起こらないのだろうか。 世の中のトレンドは大きく変化している。人は流行に敏感で、それを予測して先取りできなかった企業は苦しむ。しかし、トレンドがその商品の本質的に大事な部分を突いているかといえばそうでない時も多い。ハイブリッドや電気自動車も、確かに、今、最先端だが、トータルな意味で本当にエコかというと少し疑問も残る。電池部分の「耐久性」と、維持中及び廃車後の「対環境性能」はまだまだなのではないだろうか。でもそんなことは十数年後にわかること。今はただただ「燃費」至上主義である。 それにしても、安全姓、安全性と叫んでいたのはいつのことだったか。横滑り防止装置は二年後に義務化という話なのに、つけられる機種は上級グレードのみのオプション設定ばかり。サイドエアバッグも同様で、これでは付ける人は余程意識の高い人だけである。重く高価になるのでメーカーはしたくないのだろう。燃費と安全性はトレードオフの関係。現在のように軽量化が至上命令では、当然、安全性は二の次になる。 ひとつのトレンドが終わったら、カタログの説明も隅に追いやられ、もうそんなこと当然クリアしたものとして次に行ったかのような顔をしている。でも、前のトレンドが高次で維持されているとは限らない。同じ車なのに欧州向けより安全装備を落として売っているのも相変わらずのようだ。 中年も後半にさしかかって世の流行をそれなりに眺めてきた身にしてみると、車に限らず、ころころ変わる見せかけのトレンドこそ、諸悪の根元のような気になってくる。
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愚妻が長距離通勤となって初めての冬。先週よりいよいよ風雪の季節である。途中吹きさらしの箇所があり、凍結する橋がありと、幹線道路ではあるが、条件は厳しい。古い軽自動車で古いタイヤ履いた、でもまがりなりにも四駆と、コンパクトカー二駆ではどちらが安全なのかと色々の人に聞くが、結論は出ないらしい。もう半年聞いて回っている。距離が距離なので燃費も少しは気にしなければ……。 ということで、今冬は様子見の予定だが、場合によっては緊急的に買うかもしれず、車の話題が、今冬、我が家ではよく出る。 先日もトヨタのコンパクトカー「ラクティス」がモデルチェンジしたので、お近くのショールームへ。OEMでスバルからも「トレジア」として発売されたので、遅れてそちらも試乗した。 五ナンバー枠で、荷室も大きく、一家に一台、荷物も人も過不足なく載せることが出来、実用性は充分。ただし割高なのがネック。 スバル党だった我々夫婦には、トヨタの販売チャンネルの一つのような現状は情けないが、それでも、この車は顔つき、装備やグレード設定で多少のスバル色は出ているような気がした。パドルシフトなどを採用し、走りのイメージを強調しているが、エンジンはトヨタの定番型で、もし、これを買ったら、「巡り巡って、結局、あのカローラのエンジンかあ。」とおじさんはいかにもおじさんらしい帰着に、ちょっと、がっくりした気持ちになるのではないかとも思った。走ってみると、足回りは意外にしっかりしていたが、ちょっとダルなワンテンポ遅いエンジンの吹き上がり方をする。高回転の伸びもなく、音もうるさい。もう歳が歳なのでそんなに飛ばすわけでもないんだから、それでいいではないかと言われると、まったくその通り、文句もないのだが、でも、そこまで割り切れない気持ちも残る。 それにしても、今の車、どれをとっても及第点を大きく超え、間違いのないものばかり。その分、車選びはつまらなくなった。愚妻は自分の車選びにもかかわらず、「もう車選びは冷蔵庫買い換えるのと大差ないわねえ。」と達観発言をしている。(つづく)
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寒くなる前にと、先月の中旬、障子の張り替えをした。五年ぶりのこと。二〇〇五年にその記事がある。アルミサッシと障子の間は結露が激しい上に、西日も当たって傷みが激しい。純粋な紙だと長く保たないようなので、今回はビニールコーティングのものを選んだ。本当はこれでは息ができないので、障子のよさは半減して嫌いなのだが、致し方ない。 驚いたのは、糊ではなく両面テープで貼るということ。専用の幅の細いものが市販されていた。それで障子の桟とビニールをくっつける。障子貼りというより「接着作業」という感じであった。障子張りしたことのない若い世代にとっては、くっつけるのだからそんなものと映るだろうけれど、ちょっと違和感があった。 昔ながらのやり方では、貼り終わって多少皺になっても、霧吹きをかけておけば乾いてぴんと張って美しく仕上がる。それがこうしたビニールではできない。我々世代にはそこが残念であった。 あの乾燥、山本健吉流に言えば、「造化の作用」なのかもしれない。人が手を加え、でも、人が到らぬ最期のところを、自然の作用、神の手に任せて完成させる。 子供の頃、障子張りを手伝わされていた私は、あのピンと張る様子が不思議でならなかったが、だからこそ、障子替えが楽しかったのだということに今気付く。
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かなり以前、スイス鉄道に使われている見やすい文字盤の時計が雑誌「ビーパル」の通販に載っていたのを見て、一目で気に入り、その懐中時計を買った。ベストを着てその腹ポケットからおもむろに取り出すレトロな雰囲気が格好いいかなと思って懐中型にしたのだが、実際は、あまり出番がなく、掛け時計として台所にぶら下げられていた。 その後も気になっていて、時々ネット販売のサイトなどを覗いていたのだが、今回割引セールがあったので、今冬のボーナスを使って腕時計のほうを買った。これも前記のストレス解消のひとつかもしれない。 モンディーン社「クラシック」という機種。厚みもかなりあり、重さもそれなりにある。デートなどの特別な機能も一切なし。実にシンプルきわまりないモデルである。しかし、時計でデートを確認することは自分の場合ないとこれまでの経験として判っていたので、そんなのがよかった。白地にくっきりメモリが刻んであって、秒針が赤く先端がマルになっているので、秒の確認がとにかく容易。使い始めて有り難みを実感している。価格的にもブランド代が入っていないので、実に常識的なお値段。おそらく時計好きはあまり食指が動きそうもない古めかしいスペックの代物であるが、小生はそれでいい。これで十年以上愛用しているケブラー素材ベルトのソーラー腕時計と二台体制となる。 懐中時計は一度修理に出している。心配なのは耐久性だが、こればかりは使ってみないと判らない。 この前買った電子辞書のように、最近は、機能満載、招客惹句としてはよろしいが、動作が遅くて基本機能を疎かにしているのではないかと感じる製品が目につく。その上、耐久性も最初から考えていないようなものも多い。例えばズックなど、ちょっと使っていないと加水分解してぼろぼろになってしまう。昨今のもの作りの貧しさを感じる。 この時計が長年元気で愛用の品になれかし。
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以前、森の中のような油性ボールペンのリフィルを調べて、少しは状況が判り、外国製軸のリフィルはパーカータイプとクロスタイプのものを使うことで落ち着いた。この夏、ファーバーカステルのローラボールを買ったのを機に、今度は水性ボールペンのリフィルも調べ始めた。C300と仮称されるものが標準型らしく、各社、それに相当するものが出ている。油性でも低摩擦で評判のジェットストリーム芯の途中にあるお団子のような突起も、どうやら水性ボールペンの標準型にそこだけ合わせたもので、あの出っ張りがあるせいで、いくつものローラーボール軸に換装できるしかけになっている。ごちゃごちゃして素人には判りづらい替え芯の世界も、自社芯に換えてもらおうと、一部分、規格あわせをしている訳で、メーカーの熾烈な競争を垣間見る思いであった。 ユーザーとしては、少し調べてちょっと工夫すれば、お気に入りの軸に、納得のいく替え芯が使え、筆記することがより愉しくなるので、試してみる価値があると、ここのところ、各メーカーの換えられそうな芯を買ってきては、軸に出し入れをして楽しんでいる。 例えば、ペン先側にバネがあるタイプはバネが入らなかったりするが、後ろにバネがあって芯を押しているファーバーカステルのようなタイプは多くの芯が使えて便利であった。 これまで一部のマニアは、三菱鉛筆社の「ピュアモルト」シリーズに評判のジェットストリーム芯を刺していたようだが、最初からそれらが一緒になったシリーズが先日出た。その多機能ペンを一本購ってみたが、握りの木の感触、芯のなめらかさ、ノックのし易さと三拍子揃っていて一気にお気に入りとなった。 小さい、オママゴトのような楽しみだが、先生が走り、職場にはりつき状態となっているこの十二月、そんなところで気分転換をしている。 忙しい時、気の紛らわせかたは大事である。追い込みをかけている生徒さんにも、フルスロットルで頑張る中に自分なりのストレス解消法を編み出せとレクチャアしたばかり。大人はいざとなれば多少散財してストレスを発散するという裏技があって、そんなところは子供よりお気楽である。 あ、パイロットの万年筆「プレラ」透明軸、そういえば、腕時計も買いました。
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11月下旬、実家は弟夫婦と母親の引っ越しが完了し新しい生活を始めた。我がマンションのリフォームも11月末日をもって駆け込み終了。工事関係者用のプレハブも撤去された。これで、我が近辺に起きていた工事現場然とした雰囲気は一切なくなり、いつもの生活に戻った。 先日、今年の漢字が発表になった。今年は「暑」。記録的な暑さだったので、宜なるかなと思った。人はなかなか的確な言葉を思いつく。 さて、去年から勝手に始めた我が家の今年の漢字だが、深く考えなくても、すっと出た。 それは、「改」。 後年、我が家では、「あの年はリフォームで忙しかったね。」と総括されること必至である。
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就職支援企業の入社3年目の若者がラジオでインタビューを受けていた。さすが商売柄、営業言葉ばっちりで感心した。それでも私に言わせると、「させていただく」の使いすぎ。惜しいなあ、もう少し控えると完璧なのにと漏らすと、愚妻からは、世の中、これだけ「させていただく」が蔓延している中で、使わないと、逆にぞんざいなことばのように受け取られるようになってきているのよというコメントが返ってきた。 そうかもしれない。でも、こっちが諦めたらのべつ幕無しになる。くどくど文句を言い続ける意味はある。「全然」なども、一時期、肯定で使う若者が大量にいて、それを問題視する論調が盛んになったことがあった。その折り、いやいや、昔も肯定で使っていたという反論と証拠も沢山あがり、結局は、「打ち消しを伴うのが普通だが、「貴方の思っていることと違って」ということを強調するような時や二つを比較して使う時には肯定でも使っており、いまや一般的になっている」というあたりの結論になった。単に「非常に」という意味で使う若者の数自体も減ってきて、この問題は落ち着いてきた印象である。 議論していくのには意味がある。今後も「させていただく」は、くどくど文句を言うよ。うるさいかもしれんけど。と私は愚妻に宣言した。
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職場で声優の野沢那智が亡くなったという話を五歳ほど年下の女性にしたが、悟空の声の人? と聞かれてしまった。それは野沢雅子。ナッチャコパックという言葉も知らなかった。同世代の人に話をまわしたが、言葉を知っているくらいだという。同世代でも深夜放送にはまらなかった人はその程度の認識らしい。 先日、世界史の授業を参観していたら、「カノッサの屈辱」という言葉を解説していた。ああ、そういう世界史用語があった。もしかしたら高校卒業以来聞いたのかもしれないと妙に感慨深かった。自分が、カタカナ語ばかりの世界史に四苦八苦していたことをふと思い出した。後でネットで調べてあの時代のヨーロッパを復習。 高校時代、一所懸命深夜放送聞いていた分、授業では居眠りが多く、あちこち知識が抜けている。「カノッサ」という言葉を覚えているところをみると、これをやっていた時は起きていたようだ。あんな夜更かし、勉強的には全然よくなかったが、まあ、それはこの歳での感慨、当時はそんなものだった。 多少の言い訳を試みれば、勉強は学生時代の授業だけで終わらない。その後の、大人になってからの長い知的彷徨の積み重ねがあって初めて実となって身につく。 以前買ったチックコリア(p)トリオのボストンでのライブCDのタイトルが「ボストン・スリー・パーティ」と書いてあった。なんだか聞いたことのある言葉だなと思って解説を読むと米国独立戦争の端緒となった「ボストン・ティー・パーティ」事件のもじりだという。なるほど。そのユーモアのセンスにニヤリ。なかなか洒落ている。それで興味を持って事件そのものをちょっと調べた。そんな自分なりの体験によって、この事件は、自分がよく知っている歴史となった。勉強はそんな身につき方をする。 だいぶ脳の回転は鈍ってきたが、穴ぼこだらけの知識を定着させる知的関心だけは持ち続けたいものである。
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開戦記念日の今日。ニュースでは、ジョン・レノン没後三十周年とアナウンスしていた。一九八〇年。もうそんなになる。ラジオで知って驚いたことをよく覚えている。同じくよく覚えているプレスリーの死はいつ頃だろうと調べると一九七七年。レノンの3年前のことであった。同じような驚きでラジオからのニュースを聞いた御巣鷹山日航墜落事故はといえば、一九八五年。五年後のことであった。今年は二十五周年。 私が今日聞いたニュースでは、どれも日米開戦のことに触れていなかった。ジョン・レノンばかり。歴史の強弱が逆転しているような気になったが、よく考えてみると無理もないことかもしれない。 前にも書いたことがあるが、父は、実家の階段を興奮気味に下りてきた祖父の口から開戦を聞いた。祖父は二階にあった書斎のラジオで知ったのだろう。その時、父は十三歳。その父からしてこの世にいない。もう開戦を実感をもって聞く人はほとんどいないのである。今、五十歳代以上の人にとって、レノンの死のほうが実感的で、ニュースはそれに従ったのまでのこと。 実家は綺麗に昔の姿に戻した。あの階段のどこかで、五十八年前、驚いて父の言葉を聞いた少年の姿が私には目に浮かぶ。
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尖閣諸島ビデオ流出事件の犯人は内部の海上保安庁の者の仕業だったというニュースが先頃あった。アナウンスは、最初、「海上保安官」という言い方だったが、途中から省略して、「保安官」となった。私は使われる度に、西部の荒くれ男に対峙する拍車のついたブーツを履いた西部劇を思い出して仕方がなかった。そんなことを思い浮かべたのは私だけだろうか? 昔、結構、深夜放送で西部劇観たからなあ。 我がマンションのリフォーム、壁の下地白塗りがまだらになっているのを見て、愚妻が「安女郎の化粧のよう」とのたまった。白粉をケチって黒い地肌がのぞいているようだというのである。なんともレトロな表現。 もう、その種の職業を女郎とは言わないよねえという話から、「パンパン」というのも言わないねえという話になり、なんでパンパンなのかという疑問が出て、ネットで調べたりした。諸説あって定まらないようだが、戦後GI相手の女性を指す言葉として大流行、その後、ベトナム戦争時の沖縄米軍基地周辺部あたりで使われていたのが最期のほうらしい。パンダの愛称募集で、毎回、この言葉が第一位となるが、まずもって採用されないという小ネタもネットで仕入れた。確かにそうなったらお年寄りはぎょっとする。一位ということは、もうこの言葉が、ある種の女性の職業であるということを知らない世代が大多数を占めつつあるということなのだろう。 いずれにしろ、言葉にはイメージがまとわりつく。まとわりついて初めて言葉になるといったほうがいいかもしれない。ゆっくりゆっくりイメージは移ろい、隆盛消滅を繰り返す。その、どこからどこまでかの期間を人は担当する。大抵、消滅するイメージを哀惜しながら。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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